とある探偵たちのクトゥルフ神話事件簿   作:兼六園

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落とし子適合実験場 3/3

 狭い通路を、落とし子の塊が濁流がごとき勢いで流れるように蠢いている。

 洞窟内で秋山たちが最初に死体と相対した広間まで下がる途中、凄まじい速度で飛んでくる触手の群れを、暴風を纏って高速移動する丞久がレインコートを翻して刀で弾いていた。

 

「うお~~っとっとっと、ほらほらもっと手数増やさねえと一生当たらないぞぉ」

 

 半ばはしなやかに、そして先端を硬質化させた触手を刀身で全て弾きながらも、殿を勤める丞久は資料と少女を脇に抱えて走る秋山の後ろで落とし子と対面しながらバックステップする。

 

 やがて広い空間に出たことで、落とし子の全体を視認出来るようになり──その大きさにさしもの丞久ですら息を呑んだ。

 

「丞久、どうするんだ」

「ここで殺るぞ、外に逃げたら人里に降りてくる。それに逃げっぱなしは癪に障るからな」

「重要度の比率、絶対後者のが重いだろ」

 

 少女を下ろして、資料を脇に抱えたまま片手で拳銃を抜く秋山は丞久にそう言う。

 彼女は秋山からの呆れた顔を無視しつつ、ふと左手を胸元に当てて小さく唱える。

 

「シュブ=ニグラス────は無理か。ついこの間取り込んだばかりだしな……」

 

 体内で渦巻く異質な魔力が反応しないことから手札が一つ無くなったことを確認し、落とし子を見据えた刹那、落とし子から向けられていた意識が消えた感覚を覚えた。

 

「あぁ? …………っ!!」

 

 ──否、意識を向ける先が変わったのだ。自分を素通りするように伸ばされた触手を横合いから切り裂き、()()()()である少女を見る。

 

「ちっ、秋山! ガキんちょが狙われてる!」

「くそっ、チビ! ……の中の落とし子! 言葉が理解できてるなら全力で逃げ回れ!!」

「う?」

 

 秋山が声を荒らげると、小首を傾げる少女の意思に反して背中を突き破るように、蜘蛛の脚のような関節を持つ細いトゲが現れる。それらが体を持ち上げ、勢いよく壁まで跳躍()()()

 

「──うがあがががが!?!?」

「動き気持ち悪…………」

 

 壁に張り付いた少女を追従するように落とし子が体の一部を細めて余った体積を触手に回し、壁へと殺到させて捕らえようとする。

 

 それを回避しようとする少女の中の落とし子が背中から伸びる脚をカサカサと動かす反動で、ぐわんぐわんと大きく揺さぶられていた。

 

 言うなればそれは巨大な虫に背負われた子供、とでも言うべき絵面となっており、秋山がドン引きするのも仕方のないことなのだろう。

 

「ドン引きしてないで手ぇ考えてくれる?」

「んなこと言われてもな……落とし子の弱点は魔力とか……あとは炎も通るんだよな? 丞久はなんかそういう魔術は使えねえのかよ」

「私は四大元素に則った能力は風系しか無理。()()()()()()のがそういうやつだから──ってのはあとで話すとして、炎以外なら……凍らせるか感電させるか、とにかく何らかの手段で一度固まってくれれば真っ二つにしてやれるんだけど……」

 

 などと言いながら、落とし子が少女を狙っている間に辺りを見回す秋山と丞久。

 

「ここが外だったら天候操作の応用で局地的に気温を極寒まで下げられるんだけどねぇ」

「俺が死ぬから却下──ん?」

「なに」

「いや、来たときは暗くて分からなかったけど、隅に発電機があるぞ」

 

 秋山の見ている方向を目で追うと、ちょうど明かりの陰になっている部分にポツンと大型発電機が置かれていることに気がつく。

 

「あれがまだ燃料入ってて点けられる……として、あのキング落とし子に取り込ませれば内側でスパークしてくれたりしないか?」

「まあ、やるだけやるしかないでしょ。私はガキんちょが捕まらないようにここから援護するから、電源入れに行ってきてちょうだい」

「……援護?」

 

 左手を手刀の形に伸ばして、薬指と親指だけを曲げて印を結びながら言う丞久は、わずかにげんなりとした表情で続けて口を開いた。

 

「……こいつに頼ると高級肥料の献上が確定するから使いたくないんだけど、うだうだ言ってられないか……【部分顕現:ヴルトゥーム】」

 

 そう唱えた瞬間、目を離した隙に少女へと触れようとしていた触手の先端が、壁を突き破って生えてきた植物の無数の蔓に阻まれた。

 続けて地面を割って伸びる木の根が下から落とし子の巨躯を貫くが、そちらは一瞬動きを止める程度で効果が薄いようだった。

 

「発電機を点けたら言え」

「ああ、チビを頼むぞ!」

「はいはいりょーかい」

 

 度重なる魔力の消費にうっすらと汗を垂らす丞久は、それでもなお集中して力を行使する。

 

 地面に降り立たないように壁から壁へと蜘蛛脚を使う少女の援護で蔓を伸ばして壁を作り、ダメージにならなくとも木の根で落とし子を貫いて意識の分散をする傍らで、隅の大型発電機の元に到着した秋山が燃料を確認して点け始めた。

 

「……こういう時に【門】かヨグ=ソトースの力を使えれば、こいつを火山に放り込んでそれで終わりだったんだけど……なっ!」

 

 パン、と手を合わせる動きに連動するように、木の根と植物の蔓が四方八方から落とし子に絡み付く。──だが、それこそ水を糸で切断することが不可能なのと同じですり抜けてしまう。

 

 その攻撃が驚異にならないと判断したのか、彼女を無視して頭上の壁を跳び回る少女だけを狙おうとしている落とし子に丞久は舌を打つ。

 

あいつ(ヴルトゥーム)本人の攻撃なら植物そのものに魔力籠ってるんだけど…………普通の物理攻撃は通らない、私の刀だと一撃で切り落とすには固まっててもらわないと無理、あんまり蔓とか出してるとガキんちょの機動力を削ぐ……くそ(だり)ぃ」

 

 ──秋山待ちか。と独りごちる丞久だが、それでも視野は広く保ち、学習したのか少女の移動先を塞ぐように先んじて触手を伸ばす落とし子を見てくいっと手首を返す。

 

 その動きに連動して壁から生えた蔓が少女の体を絡み取り、触手に触れないようにと更に上へ投げ上げる。続けざまに地面から伸ばした木の根を少女の足元に動かすと、彼女は背中から生える蜘蛛脚で器用にそれを踏んで反対の壁に跳んだ。

 

「秋山ァ!」

「わぁってる! あとは、これ、でっ!」

 

 数年越しの起動ゆえに苦労している秋山がなんとか発電機を点けると、一拍遅れて稼働を始めた。直ぐさま発電機を近くの壁から伸ばした蔓で持ち上げた丞久は、蔓とリンクした感覚から重量で震える腕に力を入れて歯を食いしばる。

 

「んぐぎぎぎっ……おらァ!!」

 

 蔓の本数を増やして無理やり持ち上げて、勢いをつけて落とし子目掛けて全力で投げる。

 電源が点いたままのそれは宙を舞って落とし子へと落下し、ぐにゅっと大きくその体をへこませて、やがて沈んで行く。()()()()()は害が無い、という半端な学習をしていた所為で無抵抗に発電機を取り込んだ落とし子の体は、異物を体内で圧を加えて破壊しようとし────

 

「……はっ、上出来だ」

 

 丞久の言葉を合図にしたように、バチリとショートして発電機はスパークして内側から感電させる。突然のことに動けなくなる落とし子の体が固形のように固まっているのを見て、彼女が刀を構えて暴風を纏う。秋山と少女が視認できたのはそこまでで、姿が刹那の内に消えたかと思えば。

 

「──速すぎんだろ」

 

 まばたきを一つすれば落とし子の巨躯が真っ二つに切り裂かれ、続けてもう一度まばたきをすれば、更に一閃。かろうじてレインコートの黄色い残像だけが視界に残り、その裏で固まっている落とし子がどんどんと切り刻まれている。

 

 最後に縦に斬られた落とし子を背に、秋山の眼前で丞久が足でブレーキを掛けて停止。

 発電機が壊れて電気も消えた筈であるにも関わらず、液体に戻った落とし子が再度結合することはなく、そのままジュワジュワと消滅した。

 

「……なんで今ので死んだんだ?」

「元々私の刀と魔術なら落とし子程度は片手間でも倒せんのよ。でもこいつは体がデカすぎて、ちまちま切り刻んでたら斬った端から再生が始まるから時間が掛かりすぎる。固まってさえいれば衝撃もダイレクトに伝わるでしょ」

「なるほどな……さすがのお前もこんなデケぇ落とし子を相手にしたのは初めてなのか?」

「かもね。世界は広いなぁ~~ってことで……おいガキんちょ、降りてきていいぞぉ」

「うぁう」

 

 丞久が見上げた先にぶら下がっている少女にそう言うと、ロープのように伸ばした落とし子でスルスルと降りてくる。器用に秋山の肩に着地して、ちょうど肩車のような姿勢になっていた。

 

「なんでだよ」

「うがうあう」

「懐かれてんじゃん」

「ああ、そう……」

 

 愉快そうにニヤニヤと口角を歪める丞久に、諦めたような表情をする秋山が問いかける。

 

「んで、これどうすんだ?」

「死体の処理と落とし子の残留物の処分……めんどくせぇから連盟組織に全部ぶん投げるか。今日はもう帰るぞ、少し疲れた」

「いやそれでいいのか?」

「あとでごちゃごちゃ聞かれたら、『明暗丞久に脅された』とでも言っとけ、()()()()()っぽいお前に言い訳用意しといてやる」

「……は? 嫌われてる?」

 

 秋山の抱えていた資料を取ってから洞窟の入口に向かって歩き始める丞久を追いかけ、帰路を追従しながらさらに質問を投げ掛けた。

 

「どういうことだ」

「秋山、お前たしかリハビリ明けの任務でここに来たっつってたよな」

「ああ」

「その割には、魔術師でもない奴が一人でやるには厳しい戦いだったと思わないか? あのクソデケぇ落とし子なんて、お前がどう逆立ちしたって絶対に殺せねえでしょ」

「……全部知ってて俺をここに寄越した?」

「どうだかねえ」

 

 それは根本的な疑問。落ち着いて考えてみても、秋山自身、確かにおかしいと理解できる。

 

「────。白道か?」

「いんやぁ、あいつに組織内の人間を……それも新入りを嵌める理由がねぇ。お前を気に入らない奴が居るとして……何やらかした?」

「いやいやいや、この一年ずっとリハビリしてただけだぞ? 体動かしたり射撃訓練したり」

「射撃訓練ねぇ。良い結果出せたか?」

「ん? ああ、一位のやつにダブルスコアつけて圧勝したりして記録塗り替えてやったぞ」

 

 一年前が最初である少ない記憶を想起させる秋山に、丞久はあくびをしてから返した。

 

「それじゃねえの」

「そんなことで!?」

「あり得るぞぉ、魔術師ってのは道徳と倫理観が終わってるやつばっかだ。前に食堂で些細な口喧嘩が魔術の撃ち合いに発展した奴居たし」

「こわ……」

 

 魔術師のことをまるで理解できていなかった秋山だが、しかして任務は終わり、生存者を保護することに成功する。何はともあれ、果たして生き残れたのなら、それは勝ちと言えるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ──任務から早くも5日が経過し、秋山は数日振りに会った白道と共に廊下を歩いていた。

 

「そうか、明暗丞久に助けられたのか」

「あいつの言ってたことは本当なのか? 俺を嵌めようとした奴が居たらしいが」

「ああ……………………。まあ、その件は事実だ。こちらで片付けておいたよ」

「なんだ今の間は」

「はっはっは、聞かない方がいいよ」

 

 すっとぼける行き方をしながらも、追及をされないようにそれとなく脅しを入れる白道に、秋山は渋い顔を向けつつ更に口を開く。

 

「お前と丞久はどういう関係だったんだ。あいつは良い思い出が無さそうな顔だったが」

「んん……私はあの小娘──もとい、明暗丞久が連盟組織に入った頃に彼女の上司をしていたんだ。彼女が15の時だから4年前かな」

「15でこんな世界に、ねぇ」

「なんでも、中学生の頃に両親が誘拐されて殺害されたそうだ。彼女の中に居る『力』に目を付けた連中の犯行だったらしい」

「────」

 

 あっけらかんとした物言いで爆弾発言をした白道に、さしもの秋山も硬直する。

 

「明暗丞久の中には、ハスターという神格の力が宿っている。幼い頃に遭遇して押し付けられた……と言っているが、これは本当に珍しいことなんだ。一般人・魔術師のなかには神格を宿せる器である存在が居るが、()()()を授けられたことのある人間は今の世代では彼女だけだろうね」

「……『神格そのものが宿る』のと『力だけを受け取る』ことの何が違うんだ?」

 

 廊下を歩きながらも、秋山の質問に対して、白道は考えるそぶりを見せてから人差し指を立てて、まず一つ目と言って返した。

 

「神格が宿るパターンは、神格の人格……ややこしい言い方になるな。要するに意識が人間と表裏一体になって二重人格のようになるんだ、でも主導権は大体の状態でも必ず神格が優先されるため、神格の方が譲るつもりがないなら、人間の人格は一生裏側に押し込められたまま。言ってしまえば肉体を乗っ取られるのと同義だ」

 

 続けて中指を立ててピースサインを作り、二つ目。と言いながら息を整える。

 

「そして力だけが宿るパターン。これは本当に前例が無い。前例が明暗丞久より以前に一人も居ないのか、はたまた全員がなんらかの理由で記録に残る前に死んだか。──さっきも言ったけれど、彼女はハスターから力を押し付けられた。しかし言い方を変えれば、()()()()()とも言える」

「まあ、ガキの頃にいきなりバケモノから力を貰って人生変わっちまったんなら『押し付けられた』って言いたくもなるわな……で、『授けられた』んだとするなら、それはなぜだ?」

 

 秋山の当然の疑問に白道は再度考えると、一瞬何とも言えない表情をしてから言った。

 

「明暗丞久よりも前から組織に居た、彼女と同年代の魔術師がね、とてつもない力を持った魔術師だったんだ。あとにも先にも、無尽蔵の魔力だけをコストに怪物・神格を幾らでも完全顕現できる者は彼女しか居ないだろうと断言できる」

「……それで?」

「私は恐怖したよ。高が人間いち個人に、その日の気分次第かつ指先一つで世界を容易に滅ぼせる力を与えて良いものなのかと。そして気づいたんだ、彼女がこの世界の異物(バグ)だったのだと」

 

 それからイタズラっぽく口角を緩めた白道は、隣を歩く秋山を見上げて結論を口にする。

 

「突拍子もない仮説だが、明暗丞久はおそらく、その魔術師というバグに対等に渡り合うための存在だ。本来であれば居ない筈の、居てはならない筈の存在に、しかして居ても良いのだと胸を張って主張できる唯一の人間なのだろう」

「────。確証は?」

「無いよ。ただ、私はそう思っている。……思いたいんだよ、あの二人は口では煽り合っていても、その実お互いを友人だと思っていた」

 

 どこか遠い目をして、白道は脳裏に当時の光景を想起させる。秋山はその表情に胸を締め付けられる感覚を覚え、その奇妙な感覚に眉を潜めながらも何かを言おうとして足を止めたが。

 

 

 

 

 

「おっと、世間話をしていたら到着だ」

「いつもの作戦会議室じゃねえか」

「おチビちゃんは『私が預ってる秋山クンの預かり』、というややこしい立ち位置に居るからね、私の部屋以外に置けないんだよ」

「……ふうん」

 

 連盟組織に預け、それから数日の間が空いたが、今日まで少女が何をしてきたかを秋山は知らない。ともあれ、特に緊張する理由もないからと普段通りに扉を開け放つ。

 

「チビ、俺のこと覚えてるか」

「……?」

 

 入口に立つやいなや、秋山はテーブルに本を広げている少女に声をかける。

 病衣のようなみすぼらしい格好ではなく、シンプルなワイシャツとスカートに身を包んだ少女は、秋山の声に顔を上げると一拍の間を開けてからパアっと表情を明るくさせた。

 

「あっ。秋山さん! ……でしたよね? お久しぶりです、お元気でしたか?」

「────。誰だお前」

「ええっ!?」

 

 が、今度は逆に秋山がそう言って怪訝そうな顔を隠そうともせずに続ける。

 

「いや、だって、お前もうちょっとこう……野性味があったというか、IQ低かっただろ」

「あー、秋山クン。彼女は正真正銘、キミが連れてきた落とし子の適合者クンだよ」

 

 入口辺りで立ち止まっていた秋山の背中を押して一緒に中に入る白道がそう言い、秋山もまた少女に向き直る。まじまじと顔を見られて気恥ずかしそうな彼女から白道に視線を移すと、眉間に深いシワを作りながら疑問符を浮かべた。

 

「頭弄ったのか?」

「キミは私を何だと思ってるんだ。……この子の体からは複数の薬物が検出されていた。野性味……というのは、例の施設で従順にさせるために知能を低下させていたのが原因だろう」

「あんなとこ、壊滅しててくれて良かったってことか。……今は大丈夫なんだな」

「はいっ、何度か検査したんですけど、私の体はもう健康そのものですよ」

 

 にこやかに答える少女を前に、秋山がバレない程度に小さく安堵する。白道はそれに気づきながらも指摘はせずに説明を続けた。

 

「いやあ、それにしてもこの子の学習能力は凄まじいよ。改めて1から日本語と喋り方を教えたら1日でマスターしたし、今も義務教育を学び直そう……と言っていたところなのに、もう既に中高生の勉強が出来るほどに成長した」

「今はどの辺を学んでるんだ」

「今は……えーっと、高校の数学ですね」

「…………。お前、何歳だ?」

 

 さらりと言った少女に引き気味に問うと、彼女は考えるように視線を斜めに上げる。

 

「えっと、白道さんたちが検査したところによると、私は今は9歳? だそうです。5年前に誘拐されたときは4歳だった事になりますね」

「9歳の受け答えじゃねえんだけど」

「この子の場合は、体内に落とし子というもう一つの生命体が循環しているのも関係しているんだよ。単純計算で学習能力2倍だからね」

「……そうか。チビは今でも落とし子の操作は問題ないのか? 乗っ取られる可能性が万が一でもあるなら対応が変わってくるぞ」

「大丈夫ですよ?」

 

 少女が手のひらを見せると、皮膚の隙間から出てきた黒い液体がハートマークを作る。

 続けて拳銃やナイフを形作り、それから一度体内に戻してからボタンを緩めた首元から黒い塊状の落とし子を引っ張り出して、蠢いているそれを横目に秋山を見た。

 

「今は私の制御下にあります。この人……人? にも意思はあるし、ある程度は意思疏通も出来てますよ。私にしか伝わってないんですけど、なんだか秋山さんを気に入ってるようですね」

「へえ、なんて言ってるんだ?」

「えーっと、【強い、旨そう】ですね。好感度かなり高いですよ」

「聞かなきゃよかった」

 

 あはは、と笑う少女は、それから一転して悩ましげな表情で秋山に一歩近づく。

 

「……それで~、ですね~、えっと……実は今、2つほど悩みがありまして」

「なんだ?」

「この組織で働くにあたっての、偽造する私の戸籍の名前が決まってないんです」

「ふうん」

「──秋山さんが、決めてくれませんか?」

「えぇ」

 

 指をもじもじと突き合わせて、そんなことを提案する少女。秋山は面倒くさそうに表情を歪めたが、保護した責任があるからこそ、そう提案されて無下には出来ない。

 

「ん~~~、あ~~~。どうしたもんか。ちなみに白道、候補は何がある」

「ん? 花子がぶっちぎりで票トップ」

「カスのアンケートやめろ。……ったく、名前……名前なぁ……」

「んむぶむぁ」

 

 おもむろに手を伸ばして少女の顔を掴むと、柔肌をもちもちと握る。その肌の色白さと体温の異様な低さを触感で確かめると────

 

「──小雪、ってのはどうだ」

「うぶぶ……こ、こゆき?」

「肌が白くて体温が低い。ピッタリだろ」

「ふふ、良いじゃないか。じゃあ戸籍の名前は『秋山小雪』にしておくからね」

「なんで?」

 

 さらっと自分の名字が使われていることへの疑問をぶつける秋山に、白道は携帯でメッセージを打ち込みながら返答した。

 

「この子……小雪クンは、実年齢は9歳だが肉体年齢は10代ほどに成長していてなおかつ精神年齢が高い。戸籍上の年齢を増やしておきたいんだが、それならキミと兄妹ということにするのが適当なんだよ。秋山クンは21歳だから小雪くんは……17歳の4歳差ということにしよう」

「このちんちくりんが17歳って」

「低身長で成人してる人間なんて、実際わりといるだろう。平気さ。たぶん」

「雑だな……」

 

 そう言って呆れる秋山に、少女──小雪が近づいて裾を指でつまんでくいっと引く。

 

「あん?」

「その、2つ目の悩みなんですけど」

「ああそうだった。で、なんだよ」

「この問題がわからなくて」

「…………。戸籍の問題と勉強の問題を同列に扱ってたのかお前」

 

 室内のテーブル近くのパイプ椅子に座ってから、小雪の持っていた数学の教科書を受け取って中身を読み始める秋山だったが、唸るような音を喉から絞り出しながら逡巡して声を荒らげた。

 

「──白道ヘルプ! わかんねぇ!」

「ギブアップが早すぎる……!?」

「はいはいはいはい、そんなことだろうと思ったよ……見せてみなさい」

 

 携帯を仕舞って、白道が教科書を受け取る。少しして呆れたようにため息をつくと、秋山と小雪の前に一冊ずつノートを広げて口を開く。

 

「どうせだから、小雪クンの勉強がてら秋山クンも復習してみようか。数学は楽しいぞぉ」

「数学なんて生きるうえで必要あるか?」

「……キミは記憶が無くなる前の学生時代にも同じ事を言っていたタイプだねぇ」

「秋山さん、頑張りましょう?」

「なんで俺が哀れまれる側なんだよ」

 

 ──やいのやいのと楽しげに口論しながら、三人はそうしてコミュニケーションして行く。

 

 イス人、記憶喪失、落とし子の適合者。立場も抱える問題も違う、だからこそ互いに遠慮をする必要が無い、そんな三人の付き合いが長く続くことを、この場の誰もが想像していなかった。

 

 

 

 

 

『完』




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秋山 (21/♂)
・謎多き上司こと白道の指示で一年のリハビリを経て任務に出たが、実力に合わない任務をさせられており、丞久が居なければ死んでいた可能性があった。ちなみにその原因はリハビリ中の射撃訓練にて片手間で記録を塗り替えられたことによる逆恨みが有力説らしい。

明暗丞久 (19/♀)
・時系列で言うと、大学で夏木小梅(シュブ=ニグラス)と戦い、太陽と別れの挨拶をした数日後の辺りで秋山と遭遇している。実は白道が元上司だった。

白道香織 (22/♀)
・いまだに『秋山狐鉄』に対する罪の意識が消えていない元恋人の現上司。自分経由で秋山を騙し、任務先で死ぬように仕向けた下手人が()()()()()で居なくなった件とは無関係らしい。

秋山小雪 (9/♀)
・落とし子との適合実験をするために4歳の頃に誘拐された少女。唯一の適合者であり、体内の水分と血液の殆どを落とし子と入れ換えられているため、肌がやや白く体温が低い。なぜこの状態で生きているのかは本人もよくわかっていないが気にしておらず、尚且つ精神年齢も高く現時点でも高校生レベルの知能・知識を獲得している。
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