「──だから言ったでしょう、
畳の上に転がる、瀕死の女性。腹を深く切り裂かれて溢れた鮮血が畳を汚し、呼ばれたことで虚ろな瞳がこちらを見上げる。
「……っ、ぁ、ぅ」
「貴女は、引き際を誤った」
電球の明かりだけが頼りの暗い一室、濁りきった彼女の瞳には何も映らない。けれども確かに言えることが一つある。
それは、この復讐を止めようとしなかったこちらにも非があるということ。
どうしてただの旅行が、復讐を果たすための旅路へと繋がってしまったのか。
この話は、温泉宿に向かうところまで遡る。
──新幹線の隅っこ四席を予約して占領し、ボックス席を作ることになんとも言えない背徳感を覚えつつ、ガタンゴトンと揺られて数十分。
ちゃんと四人分の料金は払ったから許してほしい……という言い訳を誰に言うでもなく独りごちると、眼前で空の弁当箱を積み上げている人形──ボックス席で死角を作らなくてはならなかった元凶ことソフィアが、箸を止めてこちらを見上げてくる。
『…………よいち』
「どうした? まだ食べ足りないとか言われても困るぞ。というか宿のご飯入らなくなるよ」
『…………まだ腹四分くらい。じゃなくて、「良い思い出が無い」って言ってたの、思い出したから』
「ああ、そうだっけ。あとキミお米ついてるよ」
頬に指を当てて教えると、ソフィアの小さい顔も相まって大きく見える米粒を、彼女は手でつまんでパクりと食べる。それで誤魔化されてくれたら、とも思ったが……それでもなおジッと見てきた。
「──んー、あー。面白い理由ではないよ。……俺が昔こういう旅行を両親と一緒にしたときに、父さんと母さんが死んじゃってね」
『…………そう、なんだ』
「それ以来、旅行とかはしなくなったんだよ。学校の修学旅行も休んでたっけな」
『…………ごめん』
「気にしなくていいよ」
シュンとした様子で食事のペースが落ちるソフィア。こうなるだろうから言いたくなかったのだけど、まあ気になるものは仕方ない。
それはそれとして、食べる手は止めないんだな……。という指摘をしなかった自分を褒めたいところではある。ともあれ、目的の宿がある町はまだまだ先なため、ゆったりとしていようと思う。
……ちなみに、近くを横切った別の客がこちらのボックス席を二度見してきたのは余談である。
空の駅弁を何箱も積み重ね、30センチの人形と二人旅をしている男が視界に入ったのはさぞかし恐ろしいことだろう。夢に出たら申し訳ない。
──ようやく到着した宿にチェックインして、一人部屋に案内される。
カバンに隠れていたソフィアを室内に出して軽く荷物整理をし、いつでも厄介事に巻き込まれてもいいように……としていたのだが。
「うーん、平和だなぁ」
『…………それは、いいことじゃない?』
「いやまあ、そうなんだけどね」
ビックリするくらい何もなかったのだ。行く先々でトラブルに巻き込まれる丞久先輩に巻き込まれていた所為で警戒していたのに、特に何事もなく料理とお風呂を堪能して二日目になってしまった。
「このままでは……普通に旅行を楽しんで帰ってしまう……!?」
『…………混乱してる……』
そう言ってきたソフィアは呆れ顔をしながら、テーブルの上で器用に料理を食べている。
昨日チェックインしてから二日目の夕食に至るまで、ソフィアの分もと思い多少無理を言って二人分用意して貰ったそれを美味しそうに食べている光景は、なんともまあ父性をくすぐられると言うものだ。
それに比べれば、毎食二人分を要求してはちゃんと全部食い切ることで凄まじい大食いだと従業員に勘違いされるのもやぶさかではない。
ソフィアのためだ、安いもんさ……もう来ないであろう宿での風評被害の一つくらい。
「まあ、こういう平和を謳歌するのも悪くないか。どうせ帰ったら揺り戻しが来るんだし」
『…………かくていなんだ』
「俺たち魔術師は、そういう星の下に生まれてきた存在だからね……」
根拠はトラブル吸引機である先輩の存在。
「さて、ご飯食べたら早めに寝よっか。朝に出れば昼頃には事務所に帰れるかな」
『…………お土産は?』
「あーそうか、何か買っていってあげなきゃな。……ドラゴンと剣のキーホルダーとか人数分買ったら真冬と結月にぶん殴られそう」
いや、結月は喜びそうだな。
などと思いつつ、まだ少ししか食べていない夕食に箸を伸ばそうとした────刹那。廊下の方から絹を割いたような悲鳴が聞こえてきて、天ぷらを掴もうとした手を止める。
「────。平和だとは言ったけどさぁ、トラブルを望んだわけではないんだよ……!」
『…………よいち』
「わかってる、行ってくるよ。まだ食べられるなら俺の分も食べちゃっていいけど、俺一人で食べた風を装いたいから食器重ねといて」
『…………気をつけてね』
そう言ってため息をついて、立ち上がり部屋を出る。悲鳴のした方に歩いてゆくと、既に他の客と従業員たちで人だかりが出来ていた。
「どうかぁ、しましたか?」
「え? ああ……その、人が……亡くなっているらしくて」
「へえ。んー、ちょっと失礼〜」
赤い浴衣を着た女性は、こちらの問いにそう答える。とりあえずと野次馬に割って入り、恐らくこの場で一番の適任であろう自分が確認するべく現場に向かうと、そこには確かに遺体が転がっていた。
「ふうん。……この人の悲鳴なり、争う声なりを聞いた方は誰か居ます?」
「い、いえ……ただ、ドタドタと走る音が聞こえて、何かと思って見に来たらこうなっていて…………あの、貴方はいったい?」
「しがない探偵です。
従業員の一人に短く言い、改めて遺体を見やる。首筋を押さえながら亡くなっているのは、メガネを掛けた男性だった。
よく見ればこっちの部屋の方とは逆方向の廊下に点々と赤い液体が落ちており、それからまだ固まってない手をずらして首に視線を移す。
「……噛み傷、肉が食い千切られてるな。これが致命傷になって、ここで死んだらしい」
「ひっ……!? …………い、犬がなにかに、襲われた……とか?」
「それは──どうだろう」
成り行きで助手みたいになっている従業員と一緒に傷口や腕などを確認し、犬に襲われた説は無いと断言できるだけの証拠を纏める。
「犬に襲われたなら、まず足や腕を狙われたりするのが自然だけど、この人にそういった形跡はない。首……頸動脈だけを狙って一撃で、とすると、訓練された猟犬だったとしても難しいでしょう」
「……当然ですが、ここは盲導犬を除いてペットの持ち込みは禁止されています」
「その辺の野良犬が紛れ込んだ、とかなら誰かが鳴き声を聞くなり他に襲われる人が居るなりで目立つはず。なので犬ではないですね」
……猟犬は猟犬でも時間移動に敏感な奴は、噛むというよりは穴空けて吸う、だからなぁ。
それに出現したら臭いから確実に分かるし、今回ばかりはアレは犯人じゃないだろう。
──だからこそ、この遺体の傷には、不可解さと不気味さが残されているのだ。
「それに見てください……いや無理には見なくていいんですけど。この傷は、鋭い歯を持つ獣の口で噛まれたものではありません」
「────。えっと、じゃあ、つまり」
「……これ、人が人を噛んで出来たモノですね」
……それも、角度的に見て真正面から。つまり、この人は犯人を前に油断していたことになる。
「…………。これ以上は調べようがないか、この人の部屋を見る権限は無いし。ところで警察への通報はもう済ませてあったりします?」
「………………えっあっはい、しました……」
どうも反応が遅れていたが、『これ、人が人を噛み殺した事件ですよ』って言われればこうもなるか。それにしても、わざわざ噛んで殺す……となると、そこからはなんともいえない殺意を感じ取れる。
凶器でもなく、わざわざ口で。それだけ憎い相手だったのか、はたまた────それがメインの攻撃手段であるナニカだったのか?
ともあれ、あとは警察に任せるべきだと判断して、
あとは念のために赤色の水……血痕が何処に繋がっているのかを辿ろうとし、ふと思ったことを確認するべく最後にもう一度だけ遺体を調べる。
「……ふうん」
着ていた浴衣と肌、髪に触れ、少し
それから血痕を辿り、途切れているところで足を止める。予想通りに、そこは男湯の扉の前だった。
「風呂上がりに狙われたのか。体が温まって血行促進、出血も激しくなる……と」
突発的な犯行、ではないのかもしれないなぁ。ただ、こんなところで殺るのなら、それなりの自信があると窺えるだろう。
──問題は、その
この世界には魔術があるため、ミステリーの十戒にツバ吐き掛けるレベルのトンチキな殺人事件なんてものは幾らでも作り出せるのだから。
「……犯人探しは義務じゃあないけど、放っておくのも寝覚めがなぁ」
「あのう」
「────。はい?」
不意に声を掛けられて振り返ると、そこにはつい先程、最初にこちらから問いかけた赤い浴衣の女性が立っていた。もみあげの辺りが細く一房伸びた短い黒髪で、歳は……若々しいけど雰囲気から察するに恐らく葉子さんの少し上くらい。
「すみません、部屋に戻るように言われたのですけど……何をしてるのか気になってしまって」
半纏を着たまま腕を組んでいるからか、手元が見えない女性は気まずそうに苦笑する。
しかし、彼女に対してそれ以上にわからない点が、一つだけあった。
それは、
「……いやあ、驚いた。話しかけられるまで気づきませんでしたよ」
「よっぽど集中していたんですね。……いったい何を探しているんですか?」
──どうして、このタイミングで、気配を気配を消して近づいてきたのか。もはや、
ひとまず疑いの目を向けていることを悟られないようにしつつも、指を下に向けて、進行形で女性が踏んづけている血痕を指しながら言う。
「それが途切れているのがここなんですよ」
「え? ……あっ! ご、ごめんなさい」
自分の足元の、ネッチョリと赤い液体が付着したスリッパを見て、女性は慌てて端に寄った。
……うーん、まあ、この人以外も証拠は荒らしちゃってるだろうしなぁ。
それに、恐らく犯人であろうと仮定すれば、ここに来た理由は察するものがある。
すなわち犯人ではないアピールをしに来たか、或いは嗅ぎ回ってるこちらを始末しに来たかだ。
「……では、あの人はここで誰かに?」
「かもしれないですね。……中に血痕や荒れた形跡は無い、と。だとすると隠滅したか、廊下側の出入口前で襲われたか……」
「やっぱり、探偵さんってこういう事件を担当したりするんですかね」
「殺人事件探偵は俺じゃなくてメガネの少年が適任だから違うかなぁ」
妙な偏見を訂正しながら、少し考える。
「被害者がこっち側に逃げてきたってことは、犯人が逃げるなら奥の方。……グルっと回って俺の部屋側を通って駆けつければ無関係を装えるな」
「……? なにか?」
「────。いえ? ああ、遅れましたが俺は桐山与一と言います。名刺はあとで渡しますね」
それとなく【強化】の魔術を起動して体を魔力で覆って、女性に右手を差し出す。
この人が魔術を使えるか、魔力の存在を認識しているか。そのどちらかであれば、こちらが今いきなり魔術使ったことに対して、理由は何であれ何かしらの反応はしてくるはずだからだ。
「……私は、
魔術師なのか、魔術師だとして敵意はあるのか。一瞬ためらいを見せた彼女──雅灯さんは、半纏の袖から手を出しておずおずと握る。
グッと握り返して雅灯さんの右手の感触を確かめた、その刹那。こちらと彼女の顔は、恐らく全く同じように疑問を抱いたモノになっただろう。
「……ん?」
「なん──」
雅灯さんの右手に、何か異質な魔力が宿っている。それがこちらの魔力と混ざろうとして、しかして水と油が混ざれないのと同じように蠢く。
「…………うあっ、だッ!?」
「っ──!?」
果たして混ざろうとした結果、雅灯さんの魔力が侵食してこようとした所為で、互いの魔力が反発し合って静電気を食らったように弾かれた。
「地味にいてぇ……すいません雅灯さん、大丈夫です……か……」
結構強めにバチリと来たため、思わず手を振りほどいてしまったことを謝ろうとし、雅灯さんの方に首を向ける。彼女もまた右手を押さえていたのだが────その手は何故か白くなっていた。
「雅灯さん、その手は……」
白いのは、肌が色白だからという話ではない。それはまるで、血の流れが止まってしまっているかのような、薄く肌色が混ざった不気味な白色。
「……見ましたね?」
「今からでも俺が鈍感だった事に出来ませんか」
──なにより不気味だったのは、彼女の白い手の平にあるパックリと割れたヒビの奥に、確かに人間の口が存在していたからだ。
そしてその異常性に関しては、最悪なことに知識として有しているだけでなく……先輩が居たとはいえ、以前に一戦交えた事すらある。
それは、大抵の神格に存在する『使いようによっては味方にもなりうる』という可能性を欠片も持ち合わせていない、悪意の権化。
「……よりにもよって
イゴーロナク。堕落と倒錯の神。求められれば力を与えるが、それで良い結末を迎えることは絶対に無いと断言できる邪悪な神格。
偶然にも旅行先で殺人事件を起こしたイゴーロナクの契約者──藤森雅灯との出会いが、今後の人生を大きく左右させるターニングポイントになっていたことを、この時はまだ知る由もなかった。
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