「……どうして、貴方がその名を」
雅灯さんは隠そうとした右手を向けてきた。手のひらの口には当然だけど歯が並んでおり、無い筈のモノがある光景に嫌悪感を覚える。
「お互い、聞きたいことが出来ちゃいましたね。どうです、俺の部屋で話し合うというのは」
「あら、悪いけれど私は既婚者なの」
「ん〜〜〜そういう意味ではない……!」
「冗談よ」
薄く笑みを浮かべながらも、雅灯さんの目はしっかりとこちらを捉えて敵意を向けてくる。
けれども下心は無いと察してくれたのか、渋々といった様子で手を正常に戻した。
「……どうして通報しようとか捕まえようとか、そんな発想には至らないのかしら」
「その
「え?」
「……続きは俺の部屋で。少なくとも、俺のツレを見れば、俺が
「???」
ため息混じりにそう言うと、なんのこっちゃと首を傾げる雅灯さん。
スリッパの処分……は、もう他の客と従業員も血痕を踏み荒らしてるだろうからいいか。処分しようとして逆に怪しまれるとそれはそれで困る。
ともあれ、ひとまずこちらの部屋にと案内し、廊下に他の人が居ないことを確認して素早く中に入る。すると、室内ではテーブルの縁に腰掛けながら道中で買ったお菓子の残りをボリボリ齧り、ぼんやりとテレビを見ているソフィアの姿があった。
「──満喫してるようで何よりだよ」
『…………おかえり。……その人は?』
「────。に、人形? が、喋っ……えっ? 動いてる……??」
「うわぁ、すっごい新鮮な反応」
頭に幾つもの疑問符を浮かべて困惑している雅灯さんを連れてとりあえずと座ると、ソフィアは思い出したかのようにワンテンポ遅れて背中に隠れて、肩越しに雅灯さんの顔をじいっと見ている。
「この子はソフィア。ちょっとした事情で人形になっている元人間です」
「元……人間……!?」
「この世には魔術がどうとか、怪物がどうとか、神格がどうとか、そういったオカルトが実在します。その被害者が……ソフィアや、貴女です」
「私が?」
「雅灯さん、
テーブルを挟んで対面し、真っ直ぐ見据える。雅灯さんは逡巡するように視線を逸らすも、首を縦に振って肯定した。
「俺の予想が正しかったら、貴女はイゴーロナクという悪神と契約
「……確かに、アレはそう名乗っていたけど、それがいったいどうして『逮捕させるわけにはいかない』に繋がるの?」
「それは、イゴーロナクが悪意しか持ち合わせていない最悪の神格だからです」
ちらりとテーブルに乗せられている腕を見てから、一拍置いて更に続ける。
「イゴーロナクは契約を通して人に力を与える。そして『契約してまでやりたいこと』が成功したら、アレは対価に貴女の魂を奪うなり体を乗っ取るなりして顕現しようとするでしょう。そして失敗しても、対価として同じことをする。そういう奴なんですよ」
「それは……そんな事、あり得るの?」
同じように自身の右腕に視線を落とした雅灯さんの問いに、軽く頭を振って否定気味に答える。
「成功例と失敗例は本当にそうなるのか? 俺の主観だけで言うなら、それぞれ同じ結末を迎えたケースを見たことがあるのであり得るでしょうね。もちろん雅灯さんが例外の可能性も充分あり得る」
とどのつまり、逮捕されれば獄中でイゴーロナクが現れ、道半ばで殺されればイゴーロナクが現れ、目的を達成してもイゴーロナクが現れると。どう転んでも嫌な結末を辿るしかないのである。
「────」
「それで……まあ、言いづらいことでしょうけど。契約して得た力で殺人を犯してまで、雅灯さんはいったい何がしたいんですか?」
それから改めて、雅灯さんに関する本題に入る。直球に質問を投げかけると、彼女は渋る素振りを見せるが、こちらが異常者仲間だからか少しの間を空けて語り始めた。……異常者仲間って不名誉だな。
「……私の夫は、警察官だったわ。犯罪を許さない模範的な正義の味方。でもある時あの人は、とある犯罪の容疑者ということにされてしまい、正義を貫き反抗して私
「────。それは……いえ、続けて」
下手な慰めはいっそのことされたくないだろう。雅灯さんは左手に填められた指輪を右手で弄りながら、その表情に憎悪と怒りを浮かばせて続けた。
「あとであの人が独自に調べていた事件の資料を家で発見して、ようやく事態を呑み込めたわ。彼は、とある製薬会社で行われていた違法薬物製造の情報を手に入れてしまった。
「違法薬物……?」
「それで全部察したの。製薬会社の社長は夫を通して警察に捜査される前に、金に物を言わせて証拠と証言をでっちあげて逆に違法薬物製造の主犯ということにさせたのだと。『うちの製薬会社の名を利用して裏でドラッグを作っている犯罪者だ』、ってね。夫の弁護士にもサクラを用意して負けさせたのよ」
「えぇ……」
徹底的な犯行に、正直なところ言葉も出ないほどにドン引きしている。魔術師にも相当ヤバい奴は居るけど、非魔術師もあまり魔術師の道徳倫理の無さを馬鹿にできないんじゃないだろうか。
「事件はとっくに風化して、もう誰も覚えていない。私の夫が────正義の味方が、『警察官のクセに犯罪に手を染めた恥知らず』ということにされたのも、もう忘れ去られている」
「──お恥ずかしながら、俺も今知りましたからね。返す言葉もない」
しかし本当に初耳だったがために、頭を下げるしかない。その頃に別件に巻き込まれていたのだとしても、こうして人一人が苦しんでいたことは事実だったのだから言い訳はするべきではないだろう。
「……別に、貴方を責めてるわけじゃないからいいのよ。ちなみに夫の弁護士だったそいつ、今廊下で転がってるのよ? 滑稽でしょう?」
「────」
などと、そう言って。雅灯さんは濁った瞳で、皮肉なほどに綺麗な笑みを浮かべる。
一瞬で、もしかしたらという希望を打ち砕かれた気分だった。
もう、彼女の復讐は始まってしまった。復讐の旅が
けれども既に、大事な人の復讐で一人が死んだ。わざわざ契約内容を聞く必要すら無い。雅灯さんは、旦那さんに犯罪者の汚名を着せた製薬会社の社長と弁護士を殺す力を求めて、そして与えられたのだ。
「それで、次は社長を殺すと」
「ええ。……貴方はどうするの?
「そこなんですよねー」
超常の力を用いたとはいえ殺人は殺人、裁かれなくてはならないが、しかし契約が果たせなければ刑務所内が真っ赤に染まりかねない。
けれども果たしてしまうと、それはそれで雅灯さんは肉体を乗っ取られるだろう。こちらの戦力は【強化】以外の魔術は申し訳程度にしか使えない探偵と、可愛いマスコット人形1体のみ。
断言しよう、勝てるか怪しい。
「……俺も手伝いますよ」
「はい?」
「というか、それ以外の選択肢がない。貴女は自分が時限爆弾だという自覚をした方が良い」
──そう、彼女は爆弾だ。
『復讐できなければ死ぬぞ』と脅されながらも、その実復讐できてしまったらやはり死ぬことが運命づけられているようなもの。
「雅灯さんは雅灯さんなりの
「……桐山くん」
「ならせめて、貴女の力が一般人に及ばないように監視をする必要がある」
それに、なにより。こちらには既に復讐を肯定してしまった前科がある。
葉子さんは良いけど雅灯さんは駄目、そんな理屈は罷り通らない。
──この生き方を、自分で選んでしまったのだ。なればこそ、彼女の最期を見届けることが、今回課せられた仕事なのだろう。
「……これ、どうあがいても私は死ぬこと確定してるのよね?」
「飾らずに言うなら」
「……まあ、そうね。私としても復讐を果たして尚生きていられるとは思っていなかったし、どこかで死にはするだろう……とも思っていたけれど、死期が早まったと言えば分かりやすいかな」
雅灯さんは右手を白くさせ、手のひらのヒビを割った奥にある口を見やる。
「じゃあ、手伝ってもらおうかしら。もし道半ばで私が死んだら、バケモノにならないように焼いてもらう役も必要なことだし」
「嫌な役回りだ」
『…………自分でえらんだのに』
「それはそう」
ソフィアのツッコミは鋭くて困る。
なにはともあれ、こうしてまたしても他人の復讐に加担することとなったのだが。……どうにも、拭いきれない違和感があった。
外のサイレンを耳にしてひとまず自室に帰った雅灯さんの、少し気になる発言が脳裏を過る。
「私『たち』に迷惑を掛ける……?」
──違和感。しかし、その疑問を問えるほどの信頼も時間も無い。
それに、これから警察の事情聴取をくぐり抜けて明日無事にチェックアウトしこの場から去らなければならない。これが最優先だ。
「さて、普通に何してたか話すだけだから楽で助かるな。ソフィア、動いちゃ駄目だよ」
『…………ん』
同情するよ。刑事さんは今から『事件とは関係ないが何故か30センチの人形と旅をしている22歳男性』に話を聞かないといけないんだからな……!
──早くも翌日。キャリー付きトランクを引きずり歩いて暫く、雅灯さんと共にとあるカフェで休憩し、一番端の席で軽食を摂っていた。
「あの刑事さんたち、大変だろうなあ」
「人形と旅をしてる変人の事情聴取をしないといけないから?」
「それもあるけどそうじゃなくて。……雅灯さんの犯行を証明できないことですよ、なにせ噛み傷の出どころが手のひらだなんて分かるわけがない」
ついでに言えば、イゴーロナクの力を使っている時の右手は変質しているからか指紋なども無くなっている。さっき試しに触ってみたが、なんというか……つるつるしているのだ。凹凸が無いとも言う。
「……それにしても、人形なのに物を食べられるなんて不思議なものね」
『…………そう?』
「なんででしょうね」
「なんで貴方がわかってないの?」
テーブルの真ん中で
不明な点が多すぎるが、調べようもないのだから仕方ないだろう。分かっていることといえば、飛べることや喋れること、魔力を貯蓄してそれを燃料にしていること。あとは元に戻れないことだけ。
あとは────それで困ることはそんなにない、というのも変ではあるか。
「──ところで、この状況をスルーされてるのにも驚いているのだけど」
「ああ、それは俺が【人払い】を使ってるからですね。【強化】以外はからっきしですが、めちゃくちゃ頑張ればこの席くらいは囲めます」
「半分も理解できてないけど、便利そうなのだけはわかったわ」
自分も最初はそんな感じだったからわからなくもない。専門用語が多いと新規参入は難しい、というのはどこの世界にもあることだ。
「……それじゃあ、ソフィアちゃんも食べ終わったことだしバスで移動するわよ」
「バスですか」
「あの男──製薬会社の社長は呑気に山奥の豪邸に住んでるみたい。ムカつくけど……逆に言えば、何かあっても簡単には増援が来ない」
「なるほど。ソフィア、バッグに入って。……【人払い】を解除しますね」
テーブルの上に描いた魔法陣を指で擦って消すと、魔術の効果が失われて人の意識がちらほらと向く。皿の側にお札を置いて立ち上がる雅灯さんは、店員に「お釣りはいい」と言ってリュックを背負った。
「──不思議なものね」
「はい?」
「必死に計画を練って、復讐の為に行動に移す。不謹慎だけど、なんだか今が一番楽しいわ」
「それはなにより」
本音なのだろう、楽しそうに笑みを浮かべる雅灯さんに、そう言いながらも罪悪感を抱く。
……そりゃあ、さぞかし楽しいだろう。
なぜなら貴女は、こちらが善意で舗装した地獄への道を歩んでいるだけなのだから。
「……まあ、後で俺が通る道だしな」
「なにか言った?」
「いいえ」
「そ。ほら、行くわよ桐山くん」
「はいはい、ボス」
苦笑しながらも、ソフィアを連れて二人でバス停まで歩を進める。
……きっと、二度目の復讐の肯定と殺人に加担することが頭の片隅で悩みを生んでいたが故に、気が散ってしまっていたのかもしれない。
「ふーん。……先回りしーちゃお」
そんな事を言っていた何者かの気配に、終ぞ気付けなかったのだから。
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