兎に角ソフィアの入ったバッグだけは守ろうと、ラッコの貝殻のように両腕で腹に固定するように抱えて森の中を引きずられ続ける。
途中で雅灯さんは別の方向に引きずられていき、こちらも地面や枝に体を擦って地味な痛みが続く。【強化】しているとはいえ、普通にキツい。
「づっづづいでででっ……ぬおっ!?」
暫くザザザザッと草木を掻き分けていると、足の拘束が解けて軽く地面を転がる。素早く立ち上がると──そこには松明を手に暗い森を照らす人影。
しかし、それは人の形をしているが、どう見ても人間ではなかった。
「……そちらから迎え入れてくれるとは嬉しいね。雅灯さんは何処にやった?」
松明に照らされて影を作っている──と思っていたその顔と体は、影などではなく、全身のあちこちにできた穴の隙間から覗く黒い液体だった。
「うわぁ……」
しかしそれすら、よく見れば穴ではない。これは……人間の体をガワとして、液体がそれを
あまりにもおぞましい
反射的に横に駆け出して、振り回されるそれを木を盾に避けるが──触手の先端のブレードは、さも当然かのように木々を切断してみせた。
「うおっ、とっ、とと」
男──の体を使っている液体が持つ松明を中心に、数メートルしか明かりの無い暗い森の中を走るのは少しばかりしんどいが、木を盾にしている裏に体を隠す傍らでバッグに手を突っ込む。
「えーと……ソフィアごめんね〜ちょっと奥にあるやつ出したいから退いて……」
バッグの中から伝わるソフィアの生暖かさを避けて、底の方に追いやられたモノを指に引っ掛けて引っ張り出す。そしてブレードが遂に迫る──刹那、振り抜いた拳と接触して打ち勝ち、
「さて、人間じゃないなら加減の必要もないな。……これが差別発言ってやつか」
意図せぬ問題発言に苦笑しつつ、自身の【強化】とは別に両手に填めたメリケンサックに魔力を込めて即席のアーティファクトを作る。
液体は人格があるのかは知らないが、触手を振るっても弾かれ、更には距離を詰めてくるこちらに対して、ようやくと焦りのような雰囲気を見せ始めた。
しかしもう遅い。パンチの動きでメリケンサックとぶつかったブレードの先端は逸れ、反対の拳のパンチが顔面にめり込む。
パンッ! と破裂するような音とともにガワを纏う液体が倒れ、人皮の顔の辺りが破れて飛び散り、松明が手から転がり落ちた。
魔力を纏った拳で殴られたダメージで動けないのか、うんともすんとも言わないそれに歩み寄ってから足で挟むように股がり、胸に該当する部分めがけて更に瓦割りのような動きで垂直に殴る。
「大抵の生き物は魔力を纏った硬いもので殴られると死ぬ。いいことだ、俺でもお前みたいなのくらいならギリギリ優位で勝てるからな」
ズドンと胸の中心を打ち抜くと、地面に軽くめり込んだ液体は、ガワを残して溶かすように消える。
その言葉が届いたかは定かではないが、ともあれ松明が草木に引火しないように持ち上げて、雅灯さんを探すべく【強化】のリソースを聴覚に回す。
「それにしても……あの液体、確か小雪さんが出してたの見たことあるな……無形の落とし子、だったか。あの人、
そう独りごちて勝手にげんなりしていると、かなり離れた山の奥から音が聞こえてくる。
外したメリケンサックをポケットに入れて音を頼りにそちらに向かい、数分掛けて森を抜ける。そこは、人の気配がしない小さな村だった。
人の気配がない代わりと言わんばかりに、村の中央の辺りには複数の松明に照らされた人影たちがゆらゆらと揺れていた。
その中心には、体のあちこちに擦り傷を作っている雅灯さんが立っている。
「雅灯さん……っ!」
民家の屋根に上がって遠巻きから観察すると、雅灯さんを取り囲む人影は、全てがつい先程倒した────人間というガワを着た落とし子であり、とどのつまり、ここは
「落とし子に、支配された村。細波青井……あいつ、
そう言いながら屋根伝いに跳躍して最短距離を駆けて、一旦バッグを屋根に置く。
それから今にも触手のブレードを雅灯さんに突き刺そうとする落とし子に松明を叩きつけた。
「っ──桐山くん!?」
魔力を纏わせた松明で、人間であれば頭に該当する部分をヘコませる勢いでぶん殴ると、カートゥーンアニメを実写でやるとこうなるんだな……というイメージを形にしたような威力で陥没する。
魔力を纏った棍棒で物理的な防護を突破され、ついでに炎で焼かれる。意外なことに、松明は対落とし子の武器として優秀だった。
「雅灯さん、離脱します」
「……それが出来たら苦労はしないわ」
「その通り】
雅灯さんを連れてこの場を離れようとした瞬間、不意に耳障りな声が聞こえてきた。
ぞわりと背筋に悪寒が走り、声のした方へと視線を向けると、そこには体の破損具合が他よりは低い1体の落とし子が居る。
「ようこそ、私の村へ】
「お前は……こいつらよりは知性を感じるな。落とし子を入れた人間……ではないのか」
「ああ。私は偶然にも知性や言語能力を獲得した無形の落とし子だ、人間らしくいうなら……いわゆる特殊個体というやつなのだろう】
老年の男性の体を使っている落とし子は、破れた顔の一部から液体を覗かせながらそう言って、我々二人をピントの合わない目で見てくる。
「貴方たちが……自分の血を提供して違法薬物を作らせているのは事実なのよね?」
「……作らせているわけではない。単なるビジネスだ、この村を世間から隠匿する代わりに、薬物の原材料に使えるとわかった私達の血液──厳密には『血の混じった落とし子の一部』を提供しているだけだ】
淡々と語る落とし子に、雅灯さんは眉間に青筋を立てながら声を荒らげた。
「その所為で……私の家族は……ッ!」
「それは私が直接的な原因ではない。だが……まあ、原因の根本を消そうというその考えは理解できる。だからこそ────排除せねばならんのだ】
「!! 雅灯さん伏せ
──1秒にも満たない、0.何秒という僅かな時間。何かが体に衝突したと思ったほんの一瞬で、意識がブラックアウトしていた。
「驚いたな】
「がっ、ぁ、ごほっ」
腕から腹にかけて鈍い激痛が走る。無意識に膝を突いていた姿勢のまま下を向くと、脊髄反射で防御に使ったのだろう右腕がひしゃげ、服の腹辺りが裂けていてその下にあった腹筋に青痣がある。
「女もろとも両断するつもりだったが……お前の体は金属で出来ているのか?】
「…………あの触手のブレードか」
何を食らったのかが分かっても、最低限の対応しか出来なかったのか。
けれども優れた魔術師に鍛えられていたことと修羅場の経験が、無意識に、無自覚に。
頭よりも先に体がどこを重点的に防御すれば生き残れるのかを判断し、そして服と肉体の、ブレードが接触しうる部分を魔力で覆っていたのだろう。
「しかし……お前はともかく、ツレの女は、下手に抵抗しない方が痛み無く死ねただろうな】
「あ? ──雅灯さん?」
落とし子の視線を辿って、横に立っていた筈の雅灯さんを見る。彼女はうつ伏せになっていて────その下の地面を、赤く濡らしていた。
「お前の防御で私の攻撃は勢いを削がれた。故に両断は出来なかった。……両断
「っ──ふんッ」
即座に左手で地面を思い切り殴って土煙を巻き上げ、煙に紛れて雅灯さんを担いで近くに立つ別の落とし子の頭を踏んで屋根に跳躍。
「ソフィア、バッグ持って!」
『…………! みやびさん!』
バッグの中からモゾモゾと出てきたソフィアは、こちらの惨状を見て目を丸くしながらも、言われた通りにバッグを小さな両手で持ち上げる。
ひたすらにあの場から離れて人気の無いその辺の民家に土足で入り込み、明かりのスイッチを入れて、彼女を畳の上にそっと寝かせた。
「──だから言ったでしょう、雅灯さん」
畳の上に転がる、瀕死の雅灯さん。腹を深く切り裂かれて溢れた鮮血が畳を汚し、呼ばれたことで虚ろな瞳がこちらを見上げる。
「……っ、ぁ、ぅ」
「貴女は、引き際を誤った」
「……ごぼっ。……そう、ね」
「一つだけ、聞かせてください」
皮肉気味に笑みを浮かべる雅灯さんに、もうチャンスは今しかないと判断して質問を投げかけた。
「雅灯さん、貴女は本当に、旦那さんの復讐のためだけにここまで来たんですか?」
「────」
雅灯さんは視線だけでこちらを見上げ、しかして観念したかのようにポツポツと呟く。
「……夫は、警察官、で……正義の、味方……だから、こんな事を、しても……喜ば、ない、のは……ちゃんと、わかってた」
ひゅうひゅうと空気が漏れるような呼吸を浅く繰り返して、雅灯さんは続ける。
「でも、ね、どうしても……一つ、だけ……許せない……事が、あったの……」
目尻に涙を浮かべ、雅灯さんは心の底からの怒りと憎悪の感情を滲ませる。
それからふっと表情に母性を浮かばせると、ぎこちない動きで右手を持ち上げ、自身の血まみれの腹をそっと撫でながら口を開いた。
「私、ね、
『…………っ!』
「そう、だったんですね」
──だから、『私たちに迷惑を掛ける』だったのか。ようやく合点がいって、雅灯さんの怒りで震える右手に左手を重ねる。
「夫だけ、なら、我慢……できた、かもしれ、ない……けど、これからを生きていける、はずだ、た、子供、まで……死んで……この、元凶、を……めちゃくちゃに、して、やりた、かった」
「そうですか」
「……ごめ、ね、きり、やまくん。私……嘘、ついて……ここまで、まきこん、じゃって」
「まあ、これは俺が自分で選んだ選択なので後悔は無いんですけど──貴女はどうですか」
「────」
そう問いかけると、雅灯さんは逡巡するようにまぶたを閉じる。けれども再びこちらを見上げてきたとき、その瞳に宿っているのは決意だった。
「……雅灯さん、俺と契約しましょう」
「で、も、私の、契約が……残ってる、のに」
「どちらにせよ貴女はもう死ぬ。そしてイゴーロナクが顕現する前に、俺との新しい契約を結んで古い契約を踏み倒すんですよ」
雅灯さんは復讐を最後まで果たせずに死ぬ。そしてイゴーロナクは彼女の死体をベースに顕現するだろう。ならもし、その前に『イゴーロナクの力を分け与えられた契約者』と新しい契約を結んだら?
──この賭けに成功すれば、恐らくイゴーロナクは現れないし、それどころかこちらが力を得られる。しかし問題もまた付いて回る。
「それで、ですね。……俺が雅灯さんから力を得ようにも、魔術的な儀式をするには時間が残されてない。だから……その……え〜〜……」
「な、に?」
「……イゴーロナクの力が宿った呪物、すなわち貴女の右手を、食べる必要があるんですよ」
「────。そう、なのね」
『…………えぇ……』
視界の端で畳に置いたバッグに座るソフィアがドン引きしていた。
それもそうだろう、言うならまだしも言われたとしたらこっちも同じ顔をするに決まっている。
左手を重ねている彼女の右手がビクリと跳ねて、それからもぞりと動いてこちらの手を握ってくる。雅灯さんは、穏やかな顔で呟いた。
「……この力を、正しいことに、使うと……誓ってくれる?」
「正しいこと、ですか」
「……困っている、人を、助ける……とか、悪いことを、してる人を、止める、とか。……私のような人を生み出さないようにする、とか」
「雅灯さん……」
触れている右手が冷たくなっている。命がどんどん抜け落ちて、雅灯さんの体が、役目を終えたかのように急速に死んで行く。
「これは、
力なく手を上げて、こちらの口元に差し出しながら言う。それに応えるように人差し指を口に含んで、付け根に歯を立てると、雅灯さんは言った。
「──あいつらを、全員殺して」
それが、藤森雅灯という人間の最後の言葉だった。意識も命も、その全てが消え──ぶちりと嫌な感触と共に人差し指を食い千切り胃の奥へと押し込むように呑み込み、吐かないように口を押さえる。
「づ、ぐっ、ぅおぇ」
『…………よいち……っ』
人の肉を食べた事実と細長い物体を丸呑みしたことに体が勝手にえずいて、喉に胃酸がせり上がる。
そんな不快感を我慢していると、今度は体の中で何かが蠢き混ざろうとしていた。
「っ……これが、
雅灯さんと初めて握手したときに感じた、魔力が混ざろうとするあの感覚と似ているが──今回は少し違う。まるで2つの具材を丁寧に混ぜ込むように、異物感がなく、それでいてむしろ暖かい。
しかしそんな力が、体の中でどう具現化するべきかで悩んでいるかのように定まらない。
「……俺が望む、力は……」
──望むのは、どこまでも伸びて、どこまでも届き、鋭く、素早く。二度とこんな事が起きないように、そして丞久先輩たちの力を必要としない強さ。
「全部だ、叶えてみろよ悪神……!」
この言葉を受け取ったのか、体内の力の奔流は、内側から肉体を削り取ろうとしているのではと言わんばかりに暴れ狂う。
「──ぐっ、ぎぎぎぃ……ッ!?」
『…………よいち! 大丈夫……?』
「だい、丈夫……この程度は、耐えられる」
気を抜けば真っ二つに裂けてしまうんじゃないかという考えが頭を過るほどの痛み。
それを我慢し続けていると、パキパキと音を立ててひしゃげた右腕が治っていき、ようやく混ざった魔力が全身に行き渡って力が張る。
「っ……来たか」
──すると不意に、勝手に使っている居間と繋がっている縁側への窓に、バンバン! と叩く音が響く。明かりを点けていたのだから当然とはいえ、とうとう落とし子たちが追いついて来ていたらしい。
普段ならゾンビ映画のワンシーンかよ、とでも口走っていたところだったが、今はそれどころじゃない。胸の中で、魔力が震える。
これは……雅灯さんの怒りだろうか。それがこちらの感情にも伝播して、ガラスを割って侵入しようとしてくる奴らに、言葉にしづらい殺意が芽生える。震え、蠢き、魔力の形が固まり────果たして。
「■■■■」
口から勝手に言葉が紡がれる。背中や足元の影を起点に、ジャララララと鎖の擦れるような音が奏でられ、射出されたナニカが侵入しようとしてくる落とし子たちの体を刺し貫きポッカリと穴を空けた。
「……ソフィア、おいで」
『…………よい、ち……』
バッグを提げ、ソフィアを肩に乗せて。居間から縁側に出てまだ生きている残りに同じ攻撃を叩き込んでトドメを刺し、落とし子が持っていた松明を掴んで、無造作に居間の方へと投げ込む。
火は瞬く間に勢いを増し、民家を包む。ゴウゴウと燃え盛る室内で、指が欠けた雅灯さんの遺体は炎に呑み込まれて姿を消した。
「さてと、残りを殺るか」
『…………よいち』
「ソフィア、離れててくれる?」
『…………ん。ちゃんと、見届ける』
「そう。じゃあ、掴まっててよ」
肩に乗って離れようとしないソフィアにそう言って、逃げてきた方向に向き直り、先程よりも鮮明に分かるようになった魔力の質を感じ取る。
──いや、魔力だけじゃない。
松明頼りの暗がりが見えやすくなり、流れる空気の感じ取り方も変わった。体内の魔力量が増えて、文字通りに世界の見え方が変わったのだ。
「これが、丞久先輩の目線か」
独りごちて、それから一拍置いて思考を切り替える。体から伸びて展開された、鎖のような繋がりの先端にあるモノを見ながら、雅灯さんでもなく、イゴーロナクでもない新たな能力の名を呟く。
「──初陣だ、【
名を呼び、そこでようやく完成した能力。【禍理の手】は、その名の通りに鎖の先端に存在する骨のようなシルエットの黒い手を形作ると、背中と影から伸びた別の手と一緒に地面を押して体を持ち上げる。
【禍理の手】で勢いよく地面を押して、反作用で空中に飛び上がり、そのまま未だリーダー格の男が居るであろう村の中央へと向かうのだった。
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