秋深まり、冬が近づくこの季節。寒い時期に温泉とはまさに鬼に金棒と言える。
嫌な思い出が強くあれど────
「足湯、
「同意ですねぇ〜〜〜」
──ブーツと靴下を脱ぎ、ジーンズを膝まで捲りあげて熱いお湯に足を浸けるのは別の話。
なぜこれだけで人は快楽を得られるのだろうか。永遠のテーマだ……とアホなことを考えてしまうな。
はぁ、と吐き出す息も、あちこちから上がる湯気も全てがモクモクと白い。
琴巳ちゃんと並んで足湯を堪能しながら、ふと辺りを見回して口を開く。
「……あれ、竹田さんは?」
「竹田さんなら、ついさっき『私は温泉まんじゅうを買ってくる。あとはよろしく』とかなんとか」
「すんごいナチュラルに蛇神様を押し付けて逃げたなあの人」
「竹田さんと出会ったのは先月からですが、しょっちゅう蛇神様に振り回されてますからね……」
時間帯が午後に近づいて来たのもあって人が増えてきたため、少し声のボリュームを落としながら会話を交わす。
「まあでも、蛇神様にはたくさん助けられてるんですよ。例えば……『絶対にこっちには行かないほうがいい』って言われてルートを変えたら、事故に遭わずに済んだことがあったそうです」
「それはまた凄いな。…………ん? あれっ、琴巳ちゃん、学校は?」
「中学までは行ってました。高校の範囲は……主に独学ですね。今は竹田さんが見てくれてるので、とても助かってますよ」
「────。そっか」
家庭の事情に首を突っ込むべきではない、けど、さぁ。…………なんだかなあ。
なんというか、これは単なる『家族を失って仲が崩壊した父と娘』では無い気がするのだ。
蛇神様が娘に宿っているような家系の、親の死。……どこか、違和感がある。
【与一くん与一くん】
「はい、与一です。周りに人が居るのであんまり話しかけられると困ります」
【それが凄いことに気づいてしまいました】
「……なんですか?」
他の人に聞かれないように小声を維持しながら、琴巳ちゃんとは反対の位置を横目で見る。
そこには、相変わらずうっすらと透けている雅灯さんが、浴衣の足元を捲って素足を湯に浸けている姿があった。なにをやってるんだ。
【どうやら私、与一くんと五感を共有できるみたいで、貴方の足が感じてる熱さを私も感じられるんですよ! 凄い! 足だけ熱い!】
「この人、前からこんな感じなんですか?」
「前々から
初めて会った時には既に復讐鬼だったから、元の性格は明るかったんだろうなあと予想する事しか出来ないのである。こうして足湯を堪能している振りをして遊んでいる光景は、微笑ましくはあるのだが。
【あれぇ、そういえばソフィアちゃんはどこに行ったんです?】
「あー、ここですここ」
【ん? ……あらそんなとこに】
雅灯さんの質問に、コートを捲って裏地を見せる。内ポケットにすっぽりと収まっているソフィアが外気に晒され、ぶるりと身震いしていた。
『…………さむい』
「はいはい、ごめんね〜」
「普通に考えて、ソフィアちゃんは足湯に入れないですもんね……それに、こんな所で人前に出すわけにもいかないですし」
『…………仕方ない』
【与一くんが人形遊びに耽る変人というレッテルを貼られるだけですし、出しても問題ないのでは?】
「常識まで肉体に置いてくるのやめません?」
あっけらかんと言い放つ雅灯さんに返しつつ、呆れ気味にため息をつく。
それからふと、足湯コーナーの方へと向かってくる人物を見て声を出す。
「琴巳ちゃん、竹田さん帰ってきたよ」
「ん……あっ、本当ですね」
「──待たせたね」
片手を上げてフランクに返してくる竹田さんが、対面の席に腰掛けてそそくさと運動靴と靴下を脱いで、こちらと同じようにズボンを捲る。
「はあよっこいせ」
「お帰りなさい。温泉まんじゅう買ってきたんでしたっけ、収穫は?」
こちらがそう問いかけると、竹田さんは足湯に浸かりながら「ああ」と言って続けた。
「お土産だ、はい温泉たまご」
「まんじゅう買ってきたんじゃ!?!?」
さも当然かのように、竹田さんが持ってきた籠には、それなりの量のゆで卵が積まれていた。
その内の一つを
「まんじゅうは買った店で食べたよ。元々自分が食べたくて買いに行ったのだから当然だろう?」
「ならそう言ってくださいよ……」
「って期待してるだろうなあと思ったから温泉たまごを買ってきたんだ。固茹でと半熟で半分ずつだから触った感触で判断したまえ」
「へ、変な所で親切だな」
「この人はこういうとこあるので……」
……と、諦めたような表情で言いながらもゆで卵に手を伸ばす琴巳ちゃん。
まあ貰えるのなら、と一緒に手を伸ばして一つ掴んで口に入れると、濃厚な味が広がる。
「ん。味が濃いな……!」
「なんでも、温泉たまご用に特別お高いものを仕入れているらしい。店売りの専用の醤油と半熟卵でTKGを作ると絶品なんだそうだ」
「うーん帰りに両方買おう」
竹田さんの温泉街の回し者かと言わんばかりの商売トークにやられつつ、コートの裏からぽすぽすと生地を叩く抗議に応えてもう一つ取る。
「はいはい、ゆっくり食べな」
『…………半熟がいい』
「コートが黄身で汚れると困るからダメ」
「与一さん、親に内緒で飼ってる子猫に餌あげてるみたいになってますよ」
実際そんな感じだからなぁ。と脳裏に独りごちて、次のたまごを掴んで食べる。
一人で籠の半分ほどを食べている竹田さんが、そういえばと琴巳ちゃんを見て言った。
「ヒメ、蛇神に変わってもらえるかい」
「……構いませんけど、どうして?」
「ここに来た理由は蛇神がゴネたからなんだ、理由も到着したら話すと言われていてね」
「そうでしたか。じゃあ変わりますね」
「えっ、いやちょっと待────」
止める間もなく、まぶたを閉じて集中する琴巳ちゃんは薄く発光して変身する。
──【人払い】を使ってないのに。
「うお〜〜〜い!? いや、なんでもないでーすなんでもないでーす」
「……ふぃー、お待たせ〜い」
「【人払い】を使ってないときの不用心な変身は控えてくれますか……!?」
咄嗟に携帯を取り出してフラッシュを焚いちゃった人を装うと、他の客はちらりと向けた視線を戻していった。あ、危ねぇ……
仮に『神秘の存在が明かされちゃったアホな理由ランキング』があったら1位を取れてたぞ……
「あら、日本人はこういうのわりと疎いから、堂々としてれば案外バレないわよ? ほら、こうして髪色が変わったのに誰も変に思ってない」
「限度があるんですよ……!」
「私も迂闊だったな、すまない」
「それで、なんだったかしら…………そうそう、ここに来た理由だったわね」
パクっとゆで卵を一口で食べて、つまんだ指を舐めてから、蛇神様は続ける。
「
「うん? ……山だね、それが?」
「────あそこは……」
すっと指差した方向を二人で見上げると、その先には山がある。温泉街から地続きで歩いていける距離のそこには、不自然に木々が無い空間があった。それこそ……
「近くに来たら鮮明に分かるわねぇ。あの辺りだけ、濃密な『死』が漂ってる」
「……死? 事故でもあったのか?」
「──ありましたよ。12年前に」
こちらが遮るように言うと、蛇神様と竹田さんが揃って顔を向けてくる。
「現場、行きましょうか?」
「それはもちろん、見に行くのが目的だしついて来てくれるなら助かるけど……大丈夫?」
「良くはないですよ」
無意識に避け、意識的に考えないようにしていたことにこうして直面しなければならないのだから、キツいなんてもんじゃあない。
けれどもまあ、ここが潮時なんだろう。神様と出会って、嫌な思い出を前にして──すなわち、ここで乗り越えろと言われているのだ。
「でも、逃げ続けるのもそれはそれで癪だし、俺も前に進むときが来たってことでしょう」
「勇ましいわね〜、さすが男の子」
「子……まあ、貴女からしたら全人類は
にこにこと楽しそうにしながら、蛇神様はそう言い終えてゆで卵をポイポイ口に放り込む。
やっぱり蛇なだけあって卵は好物なのだろうか、と考えながら、またしても黙りっぱなしの雅灯さんが座っている隣に視線を移す。
「……雅灯さん? まさかまた蛇神様にビビってるとかじゃないですよね?」
【…………いえ】
──と、彼女はなぜか、口許を手で押さえて青い顔をして震えていた。
【……五感の共有のせいで、食べていないのにいきなり口の中に温泉たまごの味が広がって、感じないはずの吐き気に襲われて気持ち悪いです】
「ああ、そう……」
──目的の旅館跡地にたどり着くと、そこは寂しいくらいに何も無い空間だった。
「ふぃ〜、到着っ」
「道中を琴巳ちゃんに歩かせたのに、何を『やりきった』みたいな顔をしてるんですか」
「そりゃあ、実質私=琴巳ちゃんみたいなもんだし……ねぇ?」
「ねぇ? じゃないだろう、蛇神」
本当にいい性格してるなこの神格……。と思いながらも、竹田さんにツッコミされている蛇神様を尻目に殺風景な辺りを見回す。
もう一生来ないものだと思っていたからか、心構えはしていたからか、不思議と感情は波打たない。
「──うーん、凄いわねここ。死の気配があって……あと、土地が
「消毒?」
「ええ。薬剤……と、魔力が混ざった、特殊な術式ね。効果は恐らく局所的な範囲『のみ』を徹底的に浄化すること。ゆえに、消毒」
「……その範囲は?」
そう問うと、蛇神様は両腕を広げた。
「ちょうど、この空間ね。旅館があった場所を、誰かが何らかの目的で消毒した」
「問題は『誰が、なんで』じゃなく、『誰が、何を?』だろうな。道すがら聞いた限りでは、昔の旅館では火災が起きたそうだが」
顎に曲げた指の関節を当てるようにして考え込む竹田さんに、こちらもため息混じりに返す。
「実際にあったのは、ムーンビースト達を率いる魔術師による虐殺ですよ。俺以外の客、スタッフ、支配人が殺されて、俺がその魔術師を殺した。火災の裏で起きたことは、無かったことにされているだけ」
そう言っている傍らでしゃがみ、消毒されているらしい地面の土を指先で弄っていた蛇神様が、おもむろに立ち上がると口を開いた。
「よし、12年前にここで何が起きたかを、今から皆で見てみましょうか」
「なんて???」
「だーかーらー、過去を見るのよ。第三者視点で改めて見返して、与一クンの主観だけではわからない真実を確かめるの」
「……そんなことをする必要が?」
コートの裏からもぞもぞ動くソフィアを出してあげながら聞くと、蛇神様はニヤリと嗤う。
「さっき、『ムーンビースト達を率いる』って自分で言っていたじゃない?」
「そうですね」
「
「────。確かに、言われてみれば」
そうれもそうだ、何匹も居たと覚えているムーンビーストは誰が倒したんだ?
魔術師に目覚め、【強化】の過剰発動で体をズタズタにしながらも魔術師だけは殺したと覚えているが、逆に言えばそれ以外はうろ覚えだった。
「人の記憶なんて、どれだけ自信があってもいつかは掠れるし忘れるものだ。昔のことを覚えていると思っていても、本当は穴だらけの情報を思い込みと憶測で埋めている。それが人間だからね」
【イス人が言うとなんだか説得力ありますねぇ。まあ確かに私も生前の記憶を全部覚えていると言える自信はありませんけれど】
竹田さんの言葉に、横でふよふよと浮かんでいる雅灯さんが頷いていた。
肩に乗るソフィアを指で撫でながら、昔のことを思い出そうとして考え込むが────浮かんでくる記憶は、その通りに断片的である。
「両親の顔、血の匂い、悲鳴、
『…………どうしたの?』
思い出して、気がつく。一つだけ明確におかしいと断言できる違和感があった。
「春秋さん……幼馴染のお父さんが、あの時燃えた旅館から俺を助けてくれたのを覚えているし、本人もその事を覚えている」
だからおかしいのだ、桐山家と有栖川家で一緒に旅行に行くことになっていたのに、あの日──有栖川家は来られなかった。
なぜなら真冬が熱を出してしまい、その看病で春秋さんと千夏さんは家に残っていたからだ。
「幼馴染の看病で旅行に来られなかった春秋さんが、その日の夜に旅館で起きた虐殺事件と火災の現場であるここに現れて俺を助けられたのはなぜだ。そんなの、
命の恩人だから。幼馴染の父親だから。たったそれだけの理由で、根本的な疑問点がすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。
「──過去に行ってみる?」
「……当然、行きましょう」
あの日、なぜ春秋さんが現れたのかを知らなくてはならない。そして、誰がムーンビーストを倒したのかを。どうやって魔術師を殺したのかを。……主観と年月で穴だらけの真実を、探るために。
蛇神様の提案と共にすっと差し出された彼女の手の甲に、竹田さんが、雅灯さんが、ソフィアが、そして最後に自分の手が重ねられ──
「……あのね、別にこれから試合するわけじゃないのよ。なんで皆で円陣組んで『ファイト! おー!』の直前みたいに手を重ねてるの?」
「いやあ、なんか、流れで」
「全く……もうこのままでいいから、手を離しちゃ駄目よ?」
蛇神様の呆れた顔を見ながら、グダグダの空気感と共に、果たして時間を遡るのだった。
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