「本当にありがとうございました……!」
「いぃえいえいえそんな、お気になさらず」
何度も頭を下げるエプロン姿の女性スタッフに、歩は何度目かの言葉を返す。
件の老人ホームに老婆を送り届けた二人は、女性スタッフから老婆のことを説明された。
「あの人……
「94!? ……あっそうか、80年前ですもんね。ってことは当時14歳だったのかぁ」
「数年前に体調を崩して、いよいよってことでここに入ったんですけど……あんな風に抜け出すことがちょくちょくあって」
心底困った様子でため息をつくスタッフと会話を交わす歩を横目に、円花は椅子に座ってぼんやりと庭を眺めている老婆──珠吉に近づく。
「なあ、お婆さんよ」
「…………■◆△◯■□●▲」
「なんて???」
「ああ……珠吉さん、もう上手く喋れなくて。一応こっちの声は聞こえてるし意味も理解してるから、指示には従ってくれるんですがね」
「じゃあ、場捨様の事は聞けないですね」
「場捨様?」
もごもごと言葉のようななにかを連ねる珠吉に疑問符を浮かべる円花。それを見ていた歩の言葉に、スタッフが反応する。
「場捨様って、あの招き猫モドキのこと? そういえば……山に小さい社を作ってて、毎年この時期にお参りに行く決まりがあったとか聞いたような」
「……珠吉さんが抜け出す理由、それなんじゃ? さっきも山に行こうとしてたんですよ、きっと」
「習慣になっていて、体が覚えているのか」
歩の推理に円花もまた合点がいったように頷く。それから思いついたような顔で、本来の目的を妥協案のごとく口にした。
「よし、こうしよう。私たちで場捨様のお参りを代わりにやってくるんだ。そうすれば、彼女の脱走癖も治まってくれるんじゃないか?」
「いやそれ元々の──はーい黙ってまーす」
据わった視線を向けられて、歩はスンと黙る。
「……願ったり叶ったりですけど、ただ……山に入るときは気をつけてくださいね」
「何をだい」
神妙な顔をする女性スタッフは、珠吉に聞こえないように、声を下げて言った。
「猟師が以前、イエティみたいな姿の『何か』を見たって噂してたんです」
「噂と逸話で渋滞が起きているぞ」
──町から離れ、山に続く道を歩いて数分。山道を見上げていた円花は、山の中にある
「さて、さっさと社を見つけてお参りして、スタッフの気苦労を労ってやるとしようか」
「珠吉さん、数年前までは山登ってお参りに行けていた辺りすごい足腰してますね」
「海と山に囲まれて生きてきたんだ、二つの意味で自然に鍛えられていったんだろう」
早速と山の奥へと歩き始める円花。その隣で、歩が哀愁の漂う顔をして続ける。
「……やっぱり、あの歳まで生きられる……というのは、少し羨ましいですね」
「ん?」
「ほら、私ってクローンじゃないですか。だから……なんとなく分かるんです」
木々を縫うように進む歩は、円花に言った。
「──私は、あそこまでは生きられない。せいぜい40〜50年が限界でしょう」
「……歩クン」
歩のポツリとこぼした、小さくも重い本音。円花もまた、人間の寿命という興味の無い内容に、けれども内心を悟られないように返す。
「でも、江戸時代なら大往生だろう?」
「今の時代は令和なんですよ」
「それに、キミとて『だから自暴自棄になる』なんて言うつもりではあるまい」
「それはまあ、そうですが……」
円花は喉をクツクツと鳴らして笑うと、からかうように歩に向けて言う。
「世の中には不老長寿の魔術もあるんだ、本気で決意するなら教えてもいいぞ?」
「いえ人間をやめるつもりは無い────」
「歩クン、私の後ろに」
不意に聞こえてきた、がさっという草木を掻き分ける音。それが進行方向ではなく外れた横道から聞こえてきて、二人は意識をそちらに向ける。
念の為にと歩を後ろに下がらせた円花は、いつでも武器を出せるように右手の指を緩く曲げ──
「……うな〜う」
「────。なんだって?」
「えっと、お、おっきい猫ですね〜?」
「なぁ〜お?」
木の枝に乗っかり、頭上から二人を見下ろす
「ふざけているのか? ……いや、この気配は…………そうか、なるほど」
「私にも分かるように説明してくれません?」
「この娘は猫だ」
「まあ人か猫かと聞かれたら、6割ほどは猫だと言えなくもないですけど」
「なう」
「え? ──うわわっ!?」
短く鳴いて降りてきた少女は、素早く回り込んで歩の背をよじ登る。
肩車の体勢に落ち着いた少女は裸足であり、衣服もあちこちが破け、長い黒髪も茨が密集しているのかとばかりにボサボサだった。
「な、何なんですかこの子」
「だから言っただろう、猫だ。……人間の体を依り代に、猫の魂が憑依している」
「オバケ……ってコト!?」
「ああ。人間の体を──つまり、その少女は死体だ。この山で死んだのかもね」
「う〜あう?」
上から体を前のめりにして歩の顔を覗き込む少女だが、頭頂部の三角錐2つはピコピコと震え、その瞳の瞳孔は縦に長い。
なるほど確かに猫か、と思案する歩が落ちないようにと握るその足は、冷たかった。
「旅は道連れ、か。ところで猫よ、キミのご主人様は何処に居るんだい?」
「なぁう? ……うなう!」
「うごぉぉ前のめりにならないでってちょちょちょ倒れる倒れる倒れる!?」
「楽しそうだね」
こっちだ、と言わんばかりに少女は歩の肩に座りながらぐわんぐわんと体を傾ける。
倒れそうになってはなんとか踏ん張り、そちらの方向へと足を動かした。
「……お供が増えましたね」
「増えたね」
「なぁ〜ん」
「この子、名前は無いんでしょうか」
「無いだろうね。よっぽど特別でもない限り、神格は配下などを個別に識別しない」
「それは、ナイさんもそうなんですか?」
「ああ」
それこそ、無貌の神はムーンビーストやシャンタク鳥、忌まわしき狩人に名前を付けてあげるのか? という話になる。
「明暗丞久は、眷族化させたムーンビーストに名前を付けていたか……歩クン、その猫に名前を付けようというのかい?」
「ある方がいいですよ〜」
「まあ、やってみるといい」
神の配下に名を付ける。それは、ある意味で契約に近いのだ。
魔術師ですらない人間に、果たしてそんなことが出来るのか、という好奇心が円花の中に無かったと言えば嘘になるだろう。
「うーん、じゃあ【にゃんきち】で」
「──なんて酷い名前なんだ…………」
「なう? ……にゃあーおぉ〜う!」
「おー、気に入りましたか? にゃんきち〜」
「なんでそれで気に入るんだ……?」
唯一の誤算といえば、彼女のネーミングセンスが壊滅していたことだけである。
しかし
──だが、それから一転して、不意に顔を上げてとある方向を見据えるにゃんきちが威嚇し始めた。
「……ぅ〜〜ぅうううう」
「にゃんきち? どうし────」
同じ方向に視線を向けた歩が、森の奥にある暗がりにまぶたを細めてピントを合わせる。
するとそこには、何か──二足歩行の獣のような生き物が立っていた。
「あの、ナイさん、イエティが居ます」
「ん? ……あれは、言うほどイエティか?」
円花もまたようやくそれを視界に収め、その姿を見やる。それはウサギの耳のようなモノを頭に生やし、全身が毛むくじゃらの、確かに獣だと言える存在だった。そして、なによりも──思い出せない。
「……なんだったかな、アレに見覚えがある……んだけど、名前が出てこない」
「ナイさんでもわからないんですね」
「わからないというか、ど忘れしてるというか……うーん喉元まで出かかってるのだけどね」
首を傾げる円花が見ているその生物は、見られていることを察してか、姿を更に奥地へと隠すように消した。その1体以外にも
──山の上へと進む途中、にゃんきちという重りを乗せながらも疲れを見せない歩がなんとなく円花の頭を見て、驚愕するようにあんぐりと口を開けた。
「……あの、あのー、ナイさん?」
「なんだい」
「いえ〜〜その〜〜、あ、頭大丈夫ですか?」
「喧嘩を売っているのかい?」
「そうではなく!!」
「なぉう、なぁ〜ん」
前を歩いていた円花が振り返り、苛立つ演技をする。しかし円花もふと歩の頭を見て、眉間に寄せた皺をさらに深くさせて言葉を詰まらせた。
「歩クン、歩クン」
「え?」
ちょいちょいと指先で頭頂部を指差す円花の動きに従い、歩も同じ場所に指を持っていく。
すると、虚空を触るはずだった指が、ふさふさとした物体に触れた。
「…………えっ」
「ああ、私にもあるのか」
「…………えっ、あの、ナイさん」
「みなまで言うな。わかっている。
円花がおもむろに頭の上に手をやり、歩の頭にも生えている物体の感触を確かめる。
「うなん、なぁうなお」
「あーあーあー、にゃんきち、これ猫じゃらしじゃないので触らないで……」
ぺしぺしと叩くにゃんきちから逃れようと体をくねらせる歩。
それを見ながら懐から取り出した手鏡で頭頂部を確認する円花は、それから彼女に鏡面を向けて、頭頂部が見えるように角度を調節した。
「────。あの、なんなんですか。これ」
「……簡単に言うと、さっき見たイエティモドキの第一段階だ」
「はい???」
「山菜にヤツの血肉が混ざっていたのかな、それを食って山に来たら
それは、さしもの
数いる植物系の神格の中でも、特に会うことが滅多にない存在。
しかしそれでも、神格らしく厄介な力を持っていることは確かだった。
それは、円花にすら効果を発揮している肉体変異を見れば一目瞭然である。
「──
真剣な声色で言う円花。けれども頭頂部で、ウサギの耳が間抜けに揺れていた。
お気に入りと感想と高評価ください。