【与一くん与一くん、この船レンタルドレスがあるみたいですよ?】
「へぇ」
【与一くんのスーツ姿、見た〜いなぁ〜?】
「えぇ……うーん」
船内を歩いていると、雅灯さんがそんなワガママをごね始める。通路に置かれていたパンフレットを広げて内容を見れば、クルージングツアー中限定のレンタルドレスなるものがあるらしい。
周りを見回すと、確かに周囲の人たちは結構いい値段がしそうな服装に身を包んでいるし、こちらのような普通の格好をしているのは一般客のなかにすら少数だった。もしやこの船旅、金持ち向け……?
「んまぁまあまあ、スーツのレンタルは夕方頃でいいでしょう。パーティだのカジノだのは夜からが本番だろうし、それまでは自由行動で」
【私は自由行動できませんけどね】
「……【禍理の手】の
【それはもはや拷問なんですよ。あ〜でもやってみたら楽しいかもしれませんね】
この人、もう死んでるわりにチャレンジ精神に溢れてるな……と思いつつ、外を見渡せるところに出てそれとなく手すりに寄りかかる。
【では、行ってきまーす】
背中で隠すようにして、釣り糸を垂らすように【禍理の手】を伸ばすと、手のひらに足を乗せた雅灯さんは魔力で形成されたこちらの体との繋がりを示すチェーンめいた部分を掴んで沈んでいく。
雅灯さんは『桐山与一という人間の体を土地として扱い、その
つまり簡単に言えば、雅灯さんはこの体に縛られた地縛霊でありながら、100メートル先に伸ばされた【禍理の手】を使ってその100メートル先まで移動できるわけだ。これはとても便利である。
「幽霊だから普通の人には見えないし、船内でもいざとなったら偵察してもらおうかな」
まあ、今もしてもらっているわけだけど。敵は船に乗り込んで、海上で儀式をしようとしている。──つまり、魔術師だけでなく
今の状態なら、
──さっき顔を合わせた推定魔術師の女性も気になるし……あとで話に行ってみるか。
【…………よーいーちーくーん】
「あ、戻ってきた。どうでしたか?」
ふと海の中から【禍理の手】を巻き取る形で引っ張り上げられてきた雅灯さんは、こちらの質問にどことなく目を輝かせて興奮気味に返す。
【お魚がいっぱいいました……!】
「小学生かな?」
【あと、霊体だから水中でも呼吸できるのに、つい止めてしまうんですよね】
「映画の水泳シーンで一緒に息止めちゃうアレみたいな感じですか」
【そんな感じです】
水気の欠片もない浴衣を何故か絞るジェスチャーをしている雅灯さんに、頼んでいなかったとはいえ、一応なにか居なかったかを問いかける。
「船の下とか水底とかに、変な生き物は居ませんでしたか? 魚人とか」
【いえ? 特にそういうのは見てませんよ】
「……うーん、まだ招来していないか、既に潜伏しているか。仮にもう既に敵が居るなら先んじて潰しておきたいし……」
誰も居ないのを良いことに、数十センチだけ出した【禍理の手】をくるくると振り回しながら思案する。射出する以外に自分の手で振り回せるから、鎖鎌なんかの類の武器としても扱えるのはいいね。
などと考えながら今後の予定を決めあぐねてぼんやりしていると、雅灯さんがちょいちょいと指先で肩をつついて口を開く。
【────あ、与一くん】
「はい?」
【あの、そっち……いえ足元です】
「足元? ……あっ」
「……………………。おー」
横を見るように促す雅灯さんに従って隣に顔を向け──たら更に指摘されて、視線を下げる。
そこには7歳か8歳……まだ小学生だろう少女が立っていて、興味深そうにこちらを見上げていた。
「……どちら様かな、お嬢様」
「おじさん、オバケとお話してる」
【オバケですよ〜】
「雅灯さんちょっと黙ってて」
潮風に腰まである艷やかな濡羽色の黒髪を揺らす少女は、後ろでわざとらしく「うらめしや~」などとのたまう雅灯さんとこちらを交互に見る。
眠そうな表情は元からなのか、しかし確かに驚いているのだろう雰囲気を出して質問してきた。
「おじさん、さっきの人の知り合い?」
「──さっきの人?」
「ん。パパとママが船酔いで寝てるから一人で探検してたんだけど、顔隠してる変な男の人と女の人が陰でモニャモニャって変な会話してたの」
「独特のオノマトペだな……それで、どんな会話だったのかな」
そう聞き返すと、少女は思い出そうとして唸りながら頭を揺らし、ポツポツと話し出す。
「んーと……でぃーぷ……なんたらは味方にできた、あとはだんご? を呼び出して……せんないの客を……なんたらして、くとーふ? をしょーらいさせる、って。ほとんどわかんなかった」
「うーん俺もわかんない」
──というのはもちろん嘘だ。
さしずめ『
あとは……念の為に聞いておくかな。
「ねぇお嬢様、その変な人たちの女の方って、こう……全身が黒い格好で、目が宝石みたいに真っ赤だったりしないかな」
「?? ……んーん。ぜんぜん違う」
「そっか。わかった、ありがとう」
つまりあの女性は、敵性魔術師とは別の魔術師だったか、この少女のように霊感か魔力の才があって偶然雅灯さんを視認できた一般人か。
或いは……こちらとは別件で敵性魔術師を追っている可能性もあるわけだ。改めて話を聞かなくてはならない理由が増えたな。
「それじゃあ、お嬢様。一人で居たら危ないから部屋に戻ってなさい」
「んー」
軽く手を振って、踵を返して船内に戻る。……そうすると、何故か少女がついてきた。
「……なんで?」
「やることないんだもん。それに、おじさんも今言ったでしょ、一人で居たらあぶないって」
【あら、1本取られましたね与一くん】
「えー……んー……」
「ね、いーでしょおじさん。さっきの人たちにおじさんのこと言いにいかないであげるから」
「絶妙に小賢しいなキミ」
──嘘だよ。とは言ってくるものの、子供が相手では本当にやりかねない。
それに、好奇心のままに敵性魔術師や
「わかったよ、俺の負けだ。……一緒にある女の人を探してくれないかな、さっきも言ってた目が宝石みたいに真っ赤な黒い格好の女性だ」
「ん。いいよ」
【人の居る方に行くなら、私は引っ込んでますねぇ。空気の読める悪霊なので】
空気の読める悪霊こと雅灯さんは、そう言って足元の影に体を沈ませて消える。
「黒い女の人っておじさんの何。好きなの?」
「この船で初めて会った人に好きも何もないよ。ただ……
「??? ……ふーん?」
なんのこっちゃと疑問符を浮かべる少女の手を引いて歩く。……そう、あの女性からは、なんともいえない懐かしさを感じたのだ。
覚えていないだけで、どこかで会っている。それだけが、確かな感覚として胸に刻まれていた。
ともあれ、当の女性を見つけるべく歩きながら、こちらの手で包むように掴む少女の手の小ささに不安感を覚える。小さい手だ、気を抜けばすり抜けてしまうし、力を入れれば潰れてしまう。
「そういえば、お嬢様の名前はなにかな」
「
「へぇ~。俺は与一、よろしくね」
「よろしく。与一おじさん」
……果たして20代はおじさんなのだろうか。きっと真冬とか結月辺りはこう言うだろう、「そういうのを気にした時点でおじさんなんだよ」と。
そんな風に思案しながらも、周りを見回して件の女性が居ないかと探る。相変わらずお高い衣服に身を包む人ばかりだなあと思っていると、少女──夜海ちゃんがおもむろに問いかけてきた。
「与一おじさんはスーツ着ないの?」
「ああ……そうだね、そろそろレンタルしてもいいかな。夜海ちゃんのそれもレンタル?」
「え、違うよ。これは元から私の」
夜海ちゃんの衣服は、まるで一度として汚れたことなど無さそうなほどに白い格好だった。
スカートは空気が入っているかのようにふわりとしていて、この服が私服ということは、彼女をお嬢様と呼んだことは間違いではなかったらしい。
「……ねえ与一おじさん」
「ん?」
「さっきの変な手って、オバケのお姉さんと同じで普通は見えないの?」
「そうだけど、それがどうかした?」
一旦の進路を変更して、レンタルドレス&スーツのお店に向かう途中、夜海ちゃんが言う。
疑問を確信に変えるべく、一度【禍理の手】を実際にその辺のスタッフの前でひらひらさせるが、事実として無反応で終わる。
「見える人が急にそれ出されたら、ビックリするなぁって思っただけ」
「ああ、なるほどね。それは確かに…………」
夜海ちゃんのそれとない発言で、ふと思い至る。
だってそうだろう。【禍理の手】は魔力で構成された名前の通りの禍々しい手だ、魔術師ほど
「……良いこと考えた」
その発想を実行するためにも、人のいる場所に行くためにも、先ずは社交用のスーツに着替えなければと、二人でお店に向かうのだった。
お気に入りと感想と高評価ください。