──桐山与一の美点は、慢心せず、素直に格上に頼るところにある。自分がさほど強くないことを理解しているからこその謙遜。
けれども今は、その自信の無さが裏目に出ていた。円花はそこまで口にして、視線を横に移す。
「それはすなわち、今の実力とこれまでの謙遜が
「し、るッ……か……っ!!」
苦悶の表情で返す男──魔術師は、全身から発せられる痛みと苦しさに耐えるように呻く。
「なぜ、さっさと……殺さない……」
「え。いやほら、与一クンの勇姿を見てほしいし。それに……嬉しいだろう? その触手、キミらが会いたくて仕方なかったヤツのだよ」
「なに……!?」
足元の魔法陣から伸びた数本の触手。唯一動かせる顔でそれらを見て、魔術師は表情を変える。
「宣言通り【顕現】は使ってないよ。キミらのお粗末な儀式をこっちで完成させて、私の魔力だけでクトゥルフの一部分だけを喚んだんだ」
「ば、かな……船内の……人間全てを、犠牲にする計算の、魔力を……一人で……!?」
「出来るからやってるんだけど」
絶句する魔術師を余所に、円花はあっけらかんと言いながら視線を前に戻す。
離れた位置で戦闘中の与一を見て、心底楽しそうに口角を緩めながら続けた。
「彼は以前までの非力さと、それに伴うプライドの低さが災いして、力を手に入れた今の状態に少しブレーキが掛かっていた。だから自覚させたのさ。もう既に、自分が頼ってきた『強い側』と同じ立ち位置……逆に弱い者を守り、頼られる側であるとね」
ダゴンの体を軸に背中から伸ばした【禍理の手】を伸ばして突き刺し、振り子の先端のような軌道で宙を舞う与一が、振り抜かれた巨木のような剛腕を別の【禍理の手】で斜めに受け流す。
逆に束ねた【禍理の手】を振りかぶって顔面にハンマーのように叩きつける光景を見て、円花もまた少しばかり引き気味に言う。
「まあ、私が片腕を斬り落としたとはいえ、ダゴン相手にあそこまで一方的にボコボコに出来るとは思ってなかったんだけど」
確かにレンタルした服を汚すな、とは冗談交じりに言った。だが、本当に少しも汚さずに戦えるのかと、円花は呆れ気味に笑った。
「うんうん、幾つかあった与一クン強化プランの中でも、そこそこリスクのあったやつに行くように誘導した甲斐があったというものだ」
そう言って、眼前で行われている戦闘が終わりを迎える光景を目にして────円花はおもむろに片手を挙手するように上げる。
「さて、楽しく会話できたところで残念なのだけど、そろそろ散ってもらおうかな」
「──がっ、あ、がぁ……ぐぅおおお……!?」
その言葉を合図に、辛うじて耐えられていた締め付けが一気に強くなる。
全身の圧迫感が強烈になり、骨の軋む音が耳から溢れるのではとばかりに鮮明に聞こえた。
「ぐ〜るぐ〜る、ぐ〜るぐ〜る」
上げた手を回す動きに連動して、ギチギチと触手の力が増していき、魔術師の体がどんどんと絞め上げられて──もはや声すら出せなくなる。
「ぐ〜るぐ〜るぐ〜る……ぐるっ」
一拍間を空けてから、トドメと言わんばかりに一際強く腕を振るい、そして魔術師の体は触手に砕かれ、引き千切れ、ぼたぼたと赤色を溢しながらバラバラの死体は海へと投げ捨てられていった。
役目を終えた触手──クトゥルフの一部は、魔法陣の消滅に合わせて消え、それから円花は魔術師への興味など元から無かったかのように、魔力へと分解され消えていくダゴンを眺める与一の下に向かう。
「与一クン、お疲れ様」
「……ああ、ナイさん。勝ちましたよ」
「見ていたよ〜、凄いじゃないか」
「あの魔術師は?」
「ん? 死んだよ」
「……さいですか」
与一は円花の言葉に軽く返して、スーツに汚れが無いかを確認する。
ああそうだ、と独りごちる円花は、ふと思い出したように虚空に開いた【門】へと手を突っ込む。
続けて引っ張り出したそれを、無造作に与一の胸元へと放り投げた。
「はい、ご褒美」
「……なんですこれ、三節棍?」
「私が普段使いしてる武器……の原本みたいなものだね、いつもは【
「【
端と端を両手で持ってジャラリと広げる。短い鎖で繋がれた3本の棒は、ただの武器にしては異様なほどに高密度の魔力が練り込まれていた。
「武器そのものに魔力が付与されている類のモノだ。そういうのを持っているのといないのとでは、わりと冗談でもなく差が出るよ」
「まあ、ありがたく貰いますけど……いいんですか? こんな強力な武器を渡しちゃって」
「【
「ん、えーと……あ、あった」
棒の先端にある面の部分にある紋様。それは、【
「あとでキミも反対の棒にでも刻んでおきなよ、でないと幾ら魔術を使っても喚び出せないからね」
「うい、了解です。……あの、ナイさん」
束ねるように畳んで小脇に抱える与一は、海の方に視線を移す円花の横顔を見て、逡巡するように悩んでから話題を切り出す。
「変な質問をしてもいいですか」
「うん? なにかな」
「その、俺とナイさんって……どこかで会ったこと、ありませんか」
「────」
不意打ち気味の質問。それに飄々とした言葉で返すでもなく、驚いたように目を見開いているその顔が、質問への答えとなっていた。
──最初に会った時に感じた、奇妙な懐かしさ。ずっと言えずに居たが、近くに居れば居るほどに強くなるその懐かしさが、不思議だった。
「──つい最近、色々とありましてね。俺……あの温泉街で、過去を見たんです。あの宿で起きた虐殺と、その顛末を」
「…………」
「その時、ある存在が現れた。……違うなら違うと、そう言ってください、ナイさん」
突拍子もない、けれども疑ってしまえば、どうしてか合点がいってしまう憶測。
「貴女は、あの旅館で招来された無貌の神……なんじゃないですか?」
我ながら、何を言っているのか。いっそのこと「んなわけないだろワハハ」と笑って返してくれたなら──という希望も、スンと真顔に戻り真っ直ぐこちらを見据えるナイさんの表情に打ち砕かれる。
「……ああ、ああ。そりゃあ、気づくよなぁ。キミは決して馬鹿じゃないのだから」
「ナイさん……?」
くつくつと笑って、ナイさんは顔を下に向けて肩を震わせる。笑って、笑って──自然な動作で近づいてくると、彼女はするりとこちらの手を握って、指と指を交差させるように絡ませてきた。
「
胸が当たってぐにゅりと形が変わる。顔までもをぐっと近づけてきたが、その顔は、それこそまさに再会を喜ぶかのように頬が朱に染まっていた。
「ずっと……ずっと、ずっとずっと、キミに会いたかった。有栖川春秋に言われた通りに、人を学ぶために時間を掛けた。ずっと、会いたかったんだ」
「な、ナイさん」
「──でも、だ。それでも……今は駄目なんだ。与一クンに会うためだけに色んなことをして、色んなことを知って……やるべきことがあると理解した」
顔を近づけてきたナイさんは、名残惜しむようにゆったりとした動作で離れて、最後まで繋いでいた手をも渋々といった雰囲気で離す。
続けてタンっと船の甲板から跳び、縁に足を置くと、ナイさんは両手を広げて高らかに言った。
「──これは
「……なにを……!?」
「与一クン、明暗丞久はもうすぐ南極から戻って来る。こう伝えろ、『聖なる夜に黒山羊の大学へ来い』と。そう言えば必ず理解してくれる」
潮風にコートと髪を揺らすナイさんが、そう言うと左手で印を結んで唱える。
「【完全顕現:シャンタク鳥】……それじゃあ、クリスマスにまた会おう」
背後に喚び出した馬の顔を持つ鳥──シャンタク鳥に軽やかに飛び移ると、ナイさんが去り際に嬉しさと哀愁を混ぜた顔を向けて小さく呟く。
「……キミに会いたいだけだった。これだけは、絶対に嘘じゃないんだ」
潮風と羽ばたく暴風に顔を逸らして耐えると、ナイさんを連れたシャンタク鳥は闇夜に紛れるように飛んでいって姿を消した。
船内のあちこちから聞こえてくる悲鳴と喧騒を耳にして、それから重くため息をつく。
「連盟組織に連絡して、記憶処理を頼んで……丞久先輩に連絡してナイさんのことを伝えて…………どんどん面倒なことになっていくなぁ」
【与一くん、とことん女運悪いですね。壊滅してるというか、元から無いのでは?】
「そうなんじゃないかな」
影からにゅっと出てきた雅灯さんが、労うように言う。それにしても、ナイさんはどうして──こんなにも親切だったのだろうか。
なぜ、自分のやることを邪魔するであろう人物に武器を渡して、ヒントまで伝えて、わざわざ
盛大な茶番劇。遊びのつもりなのか。でもそれなら、あんなにも感情的な顔はしないだろう。あんな顔を見てしまっては────
「どうしても悪人には見えない、っていうのは……俺が絆されてるからなんだろうなぁ」
【私みたいな女にすら引っかかるくらいですもんね。説得力があり過ぎますよ】
ほんとだよ。とは口には出さず、近場の港に引き返すためだろう客船のルートが変わるのを揺れで感じ取りつつ、スーツを返すために中に戻る。
……ナイさんは、あの時の無貌の神だった。その事実を受け入れてもなお、怒りだとか嫌悪だとか、そういった感情が特に湧いてくるわけでもないのは、直接的な被害を与えられたわけではないからか。
ともあれ敵性魔術師は始末され、儀式も果たされず、犠牲者も発生していない。
結果だけ見れば100点の結末ではあるが、ナイさんが居なければ、きっと守りきれずに犠牲者を出していたか、儀式を完成させてしまっていた。
「……貴女には一流だと言われたけど、やっぱり俺はまだまだ精進が足りませんよ。ナイさん」
何かをしでかそうとしているナイさんを止めるために、そして何を目的としているのかを知るために。こうしてヘボ探偵は、世界の命運を懸けた戦いへと身を投じることとなるのだった。
『完』
お気に入りと感想と高評価ください。
夜海 (8/♀)
・船内で出会った少女。一定以上の魔力があるために【禍理の手】や雅灯を視認できた。
春夏秋冬円花 (?/♀)
・あの日旅館で招来された無貌の神。実は船内で与一と出くわして以降、常に与一に対する感情が渦巻いていたが、必死に表に出さないようにしていた。