「────ごぼがぼぼぼぼぼ!?!?」
「おはようございまーす」
ざばっ、と顔が水辺から引き上げられ、少女は強制的に目を覚まさせられる。
両足を掴まれて逆さまに噴水に沈められていた少女は、舗装された地面にべちゃりと置かれて、自分を持ち上げていた女性を見上げた。
「なっ、なん、なに!? だれ!?」
「命の……恩人?」
「今その命を終わらそうとしたのに!?」
「いや、だって起きないから。お前あいつらに薬かなんか盛られただろ」
頭の中を支配する困惑が落ち着いてきたのか、その言葉を聞いて少女の顔が青ざめる。
「……っ! あの人たちは?」
「お前を狙ってた奴らなら、今頃警察に捕まってる頃だろうな。死んではいない」
──まだ。今のところは。と小声で付け足した部分は聞かれなかったのか、少女がホッとしたような顔をし、丞久は更に問いかけた。
「それで? お前はいったい誰なんだ」
「──そ、それはその、えっと」
「病衣のまま外を歩き回るのは構わんけどな、病院の人も心配してるんじゃないのか」
「っ、そうだ、病院……ここ、どこ」
「ん」
「ん?」
つい、と丞久が指を差した方向に視線を辿らせる少女は、裏に立派な山が聳え立つ大きな病院を視界に納め、丞久の方へと戻そうとした視線をもう一度病院に向けた。
「…………? どうして病院から離れようとしたのに戻ってきてるんですか?」
「よくあるこった。つーか、やっぱり病院から逃げてきてたんだな」
「いま『やっぱり』って」
「空耳だろ。ほら歩くぞ」
竹刀袋のベルトを肩に提げて荷物を後ろに回し、丞久は少女を立たせて歩き出す。
「あの、もしかしてこの流れで病院に向かおうとしてる感じだったりします?」
「大正解」
「ですよねー」
それとなく踵を返して逃げようとした少女の首根っこを掴み、丞久はずるずると引きずり、彼女の病衣を見て脳裏で目的地の変更をする。
「……いや、先ずは服か。お前の所為でいま私たちは非常に目立っている」
「原因の半分は貴女だと思います……」
「そういう解釈もある」
「──へぇ~、丞久さんって探偵だったんですね。全然そういう人には見えない」
「よく言われる」
アイスキャンディーを齧りながら、二人は病院までの道のりをゆったりと歩いている。
丞久が買い揃えた服に着替えた少女は、少なくとも普通の人間に見えた。
茶髪に清涼感のある服装が組み合わさり、人懐っこい態度や病人らしからぬ朗らかさは、丞久が男だったならグッときていたことだろう。
──だが、それを補って余りある不安要素が、丞久の脳裏をちらついていた。
「……042、ね」
「へっ?」
「『042』って胸元に刻印されてただろ」
食べ終わったアイスの棒で自分の胸元をトントンとつつく丞久に、少女はああと頷く。服屋で病衣から着替える際、丞久は少女の体に傷がないかなどの確認をしていたのだが、その時に見えたのが傷ではなく胸元の刻印。
少女いわく
「産まれた順番……
──仮に、そうであったなら。
「……お前、もしかして外に出たのは今回が初めてなのか」
「──そうですよ? 突然姉に連れ出されたんですが、どういうわけだか理由を聞いても『ここにいたら危ない』の一点張りで……」
「…………」
「あの、丞久さん、姉のことなんですけど」
前を歩いていた少女が足を止めて振り返り、質問する。丞久の表情が一瞬固まり返答に悩むように口を閉ざすと、少女はぎこちなく笑った。
「……死んでしまったんですよね。なんとなくわかるんです、双子だからかな……大事なモノが欠けてしまったような、そんな感覚」
「そうだ。犯人はお前を捕まえようとした連中で、そいつらはあの病院と繋がってる」
丞久にそう返されて、少女の顔が一度くしゃっと歪む。ぐっと閉じたまぶたの裏で眼球が左右に動き、それから決心したような顔をする。
「──なんで病院から逃げなくちゃいけなかったのか、どうして私たちが追われたのか、どうして姉が殺されたのか。私たちのことを、私たちは何も知らない。逃げ続けてもわからないなら、いっそ立ち向かって真実を知りたい」
「…………それで?」
「手を、貸してください」
「私への依頼は高いぞ?」
にやりと口角を歪める丞久に、少女は一瞬怯むも、悩むようにして言葉を返した。
「……し、出世払いってことで」
「ふ、論外。でもまあ────」
そこで言葉を区切り、ちらりと周囲を見回して、一般人とは程遠い気配の男数人の接近を視界に納めると、丞久は即座に少女を米俵のように担ぎ上げて
「──それで、いいッ!」
「のわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
ボンッという小規模な爆発音と共に、丞久は少女を担いだまま真上へと跳躍。
建物の僅かなへこみと窓の枠を足場にしてビルの屋上に移ると、そのまま病院の方角に跳んで、建造物の屋根から屋根へと跳び移る。
「いーやーああぁあぁああっ!?」
「耳元で騒ぐのやめてくんねぇかな」
「叫びますよこんなの──なんか来てる!!」
「あん?」
跳躍の頂点から落下を始めた丞久が意識を後ろに向けると、一つ前の屋根に追い付いた男が、銃に見立てた指先を二人に向けている。
最初に跳ぶ前に一瞥した男たちの一人と顔が一致し、それから直ぐ、空間を歪ませながら迫る見えない『何か』が発射された。
「【強化】で追い付いてからの【不可視】……
「専門用語はわかりませんって!」
「あとで教えてやる。舌噛むなよ」
そう言いながら、丞久は
痛ましい光景を少女に見せないようにと建物の隙間に滑り込むように落下し、丞久はトランポリンで跳ねるかのような軽快さで先へ行く。
後を尾けていた男たちも一人また一人と追い付けずに突き放され、病院に続く長い階段の下に着地する頃には、立っているのは汗を一滴すら流していない丞久のみであった。
「……あれだけ飛んで跳ねてをしたのに気持ち悪さとかがなくて驚いてます」
「お前に風圧とGが行かないように、こっちで跳びながら気を遣ってたからな」
「はえ~……」
「すげぇ間抜けな声出したな」
日差しの強さに反してそよ風が涼しく、階段に腰かけて休息する少女は、揺れる茶髪を片手で押さえながらそういえばと問いかける。
「さっき言ってた強化がどうとか不可視がどうとかって、なんなんですか?」
「強化……正しくは【身体機能強化魔術】、魔術師の大半が使えるポピュラーな魔術だ。効果は字面で想像がつくだろうよ」
「へえ、パワーアップ的な感じなんですね」
「上手いやつは骨を頑丈にしたり筋力を上げるだけじゃなくて、動体視力とか神経伝達速度を強化して銃弾を避けたりするんだよな。うちの馬鹿弟子……もとい後輩の探偵が得意だったか」
脳裏に女難の相が出ている男の顔を思い浮かべながらコートの糸屑をプチっと千切る丞久に、じゃあ、と言って少女が続ける。
「不可視、っていうのは?」
「あっちは使えるやつがそんなにいない。正式名称は──なんだったかな、『殺傷能力がある不可視の波動を撃つ』からか、みんな【不可視】としか呼ばないんだよなぁ……」
「そんな曖昧なものを使うんですか……」
「便利だからな。私が食らっても『めっちゃいてぇ』で済むけど、大抵の人が撃たれたら
あっはっは、と乾いた笑い声を挙げる丞久を見上げてから、少女はそっと両手で顔を覆って、あまりにも今更すぎる質問をした。
「──魔術師ってなんなんですか」
「本当にすっげぇ今更だな」
「なんかもう、頭が混乱しすぎてて、『とりあえず言われたこと全部信じておこうモード』に入っていたと言いますか……」
「ぴーぴー騒がれるよりはマシだけどな。……さて、そろそろ休憩も終わりだ。とっととカチコミして、真相を暴いて、帰って寝る」
「欲望に素直すぎる……」
階段を上る丞久の後ろを追いかけるために立ち上がる少女が、足を動かしながらその背中に核心とも言うべき最後の質問を投げ掛ける。
「丞久さん、貴女は……人間なんですか?」
少女は頬に暑さとは違う原因の、触れてはならない部分に自ら触れていることを自覚しているがゆえの冷や汗を滲ませる。丞久は振り返ると、少女を見下ろして、いたずらっぽく笑いかけた。
「人間に決まってるだろ。──8割くらい」
「普通の人間は10割人間なんですけど……?」
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