意識が暗がりに落ちるほんの一瞬、耳に届いた爆発音がぶつ切りに途切れた事だけを覚えている。
時間にして数秒か、数分か。目を覚ましたとき、
その殆どが何が起きたのかを理解していないと言わんばかりに困惑しているが、それこそが丞久先輩の行動が成功している証左だった。
「せ、先輩……」
「────」
魔力を譲渡するために掴んでいたままの肩を揺するも返答が無い先輩は、それからぐらりと体を倒す。
「丞久先輩!?」
地面に倒れた先輩を仰向けにすると、彼女の顔全体が鮮血で真っ赤に濡れていた。
目と鼻、口や耳から血が溢れ、呼吸が浅い。ヨグ=ソトースの力を使った空間転移──数百人分の座標の特定と移動を短時間の内に行った弊害か。
「──いやぁ、本当に凄いね」
「……ナイ」
ふと聞こえてきた声。顔を上げた先に立っていた女性──ナイは、こちらを。いや、血まみれの顔で気絶している先輩を見下ろしている。
「何人かは取り零すと思っていたよ。良かった良かった、
「……やっぱりか」
こちらだけを狙うようにムーンビーストをぶつけ、自分と先輩の戦いを上空に移し、クトゥグア爆弾に巻き込まれた人は居ないと安堵する。不思議なことに、ナイは────こちらを気遣っているのだ。
「さ、て。力による慢心か、或いは勝つべくして勝ってきたことによる怠慢か。……分かっただろう? キミらに対しては
「──民間人を守らないといけない。それが、俺たちの弱点だって言いたいんだろ」
こちらの言葉に、ナイは笑みを浮かべる。
「キツいだろう、足手まといを庇って戦うのは。疲れるし、神経をすり減らす。自分の攻撃に巻き込んではいけないし、相手の攻撃に巻き込ませてはいけない。キミたちならもっと上手くやれたのに」
「……アドバイスどうも。それで、お次はなんだ? 俺を相手に第2ラウンドか?」
「そうしたいのも山々だけれど……」
と、そこで言葉を区切るナイは遠くから聞こえてきたサイレンの音がする方に顔を向けた。
「連盟組織は警察の一部も混ざっているからなぁ、こういう時の対処が早くて困る」
「…………お前は、本当に、何がしたいんだ」
こちらの問いに、ナイはただじっと見下ろしてきて。それから色んな感情を綯い交ぜにしたような顔をしながら言葉を返す。
「私の目的は、いつだって一つだけさ。それ以外の全てはただのオマケ。こうしてキミたちに赤ペン先生をしてあげてるのもね」
それだけ言い終えたナイが背後に【門】を開き、空間を跨いで向こうに渡る。
閉じ行く途中、最後にナイは、少し考えてからさらに続けた。
「大晦日の夜にまた会おう。そうしたら、それが、本当の本当に最後の戦いだ」
改めて言い終えるナイを向こうに渡らせた【門】が閉じて、広場が静寂を取り戻す。
こうして我々は神格を相手に大敗し、準備期間まで与えられる。
最悪のクリスマスの夜、奇妙な展開の連続で困惑を極めている生徒らや教員を余所に、先輩を連れて連盟組織の息が掛かっているであろう救急車のサイレンを頼りに歩いていくのだった。
──クリスマスから時間が経ち30日の午後。我が家こと桐山探偵事務所には、複数の人間が集まっていた。その内の一人に、ふと声をかける。
「あの、先輩」
「あん?」
「なに普通に病院抜け出してるんですか」
ソファにふんぞり返るように深く腰掛ける先輩は、さも当然かのように人の台所から勝手に持ち出した蜂蜜をボトルごとラッパ飲みしている。
先輩は視線を斜めに上げると、あっけらかんとした態度で返した。
「もう治った。注射なんか要らねぇ」
「予防接種を嫌がる小学生かよ」
そう言って隣に座る男性──太陽さんが、呆れながらもコーヒーを啜る。
更には台所から茶菓子を持ってきた真冬が訝しむような顔で二人を見ながらこちらに言った。
「……で、この人たち誰?」
「あー、あー。ちょっと待ってね、葉子さんがアイツ連れてきたら纏めて紹介するから」
『アイツ?』
「うおっ、人形が飛んでる……!」
『あっどもども〜〜』
持ってこられた茶菓子をつまんでボリボリ食ってる結月に驚く太陽さん。
この反応新鮮だなあと思いつつ、少しして玄関が開けられるのを耳にして、ソフィアと一緒に帰ってきた葉子さん──と、連れられてきたほなみを迎える。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。ソフィアもお疲れ」
『…………ん』
「こ、こんにちは〜…………」
「ほなみも来たな、まあ座れよ」
まるでいきなり面接会場に放り込まれた新社会人かのようにぎこちなく動くほなみは、あの時大学に居た先輩を怪しみながらも、それ以上に宙に浮かんでいるソフィアと結月をチラ見して座る。
「さて。俺は全員と知り合いだけど、お互いに顔すら知らない相手も居るだろうから、ここいらで自己紹介がてらこれまでの情報を纏めようか」
真冬がほなみと会っていて先輩と太陽さんを知らない、太陽さんが真冬と葉子さん、あとソフィアと結月を知らないのか。
相関図を頭の中で構築しようとしてややこしくなったから、一旦切り上げて状況説明とこちらで得た情報を共有させるべく口を開く。
──人形化事件に始まり、雅灯さんの復讐と琴巳ちゃんたちとの邂逅、過去を見て無貌の神──ナイと出会っていたことや、その件に真冬のお父さんこと有栖川春秋が関わっていたことまで。
ほなみの手前、ループ事件は話していないが、それ以外は全て話した結果の衝撃は強いのか。
唯一の一般人代表とばかりに、表情がコロコロ変わるのは面白くはあった。
「……………………情報量で頭割れそう」
「まあ、これが普通の反応だよな」
うおおんと呻きながら頭を抱えるほなみを横目に、春秋さんの話題が出てからずっと顔を顰めている真冬に視線を移すと彼女が言った。
「──親父のことは後回しにするとして、そのナイ……とやらはどんな人の体を使ってるわけ?」
「ああ……春夏秋冬……円花? だっけ。それに関しては先輩の方が詳しいんだけど、これ聞いても大丈夫なやつなんですかね」
「ん。問題ねえ、というかお前らにも何があったか話しておくべきだしな」
先輩は空になったボトルをテーブルに置きながら言う。未開封だった蜂蜜を全部飲みきっている事実に周りの人間全員がドン引きしているが、それはそれとして先輩は天井を見上げて呟く。
「……8年前、15だった私は連盟組織に入ってすぐに歳が同じだからって円花と組まされた。これは、少なくともまだ、あいつが人間だった時の話だ」
──都内某所、竹刀ケースを背負って歩く少女が一人。敵性魔術師の根城だと判明したビルの入口付近で足を止めた少女は、周りに
「…………。おい白道、誰もいねーんだけど」
【ああ、だろうね】
「『だろうね』じゃねぇんだわ」
【前もって言っておいただろう、彼女は基本的に
「ちゃんと躾けとけよ……」
うへぇ、とげんなりする少女は、電話越しの女性──白道の声に問いかける。
「んで、そのじゃじゃ馬……名前なんだっけ、
【
「あ、そう。──入って早々に組めって言われた辺り
──それだけ能力が優秀なのか。と脳裏で独りごちる少女は、なんとなく、ビルと向かい合って顔を上げる。どうやって合流するかと逡巡していた思考は、遥か頭上にある異様な光景を前に止まった。
「……あ?」
【どうかしたかい】
数十メートル上方。本来であればただビル用に分厚く作られた窓ガラスがあるだけな筈の場所。その一部が爆発したように内側から吹き飛び、そこから何人かの人影が飛び出す──の、だが。
「あー、たぶん見つけた。今から合流する」
【そうか、わかった。ただ……気をつけたまえよ、明暗丞久。彼女は基本的に、他人のことは下等生物か何かだと思っているからね】
「マジでちゃんと躾けろ馬鹿野郎」
ブツンと電話を切る少女──丞久は、そう言って携帯を懐に仕舞う。
改めて見上げた先に居る、遠すぎてぼんやりとした人の輪郭を見やると。それらは確かに、窓に対して
「……【重力制御】か。本当に実力は……いや、実力
魔術師は得てして道徳と倫理観が薄いと言われている。魔術という異質な力、怪物や神格といった異常な存在。それらと関わる際、理性を保とうとするあまりに不必要な感性を削るためである。
──というのが、連盟組織の研究者の推察だった。明暗丞久もまた、常人と比べればそういうのは薄いため、あまり人の事は言えないが。
「さて……コミュニケーション取れることを祈るとするか。────【
丞久がおもむろに片手をうなじに回して、つまんだモノを頭に被せる動作を取る。
すると、着ていた上着が黄色いレインコートに変化し、続けて体を中心に暴風が舞う。
果たして丞久は、その暴風で落ちてきたガラス片を傍らに逸らしながら竹刀ケースから刀を取り出し、ビルの外壁を駆け上がっていった。
──ビルのガラスを床として水平に立つ少女が、細腕のどこから出ているのかもわからない怪力で男の首を絞めながら持ち上げている。
「不思議なもんだなぁ、どうしてこう、つまらない雑魚に限って御大層な目的を掲げるんだ?」
「ぐ、かっ、が……」
つまらないものを見る顔で、少女は
そして、まだ立っている男たち──敵性魔術師を一瞥して、小首を傾げながら言葉を投げかける。
「さぁてぇ、お次は、どーっちだ」
「──お前が春夏秋冬円花だな」
「…………。あぁ?」
しかし、ヒュンと横切る風と共に問いかけられ、その言葉を紡いだ相手を見る。
そこには【重力制御】の範囲内に入ったことで、自分たちと同じように快晴の下でレインコートを身に纏う少女が、窓ガラスを足場にして立っていた。
「確かにボクは円花だけど。だから?」
「連盟組織の白道から聞いてないのかよ、お前と組まされることになった明暗丞久だ」
「はっ、知るか」
とは言いつつも、少女──円花は丞久の持つ魔力と実力を肌で感じ取る。
「敵と拠点を潰すなら、私も混ぜろよ」
「勝手にしろ、下等生物」
「私いま名乗ったよな?」
丞久の疑問をよそに、円花は片手間で邪魔な魔術師たちを遠心力を乗せた三節棍で殴り砕き、その死体を下へ落下させていく。
「期待外れだったら、ついでに殺すからな」
今この瞬間、春夏秋冬円花の興味は、完全に
──余談だが、円花は事前に丞久の名前と顔は教えられている。けれども一度はちゃんと認識して、
無尽蔵とも言える膨大な魔力を持ち、頭の中には常に凄まじい量と密度の魔術の知識や術式が渦巻き、その処理と制御に脳のリソースの殆どを割いている円花にとって、人の名前と顔を覚えるという行為は常人よりもずっと手間で面倒な行為でしかない。
今現在、彼女がきちんと名前と顔を覚えているのは、直属の上司である
これから増えることになる明暗丞久という一人の人間が、自分にとっての唯一の友人と成りうることを、この時の円花はまだ知らない。
──これは、春夏秋冬円花がそんな唯一の友人を裏切り、虐殺を引き起こすお話。
とっくに終わり、既に未来へと繋がった、出会いと別れを記した回想である。
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