――Sky Fall―― “Miraculum” fall from the sky   作:一般人

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第四話

 目を開いた時、彼女は自身の目の不調を疑いました。自身のせいで廃屋に見違えてしまいそうなほど汚かったあのボロ小屋じみた家が綺麗に整えられていたのです。そして、何より――。

 

「……もしかして、もう変わっている感じですか?」

 

 見知らぬ誰かが彼女に話しかけてきたのです。

 今までとは何かが違う予知夢に彼女は、その人物の言葉に返事をすることもなく目を瞬かせてその人物を凝視していました。

 

「……ああ、変わってますね。反応が初対面のそれと同じですし。そのアホ面はよく覚えてます」

「だ、だれがアホ面だ!」

 

 唐突な罵倒に、彼女は思わず目の前の誰かの言葉に反論してしまいました。ただそうして、混乱から立ち直った頭はようやく目の前の人物について分析を始めました。

 彼女、ガーベラの持ち物ではないランタンに照らされる灰色の髪と、自身を見つめる瑠璃色の瞳、そして薄い胸「は?」――胸元で誇らしげに揺れる謎のブローチ。少なくとも、そんな特徴的な容姿の女性を彼女は見たことがありません。

 

「お、お前は誰なんだ?」

「こうして名前を聞かれるのは今日で2回目ですが、どうやら予知夢の話は本当だったようですね。んんっ、それで名前でしたね? 私は灰の魔女イレイナといいます。今は色々なところを旅する魔女ですよ」

「イレイナ……? いや、それよりどうして――」

「おや、私に名前を聞いて名乗らせたくせに、ご自分は名乗らないんですか? 随分と社交性がない人なんですねぇ」

「……ガーベラだ」

 

 いきなり知らない人物が目の前に居て普通に接する方が異常だろとツッコみたい気持ちの彼女でしたが、ここでそう反論すればさらに毒と棘のある言葉で返されると予想したため、グッと気持ちを堪えて名乗りました。

 すると、イレイナと名乗った魔女(自称)はにこりと微笑んで頷くと、すぐに一枚の資料を差し出してきました。

 

「まず、私のことについて教えますね。私がこの国にやって来たのは”奇跡の降る夜”2日目の昼前です。そして、今回の世界線ではあなたと出会ったのが今日の昼頃になります。そこであなたから“ミラクラム”という小惑星が降ってくることを聞いて、協力を申し出たというところです」

「きょう、りょく? なぜだ? そんな荒唐無稽な話……なんで、お前は信じれる?」

「同じ事聞くんですね……。どうしてもなにも、まるで捨てられた犬か猫みたいに困ってる人を見捨てるほど私も人間やめてないんですよ」

「……そんなに、困っているように見えたか?」

「ええ、それはもう一目見た瞬間に鬱々とした雰囲気を感じるくらいにはですね」

 

 イレイナはひらひらと手を振ってそう返事をすると、差し出した紙の一部を指し示して話を続けます。彼女も同じようにそれに視線を向けますが、それが予知夢の彼女が残したものだと理解すると、すぐにそれから顔を背けました。

 

「……率直に言いますが、今回は駄目ですね。その理由は全部で3つあります。1つ目は固定砲の完成が今日まで遅れてしまったこと、2つ目は私とあなたが出会うのが遅かったこと、そして3つ目が火力不足です」

「ぁ、す、すまな――」

「謝罪はいらないので今は話をちゃんと聞いてください。1つ目に関しては完成させること自体はあなたの技量で簡単なはずです。実際、私の目の前で未完成だった残りの2割をたったの数時間で完成させましたし。問題はこれを改良しなければいけなかったことです」

 

 ガーベラは顔を背けたままではありましたが、改良? と小さく呟きます。

 少なくとも現実の彼女は固定砲の改良について必要性は理解してはいましたが、どう改良するかは何も思いついていないという状況です。それに、こうして彼女がスランプに陥る前までずっと予知夢で積み上げられたものを吸収するという行動を繰り返していた彼女は体が無条件で反応して、その先を聞こうとしてしまっていました。

 そういった理由から、その言葉に反応した彼女にイレイナはやっと聞く耳を持ったかと少し呆れた様子を見せながら、コクリと頷きを返してそれについての説明を始めます。

 

「私とあなたで色々と議論を交わしたのですが、“ミラクラム”に砲弾を届かせるためには、既存の加速方式に加えて私の魔力による加速も必要だという結論が出ました。ですが、現状では私の魔力を加速するためのエネルギーに変換するにはあまりに効率が悪いんです。例えるなら底に穴が開いたじょうろで花に水やりをするような物ですね」

「そうなのか」

「そうですよ。ですからあなたの改良が必要なんです」

「……」

 

 彼女はイレイナの言葉に返事をしませんでした。昨年の予知夢で自信を打ち砕かれた彼女には力が必要だと言われてもそれに応えられるとは思えなかったのです。

 イレイナはそんな彼女の様子に心底面倒くさそうな表情を向けたものの、今は説明を優先するべきと判断したようで、彼女のことを責めることも励ますこともなく次の説明に移りました。

 

「それで2つ目と3つ目の問題は同じような理由です。火力不足は現状あなたの技術力ではどう頑張っても解決は不可能という結論に至りました。そこで、私――つまり魔法の力を使って火力を上げようということになりました」

「……」

「ですが、あまりにタイミングが遅かったんです。あなたと出会って、“ミラクラム”の対策に乗り出した時には、砲弾を発射するためのエネルギーを変換する機能を着けることも、そのための魔法を開発する時間すら残されていませんでした。ですから、今まであなたがしてきたように、私がこれから言う事を現実の私に伝えてください。いきますよ? 『“ミラクラム”は内側から壊して爆散させてやりましょう』……です。こう言えば、きっと私はそのための魔法をすぐに思いついてくれます……多分」

 

 最後の最後に不安になるようなことをポツリと漏らしたイレイナでしたが、んんっと小さく咳ばらいをすると、表情を真剣なものに改めてガーベラに視線を向けました。

 

「そういうわけで、この紙に書いてあることをしっかりと覚えて現実の方に帰ってください、ガーベラさん」

 

 すっと彼女に対してその紙が差し出されます。しかし、彼女はぎゅっと、表情を辛そうに歪めると、さらに顔を背けてそれを受け取ろうとはしませんでした。

 一体、この予知夢の彼女がどのような心境の変化があって、再び前を進めたのかは分かりません。ただ、現実の彼女は今もなお、絶望という名の鎖に絡めとられて身動きが一切できないのです。

 まるで嫌いな食べ物を無理やり食べさせられようとして、いやいやと駄々をこねる幼子のように彼女は頭を振って、一歩後ろに下がります。

 

「……無理だ。私には、もう無理なんだっ」

「……あなたに出会った時にも同じようなことを言われました。まあ、愚痴を聞いてあげて色々アドバイスしたら完全復活しましたけれど。ただ、同じことをまた聞くのは嫌ですから、そのときに送った言葉をあなたにも送りましょう」

 

 呆れたように、疲れると言いたげなため息をついたイレイナは、徐にガーベラの足元を指さします。それに釣られて自身の下に視線を向けた彼女の目に飛び込んできたのは、破れて無残な姿になった大量の紙片でした。

 それは彼女にはまるで、今まで積み上げてきたモノ全てが意味のない徒労であった突きつけられているような光景に思え、さらに表情を険しいものにさせました。

 

「本当に同じ反応しますよね、あなたたち。私が言いたいのはそんなことじゃありませんよ。ガーベラさん、あなたは大きな失敗をして、さらに予知夢で今までできていたことができなくなっていたことで自信を無くしてしまったそうですね。ですが、そんなたった一度の挫折で全てを投げ出してもいいんですか?」

 

 イレイナのその無責任とも言えるような言葉に、彼女は胸の内に暗くドロッとした感情が芽生えるのを感じました。彼女はガーベラにとって、最後の予知夢で突然現れた赤の他人でしかありません。そんな人物がさも当然のように努力することを説き、挫折を責め立てているのです。

 

「……お前には分からないだろう。あの絶望は。私の両肩には世界中全ての命が乗っかっていて、そんな中もう時間も無く、唯一人類を延命させられた固定砲すら予知夢で完成させられなかったときの気持ちを」

 

 そんな憎悪に満ちた言葉を放ち、殺気すら帯びていそうなほどの鋭い視線を彼女はイレイナに向けますが、それを向けられている本人は何でもないように、再度ため息をつきながら、まっすぐと彼女の目を見つめ返し、視線を交差させました。

 

「そうですね。その絶望を私は完全に理解することはできません。ですが、私だって似たような経験をしたことはあります」

「だからある程度察することはできると言いたいのか?」

「いいえ、今は私の話を聞いてください」

「……」

「どうも。それで、私には昔大きな夢がありました。私は天才でしたから、その夢の実現の一歩手前までそれはもう恐ろしいほど順調に事は進んでいきました。ですが、最後のその一歩で私は他の人たちからの嫉妬や妬みで足を止めざるを得なくなったことがあります。……そのときの私の絶望をあなたは理解できますか?」

「それは――」

「いえ、返事を求めているわけではありません。そもそも、私のこの感情を理解できるなんてことも、あなたの方が苦しいなんてことも言わせるつもりはありません。あの時の感情は私にしか分からないものです」

「……」

「そもそも、そういった感情に優劣をつけること自体が間違っていると私は思います。人の感じ方、考え方なんて一つとして同じものは無いんですから比較できるわけがないんです。……ですから、私は同情や正義感からあなたに物を言っているわけではありません」

 

 そこでイレイナは言葉を区切り、一呼吸挟んでから再び足元の紙束たちを指し示します。そして、怒りを抱いてイレイナの目を見ていたことで、ガーベラは初めてあることに気がつきました。

 彼女の足元の紙片に向ける目は、ただゴミをみつめるようなものではなかったのです。むしろ、それを生み出してきたガーベラでさえ無駄なものとして見つめていた“それら”に対して敬意が込められた瞳だったのです。

 

「あなたは20年――いえ、もしかしたらそれ以上に膨大な時間をこれにつぎ込んできたはずです。もはや足の踏み場もないほどにあるこの紙の束ですし、これほどの量の対抗策を考えるのに多くの努力を要したことでしょう」

「確かに、昨年までの失敗はあなたにとってあまりに大きいものであったのかもしれません。ですが、それであなたに才能がないなんてことにはなりません」

「もうこの際、はっきりと言って差し上げましょう。そもそもあんなに大きな砲台を作り、砕け散った破片だったとはいえ、それを破壊している時点であなたは天才です。その才能は揺るぎのない事実です」

「そもそも失敗のない人間なんているわけがありません。もし『私は失敗したことがない』と豪語する人を見かけたら力づくでボコボコにして失敗を与えてやりますね」

「……まあ何にせよ、私が旅の中で出会ってきた多くの人が何らかの失敗をしていました。ですが、その失敗を生かしてまた一歩と進んで行っていました。ですから、たった一度の失敗であなたの積み上げてきた全てが否定されるわけがありません」

「自信を持ってください。あなたのその失敗は次の一歩のための礎です。今までだってそうだったでしょう。ですから、あなたが自分自身のことを天才だと思おうが思わなかろうが、そうして積み上げてきた努力だけは否定できない確実なものですから」

 

 イレイナはふぅと息を吐くと、さてどうしますか、と再び紙をガーベラに差し出しました。それを前に、ガーベラは少しだけ躊躇うように視線を彷徨わせました。

 今でも彼女の胸の内の恐怖は未だに拭いきれず、その影を残し続けています。ただ、不思議なことに、出会ったばかりの自称魔女のありきたりな言葉であったとしても、彼女の両肩にのしかかる重荷は軽くなり、一歩進んでみようと思えるようになるまで精神は回復していました。

 そもそも、ガーベラは誰かに自身の進んだ道を、積み上げてきたものを肯定して欲しかったのです。今日に至るまでずっと一人だけで足掻き続けてきた、誰もが否定的な態度を見せるこの戦いを認めてくれる存在が彼女には必要だったのです。

 ですから、それに飢えていた彼女にとって、イレイナの言葉が陳腐なものであったとしても、感銘を与えるようなものであったとしても大して関係ありませんでした。彼女にとって何より嬉しかったのは、やっと努力を認めてもらうことができて、今までの行いが無駄ではなかったと思えたことでしょう。

 ふっと胸の内の靄を払うようにガーベラは息を吐くと、少しだけ震える手でイレイナから紙を受け取って内容に目を通し始めました。

 

「前に進めたようで良かったです。どうですか? 書かれていることは分かりますか?」

「……大体は分かる。魔法は使えないが、知識としては今も蓄積させ続けているからな。ふむ…………なる、ほど。確かに“ミラクラム”の破壊は実現可能なのか」

「その通りです。決して実現が不可能な規模でも技術でもありません。後はここに書いてあることをあなたが全て実現できるか、そして私があなたと出会い、破壊のために必要な魔法を開発できるか。それに全てがかかっています」

 

 そう言いながら、イレイナは彼女の顔に視線を向け、ふと安心したように笑みを浮かべます。イレイナが向けたその視線の先では、瞳に強い輝きを取り戻した彼女が居ました。

 それは、イレイナがほんの十数分前まで見ていた、彼女の言う予知夢によって人柄が変わる前の、進むことを恐れず強大な物に立ち向かう天才といっても過言でなかった彼女の姿そのものでした。

 

「……イレイナ、ありがとう。きっと私は君に出会わなければ、最後まで諦観の中にいただろう。そして……すまない、私がいつまでも悩んでいたせいで、この世界はもう詰んでしまったのだな」

「それは予知夢としてこの世界にやって来たあなたの責任ではありませんよ。なんであれ、この世界のことはこの世界の人の責任です」

 

 イレイナはそう言い終えると同時に彼女の元から離れて、家の外に向かって歩いて行きます。それを見たガーベラは、一瞬イレイナが外の景色でも見ようとしているのかと思いましたが、彼女のその視線の先に巨大な固定砲があるのに気がつくと、何をしようとしているのかと一抹の不安を覚え、咄嗟に引き留めました。

 

「……イレイナ? 何処に、行くんだ?」

 

 とん、と靴の音を鳴らして彼女は足を止めます。それから、少し悩んだ様に顔を俯かせ――やがて静かに振り返りました。

 振り返った彼女の顔は、別に恐怖だったり決意だったりといった感情は見えず、ただ眉を下げて困ったような笑みを浮かべているだけでした。

 

「……まあ、諦めるなとあなたに言いましたから、私もその言葉の通り行動しようと思っただけですよ」

「“ミラクラム”を迎え撃つのか?」

「ええ」

 

 しかし、ガーベラがそう問えば、彼女はどこか隠し事がバレてしまった子どものようにさらに眉を下げながら苦笑いを浮かべます。

 そんな彼女の返答を聞いたガーベラは、ここまで来た夢の自分自身が残した最後の一仕事を引き継ぐ必要があると考えていることもあって、彼女に付いて行こうと立ち上がります。

 しかし、このときのイレイナはできる限りガーベラに何をしようとしているのか知られたくありませんでした。なぜなら、これから行おうとしていることは、やっと挫折から立ち直り、前に進んだ彼女にまた恐怖を与えかねないことでしたから。

 ゆえに、立ち上がった彼女を見て、すぐに声をかけてそれを止めます。

 

「ガーベラさん、今回は説得のこともあっていつもより時間はありませんよね? ですから、最後までその紙のことを記憶するのに時間を使ってください」

「いや、だが……。私にも責任というものが――」

「言ったはずですよ。この世界のことはこの世界の住人に責任があると。あなたが抱えるべき責任は、あなたにとっての現実の行く末を変えることです。ですから、最後まで時間を有効活用してください」

「……あぁ、分かった」

 

 そんなもっともらしい彼女の説得により、ガーベラは渋々といった様子ではあったもののこくりと小さく頷きました。それを見たイレイナは安心したようにほっと息を吐いて、満足げに彼女と同じように頷きます。

 

「それでは、ガーベラさん。また、いつか」

「あっ……」

 

 彼女はその言葉を最後に、家から出ていき固定砲の方に向かって歩いて行きました。

 きっと、夢の世界のガーベラから聞いた固定砲の操作方法を元に、彼女が“ミラクラム”を迎撃するのでしょう。たとえそれが失敗に終わると確定していても。

 ガーベラは彼女がこれから行うことをそう結論づけると、彼女の与えてくれた時間を無駄にしないためにも、渡された紙の内容を頭の中に叩き込むために注力します。

 

 そして時間が過ぎ、経験上そろそろ“ミラクラム”が落下するであろう時間の数分前に、彼女は違和感に気がつきました。

 固定砲が、まるで唸り声のような低く体の芯が揺さぶられるような音を立てているのです。ハッとした彼女はすぐに紙から顔を上げて窓から身を乗り出すようにして固定砲を仰ぎ見ました。

 

「あれは……想定外の別の力が働いているのか?」

 

 ポツリと呟いた彼女の視線の先では砲身のそこら中から火花を散らしている固定砲の姿があり、一瞬見ただけではありますが、彼女はそれが本来想定されていない何らかのエネルギーを与えられたことによって、暴走状態に陥っているためだとすぐに理解できました。

 一体誰が何を、と小さくぼやく彼女でしたが、原因なんてもはや一つしか思い当たりません。灰色の髪で瑠璃色の瞳を持ち、前に進めるようにと励ましてくれた心優しい魔女の少女。きっとこれは彼女の仕業でしょう。

 一瞬だけ認めたくないと現実逃避した頭を振って、彼女は怒りと悲しみのこもった表情で固定砲に向かって駆け出しました。

 

 低い音はいつしか轟音へと変わっており、大地はそれによって激しく揺さぶられています。少しずつ発射までのカウントダウンが進んでいることを感じさせるそれらは、じわじわと彼女の心を焦燥感で蝕んでいきます。

 振動で何度も転びそうになり、火花によって散った火の粉が彼女に降り注いでも、走ることを止めず、やがてやっとの思いで彼女が制御室へと続く階段に差し掛かった時に、固定砲は遂に砲弾を解き放ちました。放って――しまったのです。

 今までの比ではないほどの爆音があたりに響き、砲弾を発射したことにより発生した衝撃が彼女の体に襲い掛かります。それはもはや立っていることすら難しいほどの威力であり、バランスを崩して転倒した彼女は頭を階段に思い切り打ち付けてしまいました。

 

「――!」

 

 瞬間、ぐにゃりと歪んだ視界に思わずうめき声を漏らしますが、自分自身の声が聞こえないことに彼女は気がつき、先ほどの砲撃恩で耳がやられてしまったのだと理解します。

 しかしもう耳が何の音も拾わなくなったにも関わらず、砲撃の時のキーンという甲高い音はずっと頭の中に残り続け、彼女の脳内をぐちゃぐちゃにかき乱されるような錯覚にも陥っていました。

 そうして平衡感覚を失ってしまった彼女は少しの間だけ不思議な感覚に悶えていましたが、すぐに自身の血で赤く染まる視界の中、階段の手すりを手探りで探し出し力強く掴むと、体をふらつかせながら制御室に向かってゆっくりと歩みを進めていきます。

 

 そうして制御室にたどり着き、そこで見た景色を彼女はこれから一生忘れないでしょう。そして、この時の出来事は誰にも話すことなく、彼女は生涯を終えることでしょう。

 そこで見たものが何であったにせよ、彼女はそこで見た光景によって、そしてそれからの出来事によって魔法の可能性を確かに見出しました。魔法が“ミラクラム”迎撃の最後の一手なのだろうと確信しました。

 

 そして、現実で何よりも守りたいものも見つけることができました。

 

 

 

 

「あと23分で“ミラクラム”は迎撃可能高度まで降下する」

「……いよいよ、というわけですね」

 

 あれから4日後の夜。つまり、“奇跡の降る夜”の最終夜を私たちは迎えていました。

 その4日間は特に大きな問題や壁に直面することもなく、私の魔法は完成し砲弾に魔法をできましたし、ガーベラさんの固定砲も完璧な状態に仕上げられていました。

 これは彼女の過去20年間で最も“ミラクラム”の迎撃準備が整っており、迎撃が成功する可能性が最も高い状態であるそうで、そんな状態で今日という日を迎えられたからか、ガーベラさんも感極まったようにしみじみと呟くように私に話しかけてきました。

 

「……イレイナ、改めてありがとう、私を信じて協力してくれて」

「改めて言われなくても、それはもうしつこいくらい何度も聞いてますね」

「それでもだ。思いは言葉にしないと伝わらないものだろう? むしろ私のこの思いを伝えるにはまだまだ足りないくらいだ」

「え、重っ。……まぁでも、受け取っておきましょう」

 

 ガーベラさんは嬉しそうに微笑むと、静かに椅子から立ち上がって窓際まで歩いていき、そこにそっと腰かけると星の降る夜空を眺め始めました。

 私は変わらず椅子に腰かけていたため少し遠目ではありましたが、それを見上げる彼女の横顔からのぞく瞳には多くの感情が籠っているように感じられました。

 

「……まだ、時間もある。せっかくだから雑談でもしないか? ここ数日はずっと最低限の会話しかできなかったからな。何か、私に聞きたいこととかないか? 答えられることなら何でも答えるぞ」

 

 ふと、本当に他愛のない話を始めるときのように、彼女は夜空から視線を逸らし、私を見つめてくると、穏やかな笑みのまま私にそう提案してきました。

 何でもと言われても、これから大勝負になるというのにそんな話題は私には何一つ浮かんで――あぁいえ、そういえば、いくつか聞いておきたいと思ったことがありました。

 

「……では、少しだけ気になったことを聞きますね。ガーベラさんは、これだけ長い時間をずっと一人で戦ってきたわけですが、諦めたことはなかったんですか?」

「……ある。私も中々のメンタルをしていたが、たった一度だけ。それこそ一昨年の予知夢がそれだ」

 

 彼女の言葉を聞いて、私は目を瞬かせて彼女を見つめてしまいました。確かに、彼女は私に弱音を吐くなど、若干とはいえ弱気な姿を見せたことはあります。私に協力をお願いしたときが特にそうでしょう。

 ですが、それを見てもなお彼女はきっと諦めたり挫折したりしたことはないのだろうと、私は勝手ながら思っていました。実際、そのときも私の協力は何としても得ようと諦めていませんでしたし。

 

「それはもう今の私を見ていたら、君は信じられないじゃないかって思うくらいには弱っていたよ。その頃の私は失敗続きで、一昨年の予知夢ではついに今までできていたことができなくもなっていたんだ。それで私は自殺まで考えてしまうくらいには気落ちしてしまっていた」

「そして去年の予知夢のときも立ち直ることはできなかった。もうたった1年で何かが変えられるわけがない。予知夢を見たとしても、今度は前回以上に悲惨な結末を見るだけだと、そう考えて予知夢を見ないことも考えた」

「だが、結局のところ“もしかしたら”なんていう本当に小さな可能性に賭けて、私は予知夢を見ることを選んだ。そこで私は君に出会い、背中を押されて立ち直ることができたんだ。きっと、君とあの時に出会えていなかったら、今日をここまで万全な態勢で迎えられることは無かった。……そういえば、その時の君に最後までお礼が言えていなかった。その時の分の感謝も受け取ってくれ、イレイナ。本当に、ありがとう」

 

 そんな彼女の感謝の言葉を、私は首を横に振って受け取りませんでした。

 

「……いえ、それは受け取れません。私は、その予知夢の私と私自身を同じ存在とは見ていませんから。ですから、もう届かないのかもしれませんが、それでもそのお礼はちゃんと予知夢の私に送ってください」

「……そうか、分かった。そうするよ」

 

 頑固だな、と彼女は小さく漏らしたのちに再び星空へと視線を戻し、ついでにといった様子で、ちょいちょいと私に向かって手招きをしてきました。

 

「この年の“奇跡の降る夜”はこれで見納めになる。イレイナもこっちに来て星空でも眺めないか?」

「もう見飽きるほど見ました――と、言いたいところですが、ここ数日は篭りっきりでしたからね。久しぶりに見てみるのも良いかもしれません」

 

 よくよく考えてみると、こんなにも幻想的な光景はもうしばらく見ることはできないでしょう。少なくとも、私はこの国に再び訪れようとは思っていませんから。

 そうすると、なんだかんだ見飽きたと思っていた、この流星がいくつもの軌跡を描いていく星空もまた違った思いで見られるというものです。

 

 私は椅子から腰を上げると、彼女が横にズレてできたスペースまで歩き、彼女の隣で星空を見つめます。

 

「……」

「……」

 

 それから数分はお互いに何も喋らずにそんな空を眺めていたでしょう。それに、これから世界の命運をかけた一仕事が待っているからでしょうか、不思議なことに6日前に見た星空よりもずっと綺麗な景色に見えてきますし、こういった時間がより貴重でかけがえのない物に感じます。

 

「残り15分か。もうそろそろ出しても良い頃合いだな」

 

 ふと、現実に引き戻すように隣の彼女が時計を眺めながらそう小さくぼやきました。

 

「出す、というのは?」

「ああ。イレイナはあのクソデカいはずの固定砲がこの森のどこを見ても見つけられなかったのを不思議に思わなかったのか?」

「いえ、それは常々思っていましたけど……。こう、てっきり魔法か何かで隠しているのかと」

 

 私のそんな言葉を聞いて、彼女はくくくっと悪い笑みを浮かべながら首を横に振ってそれを否定してきました。

 しかし、4日前に彼女から渡された設計図を見たときに固定砲の大きさも確認しましたが、とてもではないですがこの森の木で覆い隠すことができるような大きさではありませんでした。少なく見積もっても、その数十倍はありそうなほどの大きさです。

 一体魔法以外のどんな手段を使えばあの巨体を隠せるというのでしょうか。

 

「言っただろう、私に魔法はからきしだと。もっと物理的な隠し方だ」

 

 そう言うと彼女は窓際から離れ、家の床材の一部を掴んで持ち上げます。一瞬ものすごい力で引っぺがしたのかと思いましたが、大きな音も鳴りませんでしたし、彼女も特に力を入れた様子が無かったので元々取り外せるようになっていたのでしょう。

 しかし、わざわざ何かを隠すようなことまでして、一体何をするのかと気になり、私もその近くに寄って見てみますが、そこには握りこぶしほどのボタンがぽつんと設置されているだけでした。

 

「これは?」

 

 私が怪訝な表情を浮かべたのを見てか、彼女はまた悪戯っぽい笑みを浮かべるとそれを空いていた方の手でカチリと押し込みます。すると一拍の間をおいて、突然地鳴りが響き始め、立っていられなくなるほどの揺れが起こりました。

 私は慌ててほうきに飛び乗って揺れから逃れましたが、彼女はそれを意に介した様子も見せずまた窓際まで歩いて行くと、外を指さします。

 

「こう隠していたんだ」

「……うそですよね? え、でかっ。実際に見ると想像の数倍はでかいんですけど」

 

 彼女にそう言われて、私も彼女の傍に近づいて外を見れば、無駄に広かった空き地に綺麗な正方形の穴が出来上がっており、そこからまるで顔を出すようにゆっくりとその姿を大きくしながら固定砲が上ってきていました。もはや魔法を使っていると言われた方が納得できそうな光景です。

 それにしても、元々設計図から大きさを想像できてはいたものの、実際に見るのとではやはり違います。思わず、声が漏れてしまいました。

 

「あのデカさだ。常日頃から地上に出しておいたら、国の衛兵に捕まって投獄されるのは免れないだろうな。というわけでああやって穴を掘ってその内部に固定砲を作り、蓋をして隠してたわけだな。そして、必要な時になったら外に出して使用する。ついでにあれは地下に隠せるように変形機構も搭載した私の最高傑作だな」

「いや、あのデカさのもの隠すなんて頭オカシイんじゃないんですか?」

「あれでも私からしたら普通な方だぞ? 4年前はこの森の十数倍の面積を必要とするでかい砲台作って同じことしようとしてたんだからな」

「えぇ……」

 

 呆れたような私の反応がおかしかったのか、彼女は声を上げて笑いながら今度は窓際の床材を持ち上げ、中にあったレバーを引きます。

 また何かが起こるのかと身構えましたが、今度は揺れることもなく、パッと見た限りでは何かが変わった様子はありませんでした。

 首を傾げて不思議そうにする私を見て、彼女は説明を始めます。

 

「実は喫茶店で連行されたときに、衛兵の片方――私の幼馴染だったんだが、そいつから最終夜に私を一時的に拘束するという話が出てると聞いてな。どうやら大人しくなっていた私がまた動き出したことと、私がさんざん予言していた日だということで妙な行動を起こさせないようにするつもりだったらしい」

「まあ、実際妙な行動は起こしちゃってますよね」

「そうだな。一応、すぐにこちらに来ないように、いくらか金を積んで国内で騒ぎを起こすように工作をしたが、これだけデカいものが出てきたらそれらをほっぽり出してでも優先してここに来られる。というわけで、今のレバーは衛兵どもがここに来るのを妨害するための装置だな。2日前に作った」

「まあ、このデカさですしね。多分あの国のどこからでも見えるんじゃないですか?」

 

 僅か4日――それも固定砲などの調整に追われていた状況下にも関わらず、また別の物を作り上げていた彼女のその行動力と創造力に驚けばいいのか、非常識さに呆れればいいのか分かりません。

 はぁ……と胸の内の何とも言えない感情をため息とともに吐き出した後に、窓の外に改めて視線を向ければ、丁度固定砲の全貌が完全に地上に姿を現わし、次いで砲身がゆっくりと動き始めて星空に――さらにその先の“ミラクラム”に向けて照準を始めているところでした。

 

「そろそろ制御室に行こう。照準までは自動でやってくれるが充填の開始と発砲は手動でしかできないからな」

「わかりました」

 

 私にそう言ってから、ぴょんと窓から外に飛び出して行った彼女を追いかけ、重低音を響かせながら動いている固定砲に近づきます。……いや、本当にデカいですね。恐らく、これからの私の人生でこれ以上に大きな人工物を見ることは無いと言えるくらいには大きいです。

 

「この巨大な矛は、人類を――いや、この星を救える唯一の盾でもある。攻撃とは最大の防御であるとはまさにこのことだと思わないか?」

「これを見たら誰だって首を縦に振ると思いますよ」

 

 そんな他愛もないことを話しながら、照準のために回転する砲台と一緒に動く制御室の中に入り、ガーベラさんはちらりと腕に付けている時計で時間を確認すると、すぐに固定砲の充填を始めました。

 さて、砲弾はもう既に装填し終えています。ですから、残った私の最後の仕事はこの固定砲に魔力を充填するだけです。そして、それは電力の充填よりも早く終わるらしいので、私の仕事はもう少し先のことになります。

 

 先ほどの固定砲が動いていた時とは違った、砲弾を飛ばすためのエネルギーを蓄えている低く重い音を聞きながら、近くのモニターに目を向ければ“Miraculum”と銘打たれている点がゆっくりと動いていました。

 

「……そういえば、ガーベラさん」

「どうした?」

「あまり大したことでは無いんですけれど、何度も夢で失敗を与えてきて、世界を滅ぼしてきたこの小惑星に“ミラクラム”――“奇跡”を意味する名前を付けたんですか?」

 

 モニターに表示されている文字を指でなぞりながら、ふともう一つ疑問に思っていたことを尋ねました。彼女の見た夢を実際に見ていない私ですら、この小惑星は災厄を届ける忌むべきものなのだとよく分かります。

 しかし、それにも関わらず彼女はその小惑星に“絶望”だったり“災厄”だったりを意味する名前を付けずに、“奇跡”というポジティブな言葉を与えました。それは一体何故なのでしょう。

 私の問いに彼女はあぁと返事のようで返事ではないような言葉を漏らし、私の隣まで歩いてきます。

 

「昔の言葉だというのに、よく“ミラクラム”の言葉の意味を知っていたな。まあ、いくつか理由はある、例えば落っこちてくる小惑星にネガティブな名前を付けてしまうと本当にそうなりそうで怖かったとかな。ただ……一番の理由は――」

 

 そこまで口にした彼女ですが、再び腕の時計に目をやって口を閉じて顔を顰めてしまいます。

 私もそれをちらりと覗いてみましたが、予想迎撃高度到達時間まで残り2分でした。

 

「すまない、イレイナ。続きは“ミラクラム”を迎撃してからにしよう。魔力の充填を始めてくれ」

「仕方ありませんね。そうしましょう」

 

 制御室の壁の一部を開き、中から数日前に私の魔力の特徴を測ったときと同じような箱をガーベラさんが引っ張り出します。構造に一部違うことがあるとしたら、底部に夥しい数のケーブルが接続されていることでしょうか。

 彼女の話では、ここから固定砲全体に魔力を巡らせるようです。

 ただ、当然巡らせる対象がここまで大きくなるとそれだけで莫大な労力が必要となります。ですから、これだけ大きな固定砲に魔力を込めようとしたら、目標の半分に達することもなく、私が倒れるか最悪の場合死ぬでしょう。

 ですが、彼女はそれも既に対策していました。私がその旨を話した時に、彼女からしたり顔を向けられながら“杖”の役割を応用して解決したと言われたのです。

 杖といえば、たとえ魔女であったとしても魔法を使うために必要とする道具です。それがどう関係しているのかを尋ねてみれば――。

 

『人間は大なり小なり魔力を持っている。だが、それを己の力だけでは外に出せない。そこで用いられているのが杖だ』

『杖の材質に木が一般的に使われている理由を知っているか? それは分かりやすい形で流れを生み出す管があるからだ』

『根から吸い上げた水を全体に行き渡らせるための道管、光合成によって得た栄養を全体に行き渡らせるための師管。別にこれを知らなくても、大体全部の植物がそういった流れを持っているイメージはしやすいだろう?』

『つまり杖の役割を細かく言うと、体内の魔力をその流れのイメージによって外まで経由させ、魔法を発現させるというものだ』

『ゆえに、私は固定砲そのものを杖として扱うことにした。幸いにも固定砲には流れを司るケーブルやら導線やらが大量にあるからな』

『後でもう少し詳しく説明するが、今言った物を電流という物が流れることを君に説明してイメージしてもらう。そして、実際に当日にそれらしいモノをくっつけておいて、さらにそれを手助けする。そうすれば、あの固定砲全体に魔力を巡らせることができる』

 

 と、つらつらと長い説明をされたのです。

 そしてそんな彼女の説明は確かに正しく、箱に手を置いて魔力を流し始めれば、それはすんなりと、いつも私が使っている杖の使い勝手となんら変わりのない反応を返して、固定砲全体に魔力を巡らせることができました。

 

「残り一分。目標魔力量まで30%だ、ゆっくりでいいぞ、イレイナ」

「そうですか、ではせっかくですから紅茶を一杯貰っても良いですか?」

「そこまでゆっくりしろとは言ってない」

 

 そのおかげで、流石に集中する必要があるので気を抜きすぎるのは良くありませんが、こんなふうに軽口を交えられるくらいには余裕がありました。これも彼女の調整の賜物でしょう。

 そして十数秒後には、目標に達したことを知らせるランプが灯り、私は箱から手を放します。それと同時に彼女は少し離れたところにあるモニターまで移動し、それをいじり始めました。

 

「終わりました」

「充填率100%達成。ありがとう、イレイナ」

 

 “ミラクラム”の迎撃可能高度への降下まで、あと7秒。

 深呼吸しながら最後の作業を行う彼女の隣まで行き、発射のその瞬間を待ちます。

 

「システム、全て正常。オールグリーン。最終カウントダウン! 10、9、8――」

 

 迎撃可能高度への降下まで、あと4秒。

 この瞬間の為に十何年もの時間をかけて牙を研ぎ続けてきた固定砲が、まるで唸り声を上げるように空気を震わせ、ただ一点――宙を見上げています。

 

「7、6――お前に全てを託す、120cm小惑星迎撃用磁気火薬魔力複合加速方式半自動固定砲」

 

 迎撃可能高度への降下まで、あと0秒。

 この瞬間に“ミラクラム”がついに迎撃可能高度まで降下しました。

 

「0! ――発射!!」

 

 ふっと短く息を吐いたガーベラさんは”Fire”と書かれたボタンを力強く押し込みました。

 その瞬間、ズンッという体全体に響くような衝撃から一拍遅れ、キィーンという甲高い音を立てて砲弾が宙へと放たれました。

 制御室の窓から覗く空を見上げれば、砲弾は白い尾のようなものを引き、その軌道上の空気を歪ませながら、ただひたすらに真っ直ぐと宙へと昇って行っていました。

 

 

 

 彼女たちが見上げる空の上、いまだ人類が足を踏み込むには至っていない領域――宇宙に、この日初めてそれが作り出したものが進出しました。

 たった一瞬の間に、雲を切り裂きその数秒後にはあまりの速度によって赤熱しながら空気の層を抜け、その場所にたどり着いたのです。

 しかし、その砲弾に与えられた役目はこの未開の地にたどり着くことではありません。その地からやって来る厄災の喉笛を搔き切ることこそがそれに与えられた真の役目です。

 ゆえに、それは自身の為した偉業に満足する様子をおくびにも出さず、速度を緩めることなくさらにさらにとまっすぐと突き進んで行きます。

 

 やがて、その砲弾の進む先に大きな壁が――直径1.6kmにも及ぶ小惑星“ミラクラム”が迫ります。

 かつて夢の中でたどり着き、されど破壊することは叶わなかった存在が、ついに現実で目前までやって来たのです。

 しかし、たった一瞬だけのこの時のために、20年もの時間――ある意味ではそれ以上の全てが詰め込まれた砲弾は怖気づくこともなく、その役目に従ってその巨獣に牙を剥いて飛び掛かりました。

 

 音が響かない空間の中で破片を散らし、“ミラクラム”の奥深く――中心付近まで食らいつくように砲弾は突き進み動きを止めました。つまり、砲弾は“ミラクラム”を貫通することはできず、破壊すらできていないのです。しかし、その砲弾に込められた魔法はまだ発動していません。

 砲弾の動きが止まってから数秒後に、それを中心にまるで根を張るように氷が生まれ広がっていき、“ミラクラム”を内側から押し広げていきます。そうして、数秒後には何百何千の、木のように大きく太い氷の柱が“ミラクラム”の表面に顔を出し、“ミラクラム”は氷に押し広げられた分だけ大きくなっていました。

 そして、無骨で飾り気のなかった“ミラクラム”の表面でキラキラとはるか遠くの日の光を受けて輝く氷は、またその数秒後に突如無数の罅を刻み、数瞬も絶えることなく爆ぜるように砕け散りました。

 そうなると、その氷によって辛うじて形を保てていた “ミラクラム”は音を響かせることもなく、ゆっくりとその形を崩していき、やがて地表に落下することは叶わない程度の大きさの何万もの破片と化したのです。

 

 それはつまり、“ミラクラム”の迎撃に成功したことを意味していました。

 

 

 

 遠く――森の中で固定砲やそれを仕舞っていた格納庫などからもうもうと立ち上る黒煙を眺めながらほうきの後ろに乗るガーベラさんに尋ねます。

 

「良かったんですか? 何年もかけて作ったアレを破壊してしまって」

「無論だ。作った私が言うのもなんだが、あれは今の時代にあってはならないほどにオーバーテクノロジーだ。存在するだけで戦争のきっかけにはならないと言いきれない。それのせいで、せっかく成し遂げた世界滅亡の阻止を無為にはしたくない」

 

 数分前、砲弾が着弾し“ミラクラム”の破壊に成功したのを見届けた彼女は、すぐに元々設置されていたらしい爆弾を、私たちがその場を離れてから爆発させました。

 流石にあの大きさを誇る固定砲の原型を失わせるほどの威力ではありませんでしたが、もう二度と修理し使用することができないほどには破壊することができたようです。

 

「そろそろか。……イレイナ、発射前に何故私が小惑星に“ミラクラム”なんて名前を付けたのか聞いたな」

 

 そんな中、じっと時計を見つめ続けていたガーベラさんがぼそりと呟くと、私が発射前にした質問の確かめるようにそう尋ねてきます。

 

「え? ああ、そういえばそうでしたね。忘れてました」

「ひどいな。さして興味もない内容だったか?」

「冗談です。それで、その名前の理由は何ですか?」

「……まあいい。それで、一番の理由だがある光景を見たかったというのがある」

「ある光景?」

 

 ああ、と小さく返事をした彼女は徐に夜空を見上げるとふっと微笑み、楽しそうに星空を指さしながら言葉を紡ぎます。

 

「時間だ。“奇跡”が降ってくるぞ」

 

 頭上に天高く掲げられたそれに釣られるように空を見上げれば、その瞬間にパッと空が明るくなり、まばゆく輝く何か――いえ、あれはきっと“ミラクラム”の破片でしょう。それらは、自身の手によって明るくなった夜空を流れては消えていきます。そして、また次の破片が光と共に現れて――と繰り返すのです。

 この光景はまるで彼女の国の祭り、“奇跡の降る夜”の流星が破片に置き換わった形のようでした。そして、そう思い至ったときに彼女が伝えようとしていた意図に気がつきます。

 

「ああ、なるほど。たしかにこれは“奇跡”の降る夜ですね。ガーベラさんもなかなか洒落っ毛があるんですね」

「ふふっ、いい光景だろう。世界を滅ぼす存在を娯楽の一種として楽しむ。こうできることをこの十数年ずっと望み続けてきたんだ」

 

 明るく染まった空のもとで、ふと彼女の方に視線を向ければ、彼女の黄金色の瞳には涙が浮かび、しかし口元は今までで一番爽やかな笑みを浮かべながら、ずっと空を見上げていました。

 私にとってこの空の光景は、たった4日程度の積み重ねで得られた景色ですが、彼女にとっては20年です。きっと、私の何倍何十倍にもその胸の内にこみ上げる感情は大きい事でしょう。

 

「ちょっと目が痛いですけれど……ええ、良い光景ですね」

「だろう? 本当に、本当に綺麗だ……」

 

 それから“奇跡”が降り終わるまで、私と彼女はただ静かにその光景を眺め続けるのでした。

 

 

 

 

 あれから彼女の故郷である国から大分離れたところで野宿をした私たちは、次の日の朝には私の次の目的地であった国へと訪れていました。

 入国の際、それとなく昨夜のことを門番の方に尋ねてみましたが、どうやらこの国からもあれは見えていたようで、それはもう大騒ぎだったと彼は少し興奮した様子で語ってくれました。ただ、結局空が明るくなっただけで何も起きなかったので、もう国の空気はいつも通りの日常に戻っているそうです。

 

「すまないな、ここまで送ってもらってしまって」

「構いません。乗り掛かった舟ですし、最後まで協力しますよ」

「それはありがたい」

 

 そんな国の中、多くの出店やお店が立ち並ぶ石畳で出来た道を進みながら、私は今ガーベラさんと話をしていました。昨日までの忙しかった日々が嘘のようにのんびりとした時間です。

 なお、彼女はさも冷静そうに取り繕っていますが、初めての外国という事で物珍しそうに周囲に向ける視線を隠せていませんでした。今日までずっと“ミラクラム”だけを追い続けてきた彼女にとって、それ以外の物は大体初めて見る物なのでしょう。

 

 昨夜、“ミラクラム”の破片が全て落下、地上に衝突することなく消失したあとに、私はこれからのことをガーベラさんに尋ねました。それに対して彼女は、考えたことも無かった、と呟いたあとにうんうんと悩み続けていました。

 そうして今日の朝、彼女は目覚めた私にこう言ってきたのです。

 

『昨日、色々と考えてみたんだが、私はこれから君のように各国を旅してみようと思う。きっと楽しい事、良い事ばかりではないだろうが、いつの日か君にひょっこり再会することもあるかもしれないと考えたら面白そうだと思ってな』

 

 まあ、いきなり旅に出るには彼女はあまりに持ち物がありませんでしたし、買え揃えように自国に戻れば衛兵に捕まって根掘り葉掘り聞かれることに違いありません。

 そういうわけで、私も次の国に向かうそのついでに彼女をここまで運んだというわけです。

 

「……さて、じゃあイレイナ。私はこれから旅の用品を買いに行くよ。君は?」

「私は観光して、明日にはここを出ると思います」

「なるほど、分かった。それならここで別れるとしよう。いつまでも君と行動していたらなんだかんだ頼ってしまいそうになるからな」

「その分たんまり報酬は頂くので私は構いませんよ?」

「全財産の半分も渡したのにまだ要求するか」

 

 ジトーッとした目を向けられますが……はて? 確かに金貨500枚ほどはいただきましたが、お金はいくらあっても困りませんし、あればあるほど幸せになれるのは常識です。私は何かおかしなことを言っているでしょうか?

 

「……ははっ、全く君らしい」

 

 彼女は堪えきれなかったように吹き出すと、くつくつと笑い声をあげます。その様子にどことなくイラっとした私が杖を掲げれば、彼女は慌てて笑みを引っ込めて、代わりに非難の目を向けてきます。ふふっ、負け犬の遠吠え程虚しいものはありませんね。

 やがて、彼女は大きくため息をつくと立ち止まり、改めて私を見つめてきます。

 

「……イレイナ、“ミラクラム”のこと本当にありがとう。君のおかげで私は今日を、そして明日、その先の未来まで歩いて行ける。今の私にはその金貨以外に恩に報いる方法はないが、きっといつの日か別の形でもっと恩を返すよ。だから――またいつか、イレイナ」

「ええ、そうですね。またいつか、ガーベラさん」

 

 ふっと微笑みを浮かべた彼女は一度手を振った後に、私の進行方向とは逆の方に向かって歩いて行きました。そうして遠ざかっていく彼女の背を少し眺めたあと、私も前に向き直り歩みを進めました。

 

 いつの日か、再会できる日を楽しみに思いながら。

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