「初めまして……天元を百足へ変えに来たところなんだけど……?」
「知っているとも。私が天元だ。そして──ここに君を閉じ込めた術師でもある」
立っていたのは異形の人型。白いローブを纏っており、縦に長い頭部には髪もない。顔のパーツで特徴的なものはやはり四つ目だろうか。瞳が見えずに白目だけがこちらを捉えている。薄く緑がかった灰色の体色からも人間ではないことが明らかだった。この呪霊じみた姿が──天元?
(この部屋が領域……って程でもないけど、単なる結界でもない。天元がここの主であることは間違いないし、僕を閉じ込めることも可能だろう。じゃあなんでわざわざ顔を出した……?単に結界で弾けば、僕の結界術の練度じゃ中へ入ることも難しいのに)
「……同じ不死とか言ってましたよね。そのよしみで仲良くお話でもしますか?」
「そのつもりだよ。言っておくが──仮にここで領域を展開した所で、私に術をかけることは不可能だ。今君の目の前にいる私ですら、私ではないのだから」
夏油さんに似ておしゃべりだ。それでいて、ちゃっかり安全圏で引きこもっている。不死の僕には、こういう封印や隔離等が最も効くことを計算に入れたうえで、交渉か何かをお望みのようだ。とにかく今は情報も地の利もない。せっかく相手がわざわざ出向いて来たので、こちらも対話の意志を示すしかなかった。他に手が無いとも言えるが。僕が炬燵に足を入れたところで、天元は炬燵を挟んだ対面に腰を下ろした。
「話が早くて助かる。君の目的は、術式で私を式神に変えることだろう。術式の特殊性故に、不死である私へ干渉することが可能だと踏んで。しかしそのためには私の本体に術を使う必要がある。君が結界術に精通していれば、この空性結界による封じ込めを突破することで、目論見が上手くいったはずだ」
「だから僕の策は最初から失敗していた……と。その事実を指摘するためにわざわざこんな部屋まで?」
夏油さんは知っていたのか。彼が天元の進化周期や、薨星宮本殿への道を教えてくれたことから、ある程度は認識していたはずだ。高度な結界術によって、本殿まで辿り着く前に天元から拒絶され、計画が頓挫すること。それなのに何故、僕のこの不完全な計画に彼はゴーサインを出したのか。
「君にとっては耳が痛い話だろうが、私にとっては朗報だ。基本的に私は現に干渉しない。しかし既に運命は壊され、日本を脅かす可能性が
(不味い。本当に話してる意味が分からないや。交渉とか出来ないような、そういう精神性なのかな。確か千歳を超えてるはずだから……)
「何言ってるか半分も分かんないです。僕とあなたが似てるってことですか?」
天元は僕の反応を聞いてニッコリ笑ったように見えた。四つの目が細められるなんてある意味珍しい光景だろう。よく分からないなりに話の内容を考えると、のっぴきならない事情があるために、天元は保険を欲しているみたいだった。
「君も500年程老いれば似るはずだよ──さて、君には頼みたいことがある。現在の状況や君の事情からして、半ば命令じみたものではあるが──
「……引退間近だから焦ってるんですか。あなたを狙ってここに入り込んだ術師ですよ。それが後継者?判断基準おかしいですよ」
相手が狂ったようには見えないことが、逆に混乱を生じさせた。不死である自分を脅かす相手を後継に選ぶこと。常人では考えられない思考だが、天元は何気ない様子で提案していた。
「順を追って説明しようか。まず、私は不死ではあるが不老ではない。老化する体を術式が進化させることによって、私はヒトとは違う存在になる。これを防ぐために500年周期で対策を取ってきた。ここまでは夏油傑から聞いているだろう?」
「はい。昇華するとか色々。でも、今は安定してるんじゃないですか?見た感じはヒトを辞めてますけど……」
500年老いれば──というさっきのセリフ。天元が取る対策手段は進化を止めるはずだが、周期的に進化が起きているという現状は聞いていた。術式が肉体を作り替えることを防ぐためには……肉体を移す?肉体を更新する?どちらにしても──
「見た目通り、人間ではないよ。対策とは適合者との同化を指す。肉体の情報を書き換えることで、術式による進化をリセットさせる。これを500年周期で繰り返すことで、私は人間として理性を保ち結界を維持してきた。ところが予期せぬ事態によって、今周期の同化は行えなかった。というよりも、同化しないことを選択したんだ。結果的に進化を止めることなく、ヒトではない存在になりながらも、私は形と自我を保つことに成功した」
「つまり同化はできなかったけど、なんとかなったってことですよね。でもまた進化すると不安だから、僕を後継者にしたいと?」
「懸念材料は他にもある。私を手中へ収めるために動く者がいてね。君よりも遥かに洗練された結界術の使い手であり、進化した私を掌握する可能性も極めて高い存在だ」
脅かす二つの可能性。特級の持つ国家転覆可能性とはまた別に──天元という呪術界の中枢を押さえる可能性のことだろうか。僕以外のそういった術師を警戒しているみたいだ。それも僕なんかより遥かに危険視する相手が1人いるようで。
「私からの条件は、『
「……その代わりにここから出してやるって話ですか。僕のこと舐めてません?結界諸共ぶち抜いて帰るくらいは出来ますよ」
空性結界とか呼んでいたここは、確かに天元が主ではある。しかし、結界外縁さえ掴めば無理やり抜け出すことが可能だ。未だ外で働かせていた百足達を集めれば、高専への出口ぐらいなら感じることができるはず。まだまだ呪力も残ってるし、結界術の練度は出力で補える。外の百足達に指示を出そうとすると──
「──そう焦るな。君にとっての利点はそんなことではない。君の家族である──夏油傑の
「……馬鹿にしてますよね。死体?夏油さんが負けるとでも?」
やけに神経を逆撫でする言葉だ。彼が死のうと生き返らせることはできるが、負けることなど有り得ない。そのはずだ。しかし天元は落ち着いた様子で、部屋のテレビ画面に映像を出力した。そこに映っていたのは──
(次こそは必ず手に入れる。変幻自在・無限の呪力を持った呪いの女王を……そのはずだったが──)
「──君で詰むとはな。家族達は無事かい?」
「揃いも揃って逃げ果せたよ。京都の方もオマエの指示だろ」
目隠しを外した最強の姿。乙骨との戦いの末、呪霊のストックも全て尽きた私の前に──五条悟は現れた。ミゲルはよく頑張ってくれたようだ。あと気がかりなことは、共に高専を訪れた
悟が学生二人を私の下へと送り込んだのは、乙骨の起爆剤としての役割を果たすためだったようだ。若い術師を理由もなく殺すことはないと、悟は未だに私を信用していたらしい。
「薨星宮への道に1人。私の家族が残っている。恐らく天元の結界内で迷っているはずだ。彼を助けてあげてほしい」
「天元様まで狙ってたのか!!呆れた奴……わざと送り込んだろ?」
「私は
天元の本体が眠る神木の根元には、まず入れないことも分かっていた。薨星宮本殿までの道は、正しい順番で通らなければ広大な迷宮を彷徨うことになる。彼の結界術の腕では、本体まで辿り着くことは不可能だ。それを知っていたうえで、彼の行動を止めることはしなかった。私がこの分の悪い賭けで負けた時──彼が私の死体に会うことがないように。どこかで破綻する夢だと分かっていた。それでも私にはこの道しかなかった。その道を家族として支えることはあっても、家族の絆に寄り縋ることだけはしてほしくなかった。
「分かったよ………何か言い残すことはあるか」
「………誰がなんと言おうと
心の底からでなくても、家族達と穏やかに過ごした時間は──
「………確実に夏油さんを殺すために。
まだ間に合う。死後まもなくなら、すぐにでも蘇るだろう。この邪魔な結界の外縁は、既にある程度アタリをつけている。高出力の呪力による結界への干渉なら、僕にも可能だ。莫大な呪力を練り上げる。負の感情には、今しがた大量の薪をくべられたことで余裕が出来た。しかし天元は未だに落ち着いた雰囲気で声をかけてくる。
「やめておいた方がいい。そんなに手荒な脱出ではすぐに高専関係者が気づく。言われなくても分かっているはずだ。君は彼が死んだことよりも、彼を蘇生出来ないことに心揺れているのだろう」
「オマエがっ!!………オマエの話に乗れば……蘇生が可能だと?僕を閉じ込めておいて!!」
「そういうことだ。全てを得るためにここへ来たことで、家族を失うことになる。今君が感情のままにここを出たところで、夏油傑の死は覆せない」
深く呼吸をしろ。確かにコイツの言う通り、派手な脱出ではすぐに気づかれる。蘇生は早い方がいいが、焦って失敗すればそれこそ意味が無い。こいつの所業は一旦忘れる。未だ彼の死は仮の状態だ。生き返らせることさえ出来ればそれでいい。最初から交渉の場だったことを頭に刻んで、もう一度天元と向き合った。
「……結界術が上達したら絶対百足にしてやる……!!それで、具体的に何をすればいい?」
「"縛り"を結ぶ。高専敷地内では他に目があるが、火葬前の安置所ならば蘇生を秘密裏に可能だ。その居場所を教えることと、この空性結界から、五条悟に見つからずに君を移動させること。この2点が君の欲しい条件だろう」
「私から出す条件は、君が今すぐ引き継ぐことではない。日本各結界の維持が技術的に可能になり次第、その状態で結界維持の引き継ぎを行うことだ」
「……僕の結界術の上達次第だなんて、随分気楽なものじゃないか。そんなに天元って楽な仕事?」
「案ずることはない。私を式神に変えた場合も結界の維持が可能になる。あくまで私ではなく、
天元らしいドライな結論だった。しかしこの条件であれば、天元が僕以外に押さえられた時はどうするのか。その時に、僕の結界を維持する技術が水準に達していなければ──
「結界を維持出来なければ、すなわち呪いとの戦いに敗れることになる。新しく呪いの時代が始まるだろうね」
いちいち人類のことなんて考えていない。しかし彼の蘇生のためには"縛り"を結ぶしかないだろう。お互いの条件に異議が上がることもなく──"縛り"は締結された。
側溝の下。下水道管の中。ダクト内。おおよそ僅かばかりの隙間に入って走るものは──小型の百足。索敵に特化したそれは水道が通る施設内をくまなく探し続けている。
目標を発見した百足は歩肢をピタリと止めた。それは主に向けて合図を送る。その微弱な呪力を感じ取ったのは、泣き疲れていた双子の姉妹で──
「……たまき?」
「……うん。ただいま」
百鬼夜行からの離脱後。夏油さんの死は余程彼女たちを追い詰めたようだった。また二人して泣き崩れるのを見て、僕はそう感じていた。彼は負けた。彼は死んだ。それを受け止めなければならなかった。僕を天元の下へと送り込んだのは、高専を落とせずに、負けた時の保険でもあったのだろう。意図せずに天元から情報を得ることが出来たが、結果として、高専に残ることもなく僕は家族の所へ帰ってきた。天元は、高専に属するように僕へ促すこともなく、夏油さんの死すら交渉材料にする──人の心が分からない者だった。
「夏油様……!!夏油様が……!!ゔっゔぅぅう……!!」
言葉を返すことはしなかった。蘇生を断られていたこと、彼の死を奪えなかったことも、慰めにならないことは分かっていた。
今の僕達は残党だ。夏油さんの下へ集っていた皆だが、一枚岩でないことは分かっていた。非術師を憎み意志を継ぐものも、家族として弔うものも、それぞれが別々の道を選ぶ可能性が高かった。家族達はどう動くべきか。僕がすることは……既に決めている。
「……分かってる。夏油さんは死んだ。乙骨に敗れて──五条悟に殺されたことも知ってる」
彼女たちは一生許すことはないだろう。夏油さんは親友の手によって殺された。テロ行為も、過去の呪殺も、呪詛師としての活動全ての罪が彼を逃がさなかった。しかし、僕達にとっては関係なかった。彼が非術師を排斥し皆殺しを夢見る一方で、家族達を愛していたこと。その全てを理解していたから。だから悲しくて二人は泣いているのだ。もう会えないことも、仇を取ることさえ望んでいないことも分かってしまう。
……僕なら彼を生き返らせることが可能だった。そのために必要なものは──既に
何者かの手によって奪われた夏油さんの死体。呪術においては、降霊術などで体の一部を利用されることは比較的予想しやすい。しかし、特級呪詛師である彼の死体を、僕や他の呪詛師よりもいち早く手に入れることは容易ではないはず。呪術師としての実力云々よりも、振るう権力と知略のレベルが違うように感じた。
目的も意図も不明だが、天元の言った脅かす存在とやらが関わっているはずだ。しかし家族として、彼を弔うことすら許されない彼女たちには……本当のことを言うべきだ。
「夏油さんの死体が奪われた」
「……!!」
二人して目を見開いた。そしてその事実に歯噛みする。死して尚彼を利用されることが分かったのだ。怒りが悲しみを追い越したのだろう。死んだことに僕達が囚われることは、彼自身望んでいないことも理解していた。それでも僕達は……
「──ただいま家族達。今戻ったよ」
蘇生した覚えのない──彼の声が耳に入った。
なんかややこしくなったので各々の行動を纏めます。感想もよければお聞かせください。
天元:厄介な術式持ってる子がわざわざ隙を見せに来てくれたので利用。もし肉体を乗っ取られて天元を式神にしようとしても、結界を維持させるための保険をかけておいた。夏油が狙われていることも、死体が見つからないことも薄々勘づいていたが、無駄足になる条件をちゃっかり"縛り"に組み込んでいる老獪さ。しかも羂索の情報はほとんど出さずにいる秘密主義感も満載。
夏油さん:環君には高専へ入る道もあることを示すために、わざと空性結界迷路入りを許可した。環君と一緒に戦えば、無理に蘇生を繰り返そうとして、最悪五条悟に諸共殺される可能性もあった。天元の思惑さえなければ、環君がグレートティーチャー五条の元で活躍する道もあったかもしれない。死体がなぜか消えた上に、彼の声が再び聞こえたようである。
環君:総取りしようとしたら色んな人に利用されちゃった子。でもめげずに夏油さんの死体を探す。夏油さんが死んだことを理解しても、生き返らせれば問題ない──という価値観の異色さに気づかない。天元を百足に変えると各結界の維持が可能な式神になるので、技術的に可能="縛り"が有効になる。