「それで、聞きたいことがあるんだろう?」
現れた夏油さんは美々子と菜々子に身を潜めるよう命令していた。しかし、今まで家族として共に過ごしていた彼は今回なぜか別行動するようであった。珍しい指示を受けた二人は、首を傾げながらも従うことに。連絡が取れる他の家族達にも次々と呼びかけた後、続いて場所を変え、僕とだけ話す時間を作ってくれた。僕が一人だけ夏油さんが生きていた現状を飲み込めていないことに、どこか気づいていたようだった。
「……夏油さんは死んでましたよね?僕の蘇生は断っておいて、そんなことあるんですか」
──違和感。確実に夏油さんはあの時死んでいた。天元が見せた映像すら偽物だったとして、わざわざ死体の安置場所を教える"縛り"など結ぶものなのか。今耳に入る声は確かに生きている彼のものだ。それに、傍らに現れた呪霊からは夏油さんの呪力が感じられた。呪霊操術による操作は間違いない。袈裟を着たその立ち姿も……彼のはずだ。
「1回限りの仮死状態を再現するとっておきさ。環には悪かったね。随分探していたと聞いたよ」
「いえ、生きてたんならいいんですけど……」
──違和感。右腕は乙骨との戦闘で負傷していたはずだが、今は何事もなかったように再生していた。無い腕を反転術式で生やすにはかなり高度な技術が必要になる。あまり分かりやすい負傷をした彼の姿を見たこともなかったが、僕が過去に反転術式のアドバイスを求めても、実践的な答えは返ってこなかった。仮にその技術を隠していたとしても、どういう訳か
(まぁ生きていればそれでいい……のか?じゃあ、あの複数の結界も、追っ手を警戒したダミーだったのか。壊しちゃマズかったかなぁ……──)
「──シナズ?」
シナズはいつも通り僕に巻きついた状態だ。触角は夏油さんの方を向いており、忙しなく動いていた。生やした腕が気になるのだろうか。僕の左腕は反転術式でも治らない。ちぎれた分の肉は既に百足へと変わっている。生やそうとしても上手くいかないので、夏油さんから何かコツを掴もうとしているのかもしれない。僕は治癒のアウトプットはできないが、シナズはなぜか可能だった。
「あぁー…夏油さん。シナズが右腕気になっちゃってて。見せてもらっていいですか?」
「あぁ。構わないよ。無い腕を生やすには技術が要るから──?」
『
術式行使は僕の指示ではない。触角で右腕に触れたシナズの独断だった。その効果は百足を生やすには至らない程度の出力。生きている人間に使えば不死化するが、時間が経てばその効果も切れる。そのはずだった。
「──え?」
突然の握手。右手が僕の手をやけに強く握っている。夏油さんも片眉を上げて驚いた表情をしていたが、シナズを見ると──無表情に戻した。僕は自身を除いて、人間相手に術式を使ったことはない。自分自身へ術式を使った際は、全てシナズが自立行動中の出来事だった。その時の自分の肉体……対象は僕の
「………」
「……一度死んだ肉体へ術式を使うとこうなるのか。だが私は生きているからね。この動きは反射的なものだろう」
──これは呪いだ。繋いだ手へ再度術式を行使することで感じた違和。夏油さんの肉体に、別の生きた魂が共にへばりついた感覚があった。これがどういう術式効果であるかは不明だが、今の夏油さんの肉体がどうなっているかはある程度分かった。この場合は脳死のような状態だろうか。本人は肉体を完全に動かすことが叶わず、代わって
確かに言動におかしな点は無い。夏油さんそのものが動いているようだった。しかし『死蟠輪廻』は魂を呼び戻し肉体にへばりつかせようとした。主導権は呼び戻した魂にあるのか。それとも──違う者?
「夏油さんは死んでいたのに……肉体は生きている。それを動かしてるオマエは………誰だ?」
「………なんで分かるんだよ」
シナズは恐らく僅かな死臭を捉えたはずだ。生き返ったばかりだったのか、或いはまだ死体を動かし始めたばかりか。死を覆そうとする、本能的な僕の願いを叶えるためにシナズは動いたようだ。会話をしている相手は、死体を奪い乗っ取った者。僕が蘇生するよりも先に死体を手に入れ、結界を駆使して撹乱させる。それを可能にするレベルの相手が──夏油さんを騙ってここに来た。
「夏油さんの意識は………戻らないのか」
「脳の一部をすげ替えて肉体を動かしている。そういう術式でね。肉体の主導権はどうやらこちらにあるようだ」
術式の効果が切れると手を離された。何度か手を握ることでコイツは体の調子を確かめている。正体を見破られて焦る様子でもなかった。
事実に反して僕の心は冷静だった。夏油さんではない者が喋っている。しかし彼の肉体は動いており、僕の手を握ったことは事実だ。意識があればそれは生きていると言えるのか。脳死状態であれば死んだも同然なのか。
蘇生して動き出す体に宿る意思の真偽。生前の意識と生き返った意識のどちらが本物なのか。幾度か生き返った僕の魂が、変わっていくところを彼は見ていたのだろう。彼の死を覆すことができず、あまつさえ死体を奪われ利用されたことを認識して──
「夏油さんの体を使って狙いがあるんだろう。それも、成りすます必要がある目的が。オマエの都合を聞かせろ。再交渉だ」
「おや?てっきりこのまま決裂かと思ったんだけど。意外と薄情者だね」
(いくらでも不意打ちするチャンスはあった。だがあっちから仕掛けないってことは何かワケがある。夏油さんを騙って、僕を利用したかったのか?だからといって感情任せにコイツを殺したところで──夏油さんは生き返らない。恐らくコイツが息を吹き返すだけ。コイツはバレるつもりはなかっただろうが、僕は気づいた。縛るならこのタイミングしかない)
「体を勝手に間借りするヤツに言われたくないな……オマエの狙いは天元だろ?」
「……あの老耄が君と話したとは。余程不死が気に入ったのか」
今度は間違いなく驚いた表情。それに、ようやく警戒感を持ったようで、纏う雰囲気が少し変わるのを感じた。こちらの手札はせいぜい天元からの情報くらいで、それも断片的なもの。高度な結界術の使い手であり、天元を脅かす可能性を持っている、という情報だけだった。相手は特級呪詛師たる夏油さんの死体を乗っ取ることで、実質的に特級術師に成り上がっている。その掠め取った強さと、結界術を用いる狡猾さから予想した──半ば当てずっぽうの言葉だった。
(カマかけたんだけど──正解みたいだ。それに、天元と因縁がありそうなタイプとみた。ここが狙い目だな)
「天元の結界を僕は突破できない。オマエならできるだろ?本体にさえ辿り着けば僕の術式が効く。そうすれば──天元は落とせる」
「くっくっ。いやいや、夏油傑もなかなか面白いヤツを遺したものだ。高専へ預けるには惜しいね」
今度はくつくつと笑い始めている。反応で是非は分からないが、少なくとも交渉不可能な相手ではなさそうだ。こっちは百足の群れを使って派手に
「交渉の席に着く方が面白そうだ。いいだろう。もとより君の術式にも興味はあった。君の欲するものは──この肉体だな。目的達成後に明け渡すことをお望みかい?」
「あぁ。僕が天元に術式を使う。それまでオマエは矛を収める……もちろん"縛り"だ」
あの老いぼれ天元との交渉。その内容をコイツは知らない。つまり天元を相手に術式を用いても、僕が結界維持を引き継ぐことも同様に知り得ない。コイツの押さえる相手が天元から僕へと変わるだけだが、"縛り"を守るようであれば、夏油さんの肉体は返ってくる。そこが肝要だった。
こういう手合いから目を背けて逃げるよりも、ある程度見張っておいた方が幾分マシだ。何をしでかすか分からない。そのくせ狡猾で謀略に優れている怪物。まずは出方を伺いたかった。
「天元の下へと向かう前に必要な条件がある。君の家族を殺した最強──五条悟を戦闘不能にすること。君に協力してもらおう」
「体良くこき使う気か?内容次第だ。肉盾に使う気なら突っぱねる」
五条悟を戦闘不能にする。そして天元を落とす。この二つが立て続けに起きれば、それこそ社会秩序は崩壊するだろう。呪いの時代が幕を開けることになる。その時代を待ち望み、実現に向けて計画を語るコイツから──家族の体を取り戻さなければならない。五条悟も呪いの時代もどうでもよかったが、夏油さんの蘇生だけは叶えたかった。
「手は考えてある。必要な道具も揃えた。あとはこの体と──足手まといの人間達。これらは決行日までとっておきたい。君が協力するのもそこまででいい」
「五条悟を戦闘不能にするまで……天元はその後にオマエと仲良くお礼参りすれば事足りるワケだ」
おおよその話が分かってきた。コイツは混乱を望んでいるが──その先に目的がある。僕を利用して天元を取るために、わざわざ近しい夏油さんの体を乗っ取った?それは明らかに迂遠だ。僕を殺して乗っ取らないのは、不可能な訳ではなく……不芳な訳か?何れにしても、コイツとの決着をつけるのは……
「五条悟を戦闘不能にした後、君が天元に術式を行使することを条件とした"縛り"だ。条件を満たせば私は他の肉体へ移り、夏油傑の肉体は差し出そう」
「条件を満たすまで
おどけた表情で舌を出すコイツに感情は動かない。コイツがさらに代わりの肉体へ移ろうが、その後に死のうが興味はなかった。ようやく内容が決まったところで、お互いの条件に合意し"縛り"は締結された。
「五条悟の対処も条件に組み込んだのは、僕に協力させるためだろ。最強を生け捕りにでもする気か?」
「不死の術式を使う訳じゃない。特級呪物"獄門疆"を使って封印する。詳細は追って連絡しよう。私にはこれからやることがある」
(天元に術式を行使して、条件が満たされた瞬間が土壇場だな。僕が引き継ぐ"縛り"を結んでいることはコイツにも知られていない。これが僕のアドバンテージ。これを活かして……夏油さんを取り戻す)
ヤツは隠れ家から出てどこかへ向かうようだった。どうせ暗躍がお得意なのだろう。家族達と共に過ごさなくなった彼の後ろ姿は──まるで別物になってしまった。
(出戸環が天元と接触していたことは想定外だったが……収穫はあった。恐らく情報は断片的に伝えられている。夏油傑の肉体を手に入れたことで──私自身が天元を呪霊操術で取り込める事実。これをヤツは知らない。故にあの条件を提示してきたのだろう)
額に縫い目のある男は一人思案を続けている。男の目的は呪力に秘められた新たな可能性だ。そのためにこの肉体を乗っ取り、邪魔な障害を取り除く計画を立てていた。見据える未来には天元を手に入れた後に行う儀式的呪術も控えている。日本全土の人類に呪いをかけ、天元と人類の同化を強制すること。必要な術式が刻まれた肉体は既に此処にある。環に術式を行使させる必要はない──その筈だった。
(ヤツの術式を使えば、式神を世に放ち日本人全てに呪いをかけることができる。加えて天元を手に入れることも可能な──まさに異能だ。死滅回游すら省略できる。これを放置する手はなかったが……存外頭が回るじゃないか。天元の膝元の結界に入られ、死体を手に入れる機会を逃したのも痛い)
環の術式によって放たれる式神は人間を不死に変え、さらに式神を増やしながら日本全土を覆い尽くすことが可能だ。不死の呪いと式神が人間と天元を繋ぎ、その縁を頼りに人類と天元の同化を引き起こす。それは男の目的に適した術式であった。
しかし夏油傑の下した判断によって事態は変わっている。環が五条悟の相手をせず、結果的に死ななかったこと。結んだ"縛り"の条件によって、秘密裏に結界から出られたこと。高専総監部ですら行方が辿れなかったこと。それらの要因が重なることで、環の額ではなく、夏油傑の額に縫い目ができることになった。天元と高専総監部は相互不干渉であり、環と天元との間で交わされた会話は、当人達のみ知る状況である。
(環には天元の息がかかっていると見ていいだろう。死滅回游によるプランと並行して、環の術式を奪うことも考慮すると……10月31日。渋谷の混乱の最中で術式を奪い、"縛り"を破棄するサブプランとして。出来れば術師と削り合ってくれれば嬉しいのだが)
額に縫い目のある男は環と交わした縛りによって手は出せないが、環が他の術師の手によって殺されれば、それも意味はない。渋谷に引き起こされる渾沌で何が生じるかは誰にも分からなかったが、それは男の望みでもあった。
「私の求めるもの……答えは渾沌の中にこそある……か」
またややこしくなりました
夏油(偽):環の術式で死滅回游という儀式を省くことができる。そのため環の死体も欲しかったけど、夏油(真)の判断で生きてたので断念。天元の結界に環は匿われて、そのまま高専に属すると思ってたら帰った本人とばったり遭遇した(天元と環の間にある縛りを知らないため)。夏油ボディで騒ぎは起こしたくないので、ハロウィンギリギリまで穏当に対処しようと思ったら正体までバレた。天元が珍しく干渉したみたいだし、術式はサブとして狙うので、縛りに乗った。どさくさに紛れて術式が欲しい。
縛りによる利:環の術式を天元へと使うことができる。環に協力を取り付けられる。
対価:夏油ボディ
制約:環が天元へ術式を使うまで家族達に手出ししてはならない。
環:特級であってもどうにもならないことが骨身にしみた。天元のやり口を真似して縛りを結ぶ。利害による縛りは重要な呪術の因子。約束する時はちゃんと縛りであると明言して、制約と誓約をきちんと示した。
利:夏油ボディが返ってくる
対価:天元への術式行使(条件の中に五条悟封印があるため、手伝うと円滑になる。制約ではない)
制約:特になし。強いて言えば偽夏油の邪魔をすると結果的に夏油ボディ返却が遠のく
縛り:五条悟を戦闘不能にした後、環が天元へ術式を行使する。そうすれば、偽夏油は次のボディへ乗り換えて、夏油ボディを引き渡す。
環が天元へ術式を行使するまで、偽夏油は家族達に手出し不可。