入り組んだ地下水路の奥部。資材置き場のように扱われている開けた空間には、大きな柱がいくつも立っている。洪水時にはこの空間が緊急のダムとなって水を溜め込み、より大きな河川への放流を行うことで、治水における重要な役割を担っているらしい。
ところが現在地下の空間では壁の一部が崩落し、鉄筋の飛び出したコンクリート片が積み重なっている。どうやら派手に遊んだあとのようであった。
瓦礫の隙間から柔らかそうなツギハギの粘体が、グニョグニョと動きながら這いずり出てきた。一際大きな塊が遅れて出てくると、全体はやがて人型へと変わって座り込む。瓦礫の下敷きになっていたのは特級呪霊──真人であった。
「あっはっは。見かけによらず無茶するなぁ。あの術師」
「
揶揄する僕の言葉も気にせず真人は上機嫌だ。瓦礫に押し潰されていた状態から戻ったというのにピンピンしている。余程術師との戦闘で勉強が出来たらしい。ここ最近の真人はあえて残穢が残るように術式の実験を繰り返していた。術師を誘い込んで実験を行う中で、自らの成長を純粋に楽しんでいるようだった。
縫い目からの頼みで真人の様子を見に来たが、僕の仕事はそこまでなさそうだった。瓦礫の下でバラバラにすり潰されても死ぬことがないのは、魂の形を保つことで得られる擬似的な不死性のおかげだ。呪力もほとんど消費せずに形を保持するため、魂自体にダメージがなければコイツは健在のまま。
「自分の魂の形はどれだけイジってもノーリスクのようだ。次は思い切って色々やってみるよ。あと服ちょうだい」
「へぇー。まぁ適当に頑張ってくれ。僕は
縫い目曰く──"宿儺"の指を1本高専に回収させたい──とのことで、僕がわざわざそれを運んで来た。呪霊側の企む計画の1つである宿儺復活。それについて僕は興味もないし、精力的に手伝うつもりもない。宿儺の復活を円滑に進めるため、真人は宿儺の器と、その親しくなった人間同士をぶつけるつもりだ。器である虎杖悠仁が宿儺へ頼るようなことがあれば、復活に優位な"縛り"が結ばれるはずだと推測して。
(個人的には少し無理がある作戦だと思うけど……まぁ、虎杖悠仁がお人好しだったらある程度成り立つかもなぁ)
「指を渡しに来ただけなんだ……うーん。出戸も暇だろう?良かったら見ていきなよ。俺のシナリオにケチつけてもいいからさ」
一応人の形をしているが、コイツは紛れもなく呪霊だ。人を欺き、誑かし、殺す呪い。そんなヤツが考える絵図について口を出す気も起きない。良識といったものが存在していないことは簡単に想像がついた。普通に死ねれば御の字で、真人に魂ごと散らされればその次に楽だろうか。こんなヤツと関われば酷い目に遭うと、教えることもしない──僕に言えたことではないけれど。
「趣味の悪い遊びを見学するなんて御免だね。というかオマエ……僕に殺されかけてるよな。もう少し距離おけよ。いつも通り呪霊同士で仲良くやっとけばいいのに」
「いやいや。出戸は他の呪詛師よりも
呪霊達の親玉であるコイツは、僕から勝手にシンパシーを感じているようだ。あの穏やかな領域で殺し合っているにも関わらず、いつも通りの軽薄さで喋りかけてくる。呪霊の戯言は聞き飽きたので、縫い目から頼まれていた指についての説明で話を流す。
「はいはいそうだな。それから──これが指だ。この巻いてる呪符で今のところ封印してあって、剥がせば気配で呪霊が釣れる。あとは好きにしろってさ」
「おっけー……あとさ、呪術において重要なインスピレーションとかあるかな。生得領域の展開がちょっと上手くいかないんだよね。出戸なら知ってるだろ?」
呪いからそういった質問を受けるのは初めてであった。適当に聞き流しておいてもよかったが、これについて僕は1つ答えを持っていた。生命における最大の異変。それが迫った時にこそ呪術の──呪いの核心が分かること。つまりは……
「"死"だ。これは断言出来る。オマエもいっぺん死んでみればいい」
真人は納得したような素振りをみせたが、果たしてそれが伝わったのだろうか。呪術の上達は必ずしも緩やかなものではない。何かを掴んだ拍子で数段飛ばしに段階をかけ上ることだってある。死の淵に近づくことは成長の近道ではあるが、無闇矢鱈と死にかければいいものでもない。死に際で何かを掴むためには、確かな土壌とセンスを併せ持っている必要がある。無論そのまま死んでしまえば意味もない。僕の勝手な見立てでは、死にかけたところで真人はしぶとく生き残りそうなタイプではあったが。
「あー。だからか。出戸って自分の死に価値なんて感じてなさそうだし。カジュアルに死にかけてりゃ世話ないよ?」
「死に際で何かを得なきゃそのまま終わり。生きていればまだ可能性はあるだろ。人類のためを思えばオマエはさっさと死んでくれて良いんだが……」
本当に人類のためを思うのなら、こんなことを行うはずもなかった。今すぐ呪霊共を殺滅して、五条悟へ協力を持ちかける。そうすれば一件落着だ。しかしそれが可能でありながらも、身勝手な自分の願いを叶えるために動くのは──ある意味人間らしいはずだ。僕はそう考えていた。
「消極的だね。そういう言葉は殺してから吐くものだろうに。夏油に縛られてちゃ勿体ないよ」
「闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え」
里桜高校の校舎を見下ろす僕達の頭上から、黒い液体が湧き出た。それはドーム状に広がりながら滴り落ちることで結界を形成していく。呪霊である真人でも、呪詞を詠唱すれば帳を張ることができる。その効果さえもある程度指定しながら。
「おー。できたできた」
「僕が張ってもよかったけどな。帳の効果は?」
「内からは出られない、外からは入れる。あくまで呪力の弱い人間はだけど」
趣味の悪い効果だ。恐らく非術師を逃がさないための帳──それも住宅地での事前告知なし。"窓"が通報してすぐに術師が飛んでくるだろう。コイツの考えていることはいまいち合理性に欠けている気もする。
コイツが唆した順平とその家族は、宿儺の指と真人によって呪われた。その片棒を担いだのは他でもない僕である。復讐が果たされようと、愚かな子供が死のうとも興味はなかったが、縫い目がわざわざ指を回収させる、その仕掛けについて探るべきだと考えていた。
「出戸はやっぱり帰るの?見てけばいいのに。愚かな
「どうでもいい。僕にも仕事がある」
帳を出て向かった先は住宅地に建つ一軒家。見た目は一般的な家屋だが──漂う呪いの気配は間違いようがなかった。これではわざわざ順平を利用する必要もなかっただろう。適当な廃屋に置いて内通者に情報を流せば回収は容易なはずだ。呪霊側の要望に対して協力を怠らないポーズでもとっておきたかったのか。縫い目の企みは僕の先を行くレベルだ。少しでも情報を得ておきたい。
真人には話していないが、僕の仕事は回収される前に指へ封印を施すこと。その封印一層の内側には札が仕込んである。真人の呪力で作った札だ。指を高専が回収する際に封印がなされていれば、その一層の封印を剥がしてまで内に仕掛けた札を確認することはないだろう。アイツの仕込みだが、余程剥がされたくないモノらしい。封印が済めば僕の仕事は終わりだ。しかし縫い目の企みについては知っておきたかった。
(なぜ真人の呪力で札を仕込む?わざわざ回収させる目的はなんだ?縫い目が呪霊側の意向で指を集めることは理解できるが、逆に指を手放す意味が分からない……ん?)
思考に沈んだ意識を浮かび上がらせたのはシナズの触角だった。この反応の時はだいたい察しがついている。
「………」
向かった先の部屋──寝室のベッドに横たわる女性。一見眠っているようにも見えたが、ここまで来れば僕にも分かる。指に寄せられた呪霊の仕業だ。死後に吉野順平は彼女をここへと運んだのだ。掛け布団から覗く保冷剤からは少しでも腐敗を遅らせる意図が伝わった。眠らせてあげたかったのだろう。せめて最期だけでも、安らかな様子のまま。
「……どうするかな」
吉野順平の
死体の腰から下は欠損している。完全に復元するには、シナズの反転術式の出力だけでは足りない。せいぜい傷口を塞ぎ、内臓の一部を復元し形を繕う程度だ。それでもすぐに死へ瀕することはないだろう。歩くことは叶わないが生きることはできる。呪われた死よりも幾分かマシか。僕はそう結論づけてシナズへ指示した。
「……シナズ」
術式を行使しての蘇生。それと同時にシナズの治癒が始まり、肉を繋ぎ内臓や血管を形作っていく。しばらくすればゆっくりと呼吸の音が聞こえ始めた。確かに生き返っている。吉野順平が生きていようと死んでいようとどうでもいいが、生き返った母に会えれば少しは気を落ち着かせるだろうか。今なら真人から離れるようにアドバイスぐらいはできそうだった。居間に戻り思考の続きを練っていく。
(問題はこちらの指をあえて差し出すことだ。縫い目が高専に回収させたいワケがあるはず。宿儺の器に取り込ませることではなく、狙いは回収されたその先にあるのか?高専が回収した指はその後どうなる?封印した特級呪物の扱いは決して軽くないだろうし、器である虎杖悠仁が取り込むことに否定的な意見があるかもしれない。または……)
「そのまま保管……とか。
訪れたことのある薨星宮への道。そこの昇降機へと向かう前には、高専が集めた呪物の保管庫──忌庫がある。僕が過去に総当りで引き当てた忌庫への扉を、真人の呪力を辿ることで見つけ出すつもりのようだ。忌庫には天元の結界術で隠す程の重要な呪物が保管されているはずだ。特級呪物"両面宿儺"の指も同様に数本か保管されている可能性がある。これは高専が集めた呪物の在り処を突き止める策だ。
正面から高専へ乗り込んでも五条悟がいれば意味はない。内通者の手引きで秘密裏に潜入する──その準備を縫い目は既に進めているかもしれない。もしくは、五条悟の封印後に高専へ向かう可能性もある。しかしそれならば、コソコソと指に札を仕込む必要はないだろう。呪霊のために指など狙わなくても、縫い目は直接天元の下へ向かうはずだ。五条悟封印よりも先に指だけを根こそぎ奪う気だろうか。
少なくとも高専へ向かうなら──そこには天元がいる。向こうはこっちの事情を見透かしている老耄だが、僕は天元から情報を引き出したい。忌庫へと続く扉を見つけさえすればコンタクトが可能だ。となれば……札を仕込んだ封印一層の内側。百足はそういった隙間へ入るのにピッタリな薄い体をしている。
『
「んぺっ。ふう──乳歯が残っててよかった」
とびきり小さく薄い百足。それも僕の歯を変えたもの。やはり媒介によって式神の操作性や出力、サイズ等は可変のようだ。僕の歯から作ったことでこの百足は小型ながら操作性がよく、視界や情報の同調も問題はない。コイツを封印と札の間に潜り込ませる。呪力の放出も抑えてあるし、そもそも宿儺の存在感のおかげで全く目立たない。
(この仕事自体が縫い目からの指示でもある。この動きが気取られている可能性も十分にあるが……いちいち気にしてちゃキリがない。アイツが半年近くコソコソと動いてたことも知っているし、お互い黙殺か。なんだか不倫夫婦みたいだ)
吉野順平の自宅から出ると、向こうに見える帳はまだ残っていた。真人の方はまだしばらくやることがあるようだが、僕の仕事は済んでいるし、細工も施したところだ。若干気乗りしないが、仕方なく縫い目との合流を目指し歩き始める。
「遅かったじゃないか。真人は?」
「生きてりゃ会えるだろ。帳は上がってたし下手すりゃ祓われてるかもだけど」
僕の返事はお気に召さなかったようで、縫い目はため息をついていた。だいたい僕を使い走らせたのが悪い。縫い目は呪霊も他の呪詛師さえも、全て自分の目的のために利用する強かさはあるが、巡らせる計略と真人との相性は良くないようだ。今回も半ば真人の思いつきと、偶然の出来事から始まっているようなものだ。呪術に適性のある高校生が話しかけてくるなんて、そうそうあるワケがない。
「私が行けばよかったかな。君と真人がつるむと止められそうにない」
「僕をストッパーとして使えるとでも?随分おめでたい話だ。真人の遊びが上手くいくなんて毛ほども思ってなかったくせに」
しばし向かい合うが、この程度の軽口でコイツの表情は動かない。さっさと真人を探して次の策へと動き始めた方が、合理的なことだと二人して分かっている。それに、ある程度僕を自由にさせて、その間どう動くか探りを入れてきていることも理解した。僕の答えは──変わらない。悔しいが真人の言う通りだ。コイツを縛っていても、コイツに縛られていては意味がない。自分のやり方を通すことが重要だろう。人間も呪霊も関係なく、僕の思うままに蘇らせるだけ。
「逃走ルートは馴染みの下水道だろうな。本当に祓われてたらどうする?指を回収する計画も台無しか?」
「そこまで予想がついているのなら、少しは慮ってくれてもいいだろう。今は呪霊達と手を組んで動きたいんだ。あーほんと君らは……」
コイツのお手上げポーズには胸のすくような感覚を覚えた。僕と真人を同列に語るその口も今ばかりは許してやろうと思えるほど。しかし真人も呪霊達もどうでもいいと思っていることは僕の本音であった。せいぜいコイツは苦労すればいいだろう。目的が一致しているだけの間、仲良くする必要はないのだから。
環君は少しずつ吹っ切れていきます。もう夏油さんに引っ付いていた彼はいないので。