波打ち際には五つのビーチチェア。そこには僕も含めて五体の人型が思い思いの姿勢で座っている。ご丁寧にパラソルの数を揃えて、日差し対策もバッチリだった。展開されている穏やかな砂浜海岸の領域。陀艮の生得領域は呪霊らしからぬ明るさを保っていた。
領域内でただ1人、チェアに腰を下ろすこともなく後ろに立って控えているのは、白髪オカッパのガキんちょだ。何やら縫い目と知己の間らしいが、こういうタイミングで寛がない性分から、おおよそ人物像の見当はついた。多分根っからの従者タイプだ。自分を律して人に仕える楽しさは僕には想像がつかないので、思わず奇異の視線を向けたところ──凄い目付きで睨まれた。
「高専にある寺社仏閣の千を超える扉の内──1つだけが"指"を含む特級相当の呪物を保管する蔵へと通じている。天元の結界術によって日々扉の配置を変えるんだ。繋がる扉を見つけ出すためにあえて高専に指を回収させた。それについては──」
「──はいはい。回収前、真人の呪力で作った札をしっかり貼っておいた。一層の封印の内側。ちゃんと保管されてたらまず剥がされないし、
高専から指を奪う策の説明。仕込みの一端を任されていた僕はその続きを補足していく。縫い目の企みは呪霊側の意向に沿う形で練られていた。宿儺復活への足掛として、蔵から指を奪うのは真人の仕事。それから向こうの意識を逸らす陽動として──
「同時に高専の学生を帳内に閉じ込める。五条悟用の帳のテストだったよな?」
「あぁ。ある程度全力を出してもらう必要があるからね。学生を適度に追い詰めてもらって構わない。それから何人か呪詛師も同行するけど、組屋鞣造──コイツは捨て置いていい。最後まで作戦行動のとれる人間じゃないし、今後の邪魔になる」
組屋鞣造を端的に表すと、裸オーバーオールのスキンヘッドだ。まともじゃない思考をした男で、五条悟の死体でハンガーラック作製を狙っているらしい。いまいち要領を得ないが、呪詛師がそういう奴らばかりだということを僕はとっくに知っていた。
陽動のついでに嘱託式の帳テストを行うことで、後に控えている五条悟の対策案を練り上げるつもりだ。いちいち数手先を読んで布石を置く、縫い目の狡猾さを僕はつくづく実感する。帳のテスト結果を見るのは別の人間であり、そいつと仲良くするよう口うるさく言われたところで、僕は改めて仕事の中身を確認した。
「宿儺の器を含めて学生全員を生かさず殺さずに……か。後遺症とか残るのもナシ?」
「あまりオススメしない。宿儺の動きが私のイメージと少しズレている。恐らく学生の中に──宿儺にとっての地雷がいる。それを踏んだら今回の行動が台無しになるし、宿儺自体への刺激も良くないだろう。起こりうる混乱はこちらもまだ望んでいないからね」
両面宿儺。直接触れて帰ってきた真人曰く──魂の格が違う──だそうで、僕達と高専の両陣営にとって、慎重に、繊細に扱われるまさに爆弾のような存在感だ。
五条悟を封印する策の決行日は既に決まっている。10月31日。その日のために利用できるものを縫い目は全て温存しておきたいようだった。指集めに奔走する呪霊達の努力すら利用しているのは、他でもないこの縫い目の男であるくせに。
「私が戦っても構いませんよ?」
「いいや。僕が
僕の発言に対して異論のある者はいなかった。確かに最も負担のかかる役割だ。それも相手を殺さず適度に追い詰めることは難易度が高い。しかし実際に僕の不死性を考慮すれば、敵も味方も死なせず囮として暴れる適任者は他に見当たらないはず。結界を通るには花御の力が必要だが、死なないためのタフネスならば僕にも備わっている。どちらかと言えば
下働きばかりでフラストレーションが溜まっていたところだし、僕の仕掛けた策の起動タイミングを窺う意図もあった。真人が忌庫から指を回収する前に百足を移動させること。空性結界にまで差し掛かればあちらから接触してくる可能性もある。どちらにせよ忙しいことには変わりないが、目的のためには動かなければならない。
「縫い目もいいよな?最悪僕が死んでも泣くなよ?」
「──あぁ。構わない。私の存在を知られなければ問題はないからね。頼んだよ」
顔を見ても表情に変わりはない。元々僕の存在を五条悟封印における役割の勘定に入れていなかった可能性もある。そう易々と死んでやるつもりもないが、縛りを結んだ相手である僕をコイツはどう扱う気でいるのか。それを知るために──まずは自らで試す。
鬱蒼と茂る森の中。花御の術式によってまんまと結界内への侵入に成功したところだが、無駄に広い高専の敷地を眺めて辟易しそうになっていた。
今日は高専の姉妹校交流会が行われているらしい。あちらこちらで呪いの気配がするため、学生達も幾分かはしゃいだあとだと勝手に推測していた。交流会の成功の是非も、中止になることも僕の都合とは関係ないが、帳が降りるまでは大人しくしておいてよさそうではある。そう呑気に考えていたところに感じた──呪いの気配。次いで見えたのは大人しく佇む呪霊の姿だった。
「目が合っても反応なし……呪霊は要るだけ変えておこうか」
自らの呪力を解放する。これだけ明け透けに放てば、勘が悪くても誰かは気づくだろう。膨れ上がったその圧で眼前の呪霊はガタガタと震え始めるが、うちの陣営と知り合いでもなさそうだった。特に問題はない。
『
逃げ出される前に仕留める。手で無造作に捉えれば、呪霊の体から瞬く間に百足が湧き上がった。長い蛇のような胴体は見る影もなく、落ち武者じみた頭部だけが残っている。手の中にあるその顔はやけに怯えた表情だが、すぐにそれも百足になって解けていった。それを目撃したのは──1人の学生。
「おっと。学生だよな。横取りしてよかった?」
「しゃけ、いくら、明太子」
ハイネックのファスナーを開きながら返ってきた言葉は海鮮中心のようだった。口元と舌には分かりやすく呪印が刻まれている。
「蛇の目に牙……呪言使い!!」
『止まれ』
僕とシナズ、そしてさっきまで呪霊だった百足達の動きが止まった。確かに一度くらい止めることは可能だろう。しかし僕とシナズの両方を止め続けるには少々負担が大きかったようだ。
「ゲホッ」
「──『
シナズの口から溢れ出す百足の濁流。それは諸共を押し流す黒い大河だ。立体的に動く激流に身を任せて勢いよく森を出ると、建物のある開けた場所に流れ着いた。そこには二人ほど学生らしき人物もいる。さっきの海鮮君は──屋根を走って無事な姿が見えた。
「狗巻先輩!?」
『逃 げ ろ』
呪言のおかげか、戸惑う二人の学生はすぐに回避を選択したようだ。百足の群れを大雑把に動かしながら、上空から帳が降り始めたことも目視で確認した。
(術式行使は式神操作に絞った方がいいな。下手に五体不満足にすると宿儺の地雷を踏みかねないし。まずは仕掛けた百足を忌庫から動かしつつ──)
「何故高専に呪詛師がいる。帳も誰のものだ?」
「………ヅ、ナマヨ」
「そうですね。五条先生に連絡しましょう」
学生三人は冷静に状況を判断しているようだ。薄目の男と、ツンツン頭の男と……呪言使いの海鮮君。こちらの式神操作の合間に連絡を取られてしまいそうだった。五条悟の侵入を拒むように帳は出来ているはずだが、学生全員が帳から出て行ってしまうと意味がない。
「まずは距離をとって五条先生の所まで後退──」
「──されると困るな」
丸めた百足を指で弾き飛ばす。僕が携帯を破壊して連絡手段を断ったことで、向こうも狙いが読めただろうか。五条悟との分断。すぐに三人は状況の立て直しを図ってきた。
『動くな』
『
呪言で止まった僕へ放たれる赤いチャクラム。それは輸血パックを破いて取り出した血液から形成されていた。続けて鳥の式神が頭上から急降下して翼を叩きつける。間髪入れず呪具による斬撃も加えられたが──
「チッ。今のも無傷か!!」
「ゴホッ」
膨大な呪力総量とシナズの堅牢な甲殻。これらを突破するには少しばかり物足りない。なるべくこっちに注意を引いてもらうと助かるが、こちらから攻め立てて時間を稼ぐことも必要だろう。咳をする海鮮君の様子からして呪言のデメリットも分かってきた。
「そこの海鮮君は……そろそろキツイと見た。喉が潰れるまで頑張るのはオススメしないね」
百足の群れを再び動かす。広範囲をカバーして止められることは知っているが、それも限度があるはずだ。僕とシナズを同時に止める度、彼が喉薬を飲んでいることには気づいていた。屋内へと誘導しながらさらに追い詰めていく。
「大丈夫ですか」
「しゃけ──っおかか!!」
『
百足で編まれた丸い籠。複数個放ったそれを牽制に使う。海鮮君が喉薬を飲み干し警戒の声をあげたところで、解けた百足が胴をくねらせ三人へ向かって飛び出す。
『止まれ』
百足達の動きは止まった。しかし僕の動きは──止まらない。呪言の対策は耳と脳を呪力で防御すること。いつだったか教えてもらった知識を思い出しながら、百足の群れを足場に彼へと肉薄する。
『うごッ──」
「まずは1人」
右手で喉を一突き。度重なる負担と、このダメージで呪言は封じた。続けて狙うのは隣の薄目。両手で血液を挟み、何やら溜めていたことは知っている。恐らく溜めがある術だ。解放される技は──
『
「──初速は申し分ないな」
シナズは圧縮された血液を斜めに受け流した。甲殻には傷一つない。薄目の男は衝撃を受けているようだが、トゲトゲ頭の方は既に掌印を象っていた。
『
逃げ場の少ない屋内であれば物量で押し込める。どうやら考えることは同じのようで、あちらの象の式神は鼻を膨らませて何かを溜め込んでいた。こちらも百足の群れを廊下めいっぱいに供給して対抗すれば──解放された水と百足の激流がぶつかり合う。
「──っ狗巻先輩!!生きてますか!!」
「殺しちゃいない。それに薄目の血液使いも──寝てるだけさ」
行き場のなくなった水と百足の群れは、床を破壊し地下へと流れていった。立っているのは僕とトゲトゲ頭だけ。比較的近くにいた薄目の男は、百足の激流に飲まれかけたところで意識を刈っておいた。呪言使いも同様に。しかし残る者はまだ他にもいたようで。
「──それじゃシナズは切れないよ」
「チッ」
背後から切りかかった女。それに対応したシナズの甲殻が刀を容易く折る。半ば呪具っぽくはあったけれど、どうやらなまくらのようだ。続けてトゲトゲ頭が振るう黒い剣にも、シナズは器用に対応し刃を軽く弾く。相変わらず頼りになる相棒だ。さらにトゲトゲ頭が身を低くして影から取り出したのは……見覚えがある呪具。
「もっといいのがあるぜ。これを使うのは胸糞悪ィけどな」
「……"游雲"。いいモノ持ってるじゃないか」
風を切る音。三節棍は変則的な軌道を描きながら振り回されていた。加速した棍は特級に相応しい破壊力で、僕の体をシナズ諸共──吹き飛ばした。
「──はっはっは!!来てよかったよホント!!」
シナズの甲殻を砕くまでには至らずとも、衝撃はしっかり僕にまで届いている。懐かしい気分に浸っていたいが、生憎すぐに式神が走って来ていた。見たところ犬のようではあるが、四足で走る姿に少し違和感がある。すると式神は二足歩行にすんなり切り替え、前足の爪を振るってきた。さっきの黒い剣より鋭い手応えだ。
(犬は足も攻めも速い。間髪入れずに仕掛けて、トゲトゲ頭の方は森の中──)
「──っと。アレ……"游雲"は?」
思考する隙を与えずに眼鏡の女が剣を振るってきた。受け止めたのは黒い剣であって、三節棍ではない。今それを持っているのは──
「そこにあるぜ」
「──っ!!」
頸を狙った打撃。茂みから飛び出したトゲトゲ頭の奇襲だ。さすがに特級呪具ともなると衝撃が頭に響く。少しばかり怯んだその隙に二人は呪具を入れ替え、さらに畳み掛けてきた。斬撃と打撃。僕の体にだけ当てようとしたみたいだが──生憎耐久力には自信があった。
「さっきもモロに入ったはず。呪力の底が見えませんよ」
「デカい水槽を叩いたみてェな手応えだった。どうなってんだこのチビ」
身長はともかく、呪力にはまだまだ余裕がある。帳もまだ上がっていないため、もうしばらくここに注意を留めておきたい。
トゲトゲ頭は呪力が残り少ないようで、追加で式神を出すようなこともしていない。あの象型の式神による放水でだいぶ呪力を消費しているはず。一方の眼鏡女は非術師並の呪力が残っていたが、動きも武器の扱いも頭一つ抜けているようだ。
このままグダグダやってると逃げに徹される恐れもある。かといって命を奪うやり方は取れない。ではどうすべきか。取った手段は──
「『
シナズの口から取り出した黒い杖。ご丁寧に名前まで教えたのは印象づけるため。杖は百足三匹が身を捩り螺旋を描いて形作ったものだ。黒い胴体部には独特な紋様が走っており、節々と相まって有機的なデザインになっている。
「センスはともかく趣味が悪ィな」
「よく言われる。出来は悪くないんだけど」
「──領域!?」
放り投げた杖が地面に触れた瞬間。百足達は結束を解いて地中へと潜った。効果の及ぶ範囲はそこまで広くなく、トゲトゲ頭が驚いた対象である領域ほど洗練されてはいない。しかし結界術のノウハウは活かされている。ドーム状に展開された結界の範囲内に術式は付与されていない。しかし結界の外殻は──無数の百足で出来ている。
「ここから出ていく相手には祝福が与えられる。中に居れば無害なまま。そういう差し引きだ」
外縁部に百足を置くことで内外からの押し合いに強くなった。僕の祝福という説明を真に受けて外へ出ようとしても全く問題はない。術式をオミットして結界を支える外骨格のような位置づけにしてある。祝福も呪詛もそこにはなく、語ったのは単なる
「杖の形で顕現させていた三匹の百足。アレが核だろ」
「正解。地面に潜ったままか、縁にいる無数の百足の内に紛れているか……その中から探して仕留めれば、この結界も崩れるよ」
トゲトゲ頭は式神使いだ。式神と一緒に体を張って戦うようだが、式神の運用や結界術にも造詣が深いのかもしれない。少なくともこの結界を破壊する方法は割り出された。僕は別にそれを邪魔する気もないが──游雲の動く姿はまだ見ていたかった。
「ということで──まだお付き合い願えるかな?」
「恵は三匹探せ。コイツは任せろ」
「了解!!」
呪力量ゴリラ&カチカチ百足のタッグ
ムカデ化術式を添えて