極ノ番──それは生得術式の粋を極めた奥義。環が自らの術式を極めるためには、死を否定し百足を産み出す術と向き合う必要があった。蘇生と不死化は、環の人生において多くの出番があったが、それらは単なる副次的な効果に過ぎない。不死の肉体を百足へと変える呪いこそ──真価であり本領である。
『
(産み出された百足が新たな百足へと変わる『輪廻』。果てのない道の先に何が生まれる?それを教えてくれたのは──)
天元の存在。不死の術式によって肉体を作り替えられた人間であったモノ。天元が人をやめ、進化したことで成り果てた事実を環は当人から直接聞いていた。老いた天元の先にある死すら否定して、不死の術式が目指したのは輪廻の外であると。
環の掌に形作られた小さな宝塔。シナズが貯蓄していた、ありったけの数の百足達から形成したもの。黒く光沢のある有機的な意匠ではあったが、これは圧縮して生まれた器に過ぎず、本質はその先にある──
より高次の存在へと昇華させる術。それは輪廻を繰り返すことで輪の外側へと送る儀式でもあった。肉体という器から解き放ち、天地そのものに魂を還す。その際に生じる余剰エネルギーが『茈』の仮想質量を受け止め、凪いだ力場を作っていた。
昨年の百鬼夜行で、夏油傑は環を天元の結界へ送り出し、呪術師としての道もあることを示していた。今際の言葉で親友の望む未来を託された五条悟の思いとは。それらを尊重する気がもしもあるならば、とうの昔に環は呪術師として生きていたことだろう。しかし、今の環は呪詛師としてここに立っていた。それが現実であり、五条悟の動いた理由でもあった。
「また此処から……傑から逃げる気か?」
「……これも夏油さんのためだよ。僕のためではなくて」
塔を中心に広がっていた球状の力場。『茈』すら受け止めたエネルギーの塊が張り詰めたように膨らみ──
「──っそこまでするかよ……!!」
「領域展開」
『無量空処』
世界が塗り替えられる。土煙上がる森の一角から──無下限の内側へと。宇宙空間へと投げ出されたような視覚効果も、それすら無限によって押し潰されることになる。その術式効果は無限の情報処理の強制。まだ人間をやめていない環の脳へ抜群に効くことは間違いなく、領域の押し合いをしたところで、勝率はせいぜい1割にも満たないはずだった。
しかしその無けなしの勝率を押し上げるのは──シナズと『
(しばらく青い目は見たくないな)
加速した思考の中、次に目が覚めることを半ば確信しながら、環は呪力で頚椎を砕き──
「──は?」
術式効果が領域内を襲う。生きるという行為に無限回の情報処理が必要ならば、
五条が声を上げたのもつかの間、シナズは既に術式の繋がりを辿って『
六眼という特殊な眼を持つ五条は、式神の取った行動の真意に気づいた。あの宝塔は器。元を辿れば同じ式神であり、進化を遂げた魂は天地へと還りつつあること。つまりは──
「無量空処を肩代わりさせた……!?まだ動けるのか!!」
無量空処の術式効果は無限回の知覚・伝達が必要な情報を脳へ流し込むこと。しかし、呪霊や式神の脳は人間の脳と構造上異なるため、無量空処の効き目が弱い。といってもそれ程猶予があるわけではなく、数秒程効果を受けると、情報処理が不可能になる程のダメージは避けられない。
さらに、シナズが接続した宝塔。形作られた宝塔は単なる器であり、本来は意味を持たないシンボルである。しかし、大量の式神で作られた塔は、流し込まれる大量の情報に耐えうる器として転用された。自我や魂といった情報は既に天地へと還り、そのため空いた容量を用いて、無量空処を肩代わりさせることに成功していた。
脳の構造上の差異、そして式神で出来た大容量の器へ情報を移したこと。この二つの要因が重なることで、無量空処を受けたシナズに僅かばかりの時間が与えられた。
進化の際に生じた余剰エネルギーがさらに膨らんでいく。シナズは指向性を持たせて一点にぶつけるのではなく、領域内を力場で満たすように『
「──押し合いでもする気か?」
五条は術式の出力を引き上げた。シナズへ向けられた効果を肩代わりしていた宝塔は負荷に耐えきれず、少しずつ形を崩していく。
するとシナズの触角が情報を捉えた。それは無量空処による無限ではなく──結界外縁部の座標。
領域からの脱出は本来不可能に近い。その理由の一つに結界外縁が領域内からは認識出来ないことが挙げられる。領域展開とともに閉じ込められた場合、結界の縁を探すことなどはまず不可能。結界が占める現実空間以上の広がりが領域内にある可能性もある。
しかし、領域の外ならば話は別だ。外殻を破って自ら領域内へと入ってくれば、その破った位置から外縁部の座標が特定できる。または──外殻から信号を受け取れば外縁部の特定は可能であった。
「──チッ」
『
器たる宝塔が跡形もなく崩れ去ったところで、ついに領域からシナズと環の死体は脱出した。あとに残された五条は領域を解除するが──外には影の一つも見当たらない。
「………」
押し黙る最強は目隠しをつけながら、親友の最期を思い出していた。その望みに報いることが出来ないことも。
目に入ったのは洞窟の天井。鍾乳石がいくつも見えた。体を起こして辺りを見回せば白い大男に話しかけられる。
「人間にしては頑丈ですね。五条悟と対峙して生き延びるとは」
「あぁー……ここに居るってことは──上手くいったんだな」
頼んでおいた送迎役の花御だ。高専の結界を通り抜けるには必要な存在であり、逃げる際にも役立つだろうと思っていた。シナズは……痛々しい傷が見えるし、かなり消耗しているが生きている。僕もこうして生き返っていた。予定通りであり、何も問題はない。
「指示通りに、
「結構分かりやすかったろ?渡してた式神も回収しておく。今回は助かった。礼を言うよ」
呪霊相手に礼を言うなんておかしな気分だが、式神を相棒に扱う時点で同じようなものだ。感謝の言葉を口に出すことは重要だし、何もおかしいことはないはず。
渡しておいた式神は、マーキングした別の式神の位置を示す。センサーのような感覚で場所を特定できる。恐らくマーキングした式神は結界外殻にいたのだろう。シナズもその式神の居所を探ったに違いない。外殻の位置が分からなければ領域から出るなど不可能だから。
向こうでは真人と呪詛師が話し合っていた。真人が任されていた呪物の回収。宿儺の指6本と──呪胎九相図の1~3番。バッチリ集めてきたらしい。僕の献身ぶりが実を結んだようでなによりだ。僕のやりたいことも出来たし、逃亡にも成功した。1回死んでしまったことは最早気にする必要もない。
立ち上がったところで百足の群れと合流する。虎杖悠仁に差し向ける際に、地下に残しておいた半分程の数だ。これで腕を補修していく。意路不倒で形を整えたが、しばらくは体を動かさずに休んでおくべきか。口を動かす必要はまだあるのだが。
「どちらまで?」
さっさと腕を治した僕が立ち去ろうとしたのを見て、花御は疑問を投げかけてきた。またすぐに僕が暴れるとでも思っているのだろうか。僕が向かうのは──ただの反省会だ。
「ちょっとそこまで。老耄がボケたら大変だからね」
そこは小洒落たバーの様相をしていた。とはいえ、僕が同調している式神は小型百足である。その視界から見て違和感のない空間であるならば──ミニチュアセットのようなサイズ感だ。壁にかけられた現代的な絵画も、棚にびっしり並んだ名前も知らない酒に至るまで、全て玩具みたいな小ささの。思わず笑った僕の雰囲気を感じ取ったのか、カウンターチェアに座る異形から声がかかった。
「君は未成年だったな。こういった店は初めてだろう」
「行ったことはないな。ドレスコードを強要するなよ?」
縦に伸びた灰緑の頭。四つ目が特徴的なコイツこそ──天元。スーツに身を包んでいる姿も笑えるが、僕が動かしている式神なんぞムカデそのものだ。異形と異形の話し合いは元々奇妙なものであることを認識した。
「わざわざ式神を差し向けるとはな。君は
「その気があればもっと物々しいだろ。こんな可愛いチビムカデを動かして、話しかけたりするかよ……それで、けんじゃくが縫い目ってことでいいんだな?」
状況の整理をしたかった。僕が忌庫から動かした小型百足。アレを空性結界まで辿り着いたところで一旦休眠させておいた。僕自身が同調し操作することでこの通り、遠くからでも老耄と会話できる。かなり集中しないと難しいので、戦闘をしない間にはピッタリの暇潰しだ。
僕が"縛り"を結んだ相手である縫い目。老耄はけんじゃくと呼んでいたが、どういう人物であるかは知っていそうだった。なるべく情報を引き出しておかなければならない。この老耄すらもイマイチ信用には欠けるが。
「そうだ。体を乗り継いで生きている術師。今は夏油傑の体に宿っている者。あの子には
「罠・網の
僕の皮肉には乗らず、老耄は静かにグラスへ口つけた。一応、カウンターテーブルには同じようにもう1つグラスが準備されていたが、ムカデが飲むには適さない形であった。ちなみに同調している小型百足は、カウンターチェアの座面で上手くとぐろを巻いて、老耄と目線を合わせている。
「私には人の心までは分からない。だから君がどういうつもりで此処を訪れたのか測りかねている。まずは君の建前を聞いておきたい」
「はいはい、じゃあ端的に話すよ。アイツの──羂索の計略をひっくり返してやりたい。そのためにオマエと組む。どう?やる気出てこないか?」
天元は四つ目だが意外と表情豊かだ。少なくとも目を開いて驚いた顔をしているのは分かる。そのまま続きを畳み掛ける。こういう時は勢いが大切だ。
「今回高専の件で分かった。羂索はそのままでも天元を取る手段があり、僕抜きで……いや、僕が死ぬとより都合のいい計画を見据えてる。これは間違いない」
「……なるほど。それで私を頼りに来たということか」
高専への襲撃の際、囮という最も危険な役割を僕に任せた理由。僕の強さを信用しているとも捉えられるが、あの最強たる五条悟の前では意味をなさないはずだ。寧ろ僕が死ぬ確率の方が遥かに高かった。その役目を果たす僕をあえて止めなかったのは、僕の死体を欲していた可能性があった。
「知ってたろ色々と……まぁいい。とりあえず五条悟封印まで羂索と目的は同じ。だけど問題はその後だ。奴が狙ってるのは
「そうだな。君の方につく利点は確かにある。君が私との"縛り"によって天元を継ぐことは間違いない。結界の維持を考えた時、君に力を貸すことにも問題はない。しかし──五条悟の封印。これは阻止したい」
その意見には敵ながら予想はついた。対峙して分かる最強たる所以。それが高専の守りに居れば、僕なんぞいなくとも羂索は敵じゃない。だから今羂索は大人しくしているとも言えるが。
「羂索は過去二回私を狙って計略を巡らせた。どこまでも用意周到に。そのいずれもが六眼によって失敗している。私に手出ししても意味がない状況を保っていたんだ。羂索が動くタイミングに六眼をぶつける。これが最良の──はずだった。その因果が壊れるまでは」
「──進化したオマエの状況そのものが、ヤツの狙いにピッタリだったワケか。そして頼みの綱である六眼も封印される計画が立てられたと。これを阻止したいとなっても……そりゃ無理だろ。僕が頷くとでも?」
綿密に練られた計画。傀儡となった上層部の内通者等。ヤツの使う手と及ぶ範囲は僕もこの老耄も軽く超えていく。僕はそもそも五条悟を封印した状況がなければ"縛り"の条件を満たせない。つまりコイツがいくら僕を頼ろうと、そこは譲れない前提条件であった。
「私は
「分かった分かった。それじゃあ仮定の話をしよう。あくまで仮に──五条悟が封印された時の。オマエのことだ。まだ保険はあるんだろう?折衷案として僕の話を聞いてもいいはずだ」
五条悟封印計画が分かっていても、現に干渉しようとしない姿勢。あるいは出来ないのか?縛りの可能性もあるがこればかりはしょうがない。お互い平行線のまま対立するよりも、今後の可能性を語っておけばいい。封印される未来の方が実現可能性が高いことは、お互い薄々気づいているだろうけど。
「仮に五条悟が封印されたとしよう。そうすれば羂索は六眼に邪魔されず此処へ来る。進化した私は──呪霊操術の術式対象だ。これだけで分かるだろう?君ではなく、夏油傑の肉体にあの子がいる理由が」
「なるほど。それでもあえて僕の"縛り"に乗ってきたのは……それこそ保険?あるいは本命?いずれにしても、僕だけを頼りにしていないことは分かったよ。僕が死体になるとアイツが助かる理由もな……ちなみに
「あの子は私と人類との同化を目的としている。そのために千年かけて準備してきたはずだ。ところが、君という存在が現れてしまった。千年分を推し進める最大のピースである──君の術式だ。それを手に入れる機を逃さないよう"縛り"を結んだのだろう」
理解できた。夏油さんの肉体で計画を進めながらも狙う価値のあるもの。それ程の異能が宿っている僕の肉体。それを取り合うことになる。
「じゃあ尚更オマエと組んだ方がいい気がするけど。羂索とどう足掻いても敵対する未来しかないし」
「今は無理だ。五条悟の封印という点において、互いの意見が一致していない」
こういう頭の固いところがやっぱり老耄らしいと言える。わざわざやってきたというのに、めんどくさいヤツだ。
「僕も五条悟憎さに封印を認めた訳じゃない。こっちの"縛り"の条件を満たせば、別に封印を解いてもらって構わないんだよ。呪詛師らしくありたいわけでもないし。ただ、羂索がすんなり肉体を返さないことは予想できるってこと」
「……では五条悟が封印された場合、羂索を相手取るための協力関係としよう」
この結論を引き出すことになかなかの時間をかけた。これだけでも作戦の甲斐が有ったこととしよう。それと1つ言っておきたいことは……
「四つ目ジジイは和室の方が似合ってたぞ」
「どちらかと言えば私はババアだよ」
嫌味が通じない所も面倒だった。
塔:輪廻をぐるぐる回すことで最終的に式神を進化させる。その際に溢れ出す余剰エネルギーを扱える。イメージは核融合。呪力や反転術式のエネルギーというよりも、術式の世界が産出する独自のエネルギーといえる性質。これで満たした力場に入るのは五条悟でも困難だった。領域で空間ごと術式範囲にして術師を押さえるのが最善。進化の際に形成される宝塔は本来そこまで意味を持たないが、大量の式神を圧縮した空っぽの器でもあるため、シナズはそこに無量空処の情報処理を肩代わりさせた。すぐにキャパオーバーになってしまうが、猶予は生まれる。
無量空処:脳へ情報を流し込むという解釈。0.2秒間喰らえば、半年分の情報が入るぐらいの大容量データ。呪霊の脳には効き目が弱いことはジャンプの巻末メッセージにて判明している情報。シナズの情報処理は複数の中枢神経系から成っており、そこへ注がれる情報を『塔』の副産物に肩代わりしてもらった。流される情報に対して、処理の仕方が構造上人間と違うため、効き目が弱くなると解釈。無量空処を肩代わりさせるアイデアは本誌でも存在する。外縁部を見つけて領域から脱出する対策法も推奨はされないが、不可能ではない。
羂索:縫い目の中の人。高専へ環を差し向けて、あわよくば死体回収を狙っていた。花御に比べて環の逃げが上手くはないことも計算していた。
天元:色々知ってるはずなのに、何故か話さないし干渉しないヤツ。封印の情報や獄門疆などは知っているはずだし、夏油傑を乗っ取った事実も同じく知っていたはずなのに、何故か話さない。原作で何か説明があるかもしれない。"縛り"の可能性もある。五条悟の封印自体は危険視していた素振りを見せる。実際に封印手段を知っていたとして、渋谷に五条悟を送らないという選択肢が取れたかは別。人の心までは分からない。人間だった時の性別は女性