まずは現状について把握しなければならない。未だこの体は不自由であるし、昼夜の区別がつかないのだ。起きる時間は真夜中だったり、あるいは昼の只中だったりする。そもそも規則的な睡眠を取らないためである。
しかしそれでも有り余る時間は、もっぱら百足の操作をしている。するとこれがなかなか面白い。自動操作に切り替えると僕の周囲で待機し、操作をマニュアルにすれば結構遠くまで動かせる。あくまで感覚ではあるが、マッピングの真似事をするように動かせば、この施設内の位置関係をイメージ出来るようになってきた。移動の度に扉を開け閉めしているので、ポルターガイスト現象の噂が立つのも時間の問題かもしれない。
先の病院にいた新生児達とは離れてしまったが、彼ら彼女らには恐らく親がいたのだ。しかし病院にとって僕の存在は、突然置き去りにされた乳幼児。それもまだへそが凹んでいない状態から、生後1週間以内だという予測がされたはすだ。そんな僕を保護してくれただけでも有難かった。その感謝とは関係なく、この体はミルクの催促で泣き喚いてしまったが。続いて児童養護施設には保護手続きのために移されたのだろう。
僕のような捨て子──
何せこちらは産まれてすぐに母親を締め上げている。正当防衛と言えなくもないが、オカルトじみた百足の存在が面倒になるだろう。一人で自宅分娩することを悪いことと断じることはしないが、あのゴミだらけの部屋や手首の傷から、余裕の無さはよく分かった。僕を育てることが不可能であることも。
つまり、僕は病院からさらに施設へ移された挙句、戸籍も親もない赤子であるわけだ。頭にある知識としては衝撃を受けるような出来事だったが、この身体ではそんな高等な思考は回らなかった。今の喜びの感情は、僕の知識にはない未知の力と百足にのみ注がれていた。
(んー。この背もたれも悪くない。名前でもつけてやろうかな…)
ようやく首が据わってきた。恐らく生後3ヶ月程だろうか。百足に支えられながら体を起こしていると、首のぐらつきが収まっていたことに気づいたのだ。これも着実な成長である。百足の操作の精密性についても申し分なかった。この身を委ねることすらできる程に安定している。
(っ!…また
そして問題も見つかる。だいたい夕方の6時頃だろうか。何故か僕の体は──この赤ちゃんは泣き出してしまうのだ。もちろんそれは僕の意思ではない。
これは全世界の乳幼児に共通していて、生後3ヶ月頃にピークが訪れるという──
泣き喚く自分を冷静に俯瞰するというちぐはぐな状態だったが、力を目や感覚器官に凝らしてみると泣き出す真相に気がついた。
(──この力だ。僕や百足にあるこの力の気配が周囲で強くなる。その時間が夕方時なんだ。)
母体の中にいた時に周囲に感じた力や、この百足に宿っている力に似ているが──嫌な感覚を与えてくる。それを感じ取ったこの体が泣き出してしまうようだった。傍から見れば単なるグズりや夜泣きだ。通常の知識では及ばない、この謎の力が関わっている。そして僕や百足以外でその力の気配を放つ存在をついに突き止めた。
「オ…んぎゃ…ぁ」
(……アレか)
異形だった。サイズはちょうど僕の体程だろうか。しかし明らかに声色がおかしい。見た目から予想される子供の声よりもずっと不気味だ。そして、現在僕の視覚で捉えられる色は赤、黄、緑といった感じで、まだ紫と青は上手く判別できない。この変な声のお化け?みたいなヤツは緑色っぽい気がする。活発になったそれは赤ちゃんお化けと言えるものだった。
僕と百足の視線に気づいたのか、よちよちとこちらへ向かってくる。今の僕は生後3ヶ月ぐらいだ。まだお座りすらできない肉体。それに比べてあちらは既にハイハイが可能!!明らかに格差があった。あのお化けがこちらを害することは確定してはいないが──その気配は明らかに有害なものだった。
僕の体で出来ることは威嚇程度、または泣き喚くこと。しかしここには百足がいる。それも巨大で力のあるヤツだ。まだ派手な破壊行動は試していないが、単純な膂力は施設内の駐車場で既に試している。サイドブレーキの利いた車を容易く動かす程のパワー。慌てて反対から押して位置を戻したが、軽く振るうだけでも人間相手には正直言って強過ぎる。顎肢をカチカチと鳴らした姿はやる気に満ちたものだった。
(いや、まずは様子見だろう。有害そうだからって、まだ危険性があるとは決まってないし。)
防御態勢を取る。と言っても、僕の体を百足の胴体でぐるぐる巻きにしただけだ。しかしこの巨大なサイズの体節には、見るからに硬そうな甲殻が備わっている。下手に百足を飛び出させるよりも、体に纏わせた方が良さそうだった。そしてその選択は──
「──ッ!?」
迷いなくこちらに噛み付いた。表情は正気には見えない(元からだが)。ガジガジと齧り付いているが、その歯は甲殻には通らない。むしろ勢いよく噛み付けば──歯の方が砕けていた。
「ゥわぁー…ん…!」
口内から滴る血は…少なくとも赤色ではなかった。上手く判別できないため、青か紫色の可能性もある。ヘモグロビンを有していないのだろう。どちらかと言えばこの百足の方が体液の組成は近いのかもしれなかった。
冷静に考察する僕とは裏腹に、防御した方の百足はすぐに反撃を開始した。百足の武器とはすなわち毒牙。実際には胴体から伸びる脚が変化した
口には2対の小顎と1対の大顎が備わっており、通常の百足であれば、毒で弱った獲物をゆっくり噛みちぎることに使われる。しかし僕の操る百足は活きのいい異形を丸齧りすることを選んだ。五月蝿く喚くお化けとゴリゴリ齧る音。抵抗らしいものも虚しく、あっという間に腹に収まってしまった。付いていた体液も塵となって消えていく。不思議なお化けだ。
収穫はあった。このサイズのお化けならうちの百足の敵じゃないこと。血が赤くないこと。突然泣き出す理由が判明したこと…などだ。まだまだ試行回数を増やさなければならない。こいつのせいで自分が無理やり泣き出すことに腹が立ってきた。また同様のことが起こる可能性もある。百足による警戒を怠らないように決意した。
恐らく生後5~6ヶ月といったところか。百足による補助によっておすわりの姿勢もとれるようになってきた。この姿勢が安定するようになれば視界は前方へぐっと広がる。うつ伏せや仰向けではやはり得られる刺激が少ない。退屈はこの生活において天敵である。
やはり母親は終ぞ名乗り出ることはなく、僕の戸籍は市長によって登録されることになった。姓も含めて、名前も市長が決めるのだ。どんな名前になるか楽しみにしながらも、施設職員が話しかける言葉によってそれは一部判明した。タマキだ。恐らく下の名前だろう。赤ちゃん相手に苗字のあだ名を付けるとは考えなかった。タマちゃん呼ばわりされている。
そしてついに離乳食が始まった。これはとても喜ばしいものだった。未だ喃語──意味のない赤ちゃんの発する声──しか口から出ないが、それが喜びに彩られていることに気づかれているだろう。僕の状態を客観視すると、虚空に向けてはしゃいだりするが、抱っこされても喜びは少ない──といった変わったものだった。味のある離乳食によって機嫌の良くなる僕の姿を見て、少しはお世話をしてくれる人も安心したはずだ。
しかし定期的な検診と最近の発育具合から、僕の健康状態が芳しくないことに気づいた。乳幼児に汗疹が出来たり、軽い風邪を引いたりする程度ならまだいいが…こちらを見る医者の目だ。アレは僕にも分かる。憐れむような色をしていた。手の平や足裏にできる水疱性の発疹。
(母…いや、あの女が持っていたんだ!!恐らく未治療での妊娠出産!!母子感染か!!)
先天性のそれが早期に発症すると、幼児の発育に重大な影響を及ぼす。本来日本では妊娠後期や分娩時に血液検査をして診断されるそれだが…僕の母親は、恐らく一度も医療機関にかかっていないのだ。早期発見と治療で防げるはずの疾患に、僕は産まれた時からかかっていた。
もちろん完全な母子感染の予防など不可能である。それに、神経にまで及んでいなければペニシリンによる治療が有効ではあった。
しかし既に病は僕の体を蝕んでいた。僕の体重だ。他の赤子よりも低いようだったが、それらを盗み見したところ、通常の発育よりも低体重であることが分かった。骨軟骨炎も同様に診断され、骨の発達に影響が出る可能性もあった。治療のためにペニシリンを筋肉注射される間、百足は妙に触角を振り回していたのを覚えている。
(どうしようもない。感染を防ぐことも僕には不可能だったんだ………クソがッ)
まともに動かない肉体と思い通りにならない成長の鬱憤は、全てお化け退治に向けられた。こちらは負の感情を垂れ流しながら睨むのだ。意気揚々と気づいたヤツらは百足の餌になりにくる。殺しても塵になってきれいさっぱりだった。日中に見えたそれらも、施設の大人には見えていないようだった。恐らくこの百足と似たような原理だろう。
百足によって鏖殺を続けながらも、今度は発熱が僕の体に起こっていた。恐らく乳幼児によくある風邪だ。母親から貰い受けた免疫が底をつく時期と重なっている。ちょうど生後6ヶ月頃だろう。その時期が最も病気にかかりやすいという。
(大丈夫。よくある風邪だ。心配いらない。薬も効いている。何ら問題は…──)
意識が薄れていく最中。妙に百足がざわめいているのを感じた。
──大百足には意思があった。それは胎盤を媒介に顕現した式神だ。この乳幼児──
環の術式は
死から帰還した経験から掴んだ呪力の核心は、式神に自立行動する知性を与えた。呪具化しつつあるその大百足は意思を持ち、術者である環を救おうとしている。
生後6ヶ月の環の命。それはもう潰えている。先程まで呪霊と戯れていたが、意識を失ったあとのこと。環は高熱によって熱性痙攣の後に──ショック死していた。その小さな体はもう動くことはないはずだった。
「──こほっ、う…うゔゔぅぅぅ…!」
百足は術式を対象に行使する。その対象は環の死体であった。死後数秒と言った程度だったが、たちまち息を吹き返した赤子は、もう一度訪れる発熱と痙攣に苦しみながら──
新たに理解した僕の異能。恐らくそれは──蘇生?だろうか。夕べの記憶はあやふやだ。お化け狩りに精を出しつつ、眠くなって寝てしまった記憶と……死の気配を覚えていた。意識が遠のくのを何度も何度も繰り返したようだった。
経験したその感覚は僕が確実に一度死んだことを理解させた。そこからの復活。流れる力を操作する感覚や百足の操作精度が明らかに向上していることに気づいた一方で、僕はこの現象を明確に畏れていた。
(この流れる力や百足とは明らかにワケが違う。死んだ者を生き返らせるなんてそんなこと……!)
禁忌だ。明らかに他と一線を画すこの力の異常性。今まで呑気にはしゃいでいたこととは別格の事態。僕はそれに──この先
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