「夏油様〜見て〜。だいぶスッキリしたよねー?」
「うん。いい感じじゃないかな。上手だね」
菜々子が器用な手つきで環の髪の毛先を整えている。彼はいつからか髪を伸ばしたままのようで、その無頓着な状態が菜々子の琴線に触れたようだった。すぐに散髪の用意をしたかと思えば、彼女はハサミで長髪をバッサリ切ってしまった。彼は特に気にしておらず、寧ろされるがままで大人しく座っている。椅子のそばには、美々子が人形を手にして静かに座っていた。彼が菜々子にカットを任せているため、髪型の是非は私の審美眼に委ねられた。
環は私達に対して、どこか一線を引いているようだった。家族といったものに親しみがないのか、あるいはそれを──拒んでいるのか。ところがあの日以降、彼は術式を惜しみなく使って、呪霊を生け捕る補助を行ってくれている。彼は非術師を嫌っている訳ではないが、救う義務感にかられるほど好んでもいなかった。彼にとっては呪霊集めも、家族の手伝いをする感覚で行っているのかもしれない。
「環は夏油様とお仕事行けるんでしょー!?いいなー!!私達も連れてってよ〜!」
「環ばっかりずるい。私達より背ぇ小さいのに」
「二人ともまだ危ないでしょ。僕はシナズもいるけど……そんな遠足みたいに楽しいものじゃないから。ですよね夏油さん」
好き勝手に言い合いながらも、3人の仲は良さそうだった。環は彼女達が排斥されたことを感じ取ったのかもしれない。美々子と菜々子は、環の見た目やシナズを扱うことの異質さから目を背けずに接していた。お互いにどこかシンパシーを感じるのだろうか。微笑ましい光景の中、歳相応に嫉妬する彼女達への説得に私も加わった。
「そうだね。2人は私と環の帰りを待っていてほしいんだ。人それぞれ得意分野は違うから、まずは自分のペースで成長していくこと。そして1つずつステップアップしていこう。分かってくれるかい?」
「はーい!」「はーい」
「夏油さんの言うことには二つ返事だよなぁ」
散髪が終わって彼は2人に詰め寄られていた。確かに彼は少しばかり2人よりも背丈が小さいが、それについて指摘されても彼が怒ることはなかった。シナズを使いひらりと身を翻して逃げている。ムキになって追いかける2人の声色に悪感情はなく、壁を走る彼の表情は和やかだった。
環は産まれてすぐ棄児になり、感染症と免疫低下のせいで幾度となく死を彷徨ったと聞いている。未だ残る痣も目立つ位置にはっきりとある。しかしそれを気に病むことなく、健やかに育ってほしいと、ただ願うばかりだが──
(──あの術式を持っている彼には、せめて幸福な未来があってほしいものだ。効果が蘇生だけであっても、呪術界は血眼で探し出すだろう。死を覆す異能だ。彼の未来を守るために……
「"仮想怨霊"について、環は知っているかな?」
「怪談とか伝説……怖い話といった有名なイメージへの負の感情から生まれる呪霊のこと。ですよね」
夏油さんは益々呪霊集めに奔走していた。季節毎に人間の負の感情が強まることもあるが、災害等によって平均的に呪霊の数が増えたためだ。彼はより多く、より強い呪霊を取り込むことに尽力していた。
それについて行く僕も共に過ごす時間が増えた。死を奪って──取り込んで。その繰り返し。呪霊ばかりの相手じゃダメだと、夏油さんに挑むこともあるが……彼の体術には歯が立たなかった。シナズを躱して懐に入られると、僕の矮躯で対応するしかない。呪力量は褒められるほど多いらしいが、それも使いこなせなければ意味がなかった。
体術に呪霊操術の手数が加わるのなら、まさに特級に相応しい強さだ。僕がそう確信する実力があってもなお、彼はさらに呪霊を求めている。その求道心の強さには思わず瞠目した。
いつも通りの呪霊集め──のはずだが、夏油さんが質問したその仮想怨霊が次の狙いなのかもしれない。彼は続けて標的の情報を共有していく。
「九尾の狐さ。古くは中国古代王朝から伝わったそれだが、海を渡って日本にまで遥々やってきた妖狐。平安末期から語り継がれたその化身こそ──
玉藻前。正体を見破られて石になった伝説ぐらいしか知らない。仮想怨霊として顕現すればその強大さは計り知れないだろう。特級相当の呪霊だ。それを取り込むために夏油さんが動く理由も知れた。呪詛師として生きる彼は呪術規定の処刑対象である。そんな彼が呪霊狩りを手伝っているこの状況は、なんだか奇妙な感じがした。
「そんなに夏油さんの情報網は広いんですね……もしくは高専が人手不足なんですか?」
「はははっ!確かに年中人手不足だったね。でも今は好都合だ。顕現していれば、並の術師を派遣しても屠られるだけだろう。
そんな偶然と都合が重なって、夏油さんは特級呪霊捕獲に向かうことになった──
殺生石の伝説は確かに各地に残っている。しかし最も恐怖の感情を集めるような場所といえば──那須における温泉地を指すだろう。そこでは火山性ガスが噴出し、人も獣も等しく命を奪われる死地として知られていた。向けられた畏れの感情は呪力となって蓄積し、仮想怨霊として顕現する。殺生石の言い伝えと温泉地帯の目立つ岩石。非術師の伝承とイメージで結びついたその地はまさに──彼女の領域と化していた。
「……明らかにいますね。それも──」
「──ああ。危険地帯として閉鎖し、区切った土地の外縁それ自体が外殻となっている。こちらからは見えないけれど、確かに生得領域を形作っているね。こんな芸当ができるのは間違いなく特級だ」
立ち入り禁止の立て看板の向こう側では、見えずとも呪力が感じられた。こちらから柵を跨いで行くことで、あちらに入ることが可能だということも同様に。早速夏油さんが呪霊操術で操るのは──顔が二つある縦長の呪霊だった。一見戦闘能力は低そうだが……何か術式にタネがあるのかもしれない。
「万が一に備えて、簡易領域を展開できる呪霊を複数ストックしてある。もちろん本物の領域に真っ向から対抗できるものではないけどね。私の呪力で強化し、君の術式で生かしておけば、時間稼ぎにはなる。そしてその隙に──」
「──手数と物量で押し切るんですね。でも、一見開けたような領域で……長い間、空間に術式を付与している可能性が?」
「領域展開が可能な訳には恐らく、生まれた土地特有の効果が関わっているはずだ。あまり長く領域を維持することは困難だろうし、必中効果を使わない"縛り"で成立させている可能性もある。まずは……小手調べかな」
柵を飛び越えて殺生石の側へ。境界を超えたことでその領域内に入った感触が得られた。視界には岩石転がる山の岩肌が見えるはずだが──そこは和室内であった。
「──っ!!これが領域……!!ホントに空間が違うや……って、アレ?」
夏油さんの姿は見えなかった。領域内に入ると基本的に外縁部が分からなくなる。結界内の空間は術者の条件次第で決めることが可能だ。中に閉じ込めることで確実に仕留めたり──分断すれば各個撃破できる。夏油さんの心配はいらないだろう。それよりも目の前にいる……
「……コイツか」
一見すると十二単を来た女性だ。口元を袖で隠した雅な仕草。しかしよく見れば目が四つある。顎はしゃくれているように大きく見え、口は裂けたように横まで広がっていた。素足にある指は四本。そのおぞましい呪力の質と雰囲気はどう見ても呪霊だった。傍らに呪力が集まり始めた。そしてすぐに──
「──っシナズ!」
閃光と轟音。巻き付けていたシナズとは離れていない。甲殻が呪力を上手く地面へと弾いていた。続いて現れる呪力の渦。九つの渦は連続して放たれた。シナズの歩肢による爆発的な加速。
「やっばっ!──物量でっ!……攻めるのはっ!ずるい!!」
弾く。避ける。少しずつヤツへと近づきながらも、光は連続して瞬く。まずはシナズの射程に入れなければ攻撃が出来ない。ふわふわと重力を無視して浮く呪霊を睨みながら、更に加速。胴部を伸ばせば──
「──届く!!」
シナズの頭部は呪霊の体にめり込んだ。傷口を広げるように胴部がのたうち、最後は腹部を切り裂いた。傷口から紫色の血が流れたが──すぐに塞がる。効き目を確かめようにも、呪霊の顔は表情が読めない。
(シナズでこまめに削るべきか……?それとも夏油さんと合流?どうするか──ッ!?)
襖を破って現れたのは大きな口。アレは夏油さんの呪霊だ。巨大な芋虫型の呪霊はそのまま玉藻前を飲み込んだ。
「助かりました。夏油さん」
「少し遠くに飛ばされていたみたいだね。再会を喜ぶのもいいけど──まずはアッチが先かな」
芋虫の腹が瞬く間に膨張して……破裂する。紫の血飛沫の中から、着物姿が飛び出した。未だ呪霊は健在であった。しかし夏油さんとの合流は成功した。あちらは呪力による攻撃がメインのようだ。ここからは夏油さんの術式で押しつぶせる。術式の開示──それによって彼はさらに術の威力を高めていた。
「各々に刻まれた術式の奥義とも言える技。それを極ノ番と呼ぶ。私の場合は──」
ドスッ
「──ぁ?」
胴を貫いた呪力。それは横から放たれていた。隣に立つ夏油さんはこちらに手のひらを向けており……グズグズと溶けて形を崩していく。残ったのは金色に輝く獣の尾。それはふわふわと浮いて玉藻前の下へと戻っていく。あの女型の呪霊は表情を変えずに、裂けた口で僕を嘲笑っていた。周りに浮かぶ呪力の渦は光量を増していく。
(変身?夏油さんの偽物?まずい。シナズで防御して──)
降り注ぐ呪力が頭を貫いた。
百足は頭が取れてもしばらく生きる、という逸話がある。百足の属する多足類は、中枢神経として胴体の前後に走る軸索を左右一対有しており、軸索の間には神経節が一定間隔で存在している。その神経系の形をはしご形神経系と呼ぶ。頭部にある神経節が融合したもの──脳の他にも、食道を囲むような形の食道神経環や、軸索の間にある神経節など、百足の体には分散した情報処理システムが複数備わっている。頭部がなくてもしばらく生きているかのように振る舞う理由は、それらの独立した神経節が体を動かしているためである。
人間の有する巨大で複雑な脳神経を損傷すれば、体を動かすことはたちまち不可能になる。自立神経の中枢である脳幹が傷つけば、心臓の拍動や呼吸といった生命活動の停止、すなわち──死が待っている。
環の頭部を狙った呪力は、的確に眉間と鼻の中間地点を貫いていた。そこに位置するのは脳幹であり、環は貫通によって当然即死している。続けて放たれた呪力は彼の首、右肺、肝臓、心臓といった主要な臓器及び大動脈の通る位置を貫いていた。玉藻前は確実に環を仕留めていたのだ。
一方、呪力で防御したシナズは、同じく頭部を撃ち抜かれながらも未だ生きている。呪力によって形作られた仮想の神経節はまだ多く残っていた。シナズは巨大な神経系を有するが故に大量の情報処理もまた可能であった。
守るべき者を呼び戻すため。シナズは演算を始めた。呪力同士をぶつけることで生成されるエネルギー。既に知識として得たそれを再現するためには緻密な呪力操作が必要だった。術式によって死から呼び戻すと同時に、反転術式による治癒を終えなければならない。
領域内に付与されていた術式は、侵入者の持つ経験知識を術者へと与える効果を持っていた。無害な必中効果であることが領域を長く保つ"縛り"として働き、結果としてこの結界条件を成立させていた。効果によって得た情報から、環とシナズが
「!!」
腹を破って飛び出たのは──
血を吐き、体勢を崩した玉藻前の顔めがけてそれは噛みついた。顔に纏わり付いた百足はしばらく呪霊に食いついていたが、遂には袖で叩かれ地面へと落ちる。落下地点に降り注ぐ呪力が百足を粉々に砕いたところで感じたのは──膨大な呪力の気配。
死から還る術。その本領は対象を揺籃へと変えること。肉体に魂をへばりつかせた不死の肉を贄として産まれるものこそ──
死の淵から帰還するのは三度目。起き抜けに顔を撫でたのはシナズの触角だった。触れ合いたい気持ちもあるが、まだ敵は近くにいる。起き上がって顔に手を当てれば──そこには傷一つなかった。土壇場の只中、自立行動する式神で反転術式のアウトプット。全てはシナズのおかげだった。傷ついた顔面を修復した呪霊がこちらを見る瞳には……恐怖の感情が見て取れた。
「なんだ。意外と分かりやすい」
呪力が僕の左上腕を貫いた。ちぎれ飛んだ腕をシナズの口が捕らえたところで、術式を行使する。死に際で摑んだ術式の本領。蘇生も不死も単なる下拵えに過ぎなかった。産み出されるのは不死の百足。
『
左腕の傷口断面から生えたのは百足の群れ。切り離された左腕は既にシナズが投げつけている。その肉塊は百足へと変わりつつあった。投擲と同時に呪霊へ向かって走り出す。呪力操作の感覚がまるで違う。肌で感じる呪力も、術式の行使も今までとは別格だった。
「あっはっはっはっ!!」
腕に生やした百足の群れを束ねて伸ばす。犇めく光沢は全て不死の百足によるものだ。飛んでくる呪力の攻撃は全て避けて無為に終わる。目を瞑っていても今の僕なら分かるだろう。伸ばした大量の百足が玉藻前の足に絡みついた。そのまま地面へ──叩きつける!!
「──ふんっ!!」
落下地点へ殺到する百足の群れを吹き飛ばして呪霊は起き上がった。百足が絡みついた足首。そこから新たな百足が皮膚を突き破って顔を出し始めている。呪霊が足首へと呪力を放つ間に──
『
投げられた左腕だったもの。そこから弾けるように飛び出す百足の群れが呪霊に降り掛かった。こちらの傷口断面からもさらに群れを差し向ける。時折放たれる呪力もそれ以上の物量で圧倒すれば問題はなかった。一際大きな呪力放出を最後に、呪霊の抵抗は終わったようだ。
不死化した頭だけ残すように指示すれば、山盛りの百足群から死に体の呪霊が顔を出した。右手で生首を受け取りつつ疑問を口に出す。
「ありがと。ところで君達はどうしようか。術式解除で消えるのかい?」
百足で構成された河が今度はこちらに迫ってくる。大群は身構える僕へ反応を返さずに、そのままシナズに近づいて──口内へ飲み込まれていった。
「へぇー。そうなるのかー。どんどん入るね」
全匹揃ってシナズに収納した所で領域は解除された。離れたところに立っていた夏油さんは、何か得心のいった表情でこちらへ歩いてきた。玉藻前の頭部を渡すついでに、今回の収穫についても触れておく。
「夏油さんも会いましたー?玉藻前の尻尾。化けて出てきませんでした…か……何か面白いことでも?」
「ふふっ。いや、悪いね。私も既に七尾分を集めたよ。残りはこの頭だね?どうもありがとう。おかげで助かった。君の左腕は──何とかなりそうだね」
左腕があった位置には百足の長い胴体。既に術式で生やしたそれは腕の長さくらいに調節を施した義手ならぬ──ムカデ腕だった。夏油さんには笑われてしまったが、なかなか気に入っている。
「あ!そういえば、夏油さん夏油さん!!シナズが僕に対して反転術式使えたんですよ!凄くないですか?僕も試したら腕の傷口塞がったんですよ!」
「それは素晴らしいね。反転術式を成功させるだけでも指折り。さらにアウトプットまで可能であれば、間違いなく稀有な才能だよ」
賞賛を受けてから、自分が少しハイになっていたことを自覚した。しばらく呼吸を整える。続く彼の言葉に耳を傾けた。
「それに──何か掴んだみたいだね。明らかに先程とは別物だ。術式について何か理解を深められたかい?」
「ええ。それはもちろん。良ければすぐにでも試しますよ!!」
窘められてすぐ帰ることになった。まだまだ興奮が収まらないことも全てお見通しのようだった。
不死化ステップ→ムカデ発生ステップ→ムカデ操作ステップの流れです
ムカデからムカデを生やすことは出来ないこともないですが、正直意味はありません。呪力が減るだけで頭数はプラマイゼロになります。
サイズや縛り、術式に流した呪力量によって色々調節は効きます。
ムカデ君は小さくても低出力なら術式を使えます。不死者からムカデが産まれ、ムカデが不死者を造るループが可能です