歩肢の擦れる音。パキパキと小さなそれでも、積み重ねれば耳障りなものになる。百足で構成された大河の向かう先は、緑の肌を持つ巨大な人型だった。一見すると軽装の落ち武者といった
呪霊は腰に差した刀を抜き放つ。地表を這うように低く呪力が放出された。先頭の百足から順に体節が砕かれていく。斬撃による破砕が河の中腹に差し掛かったところで、一際大きな金属音が響いた。
「1級以上。術式と武装も考慮すれば特級に差し掛かる……かな?出力も高いし、良い手土産になりそう」
黒々とした巨大な甲殻には鈍い光沢感があった。先程の金属音はシナズの甲殻が呪力を弾いたものだ。脱皮を繰り返した外殻はますます硬く頑丈になっている。そのシナズが体内に隠していたのは──百足の群れ。口から大量の百足達を一斉に放出した反動が、胴体を少しくねらせた。
呪霊は弓に矢をつがえてシナズの口へ狙いを定める。武者らしく武芸は一通り備えているようだが、新たに供給された群れは派手な陽動だ。既に僕の左腕から伸びる百足達は大きくしなっており、溜めた力の解放を待っていた。
『
振り抜かれた百足の鞭は、呪霊の左手と弓諸共を打ち砕いた。苦悶の表情をすぐに憎悪のものへと変え、呪霊は袈裟斬りを仕掛けるが、既に
百足はまるで並縫いするように呪霊の肉を食い散らかしている。潜っては顔を出す。その繰り返しだった。傷口からは新たな百足が顔を出し始め、その百足を引き抜こうと焦ったところで、群れの増加はもう止まらない。
「ほいっ──と!」
軽い掛け声で膝裏に打撃を打ち込めば、簡単に体勢が崩れた。続けてシナズが重殻を胴へ打ち付けることで、もんどりうって倒れる呪霊。即座に呪霊の手足へ巻きついたシナズが、まるで堅牢な拘束具のように抵抗を押さえ込んでいる。あとは呪霊の体が百足の山へ変わるのを待つだけだった。
「コイツも特級…か……」
百足の犇めく音が呪霊の叫びをかき消していく。それを後目に先日の言葉を思い出していた。特級の強さ。その等級に分類される呪霊の実力は、玉藻前からこの武者型のものまでピンキリのようだった。呪霊と呪術師の等級を分ける基準は別物である。その上で、術師を特級たらしめる所以はまさに埒外の──
「特級呪具
夏油さんが持っている芋虫形の呪霊。物体を飲み込んで収納できるようで、彼はその呪霊に様々な道具を詰め込んで便利に使っていた。口から吐き出されたその三節棍は特級呪具に相当するものらしい。呪具や呪物、そして呪霊や呪術師にまで等級が分類されており、特級はその中で最も高く定められている。
「呪具と呪物は、その効果や質が1級よりも上であれば特級に区分される。呪霊の場合は呪力や術式等を考慮した上で、同様に1級呪霊と比較される筈だ。祓除を行う現場の判断もあるだろうけどね。しかし特級呪術師の認定においては訳が違う。これだけは明確な基準があるんだ。何か分かるかい?」
「シンプルに強い術師とかじゃないんですかね。えーと……権力?もしかして、強くて偉い人!?」
「くっくっ。特級術師に権力か。あったら面白いだろうね。好きに呪術界を動かすフィクサーになれるかもしれない」
どうやら回答は的外れであったらしい。しかし何やら夏油さんはお気に召したようで、くつくつと笑っていた。今回は呪具を見たり等級のことについて講義を受けたりしているが、いまいち会話の要領がつかめない。
「正解は──"単独での国家転覆が可能であること"。これが認定条件だ。……あまり名誉なことではないかもしれない。国盗りの力があることは疎まれるものだからね」
夏油さんが特級術師たる所以。呪霊を大量に収集し、無数の呪霊を指揮することが可能な彼には、国家転覆の実現可能性がある。それ故に非術師の皆殺しを夢見ることが出来るのかもしれない。そしてその話を僕にした理由は……
「ここからが本題。
「……はい。対象を不死にしたうえで、その肉から式神を創れるようになりました。」
真剣な表情だった。僕の術式について別に隠そうとは思わないし、夏油さんがその気ならもっと徹底的に蘇生の力を利用している筈だ。家族として彼を信頼している──と言った方がいいのかもしれない。だから僕は術式の本領を説明しても構わなかった。
「式神がまた新たに不死者と式神を創る……君が呪力を消費するタイミングは二つ。自ら術式を行使して式神を創り出す時と、式神へ新たに命令する時。仮にねずみ算式で式神を増やそうとすれば、莫大な呪力が必要になるはずだ。ところが君の式神自体の呪力は、媒体から補完しているようだね。式神は自己補完した呪力を扱うことになる」
「……理論上は量産が可能なだけです。そんな派手に式神を増やすこともそうありませんし」
今まで増やした他の百足もシナズと同様、自立行動が可能なことは確認していた。大量の式神は大雑把に命令しておくしかないが、新しく産まれた式神もその命令には従ってくれる。それに──自ら術式を行使する時には自身の呪力が必要だが、式神が術式を行使する際に僕自身の呪力は
「──1体の式神を人混みに放り込む。下す命令は『式神を増やせ』というものだけ。あとは人間と呪霊の肉が百足へと変わっていく様を眺めるだけで事足りるだろう。まさに災害だよ」
「……僕がそんなことを引き起こすと?」
「いいや。私は家族として──君の
夏油さんはその先を口にはしなかったが、だいたい分かった。呪術界で僕は危険人物扱いされるようだ。今は高専関係者でないことを喜ぶべきだろうか。しかし僕が文字通り死ぬ気で得た力だ。それを怖がるのは勝手だが、厄介払いで消されるのも望んではいない。ちゃんと死にきれるかも分からないのに。
「息を潜めて見つからないように祈ればいいんですか?流石に違いますよね」
「祈っても意味はないだろうね。それ程の能力は確実に知れ渡るさ。幸いなことに君が取れる手段は幾つか挙げられる。例えば、首輪をつけられ管理されるか、支配すら跳ね除ける強さを持つか……」
夏油さんは家族に誠実で親身だが、非術師の殺戮による術師だけの世界を夢想している狂人でもある。彼は過去に特級術師の認定を受けており、その経験からのアドバイスを僕に授けてくれていた。家族として──呪詛師として。
「強くなればいいんですね。誰も手が付けられないくらいに」
「それも悪くはないが……君がどの選択をするかが重要なんだ。選択肢はまだ他にもあるし、君が望むなら真面目に呪術師として世のために働いてもいいんだよ」
「呪術師として夏油さんの邪魔したら、例え僕でも殺すでしょう?」
「未来ある若い呪術師。特級の原石たる君を殺すことはしないさ。相手をするとなれば、かなり手を焼きそうだけどね」
皮肉げに笑いながらも、術師としての僕が自ら選ぶ未来を重んじているのだろう。誠実な彼だからこそ、僕が目覚めた術式の重大性を説いてくれた。その力をどう扱うか、本気で案じているのだ。僕の選択が夏油さんの理想と相反すれば、否定はせずとも大義を優先する。彼はそういう人だった。
「それじゃあ……夏油さんを隠れ蓑にして、その間に強くなります!」
「ははっ。期待しておこうか。まずは呪霊集めで経験を積むといい。今すぐ
夏油さんの理想である術師だけの世界。その手伝いをしようとすれば彼は制止の声をかけるという。彼なら喜んでゴーサインを出すかと思ったが、首を傾げる僕を見ると、続けて理由を述べてくれた。
「不思議かい?私はそこまで焦っていないさ。君がテロを起こしたとしても、1匹残らず式神を殺滅し、術者を葬ることができる男を知っている」
「それって……」
「──五条悟だ」
「──!!」
百足の群れが弾き飛ばされる。緑の落ち武者は無造作に斬撃を放ってシナズ諸共全てを吹き飛ばした。立ち上がった呪霊は体の所々から百足を生やしている。しかしその三つの瞳は確かに闘志を保っており、肩にかけた抜き身の大太刀には別格の呪力を纏わせていた。
「そりゃ簡単には終わらないかっ──!?」
三連撃。全て回避する選択をとった。合流したシナズの体節部からは体液が滴っている。正確に弱点を突いていたとしても、シナズを傷つけるレベルの斬撃だ。まともに受ければ僕の体じゃ持たないだろう。呪霊は太刀を逆手に持ち、地面に突き刺して──呪力の衝撃が走った。
「ははっ!!チビ用の技もあるわけだ!!」
点ではなく面を捉える無差別攻撃が僕の体を叩いた。飛ぶ斬撃に範囲攻撃まで備えているときた。今呪霊の体にへばりついている、小型百足の侵食では出力不足のようで、呪力で弾かれ少しずつ押し負けている。物量に対して圧倒的な質の暴力で対応する──
「雑に術式を使うな……丁寧に丹念に練り上げて……!!」
右拳に呪力を集中させる。呪霊は大太刀を上段に構えた。僕の背丈は小さく、フィジカルには恵まれていない。呪霊との体格差は歴然だ。それでも、呪力量と死への理解ではこちらの方が勝っている……!!それに僕には──
「──シナズ」
金属を削るような音。振り下ろされた刀の軌道は黒い甲殻によって逸れた。最も硬質な頭部の外殻で斬撃を受け流している。それでも尚、いくらか体液が滲んでいるが、十二分な隙が出来た。狙いは鎧が堅く守る胴体。叩き込みやすいそこへぶち込めば──黒い歪みを知覚した。
(黒っ!?──いや、調子は寧ろすこぶる
返す刀を曲芸じみた宙返りで躱す。少し掠ったが動きに支障はない。僕の足首を掴んだのはシナズの歩肢。しなる胴体の動きが僕を振り回す。遠心力を乗せた打撃を──もう一発!!
「もう抵抗出来ないでしょ」『死蟠輪廻』
直接触れての術式行使だ。体力も削ったし、ロクな抵抗は出来ないだろう。瞬く間に百足の山が呪霊を覆っていく。2回も打撃が黒く光っている。呪力にはまだまだ謎が多いようで、さっきの打撃の感覚や威力はまるで別物だった。
山から吐き出された頭部を受け取る。呪霊はまだ生きているようだった。軽い封印処置を施して手土産にする。なかなかの出力だったし、これで夏油さんも喜んでくれるだろう。シナズはまた群れを口内に格納している。体積を無視しているかのようなその収納術が気になるが、百足以外は受け付けないようだった。
「あ。おかえりー」
「ただいまー。夏油さん見なかった?」
出迎えたのは菜々子だった。いつまでも特級呪霊の頭部を持っておくのは気が引ける。早く夏油さんに預けたかったので、施設内を訪ね回っているが中々彼は見つからなかった。
「多分猿から集めてると思うよ。金か呪いのどっちか」
「そっかー。暇そうだったら声かけてみる」
夏油さんは非術師を人間として見ていない。呪いを祓うと嘯いて、金と呪霊を非術師から搾取する。正直興味は無いため、いつもならば見に行くこと等はしなかったが、今は封印した呪霊を持ち歩いている。厄介事を避けるために仕方なく、収集専用の一室を訪れた。彼は非術師と家族が関わることを好まないため、僕達との隔離を怠らなかった。
「……だ、だすけでぐれる゙って──」
小さな声。濁った声色から、泣いている女だと予想を立てた。扉を隔てたそれはどこか聞き覚えのあるような声……とりあえず呪霊だけでも預けて、さっさと退散しよう。そんな考えで引戸を開けると──
「……あ?」
「え゙?」
思わず間抜けな声が出た。女には呪霊がまとわりついている。恐らく2級程の実力に見えるそれは、やけに女へ恨みを募らせているようだった。見た目は紫色の赤子──いや、胎児だろうか。臍の緒がついており、女へと繋がっている。それが四つほど。繋がりから注がれる呪いにあてられているみたいだ。夏油さんが取り込むはずだから、僕には関係ないことだが。
「あ、あかちゃんがぁ!!アタシ呪われてんの!!何回か堕ろしただけなのにぃぃ……」
(……やっぱりタイミング悪かったなぁ。さっさと手土産の方を丸めてもらおうか──)
「きっとアイツ!!さいしょに産んだアレ……!!あの気色悪いヤツが呪ってんのよぉぉ!!」
……髪は黒くなっていた。掠れた声はそのまま、いやもっと酷くなっているかもしれない。20代と言って通用するような見た目から、
「███!!███!?」(だずげろ゙よ゙ぉ!!あんたもみてないでさぁ!?)
口ぶりと呪霊の憑き方から、僕の兄弟達はこの世に産まれることは出来なかったようだ。一般人が創ったそれが2級呪霊になるまで膨れ上がったこと。1人で拵えたのならまったく大したものだ。ごちゃごちゃと五月蝿く喚いているが、
「夏油さん。この呪霊取り込まないでもらっていいですか?多分この後消えちゃいますけど……代わりにお土産あるので。結構強い呪霊ですよ」
「████!?███!!███████!!」
「珍しい。君がここに来てそんなこと頼むなんてね。雰囲気も変わったようだ。何か面白いことでもあったかい?」
土産話に花を咲かせる。呪力が黒く光ったことや呪霊の強さなど語りたいこともあるため、部屋を出ながら話を続けた。喚く鳴き声もしばらくすると聞こえなくなっていた。呪霊の穏やかな消失反応とともに、静かな一室へ戻っていく。
今回で環君が夏油さん程狂ったなんてことはありません。ほんとです。