大人になった生徒たちが先生の時間を頂く話   作:アラベスク@arabesuque_38

1 / 23
OL早瀬ユウカの憂鬱

 ガヤガヤとした騒めき。耳に入ってくるのは、言葉として認識できないような音の塊だけ。喧騒がまるで壁のように、私の周りを覆っていた。ひとつひとつはちゃんとした意味を持つのだろう。ただ、ひとたびそれが混ざりあってしまうと、ただの雑音として処理されてしまう。

 アフター5、ピーク時の居酒屋なんてそんなものか、なんて斜に構えて長テーブルの一角で頬杖をついていた。

 

「早瀬さん、飲んでるぅ?」

「ええ、いただいてます」

 

 カランとテーブルの上に放置していたグラスが音を立てる。同じ課で勤務する同僚がいつのまにやら隣の席に滑り込んできた。ここ数年で作り慣れてしまった仮面を被る。こんなのでも部内では評判がいいのだからおかしな話だ。

 アルコールを帯びた息。酩酊とまではいかないだろうけどそこそこの量を飲んでいる赤ら顔。事あるごとにこうして私にちょっかいをかけてくる、厄介な同僚の横顔を内心うんざりしながら見上げた。

 ミレニアムサイエンススクール、生徒会「セミナー」所属。そんな肩書を持っていた頃とは違い、私も『彼』と同じ『大人』と呼ばれる年齢になってしまっていた。

 

「俺さぁ、前々から早瀬さんのことイイと思っててぇ」

 

 ──ええ、知ってます。

 時折感じる視線。昔からよくからかわれていた他の人よりも肉付きのいいふともも。それに支えられて大きく育ったお尻。そして、程よく実ってしまった胸。私を構成する女性的なパーツを嘗め回すような視線。それを貴方からはよく感じていますから。

 

「一緒に飲まない? 新しいの頼んでさ、飲んでいる間だけでいいからお話しようよ」

 

 私の手元にある空になったグラスに目を向ける。このような場で私がノンアルコールしか頼まないことをよく観察している。酔っているようで、獲物を狙う肉食獣のような視線は残したまま。

 これで部内では人気者だというのだから他人の趣味はわからない。まぁ、多少は顔が良いのかもしれないし、課内の女性陣が黄色い声を上げるくらいには甘いマスクをしている。

 細やかなところに気が利くところも評判がいいところなのだろう。まぁ、私のタイプではないので正直どうでもよかった。もっとも……私自身、大手を振って自分の趣味がいいなんて喧伝できないのだけれども。

 ────あの時は本当に、何回も「なんでこの人を」なんて思ったのだから。

 

「……いいですよ? ただ、飲んでいる間だけ、ですからね?」

「うわ、マジ? やった、今日の俺ラッキーかも」

 

 無邪気に喜ぶ同僚を目の端においてささっと注文を済ませた。テーブルの下で相手に見えないように、こっそりメッセージを送る。

 

 ────文面? そんなの決まっているじゃない。

 

『先生、ちょっとお時間いただけますか?』

 

***

 

「せーんせっ♡」

 

 急遽呼び出したにもかかわらず、嫌な顔ひとつせず佇んでいる人影に飛び込む。腕に胸を押し付け、絡みつくように抱きついた。後ろから追ってきた件の同僚の顔が落胆にくすんでいくのが視界の端に映り込む。ふふ、ざんねんでした。

 あの後、店員が運んできたメガジョッキのビールを一気に飲み干して「この後予定があるので失礼しますね」と言って店を飛び出した。みるみるうちに減っていく黄金色、呆気に取られる男の顔。ものの数秒で空になったジョッキを叩きつけた。

 ……これで諦めてくれたら話は早いのだけど、と思いつつも噂に聞く彼のしつこさに念には念を入れておく。

 ────もう生徒じゃないのに。こんな風にすぐ駆け付けてきてくれる、だからみんなあなたに狂わされるんです。

 

「だから私はもう先生じゃないって」

 

 首の後ろに手をやってへにゃっとした笑みを浮かべる長身の男性。鋭い視線を私たちに向ける同僚を見て、なんとなく事態を察した彼が私の腰に手を回す。力強い男性の腕。きゅん、とおなかが疼いてしまう。慣性のままに、彼の胸へともたれかかった。

 その手慣れた仕草に胸の奥がくすぶるけれど今は見なかったフリをする。鼻にかかるような甘えた声で彼に縋り付いて、振り返った時には同僚の姿は見えなくなっていた。ふふっ。計算通り、かんぺき~♪

 

「せんせいはせんせいなんですぅ~」

「ああ、さてはユウカ。酔ってるね?」

 

 別に、お酒は飲めないわけじゃないけれど。甘え上戸な私は滅多に人前で飲まない。それに、このことを知っているのは私を含めて数人しかいなかった。そのことを知っている数少ない一人にもたれかかる。

 酔うと理性よりも本能が勝ってしまうのは、件の同僚と同じ穴のムジナ。

 ──別に……それでもいいじゃない。私は酔っていて正常な判断ができない。安全に帰るためには少し休んでいかないといけない。ちょうどあそこに都合のよさそうな休憩できる場所がある。合理的な選択でしょう?

 

「──酔った勢いで、もう少し甘えてもいいですか?」

 

 私の指の先。妖しげなピンクのネオン。暗がりの中で見えた、誰よりも頼れる男の人の表情は──今まで見たことのない色に染まっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。