大人になった生徒たちが先生の時間を頂く話   作:アラベスク@arabesuque_38

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美術商清澄アキラの美学

「ふぅ……今日も疲れました」

 

 下の下。

 今日、私の営むギャラリーを訪れた客層を評価するならこうなるだろう。

 美を解そうとしない、真作か贋作かも見分けることのできない曇り切った瞳を持つ者。

 不当な権威主義を振り回す愚鈍な"自称"美術界の重鎮。

 大金を叩きつければ相手がしっぽを振るとでも思い込んでいる拝金主義者。

 

「どうしてこうも美術品の持つ価値を真に理解しようとしないのでしょうか」

 

 美術品は人の目に触れてこそ価値がある。それは昔から変わっていない私の考え方のひとつ。

 それでも、美術品をそれ自体の持つ価値に重きをおかず、ただのステータスとして扱う者たちのなんと多いことか。

 

「――……イライラしていても仕方ありませんね」

 

 ストレスをためすぎてもいいことはない。美を扱うものである以上、自身も美しくあらねば……とかぶりを振った。

 たっぷりとお湯を張った湯船にゆっくりと時間をかけて浸かる。漂わせた薔薇の香りを楽しみながら、手足を存分に伸ばした。身体の奥から疲労が抜けていくのを感じる。

 長めの入浴の後はキリリと冷えた炭酸水で喉を潤した。しゅわしゅわと喉で跳ねる泡が気分をリフレッシュしてくれる。胃へと流れ込むわずかな苦みもいいアクセントになった。

 長く伸ばした髪を乾かして、袖を通したのは丈の長い、ぶかぶかのシャツ。ボトムスを着用しなくとも事足りる、明らかに女性用ではないデザイン。首筋からふわりを立ち昇ってくる、身体の芯をくすぐるような芳香に身を震わせた。

 

「……少し、薄くなってきましたね」

 

 当初はもっと深く彼のことを感じられていたはずなのに、今となってはそれも少し希薄になっていた。

「美しいものは、真に価値を理解できる人の元へ……そうであるならば、当然私のもとにあるべきですね」

 

『先生、少々お時間をいただきに参上いたします』

 

 久しぶりに作った予告状。意図が正しく伝わることがメインのそれには――、

 

 ――いたってシンプルなメッセージだけを添えることにした。

 

***

 

「ごきげんよう、先生──素敵な夜ですね」

 

 キヴォトスの宵闇を照らすように爛爛と輝く真紅の双眸。白磁のように美しい肌とのコントラストで宝石のように煌めいていた。愛用のドミノマスクを口元に当て、妖艶な微笑みを浮かべている。

 美しく手入れされた白く長い髪がカーテンのように私の顔を覆う。パンツスーツから伸びるすらりとした手足が、ソファの上に寝転んだ私を包囲していた。視界のすべてがアキラに覆われている。

 

「やあ、アキラ。久しぶり」

 

 いつものように少し仮眠を取ろうとベッドに横になって、そのまますっかり寝込んでしまった私。アキラが来ることは予告状でわかっていたことだけれども、日々の疲れがドッと来てしまったのだろう。

 そんな私に覆い被さるような体勢の"慈愛の怪盗"──清澄アキラは涼やかに笑っていた。

 

「今宵はなんて素敵な夜なのでしょう」

 

 鈴を転がすような軽やかな声で、アキラは歌うように言の葉を紡ぐ。彼女の神秘的な美しさのおかげで寝ぼけ眼もすっかりと元に戻った。

 その所為だろうか。彼女から漂ってくる花のような芳香に気を取られてしまう。さらさらと頬を撫でる彼女の髪、しなやかな体躯、それらが私の官能を酷く刺激した。

 

「──……怪盗はやめたんじゃなかったの?」

「ふふ、やめる────と明言したわけではありませんから」

 

 クスクスと笑いながら私の頬を撫でる。

 自分でギャラリーを営むようになってから彼女の怪盗稼業は鳴りを潜めていた。その代わりに──というべきか、随分と危ない商売をしていると風の噂で聞いている。

 曰く──表のマーケットでは扱えない美術品を取引している、だとか。法外な値段で贋作を売りつけている、だとか。その一方で、ほとんど二束三文のような値段で高価な美術品を売ることもあるそうだ。

 きっとそこには彼女なりの美学があるのだろう。

 ただ、私としては自分の元生徒が危険な目に遭わないかだけが心配だった。

 

「────で。今日はどうしたの?」

「ただ、先生に会いに────ではいけませんか?」

 

 アキラがすとんと腰を下ろして私の腹部に跨った。柔らかいおしりの感触がぴっちりとした布地越しに伝わってくる。

 うっとりと微笑む彼女が私の頬をゆっくりと撫でた。まるで美術品を慈しむように、情愛を込めて。彼女の宝石のような瞳は妖しげな色を湛えていた。

 どくん、と心臓が跳ねる。

 私のことを射抜くように真っすぐに向けられた視線。ゆるやかに近づいてくる彼女のくちびるを拒むことはしなかった。

 

「今宵もあなたに────私の気持ちを届けに、参上いたしました」

 

 翌朝。

 私が目を覚ました時には既に彼女の姿は隣になく、昨日私が着ていたシャツと一緒にどこかへと消えてしまっていた。

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