大人になった生徒たちが先生の時間を頂く話   作:アラベスク@arabesuque_38

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看護師長蒼森ミネの決意

 ミネは激怒した。必ず、かの不惜身命の先生を救護せねばならぬと決意した。

 ミネには先生としての職務がわからぬ。ミネは、看護師である。必要とする者に手を差し伸べ、救護を惜しまなかった。

 けれども、救護が必要なものに対しては人一倍敏感だった。

 

 ────など、と。ここキヴォトスでも有名な古典の一節を頭に思い浮かべ、戯れに今の気持ちを乗せてみる。そんなことをしても当然状況は改善するはずもなく、諦めの感情とともに溜息を吐いた。

 テーブルの向かい側にはうつらうつらと舟を漕ぐ先生の姿。ケーキスタンドに伸ばしかけた手を放り投げ、夢とうつつの狭間を揺蕩っている。

 お互いに忙しい身の上、今日は本当に久しぶりのティータイムだった。

 

「まったく……どうしていつもそうなのでしょう」

 

 彼が疲れていることは承知の上だった。だから、今の彼の姿を前にしても怒りは特に湧いてこない。

 むしろ、そこまで疲労しているのであれば、私のことなど気にせずに休んでいただいてよかったのに──と。

 誰にでも休息は必要。それは例えシャーレの先生であろうとも平等に取るべきもの。一言、私に言ってくだされば……全てを賭して、彼の力になるというのに。

 畢竟、私が激怒している理由は単純。自らを顧みずに私を優先させたこと。そして、それをよりにもよってこの私の前で露見させたこと。

 ────あなたのことを考えると心が乱れる。ふわふわとしていて、胸があたたかくなるような感情が私を支配する。

 こんなことになるくらいなら私に心も身体もすべて委ねてほしい。そうしてくれさえすれば、私の全てを賭して先生のことを"救護"して差し上げるのに。

 

「ふふ、それも良いのかもしれません」

 

 かちゃ、と手に持ったティーカップを置く。先生のために、と隙間を縫って用意した軽食は後ほど頂くとしましょう。

 今は────目の前の方に救護の手を差し伸べるのが先決です。

 

「先生、少々お時間頂きます」

 

 救護が必要な方を、誰一人逃さない……それが私の矜持なのですから。

 

***

 

「ん…………」

 

 ────いつのまに寝ていたのだろうか。うっすらとそんな思考が脳裏に浮かんだ。視界は靄が掛かったようにおぼろげで、きっとまだ完全には目覚めていないのだろう。

 霧の中で記憶の糸を辿っていく。

 ミネからの誘いを受けて、久しぶりに彼女とのティータイムを過ごすことになった。彼女が用意してくれるティーセットはお手製の品ばかり。時間を掛けて用意してくれたであろう料理は毎回の楽しみだった。

 塩加減が絶妙なサンドイッチに簡素な味付けで素材の良さを活かしたサラダ。自家製ヨーグルトに合わせられた手作りのスコーン。

 極めつけは高級店のものと見まがわんばかりのデザート。ある時はティラミス、またある時はモンブラン。日によって変わる品々は私を楽しませてくれていた。

 

 ────徐々に視界が晴れていく。

 

 そういえばまだミネのサンドイッチを食べていなかったような……あれ、今日は結局どうなったんだっけ。

 グルグルと渦巻くように身体が捩じれ、水面へ浮上していく。周りを覆っていた霧はいつの間にか晴れていた。

 

「──……っ。ミネ、ごめん! 寝て、た……?」

 

 ハッ、と我に返って飛び起きようとする。そこで初めて自分の身体が柔らかい感触に包まれていることに気が付いた。

 身体を起こそうにも動かない。何か事件に巻き込まれてしまったのだろうか……と、おそるおそる目を開けた。

 

「……ミネ?」

 

 視界いっぱいに広がる水色の髪。いつもならキリリと力強い意思を宿す翠色の瞳は、瞼の向こう側へと隠れていた。

 私にこのような可愛らしいものが似合うのでしょうか……? と不安そうにしていた彼女に「ミネが好きなんだから、自信を持っていいと思うよ」と背中を押した、彼女のパーソナルカラーと同じ色のモコモコとしたルームウェア。

 おそらくここは彼女のベッドの中。隣でスヤスヤと寝息を立てる彼女の抱き枕として呑気に眠りこけていたらしい。

 抜け出そうにも力強く抱きしめられた身体はピクリともしない。それどころか、離れようともがくたびに抱きしめる力が強くなる。

 彼女の豊満な肢体がぎゅむぎゅむと押し付けられ、ジャスミンの甘くて濃厚な香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

 複雑な繊細さの中にわずかに動物的に感じられる独特な香り。クセになるようでいて気分を落ち着かせてくれるような芳香。ドクンドクンと一定のリズムを刻む彼女の心音とともに瞼をずっしりと重くさせる。

 ────不意に、彼女の手が私の頭を抱え出す。彼女のもっとも柔らかい部分に顔が埋められた。

 ダイレクトに耳に入ってくる原初の音楽。先ほどよりも少し、早いような気がする。それでも……顔を包み込む柔らかさと、あたたかい鼓動の前に。

 ゆっくりと、意識が闇へと落ちていった。

 

「……いつか。きちんとそのような関係になっていただいたら、こういうことも増えるかもしれませんね……ふふっ」

 

 ────視界の端に、見えるはずもない、真紅に染まった彼女の顔を。

 柔らかく微笑む、彼女の相貌を。

 見た、ような……気が、した。

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