大人になった生徒たちが先生の時間を頂く話   作:アラベスク@arabesuque_38

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マイスター白石ウタハの熱情

「流石に暑いな……」

 

 熱を帯びた電動工具の電源を落として床に置く。過熱したモーターの匂い、接着剤の鼻を突くような刺激臭に顔をしかめた。

 ごうんごうんと煩く稼働する扇風機の設定は当然ながら一番強くしている。ただし、それもこの暑さの中では焼け石に水だった。

 汚れた保護メガネを外して眉の上に溜まった汗を拭う。分厚い手袋の中もたっぷりと汗で濡れていた。久しぶりに目にするクリアな視界、暑さで歪んだ光景は別にメガネのせいではなかったようだ。

 

「少女を美しくするのは、化粧ではなく熱情さ……なんて言ってた気もするけれど」

 

 もう少女なんて年齢でもないし、こうも暑くてはそんな余裕もない。第一化粧だって汗で流れてしまうのだから。

 ようやく修理を終えたクーラーを稼働させる。かれこれ小一時間は疎遠になっていた冷気と涙ながらの再開を果たした。

 ──こんな暑さの盛りにまさかクーラーが壊れてしまうなんてね。情熱を燃やす前に、私自身が燃え尽きてしまうところだったよ。

 溜まった熱気と油の匂いを窓の外に追いやって、久方ぶりの涼を満喫する。じっとり湿ってしまった上着は身体に貼りついてしまって不快だったけれど、それでもひと仕事終えた満足感で心は満たされていた。

 

「さて……もう今日はどうにも仕事をする気にもなれないな」

 

 暑さで失った体力と身体に溜まった疲労感、空調を修理し終えた充実感でもう今日は店じまいの気分だった。

 思いがけず訪れた自由時間に、さて何をしようかなと思案する。顎に手を当てたり、額を指で叩いてみた。何かいいアイディアが浮かんできそうな気がしたのだ。

 

「──……ああ、なんだ。それでいいじゃないか」

 

 思い浮かんだのは実に合理的な選択。私の人生のQOLを上げてくれる人物の顔。

 

『先生、ちょっと時間をもらえるかな?』

 

 私という人間の心に火をくべてくれる存在。そこにいるだけで私の力になってくれる頼もしい存在。

 送信した簡素なメッセージとは裏腹に、私の心は熱く燃え上がっていた。

 

***

 

『面白いものを作ったんだけど、先生も一緒にどうかな』

 

 そんな連絡を受けた私はウタハの自宅兼工房へと足を運んだ。外は蒸し暑く、日差しも強い。まさに夏真っ盛りだった。

 うだるような暑さの中、とろけそうになりながら這う這うの体で工房に着いた。鍵は掛かっていない。ドアを開けると生き返るように涼しい冷気が私のことを歓迎してくれた。

 もはやおなじみといった感じのオイルの匂いが鼻をつく。常人にはやや強めの刺激臭も、慣れたものだ。

 ただ、今日はひとつだけ嗅ぎなれない匂いが鼻腔をくすぐる。工房には似つかわしくない甘い芳香。まるで花の蜜のような濃い匂いで────、

 

「ようこそ、先生。待たせてしまったかな」

 

 ウタハの声で思考の海から浮かび上がる。

 

「いや、今来たところだよ」

 

 薄いシャツ一枚を身に着け、少し湿った髪をタオルで押さえている彼女。「ああ、今ちょうどシャワーを浴びたところでね。さっきまで空調が壊れていたものだから」そういう彼女から、花の蜜のような匂いが漂ってきた。

 肌にしっとりと浮かんだ雫。魅惑的な芳香が仄かに立ち上る。男を惑わすようなフェロモンが私の嗅覚を鋭く刺激した。

 

「──……で、面白いものって?」

 

 纏わりつく不埒な思考を振り払い、小さくひとつ咳払いをする。

 

「ああ。ほら、これ。最新型の『嘘発見器』さ」

 

 小さなデバイスを手渡された。脈拍や心拍数を計測するのは従来通り、本人の息遣いや発汗量も検知して総合的に判断するとのこと。細かい説明はよくわからなかったけれど、既存のものよりも少しばかり高性能だという理解で十分だろう。

 

「おや、そんなにドキドキさせていたら心拍数が測れないじゃないか」

 

 背後から覗き込んでくる彼女の声は少し揶揄するような色が含まれていた。背中に当たる柔らかすぎるふくらみ、布地を一枚隔てた向こうを想像してしまう。彼女から立ち上る甘い芳香も、私の心を乱すのには十分すぎた。

 彼女の自宅にある工房はそこまで広くはない。密室状態で成熟した男女が二人、親密という言葉以上の距離感。

 

「ふふっ。もしかして先生はこの状況に興奮を覚えていたりするのかい?」

「い、いや……」

 

 ビーッ、という電子音が手元から自己を主張する。後頭部をくすぐる吐息。白日の下に晒された私の心の内を悼むように目を閉じた。

 

「そういうウタハはどうなんだ?」

 

 だからこれは少し仕返しのつもりで。うら若い女性が男を惑わすようなことをして、これが私じゃなかったらどうするつもりだったのか──と。詰問するような色を添える。

 彼女はもう少し自分の容姿、スタイルの良さに対して自覚した方がいい。デバイスを手渡して、彼女の顔を伺った。

 

「私かい? そうだね……私だってドキドキ……──いや、そうだな。ああ、私もドキドキなんてしてないさ」

 

 ビーッ。

 鋭い電子音。二人の間に沈黙の帳が下りる。

 彼女のアメジストのような瞳には、私を試すような色をたたえていた。

 

「先生も試してみるかい? 機械任せにするのが嫌なら直接確かめてみるといい」

 

 いつからか、丁寧にケアされるようになった彼女の艶やかな手が私の手を掴む。吸い寄せられるように彼女に身体を寄せて、気が付いた時には馬乗りのような体勢になっていた。

 

「ああ、今日は特に暑いね。でも大丈夫さ」

 

 囁くような吐息が耳へするりと侵入する。花の蜜のように濃厚な甘い匂いが強くなった。

 

「────麦茶はたっぷりと用意しているからね」

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