無期迷途の短編 作:モース硬度
一日の訓練を終えた夕方頃、澈とK.K.は室内で武器の手入れをしていた。互いに無言ではあるが重苦しい雰囲気などなく、ある種の気やすさが漂う部屋の扉が乱暴に開かれる。
「澈!K.K.!鍋にするわよ!」
下手人たるハクイツは開口一番そう宣言した。
突然コイツは何を言っているんだと胡乱な目でK.K.に見られてもハクイツは動じない。その手には肉のパックが入った袋が握られていた。
「局長からお肉をかっぱらっ...貰ったのよ。それも高級品。」
「大丈夫なのか、それ?局長に怒られるんじゃー」
「大丈夫大丈夫。どうせバレないし、バレたとしても局長はそんなことじゃ怒らないわよ。」
確かにあの善性が服を着て歩いているかのような局長のことだ、怒りはしないだろう。何かしらの罰は受けそうだが。
それはそれとして、目の前に転がり込んできた肉を手放すほどK.K.は人間が出来ているわけではない。
「それで、場所はいつものところか?」
「ええ。というわけで澈、K.K.。あたしは肉を用意したし残りの準備はお願いね。」
「はあ、わかった。」
いつものところとはエネルギー溶炉付近のデッドスペースのことである。炉の騒音がうるさいため部屋としては使えず、他の主要施設から離れているため物置としても使いづらい、おまけに奥まった位置にあるため人通りも少ない、そんなスペースだ。廃棄間近の机や椅子の一時置き場くらいにしか使われないようなスペースをハクイツ達は改造し、鍋パーティーができるようにしていた。
「それじゃ、とびっきりのを期待してるわよ。」
言うが早いか、ハクイツは風のように去っていった。いつの間にか澈もいなくなっている。仕事の気配を察して逃げたのだろう。
白記事務所の鍋は唐突に始まるのだ。大抵はその場の思いつきで。そして準備は大抵自分が全部任されるのだ。もはや諦めの境地に達したK.K.はため息を一つこぼすと厨房に向けて歩き出した。
「あ、K.K.じゃん。これから飯ならなんか奢ってくれない?こないだ澈の奴にポーカーで巻き上げられて懐が寂しいんだよ。」
厨房に向かう途中でEMPが馴れ馴れしく肩を組んできた。
「悪いがこれから白記のメンバーで鍋でな。厨房に用があるんだ。」
「お、ならご相伴にーー何でもないですすみません。ハイ。」
自分の取り分を減らされてなるものかとK.K.はEMPを睨みつける。効果音をつけるなら『ギンッ!!』くらいの鋭さで。
「そ、それよりさ、K.K.は澈の野郎にやり返してやろうとか思ったことないの?ほら、たまにポーカーやるといっつも澈に持ってかれるじゃん。」
「...まあ正直思うところがないわけではないが。澈はその辺の嗅覚は鋭いぞ。何かあってもしれっと安全圏に避難してるからな。返り討ちにあうのが関の山じゃないか?」
「なら逃げられない状況にすればいいんだよ。この後白記は鍋だろ?で、厨房に向かうってことはこれから準備するわけだ。ならそこで鍋を激辛にしちまえばいいんだよ。」
「食材をむだにするようなことはしないぞ。」
「チッチッチッ。わざと辛くするんじゃない、たまたま用意した鍋が辛かっただけさ。それに金貎郷には『火鍋』っていう辛い鍋があるらしい。丁度最近出身の新顔が来たじゃん。話聞いてきたら?」
たしかガオといったか、と記憶を引っ張り出す。
「...聞いてみるとするか。」
「乗り気になった?成功したら教えてねー。」
「勘違いするな、鍋のレパートリーを増やしたいだけだ。」
「はいはーい。クククッ、EMPの手にかかればもはや直接手を下すまでもない。震えて眠るがいい...ハーッハッハー!」
高笑いしながら廊下の角へと消えていくEMPを見送る。とりあえず件のコンビクトを探しに行こうと、K.K.は管理局内を歩き始めた。
「オマエ、本当にそんなものに興味がアルのか?」
金貎郷出身のコンビクト、ガオに火鍋のことを聞いてみると、そんな答えが返ってきた。
「アレは悪魔の食べ物ネ。ガオ様も一度だけ食べたことがあるケド、口から火を吹いたアル。」
「数年前、まだガオ様が金貎郷にいた頃の話アル。
夜目を覚ますと大人達がガオ様を除け者に鍋を囲んでいたアル。
もちろんすぐに肉をもらいに飛び込んだネ。
でも『お前にはまだ早い』って一切れもくれなかったアル。けちんぼアル。いくらガオ様がまだ小さいからって一切れもくれないのはズルいアル。
結局その日は寝たけれど、次の日起きたらまだスープが残っていたネ。
どぉーしてもお肉が食べたかったから、せめてこれだけでもってスープを飲んだケド、アレは間違いだったネ。
だからオマエも、興味本位ならやめておいた方がいいアル。」
「そんなに辛くて味は大丈夫なのか?」
「モチロン。金貎郷の料理はどれも天下一品ネ。味は保証するアル。」
K.K.はすでにこの火鍋というものに興味を持ち始めていた。
遠い異国の料理を食べる機会などなく、その味も天下一品ときた。オマケに普段から煮え湯を飲まされている澈やハクイツへのささやかな仕返しもできるとあって、火鍋を作ることはもはや決定事項であった。
「是非教えてくれ。私もその火鍋を食べてみたい。」
「オマエ、勇者だナ。」
悲しいかな、ガオとK.K.の間ではいくつかのすれ違いが発生していた。
まず、ガオの味覚はいわゆる子供舌というものであり辛い食べ物が苦手である。実際の火鍋はそこまで辛いものではないが、ガオにとっては火を吹くほど辛いものだった。
次にガオの飲んだスープだが、一晩経ち底に沈んだ唐辛子の部分を飲んでしまったため、余計に辛いものという認識が強まっていた。
最後にガオの悪戯心が首をもたげ、香辛料を余計に入れるようにアドバイスしてしまった。
ただでさえ思い出補正で辛いものを更に辛くした、超激辛とでもいうべき鍋。
ここでK.K.の能力が勘違いを加速させた。
K.K.の能力はノーペイン。辛さとは痛覚の一種であり、K.K.の能力は痛みを抑制する。つまりK.K.は異様なまでに辛さに強かった。
そのため、味見をしても「これくらいなら平気だろう。」と限界を見誤ってしまったのだ。
その結果ーー
「辛い!湯気がすでに辛い!ちょっとK.K.!何作ったのよ!」
「あー目がー、いやコレガチなやつだ。やっべぇ。」
この惨事である。
三人の中央の鍋は地獄の釜の様相を呈し、今世で特に罪を犯していない牛肉にこれでもかと責苦を与えている。花椒の香りが食欲をそそるが、視覚情報は目の前の鍋を食することを躊躇させていた。
「二人とも大袈裟だな。確かに少し辛いが金貎郷の伝統料理らしいぞ。」
「嘘よ!こんなの食べるなんてどんな化け物集団よ!」
「ハハッ、何だコレ。」
そんな地獄を再現した鍋をK.K.は一人、事もなげに食べ進めていく。せっかくの高級肉をK.K.一人に取られてなるものかと箸を伸ばしたハクイツはその辛さに撃沈していた。
「まあまあ、一応辛くないやつもあるぞ。陰陽がどうのとか言ってたが詳しいことは知らん。」
「それを早くいいなさいよ。せっかくのお肉が食べられなくなるところだったじゃない。...あら美味しい。」
ハクイツ、復活。
流石のK.K.も良心が咎めたのか、普通の鍋も作っていた。濃厚な出汁と胡麻香る鍋は先程と比べると天国の様に思えた。
「...ところでK.K.、お前のとこだけ肉多くないか?」
「二人が食べないからだろう。ちゃんとそれぞれのスープに半分ずつ入れたぞ。」
「あたし達そっちの辛いの食べられないのよ!」
「大丈夫だ、辛いもので人は死なないぞ。」
目の前で見せつけるように真っ赤な肉を食するK.K.に触発されたか、はたまた肉に対する食欲か、澈も意を決して真っ赤な鍋に箸を伸ばす。
澈が泣いているところなんて初めて見たかもしれないな、とK.K.は思った。
翌日、いつも通りに訓練に向かうK.K.を呼び止めるものがいた。
「あー、ちょっといいか。」
「澈か、どうした。」
「ホラ、これやるよ。」
投げ渡されたものはチューインガムだった。突然こんなものを渡され、思わず怪訝な顔で澈を見てしまう。
「やるよそれ。まーなんだ、ストレスが溜まってるなら俺らでも局長でも相談しろ。」
どこかバツの悪そうな顔で頬を掻きながらそう言う澈。
その顔がどこかおかしくて、思わずK.K.は笑ってしまう。
「おい、笑うことはないだろ。」
「ハハッ、すまない。いや、悪気はないんだ。」
どうやら昨日の鍋がよほど効いたのか、殊勝な態度をとる澈が普段と違いすぎてなかなか笑いが収まらない。
「ハハッ、いやガムって、アッハハハハ。」
「何だよ、もう行くからな。」
澈は憮然とした態度で、どこか照れたようにそっぽを向いて歩き出す。
「ありがとう、これからも頼りにしてるよ。」
「...そーかよ。」
「できればサボらないで手伝って欲しいけどな。」
「悪いがソイツは無理だ。」
最初のプロットだと死瞳からK.K.と澈を庇うカッコいいハクイツの話だったはずなんですが、どこにも面影がないですね