無期迷途の短編 作:モース硬度
つまり一日程度の遅れは遅刻ではない
「局長!今晩空いてるわよね!?8時に食堂ね!それじゃ!」
部屋の扉が蹴破られ、ヘラが入ってきて何か捲し立て、風のように去っていく。この間僅か3秒。破損し蝶番からプラプラと垂れている扉が哀愁を誘う。
ふと横に目を向ければナイチンゲールが黙々と書類をさばいている。その視線は手元の書類を忙しなく行き来し、扉に一瞥をくれることもない。
しばし、書類にペンを走らせる音だけが響く。
私がおかしくなったのだろうか?
「あの、ナイチンゲール...?」
「扉は後で修復しておくように担当部署に伝えておきます。ヘラには後ほど反省文でも書かせましょう。」
おずおずと問いかけるも至極あっさりとした返答を返され、二の句がつげなくなる。
何か怒らせるようなことをしただろうか、局長は不安になった。
「それより、手を動かしてください。時間は有限です。」
「はい...」
今後は彼女に逆らわないようにしようと、局長は決心した。
「本日はここまでで結構です。お疲れ様でした。」
ナイチンゲールの声にふと顔を上げる。目の前には緑色に光る19:50の文字列。傍には書類の山。
「後はこちらで片付けておきます。局長のサインが必要な分はこれで終わりです。」
「だがこの量は...」
「昼間の出来事をお忘れですか?」
もちろん覚えている。視界の端には無惨な姿を晒した扉が今も映っているのだから。急いで首を縦に振れば、ナイチンゲールは続けた。
「ならば早く食堂に向かうべきでしょう。」
これ以上管理局の設備を壊されたくありませんから。
そう呟いたナイチンゲールは書類から目を上げることもしない。
すまない、とだけ告げた局長は早足に食堂へ向かった。
時刻は8時丁度。食堂は人で一杯だった。大勢の職員やコンビクトの姿に紛れ、ヘラの姿が見つからない。はたしてどこに居るのかと入り口から辺りを見渡していると背後から声と共に衝撃が走った。
「おーそーいー。まったく何処ほっつき歩いてたのよ。」
振り向けば腕を組み頬を膨らませていかにも不機嫌であると全身で表現するヘラ。そして隣には両手で小さな箱を抱えたヘカテーがいた。
「すまない、書類に手間取った。」
「まったく、この寛容なヘラ様に感謝しなさいよね。」
はいコレ、とヘラから包装された袋を渡される。
「これは?」
「ナインちゃんと食べるお菓子を作ったら材料が余ったのよ。気が向いたらからアンタにもあげる。感謝しなさいよね。」
透明な袋から見える中身はアイシングクッキーのようだ。デフォルメされたヘラ、ヘカテー、悪夢が描かれており一目でわかるくらいには完成度が高い。
「局長。これも受け取って欲しい。」
ヘラに続きヘカテーが手に持った箱を差し出してくる。
「今日は局長と初めて出会って一年の記念日。記念日にはケーキを食べるものだとヘラに教えてもらった。」
そうか、今日は管理局で目覚めて一年になるのか。一年で経験するにはあまりにも濃い、怒涛の日々を少し懐かしみながら局長は思った。
「では一緒に食べよう。記念日のケーキはみんなで食べるものだ。」
丁度座席が空いたため、三人で机を囲む。
「驚いたな。これは手作りか。」
「ごめんなさい。ケーキを買いに行く時間がなかった。」
「そんなことはないさ。」
ケーキの表面のクリームはでこぼこと波打っており、お世辞にも綺麗とは言い難い。だが目の前の少女が、命令されたことを粛々と行うだけだった少女が見せた自発的なお祝いのケーキは何よりの宝に思えた。
「あたしこの一番大きいやつー。」
そんな感動に浸る間もなく横からケーキのピースを掻っ攫われそうになる。
「駄目、それは局長のもの。それにヘラはさっき自分で作ったクッキーの失敗作を食べてた。」
「んな、見てたならいいなさいよ!それにそれはアレよ。ホラ、ナインちゃんに失敗したやつなんてあげられないし。」
「でもずっと練習してたのは局長の顔だった。」
「なんてとこ見てんのよー!そーゆうのは黙っとくものなの!」
ヘラは顔を真っ赤にしてヘカテーとやいやい言い争う。
その様が少し可笑しくて、ヘラが自分のためにわざわざクッキーを作ってくれたことが嬉しくて、思わず笑ってしまう。
「なによ、何か文句でもあるの?」
「いや、そうではない。」
ありがとう、二人とも。
互いに照れた顔を見合わせ、三人で笑い合う。次の一年もより良いものにしようと決意しながら。
書類にペンを走らせるカリカリという音だけが響く執務室。ナイチンゲールの目の前に湯気の立つカップが差し出された。
「コーヒーでよかったか?」
「ありがとうございます。」
互いにしばし無言の時間が続く。だがそれは決して嫌な沈黙ではなく、ゆったりとした時間であった。
「...私が管理局で目覚めて、今日で一年が立つのだな。」
口火を切ったのは局長からであった。
「そうですね、早いものです。」
ナイチンゲールの視線は手元のカップに固定されている。
「そして、あなたと出会って一年でもある。」
一呼吸おき、局長は続ける。
「色々なことがあった。
死にそうな目にあったし、実際死にかけたこともある。
それでも、貴女はいつも私を支えてくれた。
たとえ戦場に並び立てなくても、貴女はここから私を助けてくれた。
貴女が後ろにいたから、私はここまで戦ってこれたんだ。
だから、ありがとう。
そして今更かもしれないが、出会って一周年、おめでとう。」
「...遅いですよ、局長。」
ナイチンゲールが顔を上げる。
その目は微かに潤んでいるようで、局長は居住まいを正す。
「きっと彼女たちに言われるまで今日で出会って一年ということも忘れていたのでしょう。
あなたはこれからも作戦に赴き、また怪我をしてしまうでしょう。
その度に私は心配でいても立っても居られなくなるでしょう。
もしかしたら死にかけてしまうかもしれません。
それでも、必ず、帰ってきてください。
また次の一年を一緒に祝いましょう。」
待っていますから、その声は微かに震えていた。
きっと何度も彼女を悲しませてきたのだろう。
きっとこれからも彼女を悲しませるのだろう。
それでも足を止めるわけにはいかない。
「ああ、約束する。」
万感の思いを込めてそう告げる。
ようやく、今日初めて彼女が笑うのを見た。
「そうだ、さっきこれをヘラから貰ったんだ。きっとコーヒーに合うだろう。」
「いただきましょうか。...あら?」
ナイチンゲールが手に取ったクッキーの柄は奇しくもデフォルメされたナイチンゲールであった。
頭から鬼のツノが生えており、如何にも怒っていますとする様に先ほどまでのナイチンゲールを想像してしまう。
「フフッ...」
「ハハハ...」
穏やかな夜を。
嫉妬して拗ねるナイチンゲールかわいい