トリステイン王立魔法研究。通称アカデミー。そこには数多くの馬車が止まっていた。主に王宮からの衛兵などの軍や治安組織に所属するものだ。昨晩。賊がアカデミーに侵入したが、魔法装置により発見。
ただちに衛兵達が対処。ところが歯が立たないどころではなかった。賊と相対した衛兵は、一人残らず死んでいたという信じがたい結果だったのだから。被害は当直していた衛兵の半数にも上った。しかも最後は逃げられてしまう。さらに、どうやって逃げたのかが分からない。
賊の目撃者で生き残ったのはたったの二人。アカデミー研究員である、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。それと彼女の母親、カリーヌ・デジレだ。
カリーヌは第一資料室の前に来ていた。辺りには、事件調査をしている衛兵たちが忙しそうに歩き回っている。
彼女は最後の瞬間を思い出す。あの化物は、貴族の子女のように見えた。そしてそれを止めたのは、どこか白髪の紳士のような感じがする。ほんの一瞬の出来事だったので、あまりはっきりとは覚えていないが。
「これは、ヴァリエール公爵夫人」
ふと聞き覚えのある声が耳に入った。振り向いた先に、口ひげ金髪美男がいた。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。王の近衛であるグリフォン隊の隊員であり、隊のエースと称される者だ。
現隊長に昇進の噂があり、その場合、現隊長は近衛隊を離れるという。すると次に隊長となるは、ワルドと誰もが思っていた。
しかもワルドそれだけではなく、カリーヌの三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの婚約者でもあった。
カリーヌは何気なく尋ねる。
「ワルド子爵。何故ここに?」
「大后陛下に、真相をお伝えするために」
「真相ですか……。そんなものが分かる日が来るのかどうか」
「と言われますと?」
「相対したわたくしにも、あれが何だったのか見当もつきません」
「ああ、そう言えば生き残った目撃者は、ヴァリエール家のお二人だったと伺いました」
ワルドは、調査を指揮していた者の言葉を思い出す。
「それにしても奇妙な事件です。殺された衛兵達には血が一滴も残っておらず、一方、ここではそれを集めて撒き散らしたかのような状態なのですから」
二人の視界にある第一資料室の前の廊下。そこは真っ赤に染まっていた。全て血だった。
シャルティアがゲートで転移した後、吸い取った血『ブラッドプール』の術が解けて血がばらまかれた跡だった。そんな理由を、ここにいる人間たちが知る由もない。
ワルドは世間話のように尋ねる。
「賊は吸血鬼だったと思われます?」
「吸血鬼が、一人の人間の血を吸い尽くすのにどれだけかかるかご存知?」
「……そうですね。しかもあれだけの人数をとなると、一晩では足りません。さらに衛兵と戦いながらでは。では、なんだと思われます?」
「……」
カリーヌは問に答えない。ふと、耳に残った言葉を口にしてみる。
「シャルティア・サマ……。アインズ・サマの命……」
「なんです?それは?」
「さあ……?」
どこか上の空のカリーヌ。それをワルドは不思議そうに眺めていた。こんな姿の彼女を見るのは、初めてだったので。
当のカリーヌ。様々なものが頭を巡る。今の状態ではこれらの意味は分からないが、何かの手がかりに違いない。英雄と呼ばれた彼女の勘がそう言っていた。
少なくとも、借りは返さなければならない。あれほどの衛兵の命を奪った者へ。
セバス達がハルケギニアで情報収集をしていた同じ頃、パンドラズ・アクターとソリュシャンは、今、エルフの国、ネフテスの首都アディールにいた。
盗賊に化け、治安組織に捕まり、その上部組織に入り込みと、順調に高度な情報に触れる立場となっていた。そしてエルフの最も栄えた都市にいる。
白を基調とした建物に溢れた光景は、かつてのアドリア海沿岸を思わせる。しかも建物と道は整然としている。計画的、というより幾何学的に。そびえ立つ高層建築物すらあった。
正直、自分達がいたロバ・アル・カリイエとは違う時代に来てしまったのではないかと思ってしまうほど、技術レベルに差がある。ここには、エレベーターのようなものすらあるのだから。
彼らは宿、いやホテルと言っていい場所からこの町を眺めていた。別にこの光景に感嘆していた訳ではない。むしろ悩んでいた。これからの方針について。
情報収集が彼らの目的だ。そのために様々なエルフと入れ替わりながら、ここまで来た。しかしそれは主に治安組織に関わる者達ばかり。つまりは法に関わる者達だ。だが本当に彼らが欲しいのは、魔法等の技術的なものだった。
確かにこの町には公共図書館のようなものがあり、エルフ達の基本的な情報を知る事ができた。そこには魔法や一般技術の基礎もあった。
しかしそれ以上となると、現状では難しい。だからと言って、これ以上の法的な立場の者と入れ替わってもあまり意味はなさそうだった。
ソリュシャンが尋ねてくる。
「一度、アインズ様にお伺いをたてては?」
「お伺いをですか……。それも悪くはないですが……」
アインズからは、エルフを徹底的に調べ上げろとの指示は受けてない。それを目指すには、時間も人手も足らない。
しかも任務終了の決定はアインズの認可が必要なのだから、どこかの段階で聞かざるを得ないのは確かだった。
だがパンドラズ・アクターは、もう一歩だけ踏み込んでみたくなった。
このユグドラシルとはまた違う技術の国に、マジックアイテムをこよなく愛すドッペルゲンガーの心がうずいているのか。それとも創造主の冒険したいという想いが、自らにも宿っているのかもしれない。
卵のような顔を、ソリュシャンへ向けるドッペルゲンガー。
「フロイライン。一つ試してみたい事があります」
「また誰かと入れ替わるのですか?」
「はい。変わり者と噂される学者がいるのですよ。しかも町から離れた小さなオアシスで、一人で研究してるそうです」
「それは好都合な人物ですが、何故すぐにその者と入れ替わらなかったのです?」
「大きな問題がありまして。有力議員の姪なのです。しかも有名な騎士の婚約者です」
「なるほど……。万が一にも正体が露見した場合、最悪デザートエルフの中枢に我々の動きを察知される可能性があると……」
「はい」
その美貌の眉間にシワを寄せるソリュシャン。
ちなみに今の顔は、いつもの誰もが思わず振り向いてしまうような美しいものだった。一方で、調査に向かう際は目立たぬよう凡庸なものに変えている。モデルは、そこらにいる一般エルフの顔を組み合わせたもの。
決めかねているソリュシャンに、パンドラズ・アクターは外に視線を戻しながら言う。
「もっとも失敗した場合、記憶をいじってしまえば被害も最小限に抑えられるでしょうが」
パンドラズ・アクター自身には、記憶を読むことはできても操作する力はない。しかし、誰をもコピーできる彼。アインズなど記憶操作ができる人物に変わり、魔法を使用できる。
実際、これまでも入れ替わった人物に対しそうしてきた。彼ら全てが行方不明になっては、騒ぎとなり任務に支障がでると思われたからだ。
今、カバーしている人物は、地方都市の治安組織の隊長クラスのハサーナインという者だ。本物のハサーナインは、今でもその都市で仕事に勤しんでいる。入れ替わった時に休暇を消費してしまったので、出張でもなければ町を出ることもないだろう。
彼の記憶の中にあったのだ。アリィーという学生時代の旧友に、学者の婚約者ができたと。その女性はルクシャナと言う。
パンドラズ・アクターは決断した。一つ手を打つと、さっそうと踵を返した。
「決めました。やってみます」
「そうですか。分かりました。ですが、緊急の際には撤退を優先とのアインズ様のお言葉をお忘れなく」
「もちろんですよ。フロイライン。理解しております」
舞踏会の返礼のような、おおげさな態度をとるドッペルゲンガー。大分慣れては来たが、不意に出てくるこの態度へソリュシャンにも思う所はあった。口にはしないが。
ルクシャナはアディールから100kmほど離れた小さなオアシスに自宅を構えていた。やはり白を基調とした家で、シンプルな近代建築のような形をしている。さらにちょっとしたプールまである、別荘のような住宅だ。
外は灼熱の砂漠だが、中はエルフの魔法装置でエアコンが効いているように涼しい。
ルクシャナは起きぬけかのようにガウンを着たまま、研究に勤しんでいた。
学者仲間からは変わりものと呼ばれる彼女は、研究スタイルも独特。そんな理由から一人住まいをしているのだが、そのため私生活に少々だらしのない面がある。誰もいないのをいい事に、素っ裸で研究している時も。
その外見は一見すると10代に見えるが、エルフらしく長寿であり人間基準の年齢とはかけ離れていた。
手を進める彼女。ふと窓に陰がかかるのを感じた。
「誰か来た?」
手を止め、窓の方を見る。
砂漠であるこの地に、雲がでる事は滅多にない。そうなると陰を作ったのは別のものという事になる。よくあるのが、知人や配達人の乗ってきた風竜だ。
予想通りか、扉からノックが聞こえる。
「誰?」
気だるそうに尋ねるルクシャナ。扉から聞こえてきたのは聞き覚えのない声だった。
「スークアフ警備団に所属する、ハサーナインと申します。ルクシャナ様はご在宅でしょうか?」
「スークアフの警備団?」
スークアフという町は、アディールの西、かなり離れた町だ。しかもその警備団が、こんな遠くまで何しに来たのか?見当もつかない。
首を傾げながらもとりあえず話を聞こうと、扉に手をかけようとした。すると不意に別の声が耳に届く。
「誰だ?ん?ハサーナイン……か?ハサーナインじゃないか。なんでこんな所にいるんだ?」
「アリィー……?」
次に聞こえた声は婚約者のアリィーだ。
こうして時々、自分の様子を見に来る。そして生活態度や部屋の荒れ様を見ると、小言を零すのだが。
ともかく婚約者の知人と分かり、ルクシャナは安心して扉を開けた。目に入ったのはまず婚約者のアリィー。そして見知らぬ二人のエルフ。男性と女性。
男性の方がハサーナインなのだろう。すると女性の方は、男性の同僚か。双方ともいきなりアリィーに声をかけられたせいか、少々戸惑っている。
ルクシャナは脳裏に浮かんだ疑問を、そのままぶつけようとした。
「スークアフ警備団が、私にいったいなんの……?」
そこで言葉を切る、ルクシャナ。
精霊がざわめいている。砂の精霊が。この辺りの精霊は全てルクシャナと契約していた。ざわついている精霊は、見知らぬ女性の周囲だけ。視線を厳しくするエルフの学者。
「アリィー!こっち来て!」
「ええっ!?」
言われるまま、即座にルクシャナの元に寄る。日頃から小言をいいつつも、実は尻に引かれている状態のアリィー。とっさの時には、つい彼女の言う通りに動いてしまう。
対する男と女のエルフ。女性のエルフが、何故かハサーナインに詫びを入れている。
「申し訳ありません。警戒を怠りました。背後から来るとは……」
「いえいえ。フロイライン。私の落ち度でもあります。こんな砂漠のど真ん中で、外部からの侵入者など想定していませんでした。しかも彼が、勤務中に来るのとは。真面目な人物だと記憶にあるのですが」
急に雰囲気が変わった二人。ルクシャナとアリィーは一気に警戒度を上げる。アリィーは婚約者の前に立った。
「何者だ!貴様ら!」
半月刀を抜くエルフの騎士。対する男女は平然としたものだった。男が隣の女に深々と礼をしつつ、口を開く。
「フロイライン。もう訳ありません。手を貸してください」
「分かりました」
女はそう言うと、息を吐いた。ふっと吹きかけるように。
すると急激な眠気が二人を襲う。
「なっ!?」
「えっ!?」
たった一言零すのが精一杯だった。そして二人は倒れ込む。寝息を立てながら。
それを見下ろすパンドラズ・アクターとソリュシャン。
「それにしても、何故気づかれたのでしょう?」
「なんらかの探知魔法を張り巡らせたのかも。やっかいですね。精霊の力というのは。応用範囲が想像以上のようです」
「……」
ソリュシャンの表情は硬い。自分が切っ掛けで気づかれた。しかも盗賊やアサシンのクラスを持っている自分が、背後を取られるとはと。これまで順調に来すぎていて、油断しすぎたと。
ちなみに彼女の正体が精霊にばれたのは、いきなり来たアリィーに驚き、一瞬、気配の偽装を解いてしまったからだった。
また二人を眠らせたのも彼女のスキル。ポイズンメーカーのクラスを持つ彼女は、猛毒から麻痺薬まで自在に作れた。
ソリュシャンはいつもの姿に戻ると、チームリーダーに尋ねる。
「調査を続けますか?」
「いえ、やめときましょう。やはり一度で全てを知るというのは、欲張りでした。アインズ様に連絡を。今後の判断を仰ぎたいと」
「分かりました」
ソリュシャンがスクロールで『メッセージ』の魔法を使用。これは一種のテレパシーのような魔法だ。
彼女がナザリックと連絡を取っている間、パンドラズ・アクターはアインズに化けて、ルクシャナとアリィーの記憶を改ざんしていった。ここには彼女たち以外、誰もいなかったと。
そしてアインズから撤退命令が出る。二人はゲートの魔法で、ナザリック地下大墳墓へと帰還するのであった。
「とうぅ!」
颯爽とした掛け声と共に、二本の大剣が振られる。そして相手は真っ二つに斬り飛ばされる。悲鳴と怒号が飛び交った。
ここは戦場。アインズはまたしてもモモンとして戦に参加していた。当然シズも。ただここはそれまでの戦場とは違っていた。空中なのだ。
しかもただ飛んで戦っている訳ではない。空中の艦船の上で戦っていた。つまりこの世界の艦は空を飛べた。
精霊石を元にしたロバ・アル・カリイエの魔法を、正直アインズは見下していた。しかし、こんな使い方があるとは予想できなかった。
魔力源を外に求めるからこそ、自分の魔力、MPを消費せずに飛ぶことができる。しかも数を揃えれば、艦を飛ばすことも。さらに量を増やせば、空中艦隊を構成する事も。
侮れないと考えを改めるアインズ。
1000人以上が戦い合う事など滅多に起こらないユグドラシルでは、空中艦隊など必要ない。システム的にも存在しなかった。
だからこそ新感覚の状況に、アインズは心を踊らせていた。もっともすぐに沈静化されるが。
今はモモンこと、アインズが属するマガーハ藩王国は、この前戦ったガナジャイディー藩王国とは違う国と戦っていた。群雄割拠状態なのだから、そんな事もあるだろう。
だがこの所、頻繁に戦をしている。そんな調子では割ける戦力もたかが知れてしまうのだが、劣勢にも関わらず、モモン達のおかげで勝ち続けているのである。しかも同じくモモンのおかげで、戦力の損耗はわずか。
それに気をよくしたビャールナン王は、さらに戦をあちこちにふっかけるという悪循環に陥っていた。
指揮官室の扉をぶち破り、突入するモモン。中にはいかにも偉そうな人物と護衛の兵達がいた。
「お前が指揮官だな!」
「ば、ばかな……!」
漆黒の武神を前にした、この艦隊の司令は一言発するのが精一杯。すぐに首が切り落とされる。護衛達はあっという間に逃げていった。
モモンは手柄である御印を手にすると、甲板に出た。すると味方を乗せたロック鳥がやってくる。ロバ・アル・カリイエの空中騎兵だ。この世界ではモンスターを家畜化しているようだ。
ロバ・アル・カリイエは空中騎兵としてロック鳥を手懐けているが。エルフ達はドラゴンを手なづけているという。ただアインズの想像するドラゴンと違い、ユグドラシル的にはワイバーンと言った方が近かった。
やがてマガーハ藩王国艦隊は撤退する敵艦隊を尻目に、悠然と母港へと帰還するのだった。
艦から降りるモモン達。それを迎える女性と衛兵たちがいた。プーリヤンカとその護衛だ。
「お見事です。モモン殿。また手柄を上げたそうですね」
「幸運が味方してくれたようです」
「またまたご謙遜を」
笑顔を零す妙齢の女性。だがその笑顔がふと消える。視線を脇におくりながら。
「ですが……いくら勝ち続けてるからと言って、これほど戦が続いては……」
「……」
同じ方向を向くモモン。艦から降りる兵たちには怪我人こそ少ないものの、一様に疲れが溜まっているように見える。兵だけではなくロック鳥や馬などにもだ。
さらにこの所、国内の物資不足も懸念されはじめていた。勝とうが負けようが、物資は消費されるのだから。
モモンはプーリヤンカの方へ向き直る。
「今回で一旦、目処がついたようですから。しばらく戦はないと思いますよ」
「だといいのですが……。あのビャールナン王が、そのような計画性を持っているかどうか……」
神官の顔色は暗い。だがすぐに気持ちを切り替える女性。
「ともかく勝ちは、勝ちです。どうですか?これから祝杯でも……」
「ああ……その……。実はすでに約束がありまして」
「そうですか……。では、次の機会といたしましょう」
「え……ええ……」
そう言ってアインズは、颯爽とこの場を後にする。心中はとっとと逃げようという気分だが。
毎回、プーリヤンカからの誘いに理由をつけて断っているのを、悪いと思っているのだ。だが幻術で見た目はごまかせても、骨の身で飲み食いできる訳がない。悪印象持たれなければいいな、と願うアインズだった。
そんな彼にメッセージが届く。こめかみに手を添えるアインズ。脳裏に声が響いた。
「アルベドか?どうした?」
『ネフテス国、ハルケギニア、両調査チームが帰還しました。結果について、一度、吟味をお願いします』
「分かった。すぐに戻る」
数日前、双方のチームから中間報告が来ていた。両地域の概要は分かったが、一方で、まだ解明できない部分もある。そこで、どこまで調査すべきかの確認を取りたいとの話だった。
両地域とも広大で、全てを調べるのは時間的にも無理だ。それに情報収集は、一回だけと決まったわけではない。拠点も作った。概要が分かったなら、とりあえず成功と判断したアインズは帰還命令を出した。
ちなみにシャルティアが騒動を起こした事も、同様に報告済み。こちらは、あきらかな失態だ。襲われたアカデミーとやらは、犯人探しをしているだろう。自分達までたどり着くとは思えないが、今後、情報収集がやりにくくなったのは確かだ。
ともかく部下の失態を罰しないといけない。元下っ端サラリーマンのアインズは慣れないことやる事に、存在しない胃が少々傷むような気がしていた。
しばらく歩いていたモモンとシズカは、人目がないことを確認するとナザリックへと転移していった。