トリステイン魔法学院。アルヴィーズの食堂には当惑した生徒たちの顔が並ぶ。中には緊張に身を固めた者も。今ここには全生徒が集まっていた。朝食時、オスマン学院長から一限目が始まる時間に集まるよう、通達があったのだ。
そして今。雛壇には学院の教師たち全員が揃っていた。その中央にはオールド・オスマン。生徒たちのざわめきが、教師の一人、ギトーの「静粛に」の一言で止まる。そして学院長は話を始めた。
「さて、諸君らに集まってもらったのは、大変重要な話があるからじゃ。単刀直入に言おう。トリステイン王国に危機が迫っておる」
それからオスマンは戴冠式の出来事をぼかしつつ、アルビオンとの戦争の可能性が高いと伝えた。ただ、一部の生徒は戴冠式の出来事を知っていたので、この展開の予想はついていた。あの式には、全てのトリステイン貴族が招待されていた。そのため、何が起こったのか親から聞いた者もいた。
さらにオスマンの話は続く。
「我が国とアルビオンの戦力差は歴然。そこで国は、諸君らを兵として徴用すると決定した」
一斉に上がる混乱の声。それをまたギトーが静める。上段の長い髭の老人は、再び口を開いた。
「だが学生である諸君らは、兵としての訓練を十分受けておらん。そこで、諸君らを指導するため教官が参られた。紹介しよう。ヴァリエール公爵じゃ」
外から、一人の口髭を生やした初老の男性が入ってくる。想像する年齢の割には姿勢がよく、軍人にしか見えない。やがて登壇し正面を向く。表情には厳しいものが伺えた。歴戦の戦士を思わせる気配。その佇まいに当てられたのか、生徒たちは当惑した気持ちを無理やり抑え込んだ。
公爵は、おもむろに話し始める。
「学院長から聞いた通り、祖国は危機に瀕している。国家としては、学生である君らを戦場に送るのは心苦しい。しかし、君らは学生である以前に貴族だ。国家危急存亡の今、貴族としての義務を果たしてもらいたい」
淡々としながらも力強い言葉に、一部の生徒は身を震わせていた。そして思わず立ち上がる。
「公爵!私は、祖国へこの身を捧げる事を誓います!」
「私も!」
「拙いですが学んだ全てを、祖国防衛のために!」
次々と勇ましい声が上がった。
公爵はそれを抑えようともせず、ただただ感謝の言葉を繰り返していた。彼らの宣言が、若気の至りである事は十分わかっている。だが彼らが作り上げた場の空気は、戸惑うだけだった多くの生徒の覚悟を決めるだろうと考え、あえて流れに任せた。
やがて、これからの具体的な内容が話される。通常授業は全て中止。軍人教練のみとなると。そして出兵するのは、早ければ二週間後とも伝えられた。
長らく平和なトリステインで、すでに演劇の演目と化していた戦争という言葉が、自分たちに降り掛かったと生徒たちは自覚するのだった。留学生を除いて。
公爵が到着した初日から訓練は開始された。公爵の他、ヴァリエール家から数名が教官として赴任。それぞれクラス単位で指導した。
ようやく訓練が終わった頃には、すっかり日が落ちていた。ルイズは自室のベッドに倒れ込む。不慣れな運動がメインだった上、時間はいつもの授業よりはるかに長かったのもあって、彼女は疲れ切っていた。
「もう、だめだわ……。これ以上動けない……」
「貴族のお嬢様はひ弱だよなぁ」
才人のからかうような声。
今彼は、ユグドラシルの能力を起動し、アイテムなどを確認していた。そんな彼に、不機嫌な顔を返す小さな少女。
「私はメイジなの!なのに、ずっと体力作りよ!走ったり、重いもの持ち上げたり。魔法の訓練なんて全然なし!」
「系統魔法使えないから、そっちの方がいいじゃん」
「うるさい!」
顔を真っ赤にして、ルイズは枕で殴りかかってくる。一方の才人は、口が滑ったと思いひたすら平謝り。
しばらくして気が済んだのか、またルイズはベッドに戻り突っ伏す。やがてサイトの方を向いた。
「そう言えば、あんた見なかったけど、どこ行ってたのよ?」
「俺も訓練。自分で考えたメニューだけどさ。ちょっと遠出してた」
「そう」
ルイズは軽く返しながら、ふと考える。目の前の使い魔について。
彼の圧倒的な力があれば、戦争で大きな成果を上がられるかもしれない。一方、魔法もまともに使えない底辺レベルのメイジの自分では、そんな彼に命令するか応援するくらいの事しかできない。そんな伝令まがいの事は、誰でもできる。極端に不釣り合いな主従。こんなに強い使い魔の主人なのだから、ただただ誇ればいいなどという気持ちにはなれない。使い魔にふさわしい自分でありたい。
それにしても、どうして自分の周りにはこんな優秀な人たちばかりがいるのか。英雄であった両親に、一番上の姉はアカデミーに勤めるほどのメイジ。二番目の姉は体が弱いが、メイジとしては優秀だ。自分だけが、場違いのようにここにいる。少し始祖ブリミルを恨みたくなった。
彼女は入学以前から思っていた。両親のような立派な貴族に、メイジになりたいと。努力はしてきたつもりだ。しかし、わずかもそれに近づいた気がしない。
そんな彼女に対し、周りは叱責するか励ますかだけだった。ただ目の前の異世界人だけが、使えない事に意味をあるかもしれないと言ってくれた。今の自分は、無価値な存在ではないと。
何気なくルイズは口を開いた。
「サイト……」
「ん?」
その時、ノックが耳に届く。
ルイズは身を起こすと返事をした。
「誰?シエスタ?」
「私だよ。小さなルイズ」
「父さま!」
慌ててベッドから立ち上がると、入り口に走り出し、ドアを開けた。ドアの先には、父親の緩んだ笑顔があった。
「父さま!」
「今日は、よくがんばっていたね」
「祖国を守るための訓練です。貴族として当然です」
「いい心がけだ。中に入ってもいいかな」
「どうぞ」
部屋へと入るヴァリエール公爵。それに続くルイズ。
奥では才人が立って、公爵を迎えた。入り口での会話を耳にしていた彼は、床に腰を下ろしたままなのはさすがに失礼と思ったので。
サイトを目にした公爵は、一言漏らす。
「おや。君がか……」
「えっと……。はじめまして。平賀才人と言います。ルイズの使い魔やってます」
「ああ、話は妻から聞いてる。私はルイズの父だ。よろしくな」
「は、はい」
芯の通った振る舞いの中に、どこか温和そうな雰囲気がある。いかにも貴族という見た目と違い、思ったより親しみやすいかもしれないと才人は思った。母親の方は伝説の英雄という感じの近寄りがたい雰囲気を纏っていたので、一歩引いてしまう所があったが。
公爵は椅子に腰掛けると、二人も座るように言う。椅子が足らないので、ルイズはベッドに。サイトは別の椅子に座った。そして話を始める。
「ここに来たのは、久しぶりに娘の顔を見たいのもあったのだが、もう一つ、ミスタ・ヒラガサイト。君に用があったからだ」
「あ、才人が名前で、平賀がファミリーネームです」
「ほう、ミスタ・ヒラガか。私達と大分違う名前の付け方だな。さすがは異世界と言ったところなのかね」
「ま、まあ……」
今までも何回か名前の呼び方を間違われた事があったので、こちらに合わせサイト・ヒラガと名乗った方がいいかもと考える少年剣士。
公爵はそんな彼の様子にかまわず、話を続ける。
「さっきも言ったが、君の事は妻から聞いている。ただ私は直に君の力を試したい。かまわないかな?」
「今からです?」
「ああ。大分、暗くなってしまったが、私は時間があまり取れない身でね」
「分かりました。それと、ある程度、本気だしてもいいですか?」
その言葉に驚いたのはルイズだった。
「サイト!異世界の力使う気!?」
「まあな」
「まあなって……。父さまに何かあったらどうすんのよ!」
「別に怪我させるつもりはないぜ。でも、知ってもらった方がいいだろ?」
二人のやり取りに、不敵な笑みを漏らす公爵。
「ほう……。そんなに強いのかね。こう言ってはなんだが、かつては私も結構な腕前だったんだがね。あまり、自分の力を過信しない方がいい」
「……。じゃあ、さっそく。いい場所知ってるんで、案内します」
「頼む」
頷く才人。ユグドラシルの力は、すでに起動済み。
「俺……僕の手を握ってください。ルイズも」
公爵は首をかしげながら、サイトの手を握った。ルイズの方は、彼が何をしようとしているか分かっていたが。そして転移魔法を発動させる。
「テレポーテーション」
瞬時にルイズの部屋から、三人の姿が消えた。
次に公爵が目にしたのは、月夜に照らされた広場だった。森の開けた一角、フーケと戦った場所。
「なっ!?」
公爵の脳裏にあった久しぶりの闘志は、この現象のせいで霞んでしまう。思わずサイトの方を向く。
「これは、君……えっ!?」
振り向いた先のサイトは、純白の豪奢な鎧姿となっていた。
「い、いつのまに鎧を……」
「異世界の力です」
「……」
息を呑む公爵。カリーヌから腕は確かと聞いていたが、本気を出すほどではないとも聞いていた。
しかし、その認識を改める。彼女の話には異世界の力はなかった。彼の本気を見てはいないのだろう。気持ちを引き締める公爵。
「では、やるとするか」
「はい」
今回、才人は左手にデルフリンガーを握っていない。ユグドラシルでの通常装備。右手に大剣、左手に盾という姿。ガンダールヴを使わずに戦うつもりだ。
距離をおいて構える二人。そしてルイズの掛け声で勝負が始まった。
それから20分ほど。公爵は杖を収めた。
「降参だ。まさかここまでとは。まるで勝負にならない」
彼の言葉通りだった。ユグドラシルの力を使う才人のスペックは、あらゆる点で公爵を凌駕した。いや、凌駕などという言葉では済まない。話にならないとはこの事。しかも、致命傷になるような魔法やスキルは使っていない状態でだ。
公爵は武装を解除したサイトに近づくと、声をかける。
「想像以上だな。異世界の力とやらは。これなら君に娘を任せられる……とはまだ言えないな」
「何故です?」
「いくつか確認しなければならない事がある」
「確認?」
「そうだ。まず一つ目は、君は本当に娘の使い魔なのか?」
「え?」
才人は質問の意味が、今ひとつ掴めていなかった。それはルイズも同じ。当惑しながら彼女は言った。
「何をおっしゃられてるんです?父さま。サイト、ルーン見せて」
「ん?ああ」
言われた通り、才人はガンダールヴのルーンを見せた。しかし公爵は小さく首を振った。
「そういう意味じゃないんだよ。さっき戦って感じたのだが、君の意識は娘に全く向かってなかった」
「え?だって、別にルイズが危ない訳じゃないですし」
「その通りだ。あの手合わせで、ルイズに危険が及ぶ事はない。だが、使い魔というものは、常に主を意識してしまうもんなんだよ。ただの日常であっても」
「そう……なんですか……」
「君は異世界の力で、契約を解除してしまってるんじゃないのか?」
父親のその言葉に驚きの表情を浮かべ、サイト凝視するルイズ。一方の才人は、少しばかり天を仰ぐ。そして公爵に向き直り、口を開いた。
「少し違います。契約は今でも成立してます。ただ同時にかかった魅了……こっちじゃギアスの魔法かな、使い魔に主を意識させる魔法の方は解除してます」
「サ、サイト!ど、どいう意味よ!?」
思わず声を上げてしまうルイズ。
「使い魔にはギアスがかかるようになってんだよ。弱いヤツだけどさ。それで使い魔は、主を意識するようになるんだ。だいたいそうじゃないと、主を置いてどっか行っちゃうかもしれないだろ?」
才人はアダプターを復活させユグドラシルの力を取り戻してから、これに気づいた。自分は魅了にかかっていると。使い魔契約の付属効果だろうと予想した。今はマジックアイテムで精神操作阻害をしているので、魅了は解除されている。
ルイズは戸惑いを浮かべる。学院でいつも見ている仲睦まじい主従の関係が、そんなものにより成立しているとは。
「それはそうだけど……」
ここで、公爵の言葉が入ってきた。
「つまり、君は自由な訳だ。君ほどの力があれば、一人で生きていくのも難しくないだろうに。だが娘の側にいる。何故だい?」
「それは……。う~ん……」
率直に問われると、確信を持った答が出ない。もちろん元の世界、地球よりはずっと暮らしやすい。友人と言えるものも出来た。だが、それだけではない気もする。
腕を組み考え込む才人。そんな彼に公爵は見極めるような視線を向け、ルイズはどこか不安げに見つめていた。
しばらくして口を開く少年聖騎士。
「よく分かりません」
「分からないってなんなのよ!」
横から怒って口を挟むルイズ。頭をかきながら、才人は答えた。
「ここは正直に答えないとなぁって思って、考えたんだけど、俺にもよく分かんねぇ。でも、いいじゃん。ルイズが困ってたなら、手貸してやるからさ」
「何、上から目線なのよ!私が主なんだからね!当然よ!」
怒りながらも、どこか妙な嬉しさが湧いてくるルイズ。
一方の公爵も、頬を緩めていた。若い頃の自分を思い出しながら。
「そうか。分からないか。分からないが、娘を手助けしたいのか」
「え?まあ……」
「そうか、そうか」
「?」
少し緩んだ表情の公爵に、二人はまたも首を傾げていた。
わずかな間の後、平静を取り戻す公爵。次の質問を口にする。
「ならばもし、ルイズが戦争に行くことになれば、付いていく訳だ」
「そのつもりです」
サイトの言葉を耳に収めた公爵は、引き締まった顔つきに変わった。
「君は様々な異世界で、戦いを経験したと聞いた」
「はい」
「だがそれらの世界は、特殊な魔法で不死の状態で戦っていた聞いたが、確かかね?」
「はい」
「では、人の命を奪ったことは?」
「ありませんけど……」
才人には目の前の初老の貴族が、何を言おうとしているか分かってしまった。本当の戦争に行くのだ。FPSをプレイしに行くわけではない。死んで、リスポーンする事はない。自分も相手も。
彼の胸の内を悟ったように、公爵は言葉を続ける。
「この世界には、不死の魔法なんてものはない。つまりは戦争に出るという事は、自らの大切なもののために相手の命を奪う覚悟をしなければならない。それがなければ躊躇を生み出し、それは君へも大切な者へも危険をもたらすだろう」
「……」
「異世界から連れてこられ、そんな立場に置かれてしまったのは不憫には思う。だが娘を守りたいなら、それを理解してもらいたい」
「……はい」
頷いたものの、今の才人にはそんな覚悟はすぐに決まりそうになかった。ただ、それを持つ猶予もない事も分かっていた。
それから同じ覚悟を持つよう、公爵はルイズへも告げた。貴族として育てられた彼女は、しっかりと返事をする。もっとも、その意味を十分理解しているようには見えなかったが。
やがて三人は、寮へと転移する。様々な思いを各人が抱えながら。
トリステイン魔法学院で軍事教練が始まって、五日ほどが経った。王宮では緊急の御前会議が開かれていた。
アンリエッタの前に重臣たちの顔が並ぶ。厳しい顔つきの新女王から、固い声が発せられた。
「忙しい所、集まってもらいありがとうございます。今回の招集は、アルビオン情勢に動きがあったからです。マザリーニ枢機卿」
「はい」
宰相であるマザリーニは席を立つと、重臣たちの方へ顔を向けた。
「今朝方、神聖アルビオン共和国より、宣戦布告を受けました」
「な、何!?」
重臣たちから一斉に声が上がった。
宣戦布告は通常、開戦直前に伝えられる。それが届いたという事は、すでに軍勢が揃っている、それどころか目前に敵軍が迫っているかもしれない、という意味でもあった。
各々が思いついた考えを口にした。
「アルビオンはもう軍勢を揃えたというのか?例の事件から、まだ十日も経ってないぞ!?」
「やはりアルビオンの陰謀だったのだ!開戦準備を終えてから、仕掛けたのだ。でなければこんな短期間で、軍が揃うわけがない!」
「だがそれならば、事件直後に開戦すればいい。宣戦布告まで数日空けた理由が分からん」
「では一体……」
戴冠式での事件に思考を持っていかれる面々。するとグラモン元帥の、断ち切るような声が入ってきた。
「諸君。憶測で語っても意味がない。今やるべきは現状の確認と、対策を考える事ではないのか?」
「そ、そうだ。その通りだ」
「それで、アルビオン軍の動きは?」
グラモン元帥の問に答えたのは、ポワチエ将軍。
彼は空軍を任されていた。凡庸と評価されている人物だ。長らく平和だったトリステインでは、彼のような人物でも将軍が務まった。しかし戦時では、力量不足を懸念されている人物でもあった。
「アルビオン艦隊の接近を確認している。目標はラ・ロシェールだと思われる」
「数は?」
「五隻。旗艦ロイヤル・ソブリン……いや今はレキシントンか。それも視認した」
「五隻?旗艦を擁する艦隊がか?」
「そうだ。艦隊司令の話では、さらに偵察範囲を広げたが、他の艦影は確認できなかったそうだ」
「たったそれだけで、ラ・ロシェールを落とす?」
半ば困惑した表情が会議テーブルを囲んでいた。
ラ・ロシェールは港町だ。ここを陥落させれば、上陸は容易になるだろう。それだけに防備も固い。いくらトリステインが小国だからと言って、わずか五隻でラ・ロシェールを落とせるわけがない。だいたい港を狙うというのも、あまりにセオリー通りすぎる。
一人の重心が口を開いた。
「陽動か?」
「だが旗艦がいる。旗艦を危険にさらしてまでやる事だろうか?」
「だからこそ効果がある。奇策を仕掛けようとしてるのかもしれん」
「だが戦力で圧倒している側が、奇策を使う必要があるのか?」
あまりに常識外れなアルビオン軍の動きに、頭を悩ます一同。
おもむろにグラモン元帥が口を開いた。
「基本方針は変わらない。引き込んで各個撃破だ。相手が寡兵ならばなお結構。港の陸軍と駐留艦隊とで対応する」
「奇策が裏にあったら、どうするのだ?」
「分からん奇策を警戒しても、労力を無駄にするだけだ。報告の通りなら、局地的にはこちらが優位。一気に叩き、奇策を使う余裕をなくしてやろう」
「なるほど……」
一抹の不安が残るが、だからと言って対案が出るわけでもなく、元帥の案に皆が賛同した。すると上座から声が発せられた。会議中、ずっと黙っていたアンリエッタからだ。
「わ、私もラ・ロシェールへ向かいたいと思います」
「陛下が?いや、しかし……」
「指揮を取るわけではありません。ですが、前線にいるだけでも兵たちの士気に貢献出来ると思います」
アンリエッタには、戴冠式での失態が未だ心に引っかかっている。それを挽回したいという、焦りにも似た感情があった。
重臣たちに渋い表情が浮かぶ。もちろん彼らも戴冠式で出来事を、彼女が気にしているのは分かっている。だがそれと戦争とは別の話だ。彼女を前線に連れて行った場合、下手をすれば、士気が上がるどころか足を引っ張られる可能性すらある。
するとマザリーニが、納得したかのような声が出てきた。
「悪くないかもしれませんな」
「宰相閣下!何を申される!」
驚きの声が重臣たちから上がる。
「アルビオンの奇策の可能性がある以上、何も手を打たぬというのもどうかと。陛下のお考えとは少々異なるが、陛下を最も防備の硬い場所に密かに移っていただくのです」
宰相の提案に反論の声が上がるが、それに一つずつ答を用意していく彼。やがてグラモン元帥が口を開いた。
「分かりました。宰相閣下。確かに何も手を打たない訳にもいかない。万全な策とは言えないが、悪い手でもない」
胸をなでおろすアンリエッタ。だが次に厳しいグラモンの言葉が、耳に入る。
「しかし陛下。状況次第ではすぐに王都へ帰還していただきますぞ」
「分かりました」
緊張した面持ちで頷く新女王。
こうして方針は決まり、会議は解散。重臣たちはそれぞれの役割を果たしに向かった。
アルビオン艦隊は、ラ・ロシェール港まであとわずかな距離まで進んでいた。トリステイン軍の偵察竜騎兵を見かける頻度も多くなってきた。
まもなく開戦となる状況で、旗艦『レキシントン』艦長サー・ヘンリ・ボーウッドは、苛立ちをなんとか抑えていた。それを察してか、副官が声をかける。
「たったこれだけの戦力で、本当に開戦するおつもりですか?」
「そういう命令だ」
「何を考えているのでしょうね。あの女は」
「総司令閣下だ。今はな」
「それは……そうですが……」
「ともあれ我らは軍人。命に従う他ない。それに後続も、準備ができ次第続く」
「ですが、それは戦力の逐次投入に過ぎません。むしろ愚策では?戦力差は圧倒的なのです。全艦隊で一気に攻め込めば……」
「もう決まった事だ。任務に専念しろ!」
「……。はっ」
不満げな表情のまま、副官は艦長室を出ていった。
神聖アルビオン共和国の保有する戦艦は五十隻を超える。にもかかわらず十分の一の戦力で、出陣を命令された。王家撲滅後に一度軍を解散したため、現状、すぐに動かせる戦艦がこれしかなかったからだ。
確かに軍をまた揃えるのには時間がかかる。さらに早い開戦は奇襲効果を生む。
しかし戦力が少なすぎる上に、奇襲というにはあまりにセオリー通りすぎる侵攻。狙いを悟られている以上、すでに奇襲効果は失われていると言ってもいい。しかも何故か皇帝クロムゥエルは、ただの秘書に過ぎないシェフィールドを今回の総司令官に任命した。多くの貴族の反発を制して。もっとも一部の貴族は、シェフィールドとガリアの繋がりを察していたので、それが理由ではと考えていたが。
それにシェフィールドからの命令も妙だった。ラ・ロシェール港を落とせではなく、攻撃しろだ。落とす必要はないとも言われている。後続を待つまでの時間稼ぎなのかもしれないが、ならば全軍が揃ってから出陣したほうが戦力を無駄にせずに済む。
こんな不可解な戦闘をしなければならない上、さらに彼の心をざわめかすものがあった。この艦隊の最後尾についているシェフィールドの乗艦だ。どこからか皇帝が用意したものだった。アルビオンどころかハルケギニアでも見ない形をしており、その甲板の上には異様な姿のガーゴイルが並べられていた。その上、ガーゴイルで艦を動かしているので船員は必要ないと言われ、アルビオン人は一人も乗っていない。あの艦の実態を誰も知らないのだ。彼は、あれをガリアの新兵器と睨んでいる。彼女とガリアの繋がりも考えると、アルビオンがガリアの手駒として動かされていると思わずにはいられない。
何にしても、ボーウッドにとっては気の進まない戦争であった。
一方のシェフィールドの乗艦。全体を黒塗りしたハルケギニアからすれば奇妙な形状の艦。甲板には火竜並の大きさのガーゴイルが数体。その周囲には、2メートルを超える騎士や全身をフードですっぽり身を包んだメイジらしき人物。しかも彼ら全員仮面を被っており顔が見えない。さらに何故か皆、黒に染め上げていた。演劇で出てくる闇の軍勢と言われても納得してしまうような、異質な存在感を放つ艦だった。
その艦長室では、今回の総司令官であるシェフィールドが跪いていた。その目の前には異形の者たちが並んでいる。
ミョズニトニルンは、床に視線を向けたまま報告する。
「デミウルゴス様、コキュートス様、ルプスレギナ・ベータ様、ナーベラル・ガンマ様、まもなくラ・ロシェールに到着いたします」
頷くナザリックの面々。代表してデミウルゴスが口を開いた。
「再度確認するが、今回の目的は勝利ではない。アインズ様の御心を煩わせた者、すなわちトリステイン女王戴冠式での事件の首謀者あぶり出しとその意図を探る事だ」
「承知しております」
「そのため戦いを長引かせ、かつ限られた範囲内で行ってもらう。君には、この戦争をうまく操ってもらいたい。アインズ様が君を魔導国に受け入れた意味を、胸に刻んでおいてくれたまえ」
「ご期待に添えるよう、全身全霊を以って務めさせていただきます」
とりあえず納得顔を浮かべるデミウルゴス。そして隣に立つ同僚の方へ向いた。
「コキュートス。君は今回、魔導国空軍の指揮官だ。ただし、アインズ様は君が前線に出ることをお許しになってない。指揮に専念し、彼女と共にうまく事を運んでくれ」
「了解シタ」
そして赤髪の戦闘メイドへ声をかけた。
「ルプスレギナ。君はコキュートスの指揮下だ。彼の指示に従ってほしい」
「了解っす!」
屈託がない笑顔で敬礼を返すワーウルフ。スーツ姿の悪魔は最後に、切れ長の眼の戦闘メイドへ声をかける。
「ナーベラル。君には彼女の護衛を任せる」
「了解しました」
シェフィールド、人間を護衛するというナーベラルにとっては不快極まりない任務だが、命令は命令だ。手を抜くつもりはない。
そして一同へと視線を流すデミウルゴス。
「今ここにはいないが、アウラも今回の作戦には参加しており、すでに活動を開始している。また全体指揮は私に任されてる。お互い、状況報告を忘れぬように」
そう言う彼の手には、人形があった。ガリア王室のマジックアイテムだ。通信機のような使い方ができる。これのおかげで、メッセージのスクロールを消費せずに済む。ハルケギニアの人間の技術も捨てたものではないと考える悪魔だった。
「諸君。必ずやアインズ様へ成果を持ち帰ろう」
各々は気合をいれるように頷いた。