ナザリック地下大墳墓第九階層の執務室。そこにナザリックの主であるアインズと、各階層守護者が集まっていた。アインズは愛用の執務机に、傍らにはアルベド。彼らの前には豪奢な長いテーブルがあり、それをソファが囲んでいる。そこに階層守護者たちは腰を下ろしていた。
各々の前には書類が置かれていた。ラ・ロシェール戦役での報告書だ。同格の白い騎士については一度話し合われたので、今回の議題は新たに分かったことについてだ。その中でも最も注目されたのが、アルビオン艦隊のほとんどを沈めた光の魔法。
アインズは、資料のその箇所を指で軽く叩きながら言う。
「広範囲ダメージを与える光る魔法なら、いくつもある。例えば第九位階魔法の『ニュークリア・ブラスト』などな」
「はい」
アルベドが静かに頷く。しかし、納得したという声色ではなかった。
「ですがそれらの魔法と想定すると、不可解な点がいくつもあります」
「そうだな」
自他ともに認める魔法コレクターであるアインズは、それぞれの特性を熟知していた。
ユグドラシルの広範囲魔法は様々あるが、範囲内のものに全て効果を与えてしまう。もちろん相手がなんらかの方法で耐性を持っていれば、影響があるとは限らない。だがそれは、相手に由来するものだ。ところが報告にある魔法は、その点が違った。
ダメージを受けたのは戦艦の帆、武器、精霊石だけだ。乗船していた人間、艦自体はほぼ無傷だという。現地の人間や戦艦本体が、耐性を備えていたなどとはとても考えられない。だとすると、術者が選択したことになる。
これが広範囲攻撃用の直接攻撃スキルならば、対象を選択することはできる。だが魔法では不可能だ。例外的なのは超位魔法だが、発動時の魔法陣の目撃情報がない。あれを夜間に使えば、目立って仕方ないはずだ。では、この現象はなんなのか。限りある課金アイテムと超位魔法を組み合わせればできないことはないが、そこまでしてやることかと言われると疑問しかない。
ここでデミウルゴスが、おもむろに口を開く。
「アインズ様。よろしいでしょうか?」
「なんだ?意見があるなら言ってくれ」
「これは、我々と同郷の者の仕業ではないのでは?」
「……お前の考えを聞こう」
アインズは、肘掛けに体重をかけ悠然とした態度を取る。絶対支配者らしい仕草で。悪魔は、主の質問に答えた。
「これは、虚無の魔法ではないでしょうか?」
「虚無?そう考える理由は?」
「まず、アインズ様も疑問をお持ちのように、広範囲魔法で目標を選択する手段はかなり限られます。さらに現地には、当時、女王がいた事が分かっています」
ラ・ロシェールでの戦闘中は、アストン伯爵の居城で身を隠していたアンリエッタ。しかし勝利が確定した時点で姿を現した上、権威を高めるために前線に女王が赴いていたと宣伝して回ったのだった。そのため当然、ナザリック側もそれを知ることとなる。
「確か各王家は、始祖ブリミルとやらの血を継いでいるという話だったな。そして虚無に目覚めるのは、その血と例の始祖の秘宝が必要だとか」
「ええ。ただ、血については無視していいでしょう。伝承が事実だとすると、六千年前の人物では、程度は違ってもハルケギニア中の人間が血を引いていても不思議ではありません。むしろ注目すべきは、始祖の秘宝でしょう」
「秘宝は王家にしかない。それにより、すでに女王が虚無に目覚めていた可能性があるか……」
「はい。ジョゼフのように」
「しかしそうなると、女王自らが最前線に出て魔法を放ったことになるが……。そんなことが有りうる……いや、あり得るか」
王とはそういうものだと、最近の彼は認識をあらためていた。いざとなれば、責務を果たすと。ところが賢臣の悪魔は、気がかりを漂わせつつ言葉を続けた。
「もっとも、トリステイン女王を虚無の候補として上げましたが、彼女では腑に落ちない点もあるのです」
「腑に落ちない……か」
「はい。虚無の担い手であるジョゼフは、幼少期から虚無に目覚めた後も系統魔法が全く使えないことが、コピージョゼフの聞き取りから分かっています。しかしトリステイン女王アンリエッタは、水系統の系統魔法の名手として知られています」
「確かに、妙な話だな。しかしだ。系統魔法の名手とやらが、偽装の可能性はないか?」
相手に欺瞞情報を見せるというのは、ユグドラシルでよくやっていたことだ。アインズはPvPなどの経験から、その考えに至る。
頷く悪魔。
「ご推察の通りです。王家の者が魔法を使えないでは、面目どころか国政に影響します。さらに接触できる者も限られるため、偽装するのは難しくはないでしょう。いずれにしても、虚無の可能性を調査すべきと愚考いたします」
「ふむ……」
するとここで、別の者からの発言が出てきた。竜人の執事、セバスだった。彼は、ハルケギニアの情報網を統括している立場にある。
「アインズ様」
「なんだ?セバス」
「先ほどの魔法が使えないという話を伺い、気になる噂があるのですが」
そこで脇から、嘲笑を含んだような物言いがセバスの耳に届いた。デミウルゴスだ。
「噂……ですか。もう少し裏取りをしてから、報告してもらいたいね。セバス。不確かな情報は、ナザリックの、しいてはアインズ様の判断を歪める可能性もあるのだよ」
「……。申し訳有りません。この件については調査を進めますので、先ほどの発言は、撤回させていただきます」
セバスは礼をすると、黙り込んだ。
しかしアインズは、彼の行いを遮るように軽く右手を上げる。
「いや、その話、一応聞きたい。分かってる部分だけ教えてくれ」
「わかりました」
頷くセバス。それにデミウルゴスは、少しばかり眉間にシワを寄せる。執事は話を始めた。
「トリステインの王都に、セバスチャン商会の直営飲食店があります。そこによく通ってくる、トリステイン魔法学院の生徒がいるのです」
「トリステイン魔法学院の生徒?」
「はい。その生徒たちの会話を店員が耳にしまして、彼から聞いた話です」
「ふむ……」
「魔法学院に、魔法が使えない生徒がいると」
「何?」
「初歩の魔法も満足にできず、何をやっても爆発効果となってしまうそうです」
「……」
話を耳に収めたアインズ。腕を組んで考え込む。ここでシャルティアが、小馬鹿にしたように口を開いた。
「単に魔法が下手くそなだけで、ありんすかえ?」
「そ、そうですね。だから勉強しないといけなんだし……」
マーレも、小さくうなずきながら賛同する。落ちこぼれ生徒が、ただいただけにすぎないと。
アインズも同じ考えを抱いていた。魔法使えないから、学院に通うのではないのかと。その中には、成果のでない生徒もいるだろう。
ところがセバスの話を軽視していた、デミウルゴスが難しい表情となっていた。引っかかりを覚えたと、言わんばかりに。
「セバス。その生徒の名前は?」
「フルネームは分かりませんが、ヴァリエール家のルイズという名の少女です」
「ヴァリエール……。なるほど……」
顎に手を添え、考え込む悪魔。しばらくして、口を開いた。
「アインズ様。その者についても、候補と考えたいと思います」
「注目すべき点があると?」
「はい。ヴァリエール家はトリステインの公爵家です。王家に近い家柄なため、始祖の秘宝に近づける立場にあります」
「魔法が使えないという点については、どうだ?」
「それについては、判断材料の一つ程度の扱いでいいでしょう。最初に申しましたように、やはり注目すべきは始祖の秘宝。これに近づいた者を調べる事こそが、肝要と考えます。さらにこれは可能性の一つですが、ジョゼフも候補に入れるべきでしょう」
「新たな魔法を取得した可能性か……」
「はい」
「分かった。ラ・ロシェールの光る魔法を、虚無として対処する。むろん、他の可能性も否定できないが。調査については、デミウルゴスをリーダーとしてチームを組む。セバス。デミウルゴスに協力し、情報収集に努めよ」
一瞬、表情をしかめる二人。しかしすぐに戻る。アインズはわずかに首をかしげた。仲が悪そうな気配を感じて。ともかく、今はそれについて考える時ではない。
「ただし、くれぐれも言っておくが、トリステインに執着しているギルドがいる可能性が高い。少なくとも同郷の者が複数いる。連中に十分警戒しろ。さらに遭遇しても、戦闘は基本的に回避だ。撤退を優勢せよ」
「「ハッ」」
響きのいい返事が、ナザリックの絶対支配者に届いた。
一旦、落ち着く執務室。するとアルベドが秘書然とした態度で、主の方へ顔を向けた。
「アインズ様。次の議題に移ってよろしいでしょうか?」
「そうしてくれ。確か、モンスターの情報だったな」
「はい」
各人が別の資料を手にする。内容はごくわずかだったが、こちらも注目すべきものだった。
アウラが唖然とした声を漏らす。
「え?ゴブリンに、フロストドラゴン?」
ロバ・アル・カリイエ統一後、生態系を彼女は調査した。レンジャーである彼女が、ユグドラシルのモンスターを見落とすなどありえない。資料の内容は、受け入れがたかった。
ここで、アルベドの補足が入る。
「そうと確認できた訳ではないわ」
「どういう事?」
「現地の人間たちからの報告なのよ。ゴブリンの方は、死体を処分してしまって回収できないわ。だから正体は不明。フロストドラゴンについては、目撃情報のみなの」
「なんだ。じゃあ、見間違いってこと?」
「フロストドラゴンはともかく、ゴブリンについては実際に被害も出てるのよ。今回は、警備用アンデッドで対処できたけど、無視する訳にもいかないわ」
「そっか。じゃあ、どうするの?」
オッドアイのダークエルフは、素直に疑問を口にする。
それに答えたのは、彼女の主。
「この謎のモンスターについては、これまで通りアンデッド警備兵が対処する。アウラ。お前にはこの件に関連して、別の仕事を頼みたい。申し訳ないが、再度、ロバ・アル・カリイエの生態調査してくれ。今度は少し範囲を広げてな。そしてもし我々の世界のモンスターが確認できれば、捕獲してもらいたい。生死は問わないが、できるだけ生かしておいてくれ」
「わかりました。アインズ様」
大きく頷くアウラ。元気な子供らしい態度で。
この後、アルビオンの戦争について話し合われた。
同郷の存在が確認できた以上、戦争により不確定要素が増えるのを避けるため、休戦状態に持っていくことが決まる。また、ルプスレギナ、ナーベラル、エントマがデミウルゴスの調査チームに加わる。
さらにアインズから、ナザリック内での武闘大会の提案が出る。一同はもちろん賛成。自分たちの技量を高めるという全うな目的に納得した点もあるが、一部の戦闘好きは、この世界で満足のいく戦闘ができなかったので、それを求めた部分もあった。
やがて会議解散後、各人は動き出した。
アインズは自室に戻って、ラ・ロシェールでの出来事に考えを巡らせる。
多少時間が空いたとはいえ、他ギルドのプレイヤーと虚無の担い手らしき存在が、近い時間帯に同じ戦場に現れ、トリステインに助力した。これを偶然と受け取るのは難しい。双方が手を組んでいる可能性も、あるかもしれないと。
もっとも自分が考えつく程度なのだから、その辺りはデミウルゴスが調べてくれるに違いないと、賢臣に期待することにした。
やがて武闘大会の競技内容について、あれこれとアイデアをノートに書き記すナザリックの絶対支配者だった。
アルビオンの旧王都ロンディニウムは今でも首都だ。その中心、ハヴィランド宮殿。その隣に、小ぶりな離宮があった。神聖アルビオン共和国成立後に、建造されたものだ。本宮殿とは渡り廊下でつながってはいるが、この離宮に入れる者は限られた。皇帝オリヴァー・クロムウェルと秘書のシェフィールドを除いて。アルビオンの貴族たちには、この離宮で皇帝は愛妾を囲うつもりではないかというような、不謹慎な噂を立てる者もいた。
しかし実態は違う。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の臣下となったシェフィールドが、その情報を隠すためと自身が暗躍しやすいように本宮殿から切り離すための離宮だった。実際、この宮殿にいる人間は、基本的にシェフィールドだけだ。人間の使用人すらいない。他にいるのは、彼女の補佐と護衛、雑務をするために偽装したアンデッドたち。
その彼女の執務室に、当惑した顔つきの皇帝がいた。執務机に肘を付け、余裕の態度を見せる秘書を前に、立ったままのクロムウェルが。
正直、彼はこの離宮に来るのが好きではない。というよりも、恐ろしいと言った方が近い。本能的な直感がそう告げる。ここに来ると、魔界にでも飛び込んだような気分になる。実際この館中にはもちろん、この部屋にも得体のしれない存在がいた。大柄の衛兵とシェフィールドの補佐官たち。皆、仮面をかぶり、黒ずくめの鎧や衣装で全身を覆っていた。彼らから不思議と、人間の気配がしない気がする。何故だかは分からないが。
さらにこの目の前の秘書も、得体が知れない。
ラ・ロシェールから帰還した者たちから、シェフィールドは戦死したと報告を受けた。黒い戦艦と共に沈んだと。ところがこうして、何食わぬ顔でここに戻ってきた。沈む艦からマジックアイテムで脱出したなどと言っていたが、確認のしようがない。彼女も、もしかしたら人間ではないのかもしれない。そんな考えすら過る。
もっとも、彼女がこうして生きて帰れたのは、魔導国が転移魔法で脱出させたからなのだが。
ここにクロムウェルが来たのは、シェフィールドから受け入れがたい要求をされたからだ。その理由を聞きに来たのである。戸惑いながらも、厳しめの口調で問う。
「休戦するとは、どういう意味ですか!?」
「そのままよ」
「ですが、捕虜交換もままなりません。こちらは捕虜を捉えてないのですから」
通常、休戦となる場合、捕虜交換、敗北した側が賠償支払い、領土割譲などで終わる。だがアルビオン側は、結局ラ・ロシェールに上陸できなかったため、トリステインから捕虜を取れなかった。交換する捕虜がいない。
「捕らえられた者たちを、どうされるおつもりか!?」
「賠償金で返してもらいなさい」
「それでは、我々が負けたかのようではありませんか!」
「なら、別に見捨てても構わないわ」
「いや……それはさすがに……。今回、トリステインに捕まった者たちは、ボーウッド艦隊司令をはじめ、艦隊運用に必要な人材もおります。彼らを見捨てるということは、単に兵を失ったのとは訳が違いますぞ」
「どうでもいいわよ。そんな連中。重要なのは、トリステインとは戦わない。これだけよ」
「な……!」
言葉のない皇帝。元平民司教にすぎない自分すら、国家運営のことは考えている。しかし、この秘書はそんなもの眼中にないかのようだ。
「な、何故、そこまで休戦にこだわるのです」
「陛下が、お望みだからよ」
「陛下……」
零すようにつぶやくクロムウェル。彼女の言葉が自分を指すものではないことは、当然分かっている。アルビオンで、シェフィールドとガリアの関係を唯一知っているのが彼だった。そしてこうして皇帝に上り詰めたのも、彼らの支援あってこそだ。その後ろ盾に、歯向かう事はできない。
しかし、ここでシェフィールドが口にした陛下とはジョゼフではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人だ。
歯を強く噛みしめる成り上がり皇帝。このまま休戦しては、皇帝としての面目を失ってしまう。
強い瞳を、シェフィールドの方へ向けるクロムウェル。
「休戦すれば、よろしいのですな」
「そうよ」
「分かりました。実現させてみせましょう」
「聞き分けがいいのは、嫌いじゃないわ」
「……!」
怒りを込めた言葉がつい出そうになるが、なんとか堪える。その怒りを脚に込め、勢いよく踵を返すと部屋から出ていった。
本宮殿への渡り廊下進む中、憤りで体中が熱くなっている気すらした。
「よかろう。その望み叶えてやるわ!だが金は払わん、臣下も見捨てん!」
この状況下で自らの立場の維持と権威の保持という、一見無茶なような要件を成立させるアイデアが彼の頭に浮かんでいた。交換する捕虜がいないなら、作ればいい。こちらの重臣を返さざるを得ない、トリステインの重要人物を捕虜にすればいいと。
エルフの国、ネフテス。その東方にバーハダーラン要塞があった。ここはロバ・アル・カリイエの人間たちへ対抗するための要であり、東方方面軍の司令部が置かれていた。
その要塞の最も高い指揮所。そこに数名のエルフの姿があった。鋭い目つきの細身のエルフ。ネフテス右派、鉄血団結党の党首エスマーイル議員。そしてその隣には、太めだががっちりとした体格のエルフ。東方方面軍総司令イビン将軍。そして彼らの護衛たちだ。
窓の側に立つ彼らの視線は、眼下へ向けられていた。整然と並ぶエルフの大軍勢に。そして視線を上に向けると、多数の空中戦艦が整った陣形で、浮いていた。これらは近い将来、ハルケギニアの蛮族たちを滅ぼすために用意された軍勢だ。
ちなみにネフテスの空中戦艦は、ハルケギニアのものとは違い自律行動できる。ただ移動方法は魔導国のものとは違い、数十頭の風竜の牽引によってだが。今は、空中で停止しているので、風竜は全て甲板に上がっていた。そのため、楕円状の本体だけが見えている。それはあたかもUFOが並んでいるかのよう。もちろん光ってなどいないが。
まさしく大軍勢が、二人の前に広がっていた。イビンが手を軍へ差し向けた。エスマーイルへ誇らしげな顔を見せる。
「いかがですかな。党首。我らが軍の陣容は」
「よくぞ、ここまで鍛え上げた。君の軍人としての才覚には、感心するばかりだ」
対するエスマーイルは、彼を褒めちぎった。もっとも、これだけの軍を揃えるだけの予算を引っ張って来たのは彼なのだが、そんなことはわずかも匂わせない。
党首の世辞を耳にした将軍は、満足そうだ。イビンは再び軍へと視線を戻すと、機嫌良さげに話し始めた。
「それで、西方への出兵は、いつごろを考えておられるのでしょうか?」
「それなのだが、現状では難しい」
「と、言われますと?」
「将軍は、西方、ハルケギニアにシャイターンが出現したのを知っているかね?」
「もちろんです」
「その力のほどは?」
「そこまでは……。何分、増え続ける軍を鍛え上げるのに時間を取られまして……」
言い訳を並べ、将軍として情報収集を怠っていたことをごまかそうとするイビン。しかし、エスマーイルは気にしない。
「そのシャイターンの魔法は、素早く動けるようになるものだそうだ」
「素早く動ける魔法……ですか。他には?」
「他には何もない。まあ、その素早さは、目で捕らえるのが困難なほどという話だが。魔法はそれしかない」
「それがシャイターン……?しかし、シャイターンはその力で大災厄を起こし、エルフの半数を滅ぼしたとの話のはずですが……」
大災厄。エルフの歴史に刻み込まれた六千年前の大災害である。それは、虚無の魔法を使う人物によってもたらされたと、エルフの歴史家たちは言う。そしてその虚無の魔法の担い手を、悪魔のエルフ語であるシャイターンと呼ぶのだった。
そのシャイターンが予想通り出現した。ジョゼフのことだが。ただ彼らが考えていた悪魔の力の予想と、ジョゼフの魔法はかなり違った。
難しい顔つきとなるイビン。エスマーイルは、肩をすくめて話す。
「フッ……。私も将軍と同じ印象を持ったよ。素早く動けるだけで、そんな被害が出るわけがないと」
「まあ、そうですな……。情報が不正確なのではないのですか?情報元はどこからです?」
「あの臆病者のビダーシャルからだ」
「なんと!ではむしろ、意図的に真相を隠したのでは……。十分、ありえますぞ!」
積極策を取る彼らにとって、消極策を取る左派は相容れない存在だ。ビダーシャルは左派の中心人物の一人だった。
だが党首は、それに首を振る。
「ビダーシャルの小心には呆れるばかりだが、彼の誠実さには私も敬意を払っている。そのような姑息な真似はしない」
「では……。本当に素早く動けるだけなのですか」
「そうだ」
「……」
「つまりだ。ここの軍勢は建前上、東の蛮族、ロバ・アル・カリイエへの備え。その東の要を、シャイターンの素早く動くという脅威に対抗するため、全軍西へ向けさせてもらいたいと議会に認めさせねばならん」
「無理ですな」
「その通りだ」
ここまで来て、予想外の壁にぶつかる鉄血団結党。シャイターンがその程度では、何のために兵力を増やしたのか分からない。イビンには、そんな考えすら浮かんできていた。表情を曇らせる。しかし、エスマーイルは揺るがない。
「将軍。シャイターンが強いか弱いかは関係ない。そもそも西の蛮族共は、聖戦などと称して定期的に祖国を侵しに来る。我々の目的は、それら全ての災厄の原因を取り除くことだ。シャイターン排除もその目的の一つに過ぎない」
「左様ですな。失礼、一瞬、目的見失いかけました」
「分からぬでもない。エルフならば災厄と言えばシャイターンと考える。それが脆弱だとは、当てが外れるにも程がある」
「しかし、それだとすると、歴史学者共は間違っていたのでしょか?」
「かもしれん。なんせ六千年前の話だ。残っている資料も、どこまで信用できるのか……。いずれにせよ、我らの目的はわずかも揺るがん」
もはや覚悟を決めていた彼らは、ただただ目標へ、ハルケギニアの人間の滅亡へと突き進むこと胸に刻む。
気持ちをあらためたイビンは、一つ疑問を口にする。
「党首。先ほどの話に戻りますが、シャイターンが侵攻の理由になりにくいとなると、どのように西へ軍勢を向けるのですか?」
「理由を増やせばいい」
「理由を増やす?」
眉をひそめるイビン。そんな彼に構わず、エスマーイルは扉の方へ振り向いた。
「ファーティマ・ハッダード少校!入室したまえ」
「ハッ!」
扉の向こうから、威勢の良い若い女性の声が聞こえた。入ってきたのは、小柄な少女といってもいい若いエルフだった。
イビンが見たこともない少女だ。少校という階級で呼ばれていたので、士官なのだろう。ただ士官学校出たてかのような、気負った様子が気になったが。
鉄血団結党の党首は東方方面軍総司令の方へ、視線を戻す。
「紹介しよう。ファーティマ・ハッダード少校だ。若輩ながら、優秀な士官だ」
「イビン将軍!ファーティマ・ハッダード少校であります!以後、お見知りおきを!」
ハキハキとした挨拶に、イビンは鷹揚な態度を見せる。
「ふむ……。東方方面軍総司令官のイビンだ。少校。祖国のために、尽くしてくれたまえ」
「はい!」
ファーティマから、勢いのある返事が出てくる。イビンはとりあえず、うなずきで返した。
エスマーイルはファーティマの方を向くと、期待を込めたような口調で語りかける。
「少校。君には重大な任務を与える」
「はっ!」
「西方、ハルケギニアに潜入し、蛮族どもの宗教の頂点、ロマリアの教皇を襲撃してもらいたい」
「教皇の襲撃……ですか。了解いたしました」
「目的は、我らエルフの力の強大さを教皇の心に刻み込むことだ。故に、その者の命を脅かしてはならない。まあ怪我くらいは、させてもかまわないが。腰を抜かすほど、怯えさせてもらいたい」
「その……つまり、脅かすのが任務なのですか?」
「少校。この任務を軽視してはならない。その成否により、我々の行動は大きく変わる。成功させねばならん」
「了解いたしました。ファーティマ・ハッダード、この任務を必ずや成功させてみせます!」
切れのある敬礼をするファーティマ。その瞳には、期待に絶対に応えるという決意がこもっていた。
それに、満足げな態度を見せるエスマーイル。するとまた扉の方を向く。
「ナージブ上校。入ってくれ」
「はい」
落ち着いた声と共に入ってきたのは、体の引き締まった青年エルフ。ファーティマとは違い、余裕が伺える。
「この任務の指揮権は、基本的に少校にある。今回の任務において、彼女を支援してもらいたい。君の隊を率いてな」
「了解いたしました」
淡々とした敬礼をするナージブ。一方のファーティマは驚いていた。上官が自分の指揮下に入るのだから。身が引き締まる思いに駆られる。
そんな彼女の雰囲気など全く意に介さず、ナージブへ屈託のない表情を向けた。
「よろしくな。少校」
「よ、よろしくお願いします。ナージブ上校」
やがて二人は部屋から出ていった。
イビンが腑に落ちないという態度で、エスマーイルに話しかける。
「教皇を直に襲うことで、蛮族共に聖戦とやらを起こさせようというのですな」
「そうだ。シャイターンに聖戦が揃えば、さすがに議会も我らの出兵を認めざるを得ないだろう」
「しかし、そのような重要な任務を、あのような若輩者に任せてよいのですか?まだ士官学校を卒業してそう経っていないのでは?」
「その通りだが、気概だけは抜きん出ている。なんせ、あのシャジャルの一族だからな」
「シャジャルの一族!?」
シャジャルという一族は一部のエルフからは、忌み嫌われていた。その一族の一人の女性が、ハルケギニアの人間に自らの意思で嫁いだのだから。彼女こそ、アルビオンのモード大公の愛妾であり、アルビオン内戦の原因となった人物でもあった。
しかしエルフたちには裏切り者として、その名が刻まれていた。当然、彼女の一族も裏切り者を作り出したと、蔑まれることになる。
年月が経ち、さすがにかつてのような扱いではなくなったが、今でもその影響は残っていた。ファーティマにとって、鉄血団結党に参加し成果を出すことは、一族の不名誉を払拭することでもあった。
彼女の素性を聞いても、イビンは納得がいっていない。
「気概だけで、任務が達成できれば苦労しませんぞ。むしろ、先走りすぎる可能性すらある」
「それも狙いの一つだ。だからこそ彼女に指揮権を与え、ナージブの隊を付けた。いざとなったら、彼女を見捨てる。先行し過ぎため、やむを得ずという演出をしてな」
「では、あの娘は捨て駒だと?」
「というより、メッセンジャーだな。直接、聞いたほうが我々の意図が、蛮族共に伝わるだろう」
「なるほど」
ようやく納得顔を見せる将軍。
「では、出兵に備え、より兵たちを仕上げねばなりませんな」
「その件についてなのだが……。彼らは戦えるのかね?」
思わずエスマーイルへと強い視線を向けたイビン。最初、この軍勢を褒め称えていたというのに。自分の腕を疑われたようで、少々不機嫌になる。
「どういう意味でしょうかな?」
「気分を害したようなら、申し訳ない。将軍の軍才を疑ったわけではない。話は変わるが、将軍が最後に戦争に参加したのはいつかな?」
イビンには今ひとつ、党首が何を言いたいのか分からない。つぶやくように返す。
「そうですなぁ……。三年前ほどでしょうか。ロバ・アル・カリイエから侵入した蛮族を打ち取りました」
「それは、戦争と言えるほどのものだったのかね?盗賊討伐と、大して分からないではないかな?」
「……まあ、そうですな。正直言えば、ロバ・アル・カリイエの蛮族より、エルフの盗賊の方が厄介な時すらあります」
「そうだ。戦争と呼べる最後のものは、ハルケギニアの蛮族共の起こした聖戦くらいだ。だが、あれからどれだけの年月が経ったと思う?」
「確かに……。その意味では、私もその時以来、戦争は経験しておりませんな」
「そうだろう。ならばここにいる多くの若い兵たちは、全くの実戦知らずという訳だ」
「……」
「これから起こる大戦争に、それでは心もとない。いくら相手が、脆弱な蛮族だとしてもだ」
「ふむ……」
ようやくエスマーイルの意図を理解したイビン。腕を組んで考え込む。すると何かを閃いたのか、手を打つ。
「丁度よい訓練相手なら、すぐ側にいますぞ」
「模擬戦かね?」
「そうではありません。実戦です。演習相手は、ロバ・アル・カリイエの蛮族共」
「それでは先程の話と同じ……という訳ではないようだな。将軍、君の考えを教えてくれ」
目つきは鋭いながらも、興味ありげなエスマーイルに、胸を張って話し始めるイビン。
「党首はロバ・アル・カリイエについて、どの程度ご存知ですかな?」
「同族同士で相喰みあっている、まさしく蛮族というしかない者たち……という程度だな」
「どのような国があるかなどは?」
「詳しくは、知らない」
「そうですか」
それからイビンはロバ・アル・カリイエの内情について、説明を始めた。東方方面軍総司令というだけあって、東方の蛮族についてはよく分かっている。
ネフテスに隣接しているのは、マガーハ藩王国という国で、その国は隣国のガナジャイディー藩王国の圧力により衰退しつつあると。
だがこれは真実ではない。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の隠蔽工作により、エルフたちは現在のロバ・アル・カリイエは三年前と大して変わっていないという情報を掴まされていた。強大な統一国家が発生しているなど、想像すらしていない。
エスマーイルは説明を聞き、将軍が何を言いたいのか予想がついた。
「つまり、マガーハ藩王国へ戦争をしかけるということなのかな?」
「左様です」
「……」
するとわずかに表情を曇らせ、考え込む鉄血団結党党首。その様子に、将軍は怪訝そうな態度。何か問題でもあるのかと。
「将軍。なかなか難しい作戦となるな」
「そうでしょうか?」
「ただでさえ、弱体化している国だ。我らの軍勢が一斉に攻め入っては、蛮族共は恐れをなして逃げ出してしまう。それでは演習にならん。かと言って、戦力を絞れば一部の者しか実戦を経験できない。蛮族共には本気になってもらいつつ、全将兵が実戦を経験できるように戦争を操らねばならん。また、恐れをなした蛮族が、他の藩王国と手を組み、我らと全面戦争などになっては本末転倒だ」
「……。それは……確かに……」
全ての条件をクリアする絶妙なアイデアだと思っていたイビンは、エスマーイルの指摘に意気込みをしぼませる。
しかしエスマーイルに、不満そうな雰囲気はない。むしろ満足げだ。
「将軍。誤解してもらいたくないのだが、基本的に私はこの案に賛成だ。先ほどの点を留意しつつ、その方向で作戦を組み立ててもらいたい」
「お任せを」
意気込みを取り戻したイビンは、笑みを浮かべ頷いた。
今後の方針が決まり、エスマーイルは首都、アディールへ戻る。ファーティマたちはハルケギニアへと向かった。そしてイビンは実戦演習の入念な準備のため、幕僚たちに集合をかけるのだった。
エスマーイルとファーティマたちは、原作では出番がわずかでしたが、本作では出番が増える予定です。