神々、君に背き奉る   作:アグナ

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そういえば本編に全く関係ないが、最近東日本各地で全く雨が降らないからガチの雨乞い神事をやってるらしい。期せずタイムリーだった。


まつろわぬ龍神王女

 神仏習合──それは日本古来からの信仰である神道と外国から伝来してきた仏教との融合。異なる二つの信仰を一つの信仰として再構築した宗教現象である。

 

 詳細な時期に関しては記録が残っていないため、今でも様々な学説が囁かれているものの仏教が日ノ本に伝来したのは西暦にしておよそ五〇〇年の半ば、欽明天皇の統治時代であると言われている。

 その当時、仏は蕃神……即ち外国からやってきた神の一つだと考えられ、日本古来からの神格である「国つ神」とは全く別の存在であるとされていた。そのため仏教伝来当時には天皇の仏教受容の可否を巡っては臣下同士の争いも起きたという。

 しかし時代が下るとともにやがて氏族レベルでは着実に仏教は浸透していき、氏寺の建立は相次いだ。やがて大化の改新前後には朝廷内においても仏教の儀礼が営まれ、神祇祭祀と並存する流れが作られ始められた。

 

 そこからさらに時代は進み、仏が日ノ本で受け入れられる土台が出来て七世紀頃の奈良時代、気比神宮寺や若狭彦神願寺など各地に、神と仏を同時に祀る神宮寺が建立されていき、『神身離脱説』という概念が囁かれ始めた。

 曰く、『人と同じく神々もまた現世に迷い苦しむ衆生の一類であり、仏法の力により解脱させるべきである』という思想である。

 

 この思想を下地に、神と仏を同時に祀る神宮寺は数を増やしていき、さらには神は仏法を守護するべき化身であるとする護法善神という概念も生まれた。この説話は奈良時代末期の称徳天皇の宣命などにおいて唱えられ、これは仏教がインド在来のディーバたちと同一の存在、護法神であると位置づけたことに他ならず、即ち神と仏を同一の存在と見做した習合説を朝廷周辺において表明したということである。

 

 この頃より仏教と共に伝来した仏像を始めとする偶像崇拝などの概念も取り上げられ始め、神の像として形に起こす神像なども流行し、習合はさらに進んでいった。

 

 そして平安時代──神仏習合に新たな展開が生まれる。

 

 貞観五年、神泉苑にて御霊会が営まれる。御霊会とはその当時において疫病や災厄をもたらすと考えられた死者の霊、荒魂などの霊を御霊として祀り上げ、鎮めようという儀式である。仏教との習合儀礼によって生まれたこの行事は、礼仏、読経、歌舞などの儀礼で以て怨霊や疫病神を鎮め奉ったとされ、やがては神泉苑のみならず、今宮御霊会、北野御霊会など、神社の恒例祭祀の一つとして営まれるようになった。

 

 特に神泉苑で初めて行われた御霊会は後に名前を祇園御霊会と変え、これは後世においての祇園祭へと繋がっていく。

 神仏習合が生み出した神と仏を同一視する概念は、様々な神々を仏たちと繋げ、当時においては怨霊や疫病神として畏れられた荒魂すら御霊として祀り上げていったのである。

 

 特に、その代表的な例として『祇園天神』が挙げられるだろう。

 『祇園天神』とは疫神として語られた神を御霊として祀り上げた最たる存在であり、その成立過程は凄まじく複雑であった。

 遥かはインドにおいて眷属神の一つとして語られたこの神は、中国を経て日本へと渡り、その過程で密教・道教・陰陽思想と結びつき、日本に伝わった当初においては陰陽道との関りを強く深めていった。また蘇民将来伝説とも結びつき、かの須佐之男命と同体となり、妃神・子神とあわせた三神一体も強調されていき、やがては大己貴神だともいわれるように至ったという。

 

 元々単なる疫神であった『祇園天神』が何故これほどまでに民衆たちに受け入れられていったかの核心には十世紀頃から始まる祇園御霊会が厄払いの夏祭りとして人気を博したことに由来するのだが、ともあれ──祭り人気を背景に民衆へと受け入れられた疫神を出発点にしたこの神は、時代とともに防疫神、天道神、糺し神、方位神など属性を発展させ、祇園会系統の祭りの地方伝播を通して鎮守の神として広く定着していった。

 

 そう『祇園天神』──またの名を牛頭天王とは、正に様々な神性、仏と習合して誕生した神仏習合の代表例、即ち本邦屈指の大御霊なのである。

 

 

………

………………

…………………………。

 

 

 力なく倒れ伏したい衝動を鋼の理性で抑えながら、怜志は痛みを噛み殺し、状況を素早く整理していく。

 眼前には歓喜にむせび泣く幼女神、茫洋とした様子で突如としてこちらを切りつけた恵那、そして肩口から脇腹まで切り裂かれ片膝を突く己。

 構図としては正に突然の裏切りによる絶体絶命だが、先ほど幼女神が口にした単語が全ての因果に決着をつけている。

 牛頭天王──須佐之男命とも同一視される、鎮守の神。

 

「龍神、幼い見目……成程、地方民話の『夜叉姫』の正体は八大竜王の一角、娑竭羅龍王の第三王女、善女竜王だったというわけか……!」

 

「……ふん、所詮はモノを知らぬ獣であると思っておりましたが、我が名を知る程度には賢しいようですね──然り、私こそ仏法の守護者、八大竜王が娑竭羅龍王の娘にして、この地の守護者たる牛頭天王が后、善女竜王なるぞ! そのまま疾く頭を垂れるがよい、下賤の輩」

 

「この命と闘志尽きぬ限りは倒れ伏すことなど御免被る。ましてや、まんまと幼馴染を囚われたまま素直に引き下がるなど男児の沽券に関わるだろうがよ」

 

 そう言って血反吐を吐き捨てながら、怜志は立ち上がって刀を構えなおす。致命傷にも等しい傷を受けて、その闘志は揺らぐどころかより強く定まっている。

 戦を好み、その本性は常に血と闘争を望む人でなしであるものの、ヴォバンなどとは違い、あくまで理性の内に飼いならすからこその剣()である。

 

 義によって獣性を縛り、義を以て戦い、そして義を忘れずして修羅となる。

 獣の如き本性を鋼の理性が飼いならすからこその仁王。

 

 成すべきことが明確になった以上、引き下がることなどありはしない。

 凄みを増して不退転を語る剣士の姿に、幼女神──善女竜王の目が細まる。

 

「世に混沌と混乱を齎す汚らわしい畜生に過ぎぬと断じましたが……そういう顔も出来るのですね。察するにそちらの巫女は、お前の后でしたか?」

 

「今のところは単なる幼馴染だ。とはいえ、どのような関係にせよ目の前に窮地に陥った人間がいて、助けないのは人道に悖る。返してもらうぞ、祈雨の龍神……!」

 

「それは出来ぬことです、神殺し。汝が巫女は我が夫をこの世に呼び込むための大切な形代。神々の逢瀬を邪魔だてすることは何人も出来ぬものと知りなさい」

 

「上等──ならば、力づくで取り戻す!」

 

 水飛沫を弾いて神殺しが疾走を開始する。

 刀の切っ先、その対象は幼い姿の善女竜王。もはや必ず成すべき事を定めた怜志に躊躇など欠片もない。たとえ幼い見目であろうとも善く生きる人々を害するとあらば、これを斬るが己の役目。

 神々との死闘の最前線に立つものとして、眼前の神格は斬るべき敵である。

 

 意識が切り替わる、思考が澄み渡っていく。

 刀を握る手には力が入り、丹田から全身に呪力が満ちる。

 理由も無く確信する──どうやら、他人の語る『義』では足りなかったようだ。思えば己が斬るに相応しい敵に出会わぬとやる気が出ないのだ。

 であれば己自身が見定めて、ようやく『義』を悟ることに不思議はない。自分で思い、自分で確かめ、自分で定めてこそ、剣鬼は剣士足り得るのだろう。

 

「──運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。武士なれば──我が進むべき道はこれ他なしと、自らに運を定めるべし」

 

 かつて人生の師が己に語り、説いた、武者の道理。

 今こそ、それを実践する時也!

 

「我に──毘沙門天の加護ぞ在り!」

 

 権能(チカラ)が宿る。

 魔性仏敵を打ち破り、勝利を齎す鋼の軍神。

 枷のかかった宝物殿が扉を開け、九つの宝具を自覚する。

 

「むっ──!」

 

 神殺しを前にしても悠然とした態度を守っていた善女竜王の顔色が変わる。どうやら向こうも先ほどまでとは怜志の様子が明らかに違うと悟ったのだろう。

 虫を払うような嫌悪は、仇を見るような怖れに変わり、斬りかかってくる神殺しに善女竜王は半歩だけ引きながら叫ぶ。

 

「お守りください! 我が夫──牛頭天王様」

 

「────!」

 

「チッ、やはりそう来るか!」

 

 ガキン! と刃を通して伝わる鋼を叩いた衝撃と痺れ。

 神殺しの一撃を迎撃する鋼の一刀。

 茫洋とした様子の清秋院恵那が立ちふさがるのを見て、怜志は舌打ちをする。分かってはいたが、やはり今の恵那は牛頭天王の神気をその身に降ろした状態、神がかりに等しい状況にあるのだろう。

 

“──とはいえ、まつろわぬ神特有の凄みや自我は感じられない。察するに神々側から結んだ神がかり、善女竜王の語る通り、形代にされた状態というわけか”

 

 切り結ぶ。弾かれた刀を短く握り直し、もう一度振り下ろす。狙いは敵の無力化、得物を弾き飛ばし、戦力を欠かせる籠手狙い。

 されど、そんな狙いは読まれており、素早く繋げた籠手打ちはあっさりと捌かれ、逆に喉元目掛けた突きの反撃を喰らう。

 

 だが、怜志はそれを半身を引いて躱し、さらに一歩踏み込んで一刀を避けながら当身を喰らわせた。

 

「────ッ!」

 

「シッ──!」

 

 たたらを踏む恵那。そこに差し込む鋭い横斬り。下段から上段に振り上げるようにする一撃の狙いは引き続き恵那の手元。柄ごと上へと振り払い、得物を奪いに行く。

 しかし、恵那はふらつくように三歩引き、無理に打ち合わず間合いを取ってから態勢を整え、再び怜志に斬りかかる。

 右斜め上からの首元への振り下ろし、次いで外れた刃を低く切り込み、そこからさらに身を乗り出しての突きへと繋げる。

 

 流れるような三連撃に、怜志はステップを踏みながら回避していき、最後の突きを伸びてくる刀身の峰を叩いて、撃ち落としてから一歩引いて軽く息を吐いた。

 

「やるな、道場でやった時より流石に冴えている」

 

「────」

 

 返ってくる言葉はない。機械のように無言で刀を構えなおす幼馴染を観察しながら、怜志は脳裏に方針を構築していく。

 

“分かっていたことだが、こちらの声は届かないか。まあ神がかりとは紙一重の秘術。自覚あって尚、取り込む神格に飲まれる危険性を有する儀式だ。それが神側からのアプローチとあらばさもありなんだな”

 

「────!」

 

 怜志が思考を割いた隙を咎めに飛び込んでくる恵那。一瞬で間合いを埋める突進をすると同時に煌めく五連撃。五芒星を描くように放たれたそれは、もはや常人の目で追える軌跡ではなかった。

 それを怜志は引きながら的確に捌き斬り、全ての攻勢を無力化する。

 そうして怜志と恵那は、さながら鬼ごっこのように切り結ぶ。

 

 引きながら迎撃する怜志と追いすがりながら斬りかかる恵那。

 動き回る両者の速度は既に人間の領域を超越している。

 吹き荒れる颶風の如く、両者は加速度的に刃を交える。

 

“恵那との仕合はざっと七対三といった所か。今の状態でやったことは無いが、素面でやれば九割以上は勝ち切れるだろう。向こうは万に一回一矢報いられるかどうかというところか”

 

 まだ神を殺す以前、怜志は恵那と少なくない回数の仕合を重ねていたが、その勝率はその頃より怜志に傾いていた。

 何せ、その頃より同年代同世代どころか上を見上げても怜志に比肩する者は少なかったのだ。一度だけ仕合した帝都の師範代曰く、十年で当代最強を名乗れる器だと豪語された怜志である。

 結局、時を待たずして神殺しとなり、文字通り当代最強の領域に上がった怜志だが、元々それほどの実力の断絶が怜志と恵那の間にあった。

 

 にも拘らず、怜志が非殺傷の枷を嵌められているとはいえ、恵那は怜志の剣技に食いついてくるどころか上回らんと攻勢を強めている。

 

“理由は間違いなく神がかりの影響だな。力の大本はやはり──”

 

「おん、べいしら、まんだや、そわか。心に邪見なき時は人を育つる(ニーラ・ナヴァニディ)──」

 

 呪を乗せてながら、口に言霊を転がす。

 生来の黒目から空を思わせる蒼穹へと変色する怜志の瞳。

 軍神が持つ宝具の一つ──軍神の心眼を発動させる。

 

 この瞳は、見るだけで視界に映すモノを塩に変えたり、石に変えたりといった視界の内のモノへ呪を掛ける効果を持たないが、単純に視ること──知覚範囲を広げることに関しては制限が無い。

 

 単純な見切りから始まり、透視、千里眼、見鬼──果てはアストラル界まで見通し、その情報を攫う霊視にまで視力は届く。

 この目を以てすれば恵那の状態を正確に把握しきり、さらにはこの事態を打開するヒントまで見通すことが出来るだろう。

 

 尤も──。

 

“俺の宝具の発動範囲は使うことまで。その先の、使い熟すことに関しては完全な術者の技量依存……さて、何処まで視えるか”

 

 他の神殺しはどうか知らぬが怜志の権能は手段である。あくまで九つの宝具があるだけでその先──その力をどのようにして使い、どのようにして勝利を得るかは術者の技量次第。発動させたからと言ってすぐさま事態が打開するわけではない。

 

 一応、名義上『剣』と呼んでいる調伏の剣に限って言えば、勝機に差し込めば必ず断ち切るような切り札としてあるものの、他の宝具とは違い多分に呪力を要求する『剣』は何度も発動できるものではない。

 ヴォバン戦を考えるに、一度の戦いで二度まで。加えて使い切れば他の宝具を使う余力すら残らない。

 

“直接、善女竜王に叩きこむか、或いは恵那と善女竜王に一撃ずつ使うか。なんにせよ、使い所を一度も間違うわけにはいかない”

 

 幼馴染を案じる心から生まれる焦りや不安、そういったものが無いとは言わない。だが、この瞬間に怜志はそれを敢えて忘れる。

 必要なのはその時その時に最善手を放てる冷静さ。そのために余分は要らない。成すべき事のみを考え、そして実行する。

 

 舌を軽く舐め、呼吸を整え、心音を鎮めていく。

 無用なものをそぎ落とし、求めるべき手段のみに思考を固定する。

 

 鋼のように冷えていく心──それに連動する様に、瞳の蒼はより透徹していき、世界の在り様を詳らかにしていく。

 

「やはり──呼び込まれた神気の根元はそれか」

 

 視界に移すのは恵那の持つ刀、天叢雲劍。

 当人曰く、アストラル界──世界の裏側に潜む須佐之男命より直接授かったという神剣。その縁を通じて、善女竜王が呼び込んだ牛頭天王の神気が恵那へと注ぎ込まれている。

 なんとなく察していたが、目算が間違っていないことを確かに捉えて、怜志は観察を続ける。

 

“牛頭天王といえば蘇民将来に語られる須佐之男命と習合したのは有名な話。ならばこそ須佐之男命の持つ神剣を通じて、神格を顕すことに違和感はない”

 

 考察を進める間にも恵那の攻勢は強まってくる。まだ思考に余裕を持ちながら、捌く余裕は残せているが、時間の経過に伴い、恵那の剣は受けるたび徐々に重くなっている。

 恵那に流れ込む力が時間と共に強まっている証明だろう。形代といったからには恵那を通じて牛頭天王を招来させるつもりなのだろうから、このままいけば恵那を依り代に牛頭天王が招来するのやもしれない。

 

 怜志は視界の端で善女竜王を捉える。

 

「くっ、野猿のようにちょこまかと……援護いたしますわ! 牛頭天王様!」

 

「────」

 

 后の呼びかけに返事はない。しかし茫洋とした無表情のままこくりと恵那が頷く。直後、恵那が突然後方へと飛び退き、それに合わせるように接敵していた怜志の足元が間欠泉のように爆発する。

 先ほど受けた渦潮のような水の柱による攻撃だろう。恵那に遅れて怜志も飛び退き、攻撃を回避するが渦を巻く水の柱は怜志を追うようにしてさらに伸びていく。

 迫りくる水流の魔の手から、怜志はさらに引こうと後方へと飛ぶために低く構えるが、その時背筋に悪寒が奔る。

 

“殺気──!”

 

 伏せる──直後、水の柱越しに奔る鋭い剣閃。

 呪を乗せた恵那の刃が迫る渦潮ごと怜志を切り裂きに来る。

 

 咄嗟の判断で掻い潜る様に怜志は躱すが、間髪入れずに今度は怜志の後方の水が盛り上がり、やがては水の身体を有する蛟へと変貌して飛び掛かってくる。

 

 ──シャアアアアアアアアア!!

 

「次から次へと……!」

 

 振り向きざまに一閃。噛みついてくる蛟の首を逆に刎ね飛ばして見せるが、背中を向けた一瞬の隙に今度は間合いを開けていた恵那が突風のように踏み込んでくる。

 下段から円を描くような切り上げ。

 これに対応すべくもう一度怜志は振り返り戻るが、刀を構える猶予はない。

 故に──。

 

「────!」

 

「足癖が悪くて悪いな。剣道は嗜んでいたが、本筋は実戦仕込みの帝都流でね!」

 

 振り切らんとする恵那の両手を抑え付ける怜志の足技。あくまで剣同士の打ち合いで決着を望む剣道とは異なる、あらゆる全てを使い尽くすことを前提とした殺し合いの技術。本場仕込みの泥沼流で追撃の手を打ち払う。

 

「ハッ──!」

 

「────ッ!」

 

 そのまま怜志は恵那の両手を踏みつけ、その頭上を飛び越えるように足のバネのみを駆使した跳躍を敢行。恵那を飛び越え、その背後に回り込んだ。

 踏みつけられながらも刀を手放さず、何とか堪え切っては振り向きざまに斬りかかりに来るが、生憎と怜志から追撃を掛けるつもりはなかった。

 

 反撃を相手にせず……怜志はそのままさらに後ろ──控えている善女竜王の下に駆け出す。

 

「お命頂戴──ッ!」

 

「く、近寄るな! 下郎ッ!!」

 

 迫りくる怜志に向けて、善女竜王が扇を振った。水神の檄を受けて、幾重にも伸びる細い水柱。高水圧で鋭く研ぎ澄まされた水の刃が怜志の接近を阻むべく投網のように幾重にも重なって襲い掛かる。

 

「安心しろ、間合いは十分。近づく必要は特にない──心に誤りなき時は人を畏れず(ムクンダ・ナヴァニディ)!」

 

 言霊を唱えると同時に、怜志は刀を投げ捨て、片膝を突いて両手を構える。その手には刃に代わり、いつの間にか朱色の和弓が収まっていた。

 番える鏃には曼荼羅が浮かび上がり、その先に善女竜王を睨んでいる。

 

 『弓』──毘沙門天に語られる武具が一つ。疫鬼を天刑星に処しめる護法善神の一撃。

 

「射──!」

 

「きゃああああああ!?」

 

 放たれた瞬間、稲妻も斯くやという勢いで白い閃光と化す弓矢。雷光と見紛う一閃は網のように張り巡らせる水の斬撃を掻い潜り、善女竜王の肩へと突き刺さる。

 着弾の衝撃によろめきながら痛みに悲鳴を上げる善女竜王。

 畳みかける好機。虚空に手綱を掴むように伸ばす。

 『馬』──しかし、その判断を行動に移すより先に、怜志に影が過る。

 

「チッ……!」

 

「────!」

 

 横に跳ぶ怜志、その影を切り裂くように恵那が直前までいた地点を斬る。

 怜志は跳びながら弓を捨て、手放した刀を手元に収める。

 そうして再び、切り結びに掛かる恵那に再び対応する。

 

「やはりこちらを先に何とかせねばならないか……」

 

「────」

 

 先ほどより気勢を増して襲い掛かってくる恵那を見ながら怜志は歯噛みする。あわよくば大本を絶って、決めに行きたかったが……チラリと逃した獲物を怜志は視界に写す。

 

「おのれ……おのれ……! 逢瀬を邪魔立てするのみならず私に傷を……! 何たる侮辱、何たる罪、もはや如来が来ても許すモノかッ!」

 

 怒り狂う龍神を収める。あの調子では先ほどのような隙はもう生み出せまい。加えて神がかりによって掛かる恵那への負担も無視できない。

 怜志と打ち合えるどころか上回らんとする勢いで高まる神気だ。年の半分を修練に当てても極短時間にのみ許される神がかりという秘術、その負荷と反動を考えれば恵那の肉体と精神に掛かる負担は相当のモノになるはず。

 

 善女竜王を討つのに手間をかけた挙句、恵那を無くしているのでは意味がない。態勢を立て直す意味でも、まずは恵那を救出し、後顧の憂いを立つべきだろう。

 幸い、弓を受けての善女竜王の手は止まっている。

 

 断つべきものは視界に写した、斬るべきものは見定めた。

 その上で一対一(サシ)の勝負ならば、こちらの一刀が負ける道理はなし。

 

「のうまくあらたんのうたらたやや・あたきゃろぼたらやちしゃや・ばいしらまんだや・まからじゃや・やきゃしゃちばたば・そとたそそしつらばらそわか・だやきまたたたびはらしゃやめいばたやたほせいじくしゃ・ばいしらばいしらまだや・まからしゃやきばだかぢたらまじゃうとばば・なばしゃたやしゃなほば・ぎゃばていしつでんとばたらはたぢ・そわか────」

 

 謳いあげる毘沙門天の真言。

 あらゆる敵を打ち破り、勝利を齎す《鋼》の剣。

 魔性を払う降魔の剣が怜志の霊刀に装填される。

 

「────!」

 

 怜志のただならぬ気配に受けれぬと悟ったか、恵那が引こうと身を引くが、遅い。彼女の挙動は此処までの打ち合いで見切っている。

 

「怨敵死滅──運は天に在り(シャンカ・ナヴァニディ)ッ!!」

 

 白耀に煌めく一閃。

 狙いは誤らず、恵那と神刀、その間に繋がる神気の繋がりを一刀に断つ。

 切り払われ、夜叉ヶ池に落ちていく天叢雲劍。それを見送って、怜志は糸が切れた人形のように倒れ行く恵那を抱え上げ、『馬』を召喚する。

 

「三十六計逃げるに如かず──はいやッ!!」

 

 ──ヒイイイイィィィィヒヒンンンンンン!

 

 虚空を踏みしめて嘶きながら、光と見紛う速度で走り出す白馬。怒れる龍神を眼下に見下ろして、怜志は速やかに戦場を離脱した。

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