神々、君に背き奉る   作:アグナ

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巫女神楽

 もはや道とも呼べぬ山の斜面を人影が駆け抜けていく。

 木々の合間を縫い、岩壁をも軽々と越えていくその身のこなしは、怜志や恵那のそれよりも修練された“猿飛”の技法。平時の昼行灯じみた表情は何処へやら、厳しい顔つきで正史編纂員会のエージェント、甘粕冬馬は夜叉ヶ池を目指してひた走る。

 

「……万が一があるとは思いましたが、よもや本当にまつろわぬ神が降臨しているとは」

 

 甘粕が異常事態を感知したのはつい三十分ほど前のことだ。

 恵那と怜志──媛巫女と、曰く鍛冶師を名乗る二人の調査員を夜叉ヶ池に送り出した後、甘粕はのんびり煙草を燻らせながら、車内で時間つぶしの娯楽に励んでいた。

 

 実に危機感のない様だが、そもそも恵那──清秋院家が誇る媛巫女は『太刀の巫女』の渾名を背負う国内でも有数の実力者だ。純粋な武芸ならば帝都の師範代などはそれを上回るだろうが、彼女の本領は巫女としての資質……世界でも数少ない“神がかり”の使い手であることだ。

 神威を一部とはいえ、借り受け、己が身に取り込んで行使するその秘術を以てすれば、大抵の敵……それこそ『まつろわぬ神』や『神殺し(カンピオーネ)』でなければ、太刀打ちできない。

 たとえ相手が竜や、それに関わる蛇の神獣であろうとも鎧袖一触と仕留めるはずだ。 

 

 同行人の怜志については分からぬが多少術に通じた様子から見て足手まといとなることは無いだろうし、そもそも修羅場に関してはシビアな恵那が同行を許す時点で、それなり以上には使うはずだ。何より天国──あの姓を持つからには『隠し技』があっても不思議ではない。

 

 そんな両名である、大抵の問題が発生しても即興(アドリブ)で潜り抜けられるだろうし、いざともなれば戦線離脱を選ぶことも容易であろう。

 その見立てがあってこその待機(サボり)であったのだが、先ほど発動した膨大な呪力の気配が甘粕の倦怠を根こそぎ打ち払った。

 

 『まつろわぬ神』、降誕。

 直接姿を拝んだわけではないが、その異常事態は離れた場所にいた甘粕にもすぐに伝わった。異常を受けて甘粕は即座に上司である沙耶宮薫に状況を伝達、近隣に配置しているエージェントたちに緊急出動(スクランブル)を要請したのち、自らはこうして現地へと詳しい状況を確認するため直行したのだ。

 

 夜叉ヶ池への距離が詰まるほどに、強まる呪力の気配。

 そして水が弾ける音、激しい激突音、咆哮、悲鳴、絶叫。

 

「やはり交戦中……恵那さんらしからぬ無謀な、いや引き際を誤りましたか」

 

 敵が『まつろわぬ神』であるというならば、如何に恵那であろうとも太刀打ちできまい。いや、そもそも『まつろわぬ神』とは人間がどうこうできる手合いでは無いのだ。神殺したちが畏れられ、崇められる由縁はひとえに、彼らが弑逆した『まつろわぬ神』という存在が強大な力を振るい、人々に混沌を齎しめるが故。

 人では絶対に敵わない神々たちをも仕留めるからこそ神殺しは畏敬を以て人々の王と崇められるのだ。

 

 神に抗するは神殺しのみ。神がかりの使い手たる恵那であってもこの原則は打ち崩せない。恵那本人もそれは分かっているはずだ。

 その上で逃亡ではなく闘争を選んだというなら、引けぬ事情があったか、或いは引くに引けぬ状況にあったか。

 

 何にせよ、このまま座視するのは不可能。

 救出の余地があるならば、その助力を。

 不可能であるならば、恵那という媛巫女の損失を前提としたこれから(・・・・)を考えねばならぬ。

 非情もやむを得ぬことを覚悟しつつ、甘粕は現地の状況を把握するべく夜叉ヶ池への侵入を計る──その、直後のことであった。

 

 上空を光が飛翔する。

 

「なっ!?」

 

 光速が残す突風が山肌を揺らし、思わず甘粕も立ち止まり驚愕の声を上げる。光は夜叉ヶ池より飛び立ち、麓の駐車場──つい先刻まで甘粕がいた場所まで飛翔していく。天翔ける光は一瞬のことだったが甘粕はその正体を辛うじて、捉えていた。

 

「今のは恵那さん!? それに抱えていたのは……」

 

 光り輝く白馬の駿馬。その騎手に気を失った様子で横抱きにされる恵那、そして恵那を抱えながら白馬の騎手たる手綱を握る怜志の姿──。

 

「まさか──」

 

 その一瞬の遭遇が甘粕の脳裏にある予感を過らせる。

 ──『まつろわぬ神』に抗するは『神殺し』のみ。

 であれば、恵那の友人を名乗る彼の正体とは……。

 

「いえ……今は当初の目的を優先するべきでしょうね」

 

 驚愕を置いて、甘粕は初志貫徹を選ぶ。

 夜叉ヶ池直前まで来ている以上、今から麓に戻っていては時間が勿体ない。それに怜志の正体が何であれ、戦線を離脱したというなら取りあえず一番の懸念は取り除かれたと判断できる。

 軽く見た恵那の様子と態々撤退を選んだことから、無傷や無事では済まされなかったようだが、ともかく一時の安全は保障されたはず。

 ならば自分がすべきことは彼らを追うことではなく現地の状況を正確に把握し、情報を正しく伝達すること。

 

 逡巡を首を振って忘れ、甘粕は自らの役目を果たすべく。

 夜叉ヶ池に踏み入る。

 

 そして──現地入りした甘粕はすぐにその異常に気付いた。

 景勝地と語られるに相応しい夜叉ヶ池の絶景。

 澄み切った水、薄霧が浮かぶ水面、神秘的な呪の気配。

 

 その中心に君臨する、幼き女王の姿。

 

“アレがまつろわぬ神──?”

 

 声と姿と気配を潜め、甘粕は異常を直視する。

 十二単の衣装に、男女定かならぬ美貌。

 目撃証言の通りの姿と想像よりも幼い容貌に面を喰らいながら、甘粕は推定『まつろわぬ神』の観察をする。

 

「巫女を連れて逃げましたか……忌々しい神殺し。ですが──」

 

 夜叉ヶ池より飛び立った光跡を視線で追いながら女神は短く吐き捨てると、次いでその視線を足元に──自らが立つ夜叉ヶ池の水面に落とす。

 

「……感じます。貴方様の声、貴方様の気配。やはりこの御刀こそ、《鋼》の太刀。蛇毒気神をもまつろわす仏敵殲滅の証」

 

 ──甘粕は知らぬが、彼女の視線は夜叉ヶ池へと沈んだ恵那の刀……天叢雲劍へと向いていた。巫女より切り離された神刀。未だ力失われぬままに水を漂う形代へと。

 

「良いでしょう。我らが逢瀬を邪魔したるその罪。仏性を解さずして三毒五欲、万の煩悩にまみれた、その身は我が夫の手ずから滅罪して差し上げます。邪悪を討つは《鋼》の本懐──衆生の敵が此処に在るならば巫女の身体が無くともこの刀があれば十分──出でませ、寒熱疫疾。病の毒で以て戒律を背きし者たちを懲らしめ給え」

 

 そう言って女神は扇を振るって、舞い始める。願い奉るは彼方の夫へ。討つべき邪悪を此処に示し、尊きその身の降臨を希う。

 

“さてゆき年ぐう初りたまえば、其年其月其日、津島は八万八千の渡りの御本神、三日の咳病・七日の癘気あたりて、御にれたまえ候えし所で、一の鍵取、二の幣取、七人の警護、八人の花の八乙女の与力を以て、たんせいみろくをはぐくみ、松の葉よりも細き心、柳の葉よりもせばき身をもち、七えのひざを八えとおり、八えのひざをば七えとをつて、当の蓮華を差し上げて、百八品の数珠を揉み鳴らし、さし上げ歓請申也”

 

「祭文──? 確かこれは島渡りの──まさかッ!?」

 

 女神の神楽舞、粛々と捧げられる祭文に聞き覚えのあった甘粕は思わず顔を青ざめさせる。──『祇園天神』として日本においても絶大な信仰を獲得した「異神」であるが、その中でも祇園に負けず劣らず「異神」の信仰地となった場所がある。

 

 奥三河の尾張・津島。

 元々、津島と言えば口碑に“お伊勢参らば津島へ参れ、津島参らば片参り”とある通り、東海道が木曽川等の渡河を避けて海路を利用するその分岐の要所であり、東からの伊勢参宮道者の多くを歓迎した信仰の土地だ。

 津島と鈴鹿を結ぶ水路、通称・「津島渡り」は中世において伊勢参宮街道の一大ポイントとして東北・関東・尾張から多くの御師、道者たちを送迎した。

 

 その流通する信仰の中には祇園信仰に端を発して全国に広まった「異神」も含まれた。伝承においては対馬を経て、西国に渡来したとされる「異神」は津島に居着き、津島信仰と呼ばれる祇園に並ぶ一大信仰を集めたという。

 

 奥三河の祭文・神降ろしの詞章に見れば、津島の「異神」は「渡り神」とも呼ばれ、特に一五三二年から一五五五年の天文年間にかけては急速に広まりを見せた。この時期に信仰の広まりを見せた最大の理由はやはり、かの天文の飢饉の影響が大きいだろう。

 

 大雨と洪水、蝗害によって引き起こされたとされるこの飢饉は、疫病の流行と重なり、全国に凄まじい猛威を振るった。

 現代では過大であると否定されているものの、一説には数千万もの死者を出したとされる飢饉を前に、時節は戦国時代の真っただ中。

 政治的・財政的な措置による救済を困難とする朝廷と時の幕府は祈祷で以て、この災禍を治めようとし、そして、その対象として選ばれた神こそ「渡り神」とも呼ばれた「異神」である。

 

 「渡り神」とは天竺から龍宮、日本と悪風と化しながら島渡り(・・・)をする「異神」の性質と、発生から人づてに流行して猛威を振い、深刻な災いを齎す疫神としての性質を重ね合わせた呼び名であった。

 

 放浪する神──それもまた「異神」、牛頭天王の持つ神格の一端である。

 そして、かの女神が捧げる神楽舞こそは放浪する疫神を鎮め、祝福し、送却する疫神祭祀の大神楽に他ならない。だとすれば、あの祭文により現れるは──。

 

 ──夜叉ヶ池の水面が泡立つ。

 本来澄み切った筈の水中が墨汁を垂らしたかの如くドス黒く塗りつぶされ、五月蠅(さばえ)のように何処からかびゅうびゅうと生暖かい黒い風が水上を滞留する。

 

 そして、天を突く様な水柱と共に、それ(・・)は姿を現した。

 

『オオオオオオォォォォォォォォォ────ッッッ!!!!』

 

 山間に響き渡る凄まじいまでの咆哮。

 巨大な体躯を持つ益荒男が姿を現す。

 

 身長は七尺五寸。

 頭頂には三尺の牛頭・三尺の赤い角があった。

 邪見の(やから)を心胆寒からしめる異形の肉体。

 肩には変形し、巨大化した天叢雲劍を掴み背負っている。

 

 その姿、もはや疑うべくもなく──。

 

「──牛頭天王!? では、やはり、この地に顕れた『まつろわぬ神』は──ッ!!」

 

 まつろわぬ女神、その権能(チカラ)と正体を検めた甘粕はしかし、その神名を謳い切る前に、君臨した習合神の余波を受けて発生した水波に攫われ、現場から排されるようにして押し流されていった──。

 

 

 

 

 山道入り口──夜叉ヶ池駐車場。その空を光跡が駆け抜けていく。

 光が過ぎた後、遅れて宙を過る二人の人影。

 恵那を抱えたまま、飛び降りた怜志は慣性に従って砂埃を搔き立てながら、乱暴に始まりの地点へと着陸(ランディング)した。

 

「づぅ──ッ! くっ……何とか目測通りに下りられたか。戦の最中ならともかく、相変わらずこういう時は使いにくい……」

 

 安堵の息を吐きながら、思わず自身の権能に怜志は毒づく。

 『馬』は怜志に対して強力な速度(あし)を提供してくれるため、戦場においての機動力としては極めて便利な権能の一つだ。その速度たるや光速に達し、それこそ雷速や『神速』をも上回り、捉える最速の権能。

 

 しかし、それ故に細やかな制御が極めて難しい上、『馬』の挙動は全て騎手の腕に依存する。つまり直線軌道の早駆けや大規模攻撃からの回避運動、対高速戦闘には役に立つ反面、こういった目的地へ安全に向かうという行為には適さないのだ。

 

 仮に直接、夜叉ヶ池駐車場を定めて飛んでいれば、それは着弾か突進となり、勢い余って辺り一帯を吹き飛ばしていたことだろう。だからこそ、上空を過ぎる途中で飛び降りるなどという強引な手法で怜志は元の場所へと戻ってきたのである。

 

「まあでも、この速度とこの距離を短い時間で稼げるのはありがたいか。お陰で追っ手を気にせずには済む」

 

 言いながら怜志は小走りに駐車場に止められている甘粕の車へと駆け寄る。戦場は離脱したものの、戦争の決着はまだついていない。

 まずは甘粕に恵那を安全圏にまで運んでもらったのち、もう一度まつろわぬ神に接触して、今度こそその討伐を遂げる。

 

 そう考え、怜志は此処まで引いてきたのだが──車まで駆け寄り、怜志はその目論見が外れたことを知る。

 

「む──甘粕さんが居ない? ……異常を察して退避したか、或いはもしや入れ違ったか?」

 

 車内は無人。運転席にいるはずだった人物は姿なく、代わりに付けっぱなしのエンジンと電源が入ったまま運転席に投げ出されたゲーム機が直前まで人がいた証明として無機質に沈黙していた。

 

「……仕方がない。些か不安は残るが、まずは恵那を休ませるか」

 

 後部座席の扉を開け、腕に抱えていた恵那を横に寝かせる。

 そして怜志は、その腕を取り、改めて脈を診る。

 ……抱えていた時から分かっていたことだが、鼓動は弱弱しく、触れる肌から感じられる体温は極めて低い。

 

「チッ、神がかりの代償か。どうやら相当な呪力を持ってかれたようだな」

 

 元々神がかりは自ら使う時点でも相当な負荷がかかる秘術。一日に一度、短い時間に使うだけでもかなりの肉体的・精神的な負荷を要求する。故に連続使用など以ての外。まして須佐之男命の神力以外に触れるなど無茶振りを通り越して自殺に等しい。

 こうして青息吐息でも息をしているのは奇跡だった。

 

「そのタフさには感謝だが、さてどうする。このまま放置するわけにはいかないがしかし──」

 

 生き残ったとはいえ瀕死も瀕死。可能であればすぐさま治療が必要であるものの、問題は怜志にその手の技の心得が無いということだ。

 無論、怜志が治める修験法の中にも医療の術は存在しているが、そもそも刀剣鍛冶と剣士を本領とする怜志は、そこまでの術を身に着けていない。

 戦場や鍛冶場での補助に使う火や水を呼び起こす、或いは除ける術には幾つか覚えがあるものの、人の身体を癒す術の心得はなかった。

 

 そして権能を見てもそれは同じこと。否、厳密には癒す術自体はあるものの、それは怜志個人にのみ作用する力なのだ。

 

「深部までは把握していないが、軍神の権能は武器・加護限らず個人武装。他者に明け渡されるものでも、他者を援けるものでもない、戦に勝つための術。つくづく、我が業の重さを思い知らされるな……」

 

 度し難い性質が生んだ度し難い権能に怜志は嘆息する。

 まったく、とんと我がことながら人助けに向いていないことだ。

 

「……致し方ない、当てが外れた以上、もう一度『馬』を使って、今度は近くの街まで」

 

 引くか、と言いかけたその時だった。

 横に寝かせた恵那の瞼が震え、微かに開いた。

 

「ぁ……王様……?」

 

「──目覚めたのか? 大丈夫か、恵那?」

 

「ぅん……何とか、ね……」

 

 怜志にかける言葉に返す恵那は弱弱しい。

 無理な憑依の代償はやはり重かったのだろう。

 

「まつろわぬ神、は……?」

 

「まだだ、丁度お前を救って一時撤退をしたところだ。送迎地点まで引いたのだが、どうにも甘粕さんが留守にしているようでな。負担を掛けるが、『馬』で街まで飛ぶ。もう少し辛抱してくれ」

 

「待って……」

 

「……恵那?」

 

 再び抱きかかえようと両腕を回したところで怜志の胸元に恵那の手が置かれる。

 制するような恵那の行動に怜志は思わず小首を傾げて問いかける。

 

「恵那のことは、いいから、さ……王様は戦場に戻りなよ……」

 

「……それはどういう意味だ? このままお前を放置して大丈夫なようにはとても見えないが」

 

「かも、しれないね。実際、少し、厳しい、かも」

 

 怜志の見立てに恵那が肯定するように頷く。

 このまま恵那をそのままに怜志が戦場に戻れば、恵那は力尽きる可能性が高い。生死の境に立つほどに、彼女は今、消耗しているのだ。

 その上で──恵那は怜志を制する手を退けることは無かった。

 

「……──恵那は、さ。怜志(・・)の足手まといにはなりたくないんだ」

 

「──恵那」

 

「……えへへ、これでも幼馴染だから、ね。知ってるよ。真剣を抜いたからには、どちらかが勝つまで。本当は、一時撤退も、本意じゃないでしょ……?」

 

「…………」

 

 恵那の言葉に怜志は否定の言葉を言わずにジッと恵那の顔を見る。

 ──その通り。刀を抜いたからにはどんな形であれ、決着を付けるまでは不退転。それが怜志の流儀だ。一時的な撤退すらも本来の怜志はあまり好まない。

 我一人であったならば、間違いなく怜志は二対一の状況下でも戦闘を続行していたことだろう。その上で引いた理由は言わずもがな、恵那という枷が怜志に存在していたからだ。

 あのまま戦い続ければ恵那が死ぬ。その理性的な判断が怜志の獣性を律し、一時撤退という選択肢を選ばせた。

 

 言外に肯定する怜志に、恵那は淡く微笑んだ。

 

「これ以上、面倒はかけられないからね。行ってよ、王様。王様は、王様のやりたいように、思う存分、自由に戦って──」

 

「……一つ、勘違いをしているようだから、訂正しようか」

 

「王様……?」

 

 紡ごうとした言葉を律するように、恵那の口元に怜志が人差し指を翳す。

 思ってもみない怜志の行動に呆然とする恵那に怜志はため息交じりで言葉を返した。

 

「──俺の本性は度し難い戦闘狂で、斬り合い上等、生死の狭間でしか愉悦を覚えられぬ餓鬼の類なわけだが……それ故に神を殺してから自らに定めた絶対の決め事がある」

 

 それは師に導かれ、師に説かれ、そして師を斬った折に定めた決め事。自分自身と斬った神に奉る、神約の誓い。

 

「我が獣性を以て神々に背き、力なき衆生を災禍より守らん──義の道を辿ることこそ俺が畜生に落ちぬために定めた唯一無二にして絶対の大義名分だ。これ無くして我は王に非ず、神殺しの戦士足り得ず、とな」

 

 ただ持ち得る力を振りかざすのは暴力に過ぎない。溢れ出る力を勝手気ままに振るい、傍若無人の在り様を肯定するのではまつろわぬ神々と何ら変わらず、そんなものはまかり間違っても士の在り様に非ず。

 暴力を戦力とするために、怜志は大義名分(方向性)を定め、自らと向き合い、その度し難い性質を受け入れたのである。

 

 これを捨てるということは、かつて憎んだ己が獣性……これに飲まれることを良しとし、獣に落ちることを肯定することに他ならない。

 

「俺は俺の今までに背くつもりはないし、これからもこの禁を破るつもりはない。何よりも──幼馴染を見捨てた挙句に、戦に酔うような悪鬼になるつもりは毛頭ない。倫理観以前にダサいだろう(・・・・・・)。それは」

 

「な──」

 

 思ってもみない幼馴染の言葉に恵那は絶句する。

 我がことながららしくない台詞に肩を竦ませながら苦笑する。

 

「総括するに、これも(・・・)俺がやりたいことだ。お前に気を咎められる由縁も、気を遣われる由縁もない。そもそも、だ。俺は一度もお前を足手まといだと思ったことは無いよ。……分かったか?」

 

「う……うん」

 

「それなら良い」

 

 コクコクとやたら素直に頷くようになった幼馴染に、怜志も頷いて返す。

 

 ……とりあえず思い違いは正したものの、状況は変わっていない。

 言葉は堂々と言い切って見せたが、気力や意思表明だけでは現実は好転しない。

 相変わらず恵那は瀕死で、神々は健在。

 

 彼女の安全を確保した上で、戦場に舞い戻る。

 そのための現実的な手段を模索せねばならないわけだが──。

 

「やはり、一旦街まで────ん?」

 

 不意に怜志の視線が、恵那に当てたままの自分の人差し指。

 ──というより、恵那の唇へと向く。

 

「……怜志?」

 

「──……いや、確かに体内に呪力を循環させて病魔を払う加護だ。その方法なら……だが、それはどうなんだ……? 緊急時の措置……人工呼吸のようなものだと思えば……しかし……」

 

 先ほどまでの凛々しい雰囲気は何処へやら、何かを思いついたらしい怜志は額に皺を寄せ、何故か気後れしたような表情で明後日の方向を見やりながら、ブツブツと呟きつつ考え込む。

 いつもの泰然とした態度すら崩れた似合わない狼狽した様。

 恵那はピンと来て、怜志に問いかける。

 

「……何か思いついたの? 王様」

 

「ああ、いや……思いついたと言えば、そうであるような、無いような……できれば他の手段を模索したいような……」

 

「なら、やってよ王様」

 

「え」

 

 躊躇う怜志に迷わず恵那がそういうと何故か怜志が固まった。

 

「王様は気を咎めるな、なんて言ったけど、やっぱり恵那は──恵那が王様の足手まといには、なりたくないんだ。だから王様──何か、思いついたなら、言って、やって……恵奈は大丈夫、だから……」

 

「恵那……」

 

 恵那の本心からの言葉を聞いて、怜志は目を見開いて驚いた後、観念したように息を吐いて頷いた。

 

「……承知した。そこまで言われて躊躇うのは逆に失礼だな。こちらも色々と覚悟を決めるとしよう。その前に、だ。……一つだけ、一番大事なことを聞かせてくれ」

 

「うん、何でも聞いてよ」

 

 恐らくは術を施すにあたって何らかの条件があるのだろう──と考えた恵那は真剣な表情を浮かべた怜志に堂々と頷く。代償行為、供儀……どのような危険性があろうとも恐れるまいとする恵那の覚悟に対して、怜志は意を決し──。

 

 

「お前……彼氏とか婚約者とかいなかったよな?」

 

「え? いないけど?」

 

 

 あまりにも場にそぐわぬ問いかけに、思わず条件反射で以て返した。

 

 ……間髪入れぬ返答。

 完全に思考することを排した恵那の反射的な回答に、怜志は逡巡を完全に捨て切り、恵那の首元に手を回し、抱き寄せると、

 

「後で忘れろ──忘れてなかったら、最悪責任は取る」

 

「は──んぐッ……!?」

 

 ──恵那の唇に怜志は躊躇い無く己の唇を重ねた。

 あまりにも想定外かつ突然の幼馴染の暴挙に、恵那はどうしていいか分からず、両手をパタパタさせながら顔を紅潮させる。

 対する怜志も流石にその辺の情緒は持ち合わせているようで、僅かに頬を染めつつもそれでも成すべきことを成すがため、真剣な表情で重ねた唇越しに言霊を謳う。

 

心に物なき時は心広く体泰なり(カルヴァ・ナヴァニディ)──”

 

 発動させるのは練気技法。呪力の生成を早め、体内を侵す穢れを祓い、健康長寿、病魔退散を願う毘沙門天より簒奪せしめた加持の権能。

 本来は怜志にのみ働く自己再生能力を、粘膜接触を介して、恵那の身体へと吹き込む。

 

「んん!? は、む──れ、怜志────!?」

 

「色々言いたいことは分かるが今はともかく黙っててくれ…………俺の精神衛生のためにも。文句と抗議は戦争が終わった後存分に聞く」

 

 絶賛混乱中の恵那は思わず怜志に呼びかけるが、怜志は何か諦観したような限りなく感情を抑えた言葉をツラツラと言い切ると何か言おうと言葉を重ねようとした恵那の唇をさらに深く奪って、強引に黙らせる。

 舌を絡めとり、己が唇から伝わる熱を持った甘い感触を必要経費と割り切って意識しないように努め、退廃的な医療行為に専念する。

 最初は混乱のままに抵抗の色を見せていた恵那の方も、流し込まれる呪力に行為の意図を察したのか、やがて借りて来た猫のように大人しく怜志のされるがままになる。

 

 接触は時間にして一分あったかどうか。その短時間に、されど甘美な酒に酔いしれるような永遠を思わせる時間を経て、ようやく二人は唇を離した。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 顔を離した直後、怜志の視界に入るのは恵那の顔。

 ……紅潮した頬に、何処となく潤んだ瞳。

 怜志は他人事のように、今更ながら「美人だな」などという戯けた感想を現実逃避のように考えた。

 

「……取りあえず、治したから」

 

「……う、うん。ありがと、ね?」

 

 短く言って、怜志は屈んだ姿勢から立ち上がり、恵那に背を向ける。

 それに平静を保とうとしながら礼を言う恵那だが返事は完全に上ずっていた。

 

「……じゃあ、行くから。今のは応急処置だからお前は安静にしてるように」

 

「……わ、分かった……その、あの……恵那はついていけないけど、頑張ってね、王様」

 

「……ああ」

 

「そ、それと、帰ってきたら……その、後で話そ?」

 

「…………ああ」

 

 背中に受ける恵那の言葉を諦めたように受け入れ、怜志は気まずい雰囲気を振り払うようにして『馬』を呼び出し、戦場へと切り返す。

 その時、白馬に飛び乗る一瞬すれ違いざまに、直視を避けた恵那の顔がもう一度過る。

 

「──…………」

 

 鮮やかな笑顔を浮かべて戦士を送り出す、少女の姿。

 反射的に怜志は自らの唇を人差し指でなぞった。

 

「──さて、先ずは生きて帰るところからだな」

 

 はあ、と苦笑を浮かべ顔を伏せた後──その貌に真剣が戻る。

 何はともあれ、後顧の憂いはこれで断った。

 是にて望むべきはただ一つ──自らのお役目を果たすのみ。

 

 

「うちのを傷つけた代償は支払ってもらうぞ、まつろわぬ神」

 

 

 手綱を鳴らすと白馬は一直線に駆け抜ける。

 もう迷いはない。

 枷を外した剣鬼は今度こそ斬るべきものを斬るべくして戦場へと舞い戻る。




此処までで一番カンピオーネらしいシーンを書いた気がする!
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