神々、君に背き奉る   作:アグナ

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湯治

 岐阜県と言えば自然にまつわる観光名所が多くある土地だ。

 例えば白川郷。合掌造りの家々が並ぶ独特の景観を持つ集落は、新緑が茂る季節には古き良き長閑な田園風景を見せ、冬には真っ白な雪化粧を被った絶景を見せることで全国的にも知られている。他にも葛飾北斎が絵に描いたことで知られる養老の滝や、東海地区最大級とされる圧巻の光景広がる大滝鍾乳洞など種類も豊富で様々だ。

 

 また戦国時代が誇る軍師竹中半兵衛が僅かな手勢で攻略し、後にあの織田信長が城主として岐阜という地名に改めたとされる岐阜城や、江戸時代の趣をそのままに留めたという岩村城下町など今も残る古き良き伝統を現世に伝える観光地にも恵まれている。

 

 自然と伝統。この二つが織りなす古来からの風景。

 岐阜県はそういった土地として、今も多くの人々に愛されているのだ。

 

 そして──神殺しから一夜明けたこの頃。

 怜志らはその自然と伝統の一角に身を休めていた。

 

「や、神殺し(カンピオーネ)殿。どうでしたか? 天下三名水の湯加減は」

 

「良かったですよ。神奈川にも箱根など温泉地には覚えがありますけど、此処も負けず劣らずですね。伝統と大自然が調和した街並みを望む温泉、堪能させていただきました」

 

 湯上りに怜志が暖簾を潜って外に出ると先に上がっていたらしい、甘粕冬馬が片手を軽く上げながら挨拶してくる。半分ほど飲み干した珈琲牛乳を傍らに湯殿入口に備え付けられたベンチに腰かけている。

 怜志もそれに応じながらベンチに隣接する自販機で緑茶を購入し、甘粕の隣に腰かけた。

 

「ははは、完璧な感想ありがとうございます。夜には飛騨牛の和懐石が出るそうなのですよ。いやあ温泉も良いですが、こういう旅館の楽しみはやはり地元の名産品を使った夕食と相場が決まっていますからねぇ」

 

「何から何まですいません。送迎もそうですが、こうして宿や食事の面倒まで見ていただいて、せめて自分の立て替えてもらった分は後で支払わせてもらえれば……」

 

 夜叉ヶ池での決戦の後──怜志たちは岐阜県は温泉地、下呂温泉の宿にて束の間の休息に務めていた。

 というのも、怜志の神殺しとしての身分がバレたことで急遽、歓待と説明の場が設けられたことと、どうやら甘粕が偵察の際に牛頭天王招来に巻き込まれ、全身ずぶ濡れとなったことで冷えた身体を癒したいとの公的事情と個人的な事情が重なった結果、こうして温泉地にて羽休めをする次第となったのだ。

 

 オーストラリアからのほぼ連闘で肉体的にはともかく精神的には多少の疲労を覚えていた怜志にとっては、丁度良い向こうからの提案だったが、流石に良識ある日本人として全ての負担を持ってもらうのは気が咎めるものがある。

 なので湯上りのタイミングに自分の分の料金はこちらで負担しようかと提案したのだが、甘粕はあっさりと首を振った。

 

「いえいえ、本邦初の神殺し殿にそんな不遜な真似は出来ませんよ。それに支払いを持つのは委員会ですし、便乗して経費で私も楽しませていただいてるので、お気になさらず。それに、色々と後手に回ってしまった分、少しでも点数稼ぎをしたいんですよ」

 

「……それ言っていいんです?」

 

 ぶっちゃけた話に思わず怜志は指摘する。

 が、それに甘粕はニヤリと悪童のように笑って返した

 

「言わなくても察せられるでしょうからね。ねえ、清秋院の婚約者(フィアンセ)殿?」

 

「…………そういうのは本人の気持ちの問題では?」

 

「なら時間の問題ですねー」

 

「……であるか」

 

 もはや委員会側のエージェントからして確定事項らしい話に思わず怜志は遠い目をする。……下山後、戦闘が終わって満足した怜志が目の当たりにしたのは棚上げしてきた現実の数々である。

 まず一つ目は神殺しうんぬんのしがらみについて。まあこちらについては問題ない。元より覚悟していたことだし、多少政治に巻き込まれるのは考慮の中。天国としての自覚を持っている怜志にとって対処自体は簡単だ。

 今まで通り『民』として、あくまで中央には不可侵。その意思を公式に表明すればいいだけなのだから。

 

 怜志的に問題となったのはもう一つ……言うまでもなく清秋院の方、というより恵那についてである。戦時中の救命措置とはいえ、日本が誇る媛巫女、それも『四家』の一角、清秋院のご令嬢の唇を奪った挙句、秘蔵の神刀を叩き斬るという暴挙。

 

 これら二つの暴挙は『責任』という形で怜志の肩に重くのしかかった。後者についてはまだ何とかなる。手入れならばいざ知らず、神格由来の天叢雲劍の修復作業は怜志の祖父に頼めばどうとでもなるだろう。

 天国としては怜志以上の完成度、当代最高の鍛冶師である祖父ならば真っ二つにした神刀も治すことが出来るはずだ。

 

 問題は前者の方だ。仮にも神殺したる王が未婚の乙女の唇を奪ったのだ。その事実は、まだ当事者間の内々の問題であるものの、帰路の移動中の車内で何処か余所余所しい態度をする二人を見ていた甘粕には事情を速攻悟られたし、神刀の件もあって恵那が実家に色々と報告したため、細部はともかく事情は概ね流出している。

 非常時の措置──と握り潰すことは簡単だが、ヴォバンほど王として振り切れてない怜志である。義がために立つ男が、無かったことにしてもいいよと寂しげに微笑む少女を前に自らの『責任』を忘れることなど出来なかった。

 

「……まあ、身から出た錆ですからね。恵那について責任は取りますよ。元々幼馴染ですし、少し関係が変わっただけと思えば難しい話でもありませんしね。つまらない話をするならこれで委員会から余計なアプローチを受けずに済むでしょうし」

 

「うーん、それは難しいんじゃないですかね? 何せ日本初の神殺しですし、何としても取り入りたい輩は出るでしょう。愛人でも何でも関係を持つために、婦女子を送り込む家は出てくると思いますよ」

 

「ではその辺については王として委員会に対応して頂ければ。他の男児の倫理観には関与しませんが、少なくとも俺は側室やら愛人やらを持つつもりはありませんと。これでも表面上は一般的な男児として努めて来ましたからね」

 

「表面上は?」

 

「表面上は。ロクでなしの自覚はありますので」

 

 軽く緑茶を流し込み、一息つく。

 一般とは程遠い家系に生まれ、鍛冶の心得や剣の修練、山籠もりに術の体得と幼い頃より普通とは程遠い生活をしてきたものの、社会に対しては努めて怜志は一般的に過ごしてきた。

 家系の事情は手習いと誤魔化し、普通の学生に紛れてスポーツに委員会等々と。まだ恵那とは一つ違いの十三歳だが、それでも若いなりに考えて余計な増長も余分な排他的振る舞いもせず、普通に迎合しようと歩んできたのだ。

 

 少なくとも一般の者たちを非常識には巻き込まない。その誓いと歩みは今も昔も変わらない。

 

「なので俺のことは普通に怜志で構いませんよ。政治や裏の事情が絡む時なら仕方がありませんが、平時は普通の学生ですので」

 

「成程、では……怜志さんと」

 

「ええ。そちらの方がこちらもやりやすい」

 

 こちらの内面を読み取ったのか、気を効かせて改める甘粕に謝意を示しつつ、怜志は話題を変えて話しかける。

 

「そういえば、俺たちの事情はともかくそっちは今どうなってるんです? 昨日の今日で神殺しの誕生を知らされた正史編纂委員会は」

 

「それはもう絶賛大混乱中ですね! 最初はデマかとも思ったそうですが、丁度タイミング良く欧州の賢人議会からご連絡を受けたそうで、それで図らずしも事実確認が済んでしまったみたいですね。いやあ、誕生すぐにあのヴォバン侯爵に大立ち回りとは。正に彗星の如く現れた新星──いや、超新星ですね!」

 

「……ああ、爆発的なニュアンスで?」

 

「ええ。爆発も爆発、大爆発ですよ!」

 

 楽しそうに語る甘粕だが、現実はそれ以上に混沌としているのだろう。誕生から既に一月経過してようやく判明した日本初の神殺し。しかも、この短い期間にヴォバン侯爵を相手に大立ち回りをした挙句、同時期に誕生したサルバトーレ・ドニと交戦。

 帰国してからはいきなり善女龍王と、その従属神牛頭天王との戦闘である。既に早々たる手合いと戦をしている神殺しを相手に委員会もどうしていいか分からなくなっているはずだ。

 

 少なくとも字面だけみれば極めて好戦的な類(実際間違ってはいない)。人格の把握が進んでいない中、対応に慎重になるのは当然のことだろう。

 

「その割には甘粕さんは飄々とした印象を受けますが。以前聞きましたが、沙耶宮家次期党首殿の懐刀なのでしょう。俺が言うことじゃないですが、いいんですか?」

 

「報告はしましたし、怜志さんのスタンスは分かりましたので特別なことは何も。見事に清秋院に掻っ攫われた件については、出遅れを反省しているようでしたが、二番手でも接触できたので良しとするそうです。何より──国外の手が回るより国内の人間が押さえてくれたので幸いだった、と」

 

「成程、確かに。委員会的には『四家』の競合相手に取られるよりも、外の人間が入り込む方が厄介でしたか」

 

「はい。そういう意味では、まあ次善ぐらいには収まったんじゃないですかね?」

 

 日本で生まれたからと言って王がそのまま出生国を贔屓するとは限らない。いち早く接触した外国の人間によってその身が取られる可能性を考慮すれば、競合相手であっても同じ組織の人間が押さえている事実は大きいということだろう。

 特に怜志の場合は神を殺してから時を立たずして国外に赴いている。そうした危険性は高かったと言える。

 

 まあ、怜志自身は国の外に出るつもりもその予定もないのだが。生まれとあって愛着は持っているし、何より天国としての責任もある。

 依頼で国外に赴くことはあっても、長期にわたって外に出ることはないだろう。

 

「取りあえず怜志さんが危惧してるだろう余分ないざこざは当面起こらないと思いますよ」

 

「……顔に出てました?」

 

「いえいえ、さりげない問いかけと見事なポーカーフェイスでしたよ。ただ恵那さんとのやり取りやお話しする限りの印象からして、失礼ながら割と面倒くさがり屋の印象を受けましたからね。余計なゴタゴタに巻き込まれたら堪らないと思ってるんじゃなかろうかと勝手に推測しただけですよ」

 

「ふむ、流石に年季が違いましたか、お見事です。ぶっちゃけた話、神々や神殺し以外の案件にはあんまり興味ないですし、関わりたくないんですよ」

 

「ははははは、ぶっちゃけましたねー。分かりました、何処まで制御できるかはまだ判断しかねますが、少なくとも私共はそのようにさせていただきますよ」

 

「ありがたいです」

 

 つまらない腹の探り合いを放り投げて会話ができる話の分かるエージェントに感謝しつつ、伸びをする。

 必要ならば行うが、怜志としてはこの手の面倒な話し合いはあまり好みではないのだ。刀で決着を付ける方が何千倍も簡潔だと思うし、何よりそちらの方が心躍る。

 

 ──と、一通りの会話が終わったタイミングで、この小休止に参加する最後の一人が暖簾を潜って姿を現す。

 

「あ、王様……お待たせ」

 

「……ん、ああ。いや、大した時間待ったわけじゃないよ。そっちは、温泉はゆっくりできたか?」

 

「うん、良いお湯だった」

 

 風呂上がりで浴衣に身を包んだ恵那は、まだ若干濡れた黒髪のせいか何処かしっとりとした印象を受ける。平時は男勝りの快活とした印象を覚える少女だが、やはりこういう場面では深窓の令嬢よろしく名家のお嬢様らしさが出るということだろう──。

 

 ──というか。完全に空気を引きずっていた。お陰で怜志も無駄に意識してしまい、相手も変な印象を受けてしまう。

 

「あー、私ちょっと突然タバコ吸いたくなってきたので席を外しますねー。夕食は一時間後ぐらいに出されるそうなのでそれまでに食堂に出てきていただければ。……ということでごゆっくりー」

 

 凄まじく白々しい言い様で甘粕は腰を上げて颯爽と去っていく。眼鏡を押し上げる手とレンズの光の反射越しに表情を隠していたが、絶対にニヤついていた。

 過ぎ去る背中を恨めしく眺めながら隣に座る恵那に怜志は観念して向き合う。

 

 ……元々自分がきっかけのこの状況だ。丸投げしてきやがった昨日の自分に憤りを覚えつつ、こうなればなる様になれと半ばヤケクソのように口を開いた。

 

「──……色々言いたいことはあるが、まずは身体の調子はどうだ。直したとはいえ、呪いで回復しない疲労もあるだろう」

 

「それについては大丈夫。倒れそうになった手前、アレだけどこれでも頑丈だし、良いお湯だったから疲れも吹き飛んだと思う」

 

「そうか」

 

「王様こそ、どうなの? 大変さ具合で言ったら王様の方がよっぽど大変だったように思うけど」

 

「面倒な手合いではあったが、大した使い手ではなかったから問題はないよ。致命的な傷も負わなかったしな」

 

「そ、そっか……」

 

 ……沈黙。会話が全く続かない。

 探り探りの会話になる辺りこちらも向こうも見事に距離感を計りかねている。

 

 見ればチラチラと視線を感じるので思うところは互いにあるのは間違いない。が、この手の状況が完全初見の怜志と意外と初心な所がある純正の大和撫子である恵那とでは、互いに何をどうしていいのか分からず言葉が出ないのだ。

 

 とはいえいつまでもこの調子ではやり難い上、今回のごたごたが片付いた以上は後一月ほどで恵那は再び媛巫女としての役割を全うするため、山の方へと戻るだろう。

 ちゃんと話せるタイミングはそう多くない。

 ……元はと言えば、原因は怜志にある。『責任』は取るとまで言い切ったのだから、もう突き進むしかない。昔の偉い島津の郎党が陣中突破に活路ありと、言っていたように結局何事も前に進むしかないのだ。

 

「……いつまでもこんな雰囲気じゃやりづらいからな、恵那」

 

「な、なにかな?」

 

「非常時の流れとはいえ、あんなことになった以上はあの時言ったように責任は取るつもりだ。ビンタの一発でも喰らわせたいなら甘んじて受けるし、顔も合わせたくないならそのようにしよう」

 

「そ、そんなこと思ってないよ!」

 

「まあ聞け。その上で、だ。結局お前はどうしたいんだ? 戦のことならともかく幼馴染のお前なら知ってるだろうが、この手の機微に俺は疎い。言ってくれなきゃ、何をどうしていいのか正直お手上げなんだ……情けない話だがな」

 

 正直に身の丈を語る。これが今の怜志に出来る精一杯だ。

 ふうと息を吐いて恵那に視線を合わせる。

 口にしたが最後、関係性が変わるだろうその一言を。

 

「お前の気持ちを聞かせてくれ、恵那。条件を手打ちに済ませるのか、最初からなかったことだと忘れたいのか……或いは、責任取らせて恋仲にするか」

 

「……むぅ、その聞き方なんかズルくないかなァ。怜志の方こそ、どうなのさ。責任どうこうは何度も聞いてるけど怜志の気持ちは聞いてない」

 

「それは好意の有無を聞いているのか? なら答えは一つだ。好きか嫌いかでいえば無論、好きだとも。今更だろ」

 

「にゃッ──!?」

 

「……なんだその反応、らしくない。第一、幼馴染とはいえ好きでもない相手とこうも長く付き合わんし、利害の一致があるとはいえ命がけの頼み事を聞くわけないだろう。……まさかとは思うが、最古の魔王と戦いたいがためだけに恵那の頼みを聞いたと思っているのか?」

 

「え──それはそうでしょ?」

 

「……ま、まあ、そういう面もあるにはあるが」

 

 突然の本心(マジレス)に思わず怜志は言葉を失う。日頃の行いの成果である。コホンとわざとらしい空咳を打って、怜志は仕切り直した。

 

「と、ともかくだ。責任云々と濁したが……俺は恵那のことが好きだし、お前もそうならそういう関係になっても構わないと思っている。だから──」

 

 視界の端で黒い髪が靡く。

 怜志が反応するよりも先に、恵那は怜志に顔を近づけ──不意打ちにその唇を奪った。チュっと小鳥が啄むようなささやかな接触。

 突然の出来事に固まる怜志から顔を離して、恵那は温泉の熱とは異なる熱で頬を紅くしながら、いたずらに成功した童女のようにあどけなく笑う。

 

「また、しちゃった」

 

「恵那」

 

「前の仕返し──と、恵那からの答えかな。これからもよろしくね、怜志」

 

「……──降参。俺の負けだ。もう好きにしてくれ……」

 

「うん! 好きにする!」

 

 天を仰ぐようにしてベンチの淵に両手をかけて無防備に白旗を上げる怜志に満面の笑みで恵那が抱き着く。

 負けず嫌いの神殺しをして、無条件に降伏を選んでしまえるほどに少女の笑みはあまりにも鮮やかであった──。




これにて完結! 作者氏による次回作にご期待ください!!
(※まだ終わりません)


……とはいえこの後考えてないので、期待せずにお待ちを。
不定期更新ってタグ付いてるから許してクレメンス。
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