グィネヴィアなる謎の魔女との邂逅から小半刻、怜志はバスに揺られていた。
窓辺に見慣れない景色を眺めつつ、暫し思案する。
「英国の黒王子に、グィネヴィア、それと《カルイキの刀》か……」
怜志としては、神殺し以前から続けていたいつもの
「とはいえ結局、やるべきことは変わらない」
戦場は常に思惑通りに進むとは限らない。否、寧ろ当初の思惑通りに進む戦場の方が稀だろう。想定外の事態、予想外の遭遇、そんなものは有り触れている。
怜志が思うに、そうした状況下では「軸をぶらさない」というのが一番重要だ。初志貫徹、終始一貫、混沌とした状況に目移りするのではなく、己が成すべき戦略目標を定め、此処を達成することにこそ心を常に割くという意思の持ちよう。
こういった場面においてはそれが何より大事になる。
「俺の目的は刀の護衛……黒王子の迎撃、是のみ。目移りするのは余裕が出来てからで構わない」
例の魔女の暗躍は気になるものの、一旦存在ごとそれを忘れる。他の相手に意識を割いていては戦場で足を取られかねない。ましてや此度の敵はそういった謀略に優れた変わり種の神殺し。
集中して事に当たらなければ、それこそ怪盗は捕まえられまい。
「……しかし少年探偵ね、そういう意味なら俺は書斎で謎を批評するよりも現場で起こる事件を追いかけたいな。尤も、その場合は橋を封鎖するのではなく落橋させることになるのだろうが」
現実は探偵と怪盗などではなく、テロリストにテロリストをぶつける暴挙。いいや、ゴジラにモスラを叩きつけるようなものか──。
……などと、他愛のないことを考えているとバスが止まる。
どうやら目的地近くの降車位置に着いたらしい。立ち上がって、バスの運転手にお礼を言いながら降車する。
「さて、地図を辿るなら確か──」
市庁舎、図書館、刑務所などが連なる行政区画を横目に、サウス・キング・ストリートのバス停で降車した怜志はそのまま車の流れに沿うように歩いていく。
横道にアラパイ・ストリートへ流れて進み、見えて来た大通りを曲がる。
そして歩き進めること約十数分。トーマス広場を正面に見る位置に、目的の場所は立っていた。
「此処が、ホノルル美術館か」
……美術館といえば怜志のイメージでは歴史の趣があるレンガや、頑丈なコンクリートでできた巨大建築、或いはデザインの最先端を進む先鋭的なものが印象深い。
一目目的地を目の当たりにした怜志の率直な印象は案外地味というものだった。
周囲にある背の高い建築群に比べて、やや低い日本の平屋建築を思わせる建物。異国であるはずなのに、どこか日本家屋との既視感を覚える作り。
ホノルル美術館。ハワイ最大の美術コレクションを展示する施設は通りからすぐに、あっさりと見つかった。
「太平洋航路に東洋と西洋を結ぶ交差点か。聞けば五万点を超えるコレクションの中には日本のモノも相当数含まれていると聞くが……成程、その背景を思えば納得だな」
名高きかの英国美術館などの意匠を想定していた怜志だが、これはこれで味があると言える。早速、来歴不明の馬にも似た二対の謎生物の石像と、何らかの芸術らしいタペストリーが迎える門を進み、受付へと足を運ぶ。
事前のやり取りでは、依頼主である当人が案内するという話だったが……。
「やあやあやあやあ! 遠路はるばるアローハ少年! お姉さん、別に感無量でもないなぁ!!」
「……そりゃあ、四月に鎌倉で会ってますからね。幸徳井さん」
カツカツとこれ見よがしにヒールを音高く鳴らしながら、件の依頼主は電話越しに聞いた口喧しいままに姿を現した。
怜志を出迎えたのは奇怪な出で立ちの女性だった。
派手な赤色のアロハシャツとホットパンツ、そこまではハワイに合わせた当たり前の服装だが、上から膝下まで伸びる白衣をマントのように靡かせているのがノイズだ。
ツーサイドアップにまとめられた長髪は、左右で白と黒とに分かれており、髪を結うゴムには太極図を模したらしいデザインのアクセサリー。
見る者にクールな印象を与えるだろう、端正な顔立ちには明らかにサイズもデザインもあってない大きな丸眼鏡を付けている。
一度出会ったならば生涯覚えてられそうな個性の爆発した衝撃の姿。片耳にだけ付けた巻貝のイヤリングを揺らしながら、目的の人物──幸徳井華は詐欺師のような愛想笑いを口元に浮かべた。
「冷静沈着、鉄面皮! んー、相変わらずつまらなそうな顔してるねー、天国少年は! 人生楽しまないと損だぞ? 君、ただでさえ長く生きられなさそうな人生歩いてるんだから! 飲め、喰え、遊べ! 死後に快楽なしってね!!」
「別に
「ハッハッハ! いやすまんね! 本音を隠して裏でぶん殴る日本人らしい謙虚な汚点美点なぞ親の腹の中に忘れてきてしまってねェ! だがまあ、お陰で面倒な柵からは解放されている! これはこれで私の素晴らしい美点さ! 自己アピールの場があったらそれだけで五百文字は埋められるネ!」
「そうですか、俺が面接官なら書類選考で蹴っ飛ばしそうです」
「堅実な経営者でつまらないねー。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉を贈りますよ」
「つまり──上限突破した才能を持った超絶美人で頭のキレる幸徳井さんマジ卍……ってコト!? いやあ、神殺したる君にそんなにベタ褒めされたら流石の私も照れるというものだよ!」
「一文字もそんなこと言ってませんが。相変わらず相手の言動が自己都合に合わせられる素晴らしい聴力をお持ちのようで」
早々にテンションの高い様で疲れるような戯言をほざく幸徳井華。恐ろしいことにこれが通常運転である。
こんなんでも
或いは才能は愚者と紙一重であるというべきか。
「茶番はそこそこに早速本題について説明してくださいますか。このままだと、日が暮れそうだ」
「やれやれ雑談は発明の母だというのに、相変わらず何でもかんでも直截だねぇ君は。疾きこと童貞の如しなんてモテないゾ! 多少冗長と言われようともピロートークを広げられる度量があってこそ、女性に受けるというもの……ま、結局最後は顔と金と安定性なのだがね! やっぱりトークスキルとか別にいらないねェ!」
「流れるように二行前の言葉を前言撤回する忙しさと比べれば、俺の早急性など常人の範囲内ですよ……それで? そろそろ俺は刀を抜いてもいいですか?」
「命短し生き急げよ華ちゃんというだろう? 人の生など流れ星、いつ宿星が光を消すとも知らぬのに時間を怠惰に貪るよりはずっとイイ! でもま、自分で光を消すつもりはないので、大人しく案内を開始する華ちゃんなのであった……というわけでレッツラゴー!」
「……はぁ」
「アロ~ハオエ~」とフラダンスの定番曲を音程外れで謡いながら歩き出す幸徳井。ようやくの本題に怜志は疲れたようにため息を吐きながらその背中に続いた。
………
………………
…………………………。
鎌倉にある先神館學園、民俗学准教授の幸徳井華。
それが怜志の目の前を歩く彼女の表向きの肩書きである。
国内外問わず興味の赴くままに訪れては、文献や伝承を漁り、己が満足したならば次へ行く。特定の専門分野や研究対象を持たずに放浪する彼女は、ともすれば学徒というよりも愛好家の類を出ないようにも思えるが、単なる愛好家とは違いしっかりとした身分なだけに彼女はそう言った分野に対して広い人脈を有している。
大英美術館の収蔵庫に顔パスで出入りできる!と豪語するだけあって、特に警備や学芸員に呼び止められることもなく、華と怜志の二人はあっさりとホノルル美術館の裏側、収蔵品を収容する倉庫へと進入した。
「さてさて、此処から先は華ちゃんの小粋なトークは少し休んで代わりに大学教授らしく講義をしようじゃないか! ということで生徒天国くん、君はハワイの伝承についてどこまで知ってるかなー?」
「異国の神話に関して言うなら俺は全くです。アジア圏なら何とか多少は頭に入れてますけどハワイまで離れるとさっぱりです」
「ほほう、分からないことを分からないという。素直かつ知的な解答が出来る生徒くんに先生鼻高々ですわよ。近頃の若いもんときたらすーぐ見栄張るから……」
「真面目、講義、斬る」
「いえすゆあまじぇすてぃ」
五秒で前言撤回しようとする幸徳井に端的に怜志が告げる。
全力で脇道に逸れそうになった会話の軌道は強引に引き戻された。
「んじゃ当然、今回の依頼の要である《カルイキの刀》に関しては無知無学の君でオーケー?」
「そうですね、事前に調べられる範囲で調べようともしたのですが」
「全然全く分からなかったと。ま、当然よねー、ハワイ神話なんてマイナーどころも良い所だし、そのマイナーなジャンルのさらにマイナーな話なんて知ったこっちゃねぇって話ですよ!」
「マイナーなんですか」
「うん、マイナー。ということで君好みに端的、簡潔、簡単に《カルイキの刀》の来歴を語りましょう! 《カルイキの刀》、その正体とは──なんと! ただの日本刀です!」
「……ハワイの伝承に日本刀、ですか」
「おーいぇす! 順を追って話しましょう! その昔、荒れ狂う高波に攫われて此処ハワイにママラ号と言う名の船が遭難しました。乗っていたのは日本人で船長のカルイキ・ア・マヌ率いる四名、ネレイケ、マラエア、ハアコア、ヒカ──四人のうち、船長の妹であるネレイケと、マラエアは女性だったそうな……女二人、助けのない異国、何も起きないはずもなく……」
「日本人なのにハワイ風なんですね。それに
「オゥ! ナイススルースキル! 日本人として名乗ったかもしれないけれど、此処ハワイだからね! ましてや口伝が主流の時代じゃあ本名なんて残ってナイナイ! で、察したとは思うけど《カルイキの刀》っていうのは、この遭難した船長が偶発的にこの国に持ち込むこととなった刀のことよん」
「ただの刀っていうからには何か特異な異能を秘めた武器──というわけじゃないんですよね?」
怜志が問うと、幸徳井は目を狐のように細めながら優秀な生徒を褒めるようにしてわざとらしく頷いて肯定する。
「うんそう。刀自体はただの刀ね。けれどこの当時のハワイといえば木やら骨やらで作った
「
「いぐざくとりー。この船長くんがあんまし人前に見せることを良しとしなかったのも聖性を高めたそうよ。迷信深い地元民くんたちは勝手に刀のことを『神々が与えたもう聖なる授かりもの、授かった者には必勝の力が宿る』って信じちゃったみたい。素直で可愛いね」
島国という閉鎖された環境に持ち込まれる未知の物品。それに何らかの神聖を見出すという話は有り触れたモノだろう。此処、ハワイの地で語られる《カルイキの刀》もその類。物自体はただの物であっても、祈り、崇められ、伝承されていくうちに、役割も意味も、そしてその
《カルイキの刀》は正に典型的なその例だろう、
「『ああ、よそ者の長い刀よ!
異国生まれのよそ者の
目もと涼しいよそ者の
かんばせ白き、よそ者の刀よ!
ああ、ロノ神の長い刀よ。ロノ神の賜物よ!
ほむら立つ陽の眩さと石より切れる刃を備え
フアラライの硬き石よりも鋭く
触れれば槍は脆くも砕け、屈強の戦士は敢え無く死す!』」
唐突に幸徳井がオペラ座の舞台に立つ役者のように、大仰な身振り手振りで歌い出す。恐らくは
その中で気になった点を怜志は問うた。
「ロノ神というのは?」
「この島で人を創造したとされる
「……まあ、神話だと突飛な展開は良くありますからね」
「んで、妻を殴り殺した後に正気を取り戻したロノ神はあら大変。返事が無いただの屍になった妻を前に慙愧の念を抱いた結果、狂人のような様で島中に迷惑かけた後、なんやかんやあって島民に大量の食糧を持って帰ると言って、カヌーに乗って島を出ていったとさ。めでたしめでたし」
「──ああ、成程。つまり島の外から流れ着いたものを、船で島を去ったロノ神が齎したものだと解釈したわけですか」
「ネタバレ、いくない! ……けど、そういうこと。名も知れぬ船長くんが持ってきた日本刀は気づけば偉大なる神がこの国に持ち帰った勝利の鋼に転じたわけ」
「勝利の鋼……」
ただの日本刀──それが太平洋の荒波に揉まれ、異国の土地へと流れ着き、神が齎したという神刀として語られ、持つ者に勝利を与える鋼と化した。
元はと言えば由来定かならざる単なる刀。だが巡り巡って辿り着いた先で、武力の象徴として奉られたという。
不意に『貴種流離譚』という単語が脳裏を過る。
アレは苦難の旅路を辿った物語の主役が英雄へと至る過程に対する言葉だが、刀の来歴を聞いて、思わずそれを連想した。
それに手にしたものに勝利を齎す
怜志が不意に抱いた感想を読み取ったのか、ニヤリと幸徳井が笑う。
「きっと、例の王子様が興味を持ったのはその辺りじゃないかと華ちゃん先生は思うわけ。というわけで──」
先を歩く幸徳井の進行が止まる。踵を軸足にくるりと百八十度の反転をした幸徳井は、ショーケースを背後にわざとらしく畏まった態度でお辞儀をしながら指し示す。
ホノルル美術館に収蔵される、曰く付きの日本刀を。
「あらためまして、これがこの国の
告げた言葉に──鉄の刃が鈍く輝いた。