「これは──」
光を反射する
太刀掛けに飾られる鈍色の刃を一目見て、怜志はほうと息を漏らした。
武骨な古刀。長さは概ね二尺三寸、怜志が得物とする打ち刀と同じぐらいのサイズだ。銘はなく、ただ妖しい魅力を持つ刃が、作り手の実力を無言のままに示している。
むき出しの刃には飾り気はなく、柄には鮫皮は疎か柄巻すら存在しておらず、劣化し黄ばんだ包帯がぐるぐる巻きにされているのみ。元々、柄が存在していなかったのか、或いは時間経過の過程で刃より先に寿命を迎えたのか、その判断は付けられない。
ただ少なく見積もっても数百年は経ているだろう刃は、錆一つ見せることなく寒々とした在り様を今も尚、保ち続けている。
──だが、怜志の目を引いたのはむき出しの刃物にでも、経年劣化を見せない刃の鋭さにでもない。
反り、刃紋、造り……ああ、手癖は違えども見間違えようなどあるはずもない。何故なら、この刀、この剣の製法は──。
「
驚きに目を瞬かせる怜志を傍目に、幸徳井はカラカラと笑う。まるでドッキリを成功させた道化師のような笑みであった。
視線鋭くどういうことかと怜志が無言で問いかけると、彼女は肩を竦めた。
「どういうことも何もそういうことさ。君たちがバラまいた刀が巡り巡ってたまさかこの島に辿り着いた。という偶然だと私は判断したけれど──実際の所、どうなんだい? これも、君たちの
「……──さて」
好奇心を見せる猫のような表情で怜志を見つめる幸徳井。
それに怜志は反応薄く、飾られる《カルイキの刀》を見つめたまま、
「……銘は無く、取り立てて霊威の強さも感じられない。優れた名刀であることは間違いないが、これはあくまで単なる武具。
「何だそうなのかい? てっきりまたぞろ面白いことを考えたと興味深く思っていたのだけれど、残念。ただの奇縁とはね。ってことはこれは大君の時代の?」
「ああ、天国製作の数打ち……量産品ですね」
刀匠天国は半ば神話に踏み込んだ伝説的な存在であるが、実際に天国が打ったとされる名のある刀は数少ない。天皇家が秘蔵するという国宝である天叢雲剣や小鴉丸など彼、ないし彼らが打ったとされる作品はどれもこれもが俗人の目からは遠い品ばかりだ。
そのため、時たま天国の銘が刻まれた刀が見つかっても大概は偽物扱いされるほどに、天国の銘が刻まれた真作は数限られているのだ。
だが……実のところ、それは別段天国が殆ど刀を世に送り出さなかったからというわけではない。いいや寧ろ、数だけならば後世の著名な刀工より多くの刀を送り出しているといえよう。
「……当初、大君が俺たちに求めたのは国家を象徴する宝具でも、朝敵を打ち滅ぼす御旗としての飾りでもない。明確な、武力として敵を打ち滅ぼすための装備であり、武器だ」
始祖の時代。天国が皇室に仕える刀工であった頃、天国の役割とは当然、刀を鍛えて兵士たちに行き渡らせることであった。
そこには職人としての名も、地位も、不必要。元より、大君という巨大なスポンサーを抱える彼らにとって、大君の先兵たる兵士たちが握る刀は総じて天国が打ったモノ。よって銘を与える必要も、名を彫る理由も存在しなかった。
刃──これ即ち天国也。
刀工という立場それ自体が天国の名に帰結する以上、天国は刃に余分なものを付け加えなかったのだ。そしてそれこそが、後代に天国の名を持つ名刀が殆ど残らなかった理由でもある。数打ち、ただひたすらに刃を量産することにこそ、天国という刀工集団の意義があったのだから。
「だから、偶にこういうこともあります。いつからかある数打ちの量産品……それが実は、うちの門下が打った代物だったということが」
まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかったが、と付け加えながら怜志はようやく幸徳井の方へと目を向ける。
「察するに、これの護衛ついでにこれを俺に検めさせるために呼んだんですね」
「ピンポンピンポン! 大せいかーい! 当ててみせた少年には、報酬にお姉さんが君をなでなでしてさし上げまショ!!」
「要りません……それで?」
「うん?」
怜志の頭に手を差し出す幸徳井を払いのけながら嘆息交じりに問いかける。疑念を宿す怜志の瞳にすっとぼけるように幸徳井は小首を傾げる。
……迂遠なやり取りを好む彼女の困った性癖に呆れつつ、怜志は追求する。
「態々、俺の反応を見たがるのですから、貴女
「アハ! 流石に鋭いね君!! うんうん、門外漢であろうとも要点はしっかり押さえてる辺り、君が神を殺せた理由が分かるってもんだわね! 面倒くさいぐらい目ざといんだから!!」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」
一々突っ込みを入れることに疲れたのか、怜志は褒めとも貶しとも受け取れる幸徳井の言葉を聞き流しつつ、真意を問う。
……黒王子はこの刀を狙って予告状とやらを送り付け、彼女はこの刀の由来に興味を持って怜志に実物を見せつけた。
となれば《カルイキの刀》と呼ばれるこの出土物の由来が、彼ら彼女らの関心を引き寄せているのは明白だろう。
怜志の推測を肯定する様に、幸徳井がニンマリと笑う。
「ま、実際の所は中二王子がどれぐらい知ってて、どういう目的で狙っているのか正しい所は知らないけれど王子くんが興味を持った理由なら想像は出来るね。きっと、王子くんはこの刀に《鋼》を見たんだろうね」
「《鋼》──剣神、闘神などを総称する一群、スキタイ民族が伝承する英雄神たちのことですね」
似た話を直近で聞いたなと怜志は頭の片隅で思う。
その個人的な感想はともかく、怜志の言葉に幸徳井が頷く。
「そ。此処ハワイは君も気づいているだろうけど、外から色々なものが流れ着く場所だ。東やら西やら、もう混沌の坩堝。知らないだろうけど、此処の神話って遡るとユダヤ教にまで辿り着くんだよ?」
「ユダヤ教ですか? それはまた意外な……」
「より正確に言うならばユダヤ教よりももっと前──彼らが一つの宗派として成立する前の天地創造伝説の祖型を留めている、というべきなのかもしれないけれど……まあその辺りの講義はまたの機会にして今は刀の方に焦点を当てましょ」
ポリネシア民族の起源を厳密に追うと小アジアとかアラビア半島にいたアーリア人に辿り着くとか、その地で初期クシュ王国やカルデア王国と密接に関わっただとか、その後インドに渡ってドラヴィダ系の血と混じりながらカルデア人の大商業圏を辿って東南アジア島嶼部に定住しただとか、一から説明するの面倒くさいし……と。
口を尖らせながら詳細をバッサリ切り捨てて、幸徳井は肝心な部分だけの解説に比重を置いた。
「『ああ よそ者の長い刀よ
ああ ロノ神のまばゆい刀よ!
見かけた者はいるか? 見つけた者はいるか?
地にもぐってしまったか?
大海原に飲み込まれたか?
星読みが夜空の星に見出すか?
神官が黒豚の腹から取り出すか?
至聖所からのご託宣があるか?
ロノ神官らが教えてくれるか?
預言者は黙し 神官らは鈍い
ああ よそ者の刀よ
ああ ロノ神のまぶゆい刀よ
消え失せた! 消え失せた! 消え失せた!』」
「その詩は」
「さっき謡ってみせた後半部。ああ中略入れてるからホントはもちっと長いんだけどね。この島に語り継がれる征服伝承……『鉄の刀の物語』において、ウリ神の加護篤き女預言者のワアヒアによって謳われた詩さ」
「征服伝承」
「そう、征服伝承。ハワイで征服って言ったらやっぱり石器時代に銃火器もちこんで異世界転生(死んでない)俺TUEEE!をブチかましたその名も偉大なカメハメハだけれど、彼以前にもこの島で行われた征服の歴史を伝承する逸話が残されていてね。刀の伝承もその一つ」
大筋としては、カルイキ──難破した結果、ハワイ島まで流れ着いた日本人船長の刀が様々な持ち手の下に渡りながら、時に戦の勝因の象徴として、時に持ち主に傲慢さを齎すものとして、或いは役割を果たしていき、最後は囚われた王を開放するための交換条件として、身代金代わりとなり、行方不明になった……という民間伝承だ。
「一見して、外からやってきた珍しい品にまつわる数奇なる運命を描いた民間伝承……と解釈できるし、実際はまあそういうつもりで伝承されてきたんだろうけど、事情通ならこうも連想できるわけだ。手にしたものに勝利を確約する刀ってね」
「岩に刺さった剣の伝承──《鋼》、それもより源流に近いものだと考えたわけですね」
「その通り! 実際の所は外れだったけれど──いや、ある意味
「…………」
「……ま、いいや。その話はまた別の機会にするとして、話を戻すと私も王子くんもこの刀に《鋼》の源流を見たからこそ手にしたくなった、とそういうことさ」
「成程」
大体話は見えて来た。要は幸徳井もアレク王子も何らかの目的があって《鋼》の足跡を追っており、今回たまたま互いに興味を持ったものが同じものだったため衝突することになったというだけの話なのだろう。
まあ衝突と言ってもまともにやれば手も足も出ない幸徳井側の認識であり、向こうからすればいつも通り、有象無象から希少品を奪取してやろう程度のハラなのだろうが……。
「それにしても地元の者たちですら殆ど忘れたような
怜志が度々する《鋼》というものは主に存在自体が『剣』の暗喩となる神性、騎馬民族スキタイが発祥・伝播に深くかかわったとされる軍神たちのことを指す。
多くがペルセウス・アンドロメダ型神話──水辺に潜む怪物から乙女を英雄が奪還し、乙女とする説話に関わる《蛇》との因縁の逸話を有してもおり、例えば日本で言うならスサノオとクシナダヒメもその一例に当たる。
八岐大蛇という水性を持つ《蛇》よりスサノオはクシナダヒメを奪還し、その過程で彼は《蛇》を殺して《鋼》を得た。
この他にも竜を殺害して不死身と化したジークフリートや、先に挙げた『岩に刺さった剣の伝承』の最たる存在であるアーサー王なども後に『湖の乙女』より《鋼》を授かるという逸話を有している。
だが《鋼》と呼ばれる一群の神性は先に挙げたようにスキタイ民族──大陸に源流を持つ神々だと一般に考えられている。ともすれば日本以上に大陸から遠く離れたこの地に、《鋼》……それもより源流に近いルーツを持つ神が潜んでいるなどと、普通は考えなさそうだと怜志は思う。
しかし、その想定に幸徳井の方は首を振った。
「言っただろう? 此処ハワイは西と東の合流地点の一つ。外からやってくる多くの文化や神話が交わる場所だってさ……さっきも言ったけど、此処ハワイにはユダヤ教の源流……ヘブライ起源に近い神話が残されているのさ」
何故この地でそんなことが起こり得たのかはポリネシア人の祖が故郷から東へ彷徨っていた時代にイスラエル人と接触したからだともはたまたクシ語族とセム族とアーリア族に共通していた天地創造伝説がユダヤ教によって文字で固定される以前の正しい形を保ったまま伝承され続けたともいうが、経緯については幸徳井は略して話を進めていく。
「ハワイ人たちの創世記──世界は三位一体の神々によって作られた。創造神カーネ、築き上げる神クー、そして大自然を監督し、実現するロノ神。これら三つの神々によって原初の世界は創造された」
──ハワイ神話においては
そして最後に、赤土にカーネの唾を混ぜて体をこね、ロノ神が世界の四方から白っぽい粘土で頭を造り、カーネが息を吹き込んでやることで命を与え、人間を創り上げたという。
「天使、それに土から創られる人間の説話ですか……」
「どっかで聞いた話デショ? ああ、ちなみに創世記に関してお馴染みの原初の人間、アダムっていうのは
「さっき自分で創世記の源流がこちらには残されていると言ったでしょうに……つまり、此処ハワイ諸島の神話にはそういった本土ですら変質した古き神話が今なお源流に近い形で残されているということですね?」
「そゆこと。ま、今あげた創世記も後からやってくる様々な上陸者たちの影響で多少変化していくんだけれどね。第一波の移民が創世記の源流を語る様に、第二波の移民がハワイ神話といえばでお馴染みの火山の女神ペレを持ち込んだりとね。違う点があるとすれば神官たちは旧きも新しきも否定せずに居たこと。だからこそ、源流の逸話は今も尚形を変えずに残されているのさ」
言って、幸徳井は謳いあげる。
『始源の大いなる夜のカーネよ
始源の大いなる夜のクーとロノよ
万物の王なる
隔てられた大いなるタブーの夜
毒された夜 何も生まぬ不毛なる夜
夜中の闇がどこまでも続く
夜こそが蘇りのみなもと
おおカーネよ、おお
海に住むロノ大神よ
天と地を生み出したまい
速め、増やし、動かし
いくつもの大陸を立ち上げたお方
カーネよ、夜の王よ、父なる神よ
熱き天に住まうクー・カ・パオよ
眼光まばゆきロノ大神よ
稲光を持つ神よ
真実にゆるぎなき おおカーネよ 匠の神よ
人間を作りたもう神よ
世の初めの族長クム・ホヌアを考え、作り、命を吹き込んだお方
初めの女オラ・ク・ホヌアも作りたまい
ふたりをともに住まわせ
兄たる夫にめあわせたお方よ』
「──なんて
つまりそれだけ完全な形で創世記の源流ともいえる逸話がこの島国では語り継がれていたのだとそういうことだろう。皮肉なことに島国という限られた閉鎖空間だからこそ、本土よりも変化に鈍重だったからこそ、変わってしまった本土の神話を変わらずに残し続けてこられたのである。
「とはいえ、それもさっき言った新たにやってきた移民によって書き換えられるんだけれどねー。天空神ワケアとか母なる地母神パパとか、その辺りの後発の神話に乗っとられて……おっと、脱線脱線」
こほん、と話が本題から逸れ過ぎたらしく幸徳井は非常にわざとらしく空咳を打つ。
「大事なのはこの島がそれだけ変化に鈍感で、本土以上に原型に近しい神話を今も尚、多く残しているということ。ハワイ神話──いや、この場合はポリネシア神話というべきかな? 原初の海洋民族たちが謳いあげた神話の痕跡が此処には残っているんだよ」
「……そういうことですか。つまり、その事実を知る貴女やアレク王子はこう考えたわけですね? 大陸では既に殆ど失伝している《鋼》の源流の所在。そのヒントが、変化に鈍感なこのハワイ島に残された古き刀の征服伝承として逸話の原型を保ったままにこの島へと流れ着いたのではないか、と」
「そういうことサ。王子くんが《鋼》になんで興味持ってるのかについては知んないけど、君も知っての通り、私は『鋼』の研究者だからね! どれほど荒唐無稽であろうともそこに《鋼》の逸話があるなら例え火の中、水の中ってね!」
「ふむ……」
媚びたようなウインクをする幸徳井を完全にスルーしつつ、怜志は考える。
……ハワイに伝わる刀を巡る一連の騒動。
これらに関わる人間は理由はどうあれ、これに《鋼》の気配を感じ取って、興味関心を向けている。
幸徳井、アレク王子、そして……。
「──幸徳井さん、ついでにもう一つご教授頂きたい。貴女はグィネヴィアという女性をご存じですか?」
この島で縁を持った不可思議な女性の名を怜志は口にする。
或いは、同じテーマを追う幸徳井であれば彼女の名も知っているのかもしれないと予想立てての問いだった。……怜志としてはせいぜいが名を聞いたことがある程度の反応があればと想定したものでの話だったのだが。
「グィネヴィアちゃん? ……ああ、可哀想な彼女のことか。君、彼女に会ったんだ?」
……反応は意外なほど親しいものであった。
「──お知り合いだったんですか?」
「んにゃ、せいぜいが顔見知り程度よ。テーマ上偶然噛み合ったことがあってね。ほら、私って一時期ルクレチア・ゾラお婆さんって若作りの魔女の所にお世話になった時期があるんだけれど……」
当人が聞いたら激怒しそうな呼び名を平然と口にする幸徳井。だが、ルクレチア何某を知らない怜志は呼び名についてはいつものことだとスルーして話を聞く。
「その時に少しだけね、何でもこの世最後に顕れる王を追っているのだとかなんとか」
「……それは」
「ね?
顔を顰める怜志に、幸徳井は意地悪そうな笑みを怜志へと向ける。……『最後の王』。それは呪術界隈にまことしやかに囁かれる噂話。この世に神殺しの魔王が蔓延る時、これを殲滅せんと現れる最強の英雄神の話。
そして──当の昔に
「あの子が来てるってなら君も気を付けなさいね、だってグィネヴィアちゃんが君たち
その警告は怜志にのみ、いいや天国一族にだけ通じるものであった。一族最大の禁忌にして祖が成し遂げた大偉業。日本でももはや知る者は天国を除けばご老公たちに限られる真実である。
「……警告には感謝します。が、今の俺のお役目はアレク王子の迎撃のみ、違いますか?」
「余分なことは考えない、と──んー! 流石に
話はそれで終わりなのだろう。幸徳井は両手を猫のように伸ばして、堅くなった体を解す様にした後、真面目な雰囲気を一気に雲散霧消させ、いつものふざけた口調に戻る。
「さてさて、本命はどうせ明日だろうし! 少年、お姉さんと
「悪意マシマシですね。……ほんとに大丈夫なんです? 前に神殺しの相は読みにくいからどうのって言ってませんでしたっけ?」
「モーマンタイ! 動きに固定して星を見るとズレる割合が多いけど、目的に照準して読めば割かし精度は上がるし、今回はそれで読んだから! 今日は遊んでも問題ないナイ! それに百歩譲って私のポカで刀取られても神性由来じゃないなら別に盗られても何とかなるっしょ、アッハッハッハ!!」
「……その場合、俺は本当に何のために来たのかって話になるわけですが」
くるくると踊る様にさっさと美術館から離れていく幸徳井のいい加減な発言に呆れつつも怜志はその後ろに続く。……彼女の性格についてはもはや信用も何もないが、少なくともその能力については確かなものだ。
そんな彼女が『明日』というからには、勝負はまあ明日なのだろう。
適当なところで切り上げて英気を養うことにしようと、内心で呟きながら怜志は幸徳井に続き、明日の決戦場を後にするのであった。