日本国の魔王、天国怜志を迷宮化したホノルル美術館に幽閉したのち。アレクサンドル・ガスコインは迷宮主権限で異動させた美術品の中から目的であった《カルイキの刀》とついでに
「おい何だこれはどうなっている!?」
「中との通信が途絶している!? ほ、本部に連絡を……!」
「幸徳井特別顧問は!?」
「駄目です、通じません!!」
「いやあの方のことだ、どうせ渦中からは離脱している! とにかく今は周辺への対応だ。一般人が近づかぬよう結界の強度を──」
ホノルル美術館の周辺は混沌としている。突然内部で大規模な異変が起こったことで外に待機していた魔術師たちが慌てふためいているようだった。
丁度いい、と他ならぬ異変の主犯は雑踏に紛れる形で《神速》を活用し、誰に気づかれることもなく美術館前広場まで抜け出でた。
「仕事熱心なことだ。あの様子なら入る前に見かけた一般人は既に退避しているようだな。まあ中の面子は巻き込まれているはずだが、仮にも魔術側の人間ならどうにかするだろう」
そう言って肩を竦めながら《神速》を解除したアレクはしげしげと盗品を改めて手に取り、観察する。追撃を警戒するならばすぐさま離脱するのが既知だが、アレクを追撃できそうな魔王は重力の檻の中である。
加えて仮にあの檻から離脱してきたとしても始まるのは迷宮探訪。そう易々と出てこれる筈もない。
結果アレクは好奇心に負けて、先に盗んだ品の検分を始めていた。
「やはり、というべきか。想定通り業物ではあるようだが、呪術的な効果はなさそうだな。ただ現地民どもが神聖を感じただけあって美しくはある。……時系列を考えれば打たれたのは十三世紀前後、少なくとも七百年以上が経過しているはずだがその割には劣化が浅い。管理のお陰か? いや、それにしては……」
錆一つ無い美しい波紋を見てアレクは唸る。──伝承が真実だとするならばこの刀はかつての征服戦争で実際に用いられ、その切れ味の鋭さに驚いた原住民たちが神からの贈り物だと恐れた品物、つまり実戦に使われた武器である。
血を浴び、肉を引き裂き、骨をも断った真剣……にも関わらず驚くべき程に刀の劣化が見受けられない。
呪術的な干渉の跡が見受けられないためただの刀という所感を覚えたが、もしかしたら刀の製造方法に特殊な過程を挟んでいるのかもしれない。或いは刀の基礎となった鉱物の方が特殊な素材であったのか。
物は試しに、アレクは素人動作で軽く刀を振ってみた。
「──!」
なんてことのない素振り。だが、アレクはぞくりと背筋に悪寒を覚えた。
……信じられない。直感だがこの刀、神殺しの肉体を傷つけうる!
「聖剣魔剣の類には見えないが……」
そしてその直感はこの刀を聖剣や魔剣のようなものとは別のモノであると断定している。にもかかわらず神殺しの身体が死を直観する武装……。
単なる考古学的な価値を持つ刀以上の何かが宿っているのかもしれない。
「……そういえばあの男は自分の縁者が鍛えた刀といったな。それにあの妙な錬鉄術。賢人議会の連中曰く、日本古来からの家柄に生まれた王とのことだが……ふむ……」
神殺しとして新生したものは外的な魔術干渉に耐性を得る。神々や同族の使う、権能に等しい大規模な魔術ならばいざ知らず、魔術師の使う呪殺や死の呪い程度なら意識するまでもなく神殺しの身体は容易に弾き飛ばしてしまう。
にも拘わらず、あの日本の魔王の使った錬鉄術は一時的とはいえ、アレクから呪力を引き剥がし、権能の使用をキャンセルしてみせた。
だとするとあの術は単なる魔術などではなく、血統か、或いは家に秘伝する何らかの神聖に通じる秘術の類であるのかもしれない。
一族由来だというならば、異国に流れたこの《カルイキの刀》もまた……。
「天国、と言ったか。グィネヴィアも何やら刀の来歴を追っているようだし、奴にああ言った手前、奴の背景ごとこの刀の正体を調べ尽くしてみるのも良いかもな」
その場合は高確率で再びあの男と激突する可能性が生まれるが……問題ない。
戦闘には自信があるようだが、あの様子では搦手には弱いと見える。
敵を翻弄するのはアレクの得意分野だ。
その時はもう一度、こちらの舞台に引きずりこんで煙に巻いてしまえばいい。
刀をつぶさに観察しながら不穏な計画を脳裏に思い浮かべる。
と、その時だった。
アレクの黒いスーツ……その肩に鈍い音が跳ね、皺一つない黒いスーツに小さなシミを刻む。
「む」
反射的に上を見上げる──最初はポツン、ポツンといった小さな小雨。だがたちまち発達していく曇天から降り注ぐそれは勢いを増していき、遂には道行く人が大慌てで逃げ出していくほどの豪雨となっていった。
スコール。対流が引き起こす急激な気象変化。ハワイのような温暖な地域で発生しやすい突然の悪天候。
さっきまでの晴れは何処へやら、突如として降り始めた豪雨はアレクの全身を打ち付け、身に着けた衣服を濡らしていく。布越しに浸透する水気の不快感にアレクは思わず舌打ちをする。
「間の悪い。奴の介入といい、この雨といい、天罰のつもりか?」
やけに都合悪く回る今日を思い、アレクは思わず毒づいた。
他者が居ればそれこそ日頃の行いのせいだとツッコミを入れるだろうが、生憎とこの場に第三者はおらず、自分の行いを棚に上げるアレクを咎める声はない。
「まあ、良い。目的は達した。刀の一件は帰ってシャワーでも浴びた後にゆっくりと考えるとするか──」
独りごちて、アレクは稲妻を纏う。
堕天使より簒奪せしめた《神速》の権能。もはや息を吸う様に扱うことのできるアレクの代名詞ともいえる権能を軽く使用し──瞬間、纏ったはずの稲妻はすぐさま解ける。
「……──何?」
その異常に、とたんアレクは表情を硬くした。
もう一度──やはりすぐに解ける。
発動自体は問題ない。だが持続しない、すぐに解ける。
まるで呪力ごと、纏った権能が
「まさかこの雨……!」
反射的にアレクは後にしたホノルル美術館を振り返った。
五分と掛らず道路を水浸しにするスコール。容易に川を氾濫させうる降水は、建物をも浸食する勢いでホノルル美術館にも流れ込んでいる……否、水はまるで意志持つ蛇が如く、川のようにホノルル美術館へと蛇行している。
……例えばヴォバン侯爵。彼は朝鮮神話に語られる風伯ら三神を屠り、その身に天候を司る権能を宿している。
アレクの脳裏に最新の記憶が巡る。天国怜志が最初に殺した神はアジア圏に名高い軍神であるが、国内に戻ってからの直近では龍神と対峙し、これを弑いた──。
「奴の、二つ目の権能かッ!」
行きついた答えを半ば正解と確信しながらアレクは臨戦態勢を整えながら再び呪力を高める。その直後、答え合わせのようにホノルル美術館から信じられない量の水が間欠泉の如くに立ち上り、内部に居たであろう魔術師ごと周辺の人々を外へと押し出した。
突然の出来事に悲鳴と混乱を叫ぶ魔術師たち。幸いというべきか、巻き添えになる人々に不運にも溺死するようなものはいない。ただ水を浴びた魔術師たちは何故か力が抜けたように気絶していく。
それも自身を護符や結界で守っているであろう者も含めてだ。水に触れた瞬間、護符も結界も力を失い、まとめて全てを洗い流している。
その現象はアレクの身に起こった変化によく似ている。
触れた者の呪力を洗い流し、その効果を無効化にする聖水にも似た特性。
不浄を浄める、呪絶の権能……それこそが。
「天翔ける……竜が如く!」
少年の叫びに応じるように、瑞竜がくおんと鳴き声を鳴らす。
のたうつ大蛇の如き威容。西洋で伝わる
「チッ──!」
神速の権能を発動しながら大きく飛び退くアレク。
降水は呪力を洗い流すが、それでも神殺しほどの術者が全力で出力すれば、権能は使用可能だ。雨に打たれ続ける限り、発動した術の減衰は恐るべき速度で進むが、例えば一瞬使うだけのような、
それは戦闘をする上では有用な情報であるが、逆に言えば戦わざるを得ない状況を強制されたという意味でもある。
何故なら──この雨が続く限り、アレクサンドル・ガスコインはハワイの地から離れることが出来なくなったのだから。
手段は二つ。一つは雨の主を打ち破り、この権能を解除させること。そしてもう一つは、件の敵を撃退し、正規の方法でこの国を後にするか、である。
どちらにしても……。
「……戦闘狂め、つくづく面倒を掛けさせてくれる!」
目の前の男を倒さない限り、この国から離れる手段はない。
「それはこちらの台詞だ、強盗犯。迷宮化に飽き足らず、ブラックホールまで用いて……一般の観覧客が存在していたらどうするつもりだ」
瑞竜の背に仁王立つ天国怜志。刀をその両手に構えながら咎めるような視線をアレクに送っている。
「フン、連中が人除けしていたのは知っていた。俺なりに一般人が巻き込まれぬよう配慮はした。それにそれをいうのであればそちらの方が迷惑だろう、魔術師を巻き添えに建造物の破壊とはな。周囲に一般人が混ざっていたらどうするつもりだ」
「調整はした。仮に巻き添えになったとて、気絶するまでにとどまったはずだ。それにもとはと言えば貴方がこんな真似をしなければ発生しなかった事態だろう。こちらの正当防衛を咎められる謂れはない」
「いいや違うな、元はと言えば──」
「それを言うなら貴方こそ──」
……言い合いは終いには文字通り水掛け論となっていく。
この場に華が居たならばきっと腹を抱えながら爆笑していただろう。
そして最後にはこう言っていたはずだ。
「どっちもどっちだ」──と。
「──不毛だな。話で解決しようと考えた俺が馬鹿だった。いつまでも足を引かれても鬱陶しい。良いだろう、望み通り相手をしてやる! スーツを汚されたツケもある。此処までの負債をその身で支払うがいい!」
「逃げ回っていただけの男が大言壮語をいう。決着をつけようか、ガスコイン。積み上げた咎を清算する時だ。さあ──戦争を始めよう!」
二人の神殺しが吼え、今度こそ決戦と激突する。
南国の島を舞台にした一連の騒動。
事態はその佳境を迎えたのであった──。
☆
龍が征く。善女龍王より簒奪せしめた祈雨の権現。
怜志の眷属ともいえる神獣は、全長五十メートルにも及ぶ巨躯を揺らめかせ、眼下の神殺しへと襲い掛かる。
無論、大振りの一撃が神速の脚を持つ神殺しに掠るわけもなく。一瞬だけ稲妻を纏うとアレクはまるで動画をコマ飛ばしするかの如き動きで、危険地帯を離脱する。
「雷よ!」
直後、反撃とばかりにアレクが腕を振る。
一瞬だけ稲妻へと変じたその腕からは雷撃が放たれ、瞬く間に大気を焦がしながら怜志の下へと殺到する。光と見紛う、神速の一撃。
余人であれば感電免れ得ぬ雷撃はしかし、白刃の下に一刀で沈む。
「ハァァァ──!」
空中を割く三閃の刃。時差を利用して分割して放った雷撃はそれぞれ全て叩き斬られた。一度で偉業と数えられる雷切の所業。達人の身に許された超絶技巧を、怜志は当たり前のように振るって見せる。
「非常識な奴め!」
「貴方にだけは言われたくないな!」
お返しとばかりに言葉と共に怜志は秘奥錬鉄で作り上げた投剣をアレク目掛けて投げ放つ。一度見たその脅威をまともに受けるはずもなく、アレクは直撃寸前で神速を纏って身を捩る様にして逃げ延びる。
「
「なにッ!?」
だが直後。怜志が唱える。
すると投剣はまるでウニかハリネズミのように鋼を中心に棘を伸ばし、辺りに鋼の刃先を伸ばした。想定外の事象に声を上げてアレクは驚き、躱そうとさらに身を捩るが咄嗟のことに対応しきれなかったか、頬を掠めて浅傷を作る。
予想だにしない攻撃を最低限の手傷で済ませたアレクだが、代償にその態勢は完全に崩されていた。そこへ、今度は怜志率いる瑞竜が迫る。
「龍よ、邪なる者へと咎を下せ!」
──くおおおおおおおおおん!
主の声に呼応する瑞竜。不浄を浄める吉祥の神獣が主の敵を咎めるべく、その大顎で神速の魔王をかみ砕かんとする。
「貴様の刀ならばいざ知らず、そんな鈍足な攻撃が通じるものか!」
だが、それで倒せるほどアレクサンドル・ガスコインは甘くない。完全に態勢を崩された状態から神速を発動させて龍の牙から躱して逃れ出る。
加えて逃げ出す方角は怜志の予想だにしないモノ。横でも後ろでも上でもなく──アレクは突撃する様にして前へと踏み込んできた。
「っ……!」
基本的に接近戦を嫌う様に距離を取って戦ってた筈のアレクである。その突然の方針転換に虚を突かれた怜志は龍の背にまで乗り込んできたアレクを咄嗟に刀を振って払いのけるが牽制の振りは直前で神速を解除したアレクに軽く往なされる。
そして、
「見様見真似だが……こうか!」
「なんと……!?」
間隙を縫うようにして放たれる神速の一撃。
辛うじて首を逸らして躱した怜志は目の端に捉えたそれに驚愕する。
怜志目掛けて放たれた、拳でもペンでもない、
「《カルイキの刀》……!?」
「大した切れ味のようだったからな、折角手に入れたのだから使ってみるのも悪くないだろう?」
「非常識な……!」
「貴様にだけは言われたくないな」
ニヤリと皮肉気に逆の立場で先の言葉で演じながらアレクは《カルイキの刀》を振るう。怜志から見れば紛れもなく天国縁者が鍛えた刃。
だとするなら
「くっ!?」
泡立つ悪寒を振り払うように、怜志はアレクの剣術を躱す。
やはり、というべきか。武芸に関してはてんで素人なのか、最低限の護身術を流用した太刀筋は怜志ほどの剣士と比べれば児戯に等しい。
刀を操る術理そのものは怜志にとって何ら脅威足り得ない。
だが……。
「偶には趣向を変えてチャンバラごっこも悪くないな……!」
「でたらめな……ッ!」
アレクは神速使いとしてはやはり卓越していた。
刃を振る速度を全力域から鈍足へ、鈍足域から全力へと都度変幻自在に変えることでトリッキーな太刀筋を生み出し、剣に卓越した怜志をも翻弄する。
加えて、そちらにばかり集中していると、突然動きを変えて高速の蹴手繰りまで放ってくる。
「この、
「野蛮な勝負という意味では似たようなものだろう」
いけしゃあしゃあと言いながら再びの神速剣。
怜志は迫る突きを腕を引きながら打ち払う様に横へと逸らす。
攻めると見せかけて引き、武器を出しておいて体技に変更、無理に踏み込めば神速で離脱。速度という絶対的な武器を使って戦場の
まるで常に
一つの手段に固執せず、盤面全体を見て利用できるものは全て利用する、勝負師としての貪欲さが垣間見える。
「ハッ──」
思わず口端が吊り上がる。合わぬ、合わぬと思ってはいたが、少しだけ好感を覚えられる側面がこの男にもあったようだ。
「……やはり他と例に洩れず貴様も戦闘狂のようだな。戦いの中で笑うとはつくづく度し難い」
「それを言うなら貴方も随分と楽しそうだが? 敵の思惑を裏切る快感は如何ともし難いらしい。仏頂面が剥げているぞ」
「ふん、口達者な男め……だが、貴様の戯言も此処までだな。そろそろ勝ちに行かせてもらおうか……!」
「なにを──」
怜志の軽口を、鼻を鳴らして振り払うとアレクは今まで怜志に向けて振るっていた刃を唐突に地面に……龍へと振り下ろす。
──きゅおおおん!? と悲鳴を上げてのたうつ瑞竜。当然その影響はその背に跨る怜志とアレクにまで及び。
「くっ……!?」
怜志は咄嗟に片膝を突いて、空手を龍の背に着き踏み留まる。
だがそんな明確な隙をアレクが見咎めない筈もなく、蹴打が容赦なく怜志の腹部を叩き蹴り、龍の背から怜志の身を蹴りだした。
「かは……!」
「剣術が自慢のようだが、流石の貴様も足場のない空中では振るえまい。とはいえ……」
念には念を──続く言葉は聞くまでもなく。
アレクは空中で無防備となった怜志目掛けて《カルイキの刀》を投げつける。
神速で迫る天国の遺産。神殺しを殺しうる鋼の刃を、果たして怜志は迎撃していた。
空中に投げ出されて尚、隠していた迎撃の一閃。
神速を捉える心眼の一太刀を、やはり怜志は隠し持っていたのだ。
「──故にこれで
「!!」
稲妻化して空中に立つアレク。その身が今までに無いほどスパークし、聖雨を以ても断ち切れないほどの膨大な呪力が膨れ上がる。
アレクサンドル・ガスコインの権能──『
父の遺書を頼りに冒険譚の末に堕天使レミエルより簒奪したこの権能は、高速移動ばかりが有名になってはいるが、稲妻化による神速以外にもこの権能にはもう一つの形態がある。
それは神速という時間操作によるパワー、並びに稲妻という雷撃のエネルギーを組み合わせ、最大出力で一気に外へと爆裂させる攻撃形態。
一度使えば半日は神速も稲妻化も使えなくなる代わりに──凄まじい灼熱と衝撃で敵を撃ち滅ぼすアレクの切り札。
「どだいこの雨が続く限り長距離の《神速》は使えない。ならば貴様を倒し切るのに使い切った方が有用だろう!」
『
熱を上げて弾ける漆黒の雷光が怜志を打ち据えるべく曇天に照り輝く。
「これで終わりだ──天国怜志……!」
斯くして放たれる権能の真なる側面。
第四の神殺しが宿す秘中、
不死なる神々をも一撃で屠る雷炎が全ての手段を使い果たした怜志目掛けて襲い掛かる。
──軍神の権能は使えず、これほどの規模となれば雷切も意味はない。
空中に投げ出された身では回避できず、迎撃の手段は使い果たした。
正に万事休す、絶体絶命。
怜志に出来ることは己を仕留める天下る光を眺めるのみ……。
「否──まだだッ……!」
しかし尚も怜志の目には諦観の光は欠片も浮かんでいない。
……確かに足場のない空中では怜志は無力だ。
地を駆け、刃を振るう戦士は天空の支配者足り得ない。
故に空の中に在っては無力に等しいと言える。
だが
ならば今、この戦場は怜志のためにあるのだ。
背上で好き勝手に暴れられた挙句に、不届き者に刃で傷つけられ、言葉なき身で怒りを燃やす瑞竜に帰依を命じ奉る。
刹那、龍はその身を実態から流体に変化させ、空中に流れる川のように怜志の足元まで流れ入ると落下する身を空中に浮かぶ水中と受け止めて見せた。
「何だと!?」
黒い稲妻を従える魔王が瞠目しながら声を上げる。
落下の最中にある空中ならば無防備だが、浮かぶ水中となれば話は別だ。
泳ぎ、藻掻き、足場無くしても怜志は姿勢を整え直す。
「だがそれで……!」
「いや、これにて十二分。破邪の聖雨、その特性を忘れたわけではあるまい」
態勢を整えたところで変えられるのは当たり所だけ──アレクの浅はかな読みを咎める怜志の声。水中に在りながら不自由なく地上と同じように言葉を伝えられるのは権能の効果か。
言葉に次いで怜志を包む水中が渦巻く。人一人を囲う瑞竜が化身した聖水。それが怜志の掲げる刀へと収束していく。
「抜かば玉散る氷の刃──とはいかないが、邪を退け、妖を嗜める瑞竜の刃ともなれば銘はこれで十分だろう」
眼前に黒い稲妻を睨みつけ、怜志は再び落下する身体を持ち直しながら、刀を構えて息をする。
──この一刀の下に、決着をつけんとす。
いざ!
「鎮妖破邪──荒ぶる災禍を治めよ! 村雨ッ──!!」
荒ぶる灼熱と雷光の暴威。迫る黒王子の切り札目掛け、新たに手にした刃を一閃する。果たして、刃は雷光を引き裂き、まるで最初からそんなものなど無かったかのように恐るべき暴威を一刀両断に消滅せしめた。
「馬鹿な……!?」
自らが持つ最大の攻撃力を有する切り札が断ち切られたことに驚愕を叫ぶアレク。その姿を目に収めながら怜志は跳んだ。
豪雨となって降り注ぐ雨粒。それは瑞竜が呼び出された聖水なれば、怜志は水たまりを踏みつけるように雨粒を足場にする。
瑞竜の献身から早くも学んだ略式手法。恵みの雨は文字通り、雨天で戦へと臨む怜志にあらゆる加護を与え給うのだ。
「覚悟……アレクサンドル・ガスコイン──ッ!!」
霞の構えから抜き放たれる渾身の突き。
邪なる魔王を討つ決意を乗せた刃がアレクへと迫る。
もはや回避は不能。防御も追いつかない。
必至の未来を認めながら、やはりというべきか、アレクに諦観の色は欠片もなかった。必至に在って怜志が否と叫べたように、神殺しの戦士がそう容易く、状況を諦めるはずなどなく……。
「ぐっ、があッ……!」
「! 外したか……ッ!」
接触直前、使い果たしたはずの電力を火事場の馬鹿力で練り動かし、一瞬の神速で致命傷だけは避けて見せた。
心臓ではなく、肺を刺し貫く怜志の突き。
問答無用で致命傷だが、それでも即死は避けられた。
そして──即死でないなら次があるのが彼らが神殺したる由縁……!
「悪には悪を、鮮血には鮮血を返し、復讐の嚆矢とせよ。殺められし母の血は死を於いてほか報うることかなわぬと知れ……!」
喀血に言葉を濡らしながら謳いあげる復讐の言霊。
瞬間、傷ついたアレクの左右と頭上に影が過る。
「その権能は……!」
今度こそ手段の限りを使い果たした怜志は追い詰められた魔王の呼び出した影に驚愕を口ずさむ。
……本来ならば一定以上の瞑想などの下準備を引き換えに呼び出せる化身。だがアレクの血や苦痛を糧にして略式に使用することも可能なのである。
痛みと敵への憎悪を『餌』として魔の女神が降誕する。
メガイラ、ティシポネー、アレクトー。
ギリシャ神話に復讐の女神として名を刻んだ、三女神!
「ガスコイン……!」
「癪だがこの状態では逃げられん。業腹だが望み通り刀は返してやる……だが、只では返さん……!」
致命傷を受けながらも尚も意地悪く笑って見せる黒王子。
同時に怜志を打ち据える復讐の一撃。
手段を使い果たした怜志にこれを咎める手札はなく、アレクの受けた
そうして満身創痍のまま地上へと落下する二人の神殺し。
──以て終幕。