そうそう五、六年(作者体感)前はこれぐらいだったんだ……。
蘇れ、私の青春……!
(なおエタ)
恵那を訪ねて怜志が訪れたのは奥秩父。東京の山間から続き、埼玉、千葉、長野にまで至る四都道府県に連なる山岳地帯である。
東西に二千メートル級の山々が連なる山域は北アルプスや南アルプスに合わせて、東アルプスと呼称されることもある。
未開拓の自然が多く広がる此処からは四つの水系が水源を置く保水力豊かな土地であり、また人域から外れた野生動物や原生植物が支配する深山幽谷の地である。
何の装備も準備もせずして安易に踏み入れば自然の脅威は忽ち人命を危険に晒すだろうこの地に恵那が身を置いていた理由はひとえにこれが“修行”であるからだ。
彼女──清秋院恵那は世界でも他に居ない降臨術士、『神がかり』の使い手である。使用すれば一時とはいえ神々や神殺しの戦に割って入ることさえできる規格外の力であるが、当然ながらそう簡単に使用できるものではない。
まず平時から体内に俗世の気を溜めぬよう、人里離れた自然の深域で身を浄め、霊峰の息吹を浴びていなければならない。必要ならば五穀断ちと言った厳しい修行すら要して初めて使用の叶う術なのである。
当然ながら年の半分以上はこういった山間で暮らすこととなる。
そのため平時の彼女に会うためには原生林に覆い隠された深淵を踏破していかなければならない。加えて修行中の彼女が現代的な連絡手段を持つわけもなく、文字通り手探りで彼女がいる場所を探し当てなければならないのだが……。
「まあ色々と
と、“ところでよく場所が分かったねぇ”と話題を変えるように振ってきた恵那の言葉に答えを返しつつ、怜志は適当に背を預けた木の影ではぁと白い息を吐き出す。
時刻は早朝、一月一日の午前五時。
先の仕合いからは一週間近くの時が流れ、そのまま霊峰修行に付き合うこと気づけば年明けの当日。
ここ数日は雪こそ降らなかったものの、霊峰の澄み切った霊気は針のように肌を刺し、寒いを通り越して痛いの領域に踏み入っている。
それでも顔色一つ変えず凍える様子も怜志は見せない。やせ我慢か、それこそ慣れというべきか──或いは己以上に寒そうな相方がいるためか。
「へえ……ねぇ、怜志って結構アレだよね」
「アレ、とは抽象的すぎて分からんぞ」
「うん。なんか色々考えて行動しているようにいってるけどさ。今のってもしかして一言でまとめると結局“行き当たりばったりで恵那を探し当てた”と言ってる風に聞こえたんだけど」
「……いや、そんなことはない。山域地図は頭に入っていたし、以前より偶にお前と入山したことも覚えている。その経験と記憶を活かして──」
「ほぼ直感任せで恵那を見つけ出した?」
「直感……いやまあそう言えないこともないかもしれないが……」
「んー、やっぱ怜志ってアレだよね」
「…………遺憾の意を表する」
言外に考えなしと評する恵那の言葉に、怜志は瞑目したまま眉間に皺を寄せて難しい顔で精一杯の抗議をした。
「ふふっ、恵那としては似た者同士でやり易いからいいけどねー。恵那も直感の人? って奴だし」
「……釈然としない」
「えー、怜志は恵那と一緒は嫌?」
「別に一緒にいることに嫌気はないさ。だが同類にカテゴライズされることには抗議する。俺はこれでも世俗的な学生だ。天然自然の野生児よりは文化人を自負している」
「へ? 文化人? 怜志が? ……ぷ、ふふ、あははははは! に、似合わなすぎる……ふふ、あははは……ぶはっ!? げほ、げほ、み、水が……!」
「何をやってるんだお前は……」
バシャバシャと水音を立てながら爆笑する笑い声が唐突に咽る。大方、変なところに水を飲み込んだのだろう。一瞬、溺れる心配をするが、流石に常日頃から過酷な修行を課している媛巫女がそんな下らないことで人命を危うくさせないだろうと判断し、呆れの言葉を吐き出すに留めた。
「はぁぁ、あ。笑った笑った──ね、ところで聞いていい?」
一通り笑い転げた後、恵那はふと立ち直ってジッと怜志の方に視線を向ける。尤も、怜志は目を瞑っているため実際に視線を向けられているのかは判断できない。
が、なんとなく不思議そうな瞳がこちらに向けられているのは気配で分かった。
「ん、何だ」
素朴な疑問符に短く応じる怜志。
それに恵那は、うん、と一泊置いて……。
「何で目を瞑って後ろを向いて木陰に隠れてるの?」
と、恵那から見た怜志の状況に首を傾げた。
木に背を預ける怜志は先ほどから、その木陰で恵那の姿を視界から切った上で、さらに後ろを向いて目を瞑るという三重の物理的手段で以て恵那から視線を逸らしていた。
先ほどからの会話も、後ろを向いたまま応じ続けたもの。
恵那からすれば話しにくいにも程があるだろう。
……だが、話しにくいという条件は怜志からしても同じ。いいや寧ろ、戦が絡まねば基本的に生真面目な怜志の性格上、恵那以上に怜志に今の状況は難しかった。
それを指摘すべく、怜志ははぁと重いため息を吐いた後、瞑目したまま顔だけ僅かに恵那の方へと傾け、追及に対する理由を述べた。
「……恵那、それは自分の格好と状況を自覚した上での問いなのか?」
清秋院恵那の格好と状況。
端的に述べるのであれば彼女は巫女服で沐浴をしていた。
いわゆる神道における禊の一つ。滝や川、天然自然の霊気を帯びた水に浸かって、身に溜まった穢れを洗い流すと同時に、心身の強さを鍛える修行である。
現在恵那は、それの最中であった。
いい、それ自体は問題ない。元より修行中の恵那に会いに伺ったのは怜志の方だ。修行の片手間に怜志の相手をすることに不満はない。
だが問題はその格好である。修行である以上、沐浴は当然最低限の
となれば水気を帯びて彼女の身に張り付く巫女服は、自然と本来は隠されてしかるべき部位などを透かして見せてしまう。
これでせめてさらしの一つでも巻いていれば、まだ意識しないようにして言葉を交わすことも出来るのだが……その辺りの情緒が彼女に期待できるはずもなく。
結果、怜志が徹底して視線を断ち切るその背後では、濡れて透けている巫女服一枚を羽織った美少女が、殆ど全裸とも言えるあられもない姿で水に浸かっているというとんでもない状況が発生していた。
……戦闘狂だ、蛮族だと称される怜志だが、人並に良識はある。
色々あって婚約者などという関係性にはなったものの節度は弁えていた。
だというのに、普通は悲鳴の一つも上げて然るべきはずの立場の側と言えば。
「えっと……一緒に入る?」
「……馬鹿者」
……ちょっとだけぐらっと来たのは内緒である。
「自覚してからの一言目がそれなのはどうなんだ? 大和撫子」
「い、いや……だって怜志ってあんまり恵那を『女』として見てる感じがしないでしょ? 今までそんな意識するようなこと口にしてなかったし、珍しかったから」
「幼馴染だからな。今更変に意識する方がおかしいだろう。思春期か?」
「……えへへ、そうかも。会うことは多かったけど二人きりでいる機会はそうなかったし、それに……前とは違って今は添い遂げる仲でしょ? 恵那もこんな気持ちは初めてで落ち着かないのかも……ちょっとは認めてくれたみたいだし」
「か──」
「怜志?」
「何でもない何も言っていない何も考えていない」
あわや口にしかけた「可愛いなコイツ」という戯言を直前でねじ伏せた怜志は、明らかに動揺した口調であった。こほん、と空咳を打って後、話を続けることで強引に誤魔化す。
「やたらと浮ついた反応の理由は分かったが、勢い任せも甚だしい。婚約者となった今更無理に『女』をアピールすることもないだろう。家中の人間に何か言われたか?」
「うん。実はばあちゃんからアドバイスをもらってさ。『婚姻の約定を結んだとはいえ相手は神殺しの大君、ならばこそその庇護と胤にあやかろうと有象無象の輩が隙を伺っていることでしょう。清秋院の娘として一夫多妻は良しとしても正妻の座を奪われる無様はしないように』って」
「成程。一夫多妻はともかく、あの祖母君らしい話だ」
恵那の祖母──清秋院蘭には怜志も面識がある。なんでも怜志の祖父である宗冬とは古い友人とのことで幾らか言葉を交わす機会があったのだ。
印象としては、流石は戦国時代から続く武家筋の名家を女の身で率いる女傑だ、というものだった。
この通り、孫娘に少々時代錯誤な価値観を教えてしまっているぐらいしか欠点らしい欠点はなかったはずだ。
多少困りこそすれ、批判の言葉など浮かびようも無いほど立派に孫娘を育て──
「あと『いっそ勢い押し倒されて胤の一つでも貰えば後は流れに身を任せれば収まるところに収まる』っていうのも言ってたよ。人生経験ってやつなのかもねー」
「未成年に何てこと言いやがるあのクソ婆……!」
ガンと反射的に怜志は背中を預ける木を裏拳で殴り飛ばした。
ガサッと理不尽な八つ当たりに抗議する様に木は揺れる。
「れ、怜志……?」
「……失礼、取り乱した。あとそういうのはせめて高校……いや大学に上がってからにしてくれ。責任が取れん立場で無責任な真似はしたくないんだ、俺は」
「えー。怜志、前に責任取ってくれるって言ってたじゃん」
「あの『責任』と祖母君の言う『責任』は
頭が痛いとばかりに右手で額を抑える怜志。
自分の言う責任とは清く正しい視点からいう男女のあれこれの意図であって、まかり間違っても不純異性交遊の範囲における話ではない。
「ん。分かった。じゃあさ。その、普通の奴なら大丈夫なんだよね?」
「何──」
その時、だった。
唐突にグイッと怜志の腕が引かれる。
驚いて反射的に目を開くと、そこにはいつの間にか息が触れ合うほどの距離まで接近してきたらしい恵那が悪戯っぽい笑みを浮かべて怜志の腕を取っていた。
視界に飛び込んでくる恵那の貌。水に濡れた純黒の髪はより深みを帯びた黒を見せ、染み一つ無い少女の素肌の白さを際立たせている。
慣れているとはいえやはり冷気は肉体に堪えるのか。唇は蒼くなり、肌は色味を無くしているがそれが返って妙に色っぽい。
前髪から垂れた水雫は、頬を伝い、首筋に流れ、そして折り重ねた巫女服の胸元にまで落ちていき、自然とその将来性に満ちた膨らみに視線を誘導する。
だが魅了される視線はすぐさま断ち切られる。今度は怜志が意図したものではなく、恵那によって。
「えい!」
「なっ……ばっ!?」
自分ごと思いっきり怜志を引っ張り込む恵那。
いつもであれば常在戦場。どのような状況にあっても油断も隙も無い怜志だったが、生憎とこの時ばかりは動揺で油断だらけの隙だらけであった。
故に何とも呆気なく、恵那の背後に広がる水源。直前まで恵那が沐浴をしていた泉に恵那と共に飛び込むこととなる。
ざっばーんと立ち上る二人分の水柱。
怜志は霊峰の冷え切った冷水に諸共引きずり込まれる。
「いきなり何をする……!?」
「あははは! ばあちゃんが勢い任せで良いって言ってたし、せっかく一緒に居るのに、怜志はそっぽ向いて構ってくれないし……それ!」
「ぶ……くは……そんな無茶苦茶な……!」
抗議の声も馬耳東風。楽しそうに笑いながら思い付きで冷水に叩きこんできた元凶は両手で水を弾いて怜志に浴びせてくる。
「前に本で読んだんだ! 恋人って浜辺で水をかけ合うんでしょ? 楽しそうだったから恵那もやってみたかったんだ! 山だけど同じ水辺なら似たようなもんでしょ?」
「アレは夏のイベントだ! こんな寒い冬の時期にやるもんじゃ、ぶ……ちょ……話を……ええい……!」
「わあ!?」
怜志が話している間にも水をかけ続けてた恵那が悲鳴を上げる。言葉で言って聞かない恵那に怜志も実力行使の反撃に出たのだ。
「えへへ……こういうのならいいんでしょ?」
「……ならばせめて、その本とやらで読んだという夏場の海にしてくれ」
「それはまた次の機会ってことで」
「さよけ……全く、沐浴の予定なぞ無かったから着替えなどないんだが……ねッ!」
「わ……っと、ふふ、そういう怜志のノリが良い所好きだよっと……!」
結局、二人はそのまま暫しの間バシャバシャと水を弾いて戯れる。
朝霧が隠す霊峰の水源、他に踏み入る人のない二人だけの世界で興じる内、気づけば東の空より差し込む夜明けの朝日。
山間を照らす初日の出は、弾ける水面を鮮やかに明るく照らし上げる。
「怜志!」
「何だ!」
最中に恵那が声を張り上げる。それに負けじと応じる怜志。
掛かる水飛沫に片眼を閉じながらも、心底楽しそうに笑い声を上げて恵那が言う。
「──明けましておめでとう! 今年もよろしくね!」
「──ああ、明けましておめでとう。こちらこそ、よろしく頼む、恵那!」
とんだ新年の挨拶に思わず苦笑する怜志。我が人生ながら日常を通して万事波乱に満ちている。これが神殺しの宿命かと諦観とも感嘆とも取れる息を吐いた後、フッと怜志は笑う。
「まあ、悪くはない」
大変だが、面白い人生だと怜志は思った。
本来、こういう方向性でヒロイン二次創作書きたかったのにいつの間にかそこまで固める必要性の無かった設定考えるのが楽しくなって主目的が疎かになってたやーつ。あと作者は我知らずシリアスに走る悪癖があってだな……。