「全く、とんだ目にあったぞ……」
そう言いながら怜志は脱いだ作務衣を雑巾のように絞る。身に纏う白装束の一張羅は作務衣の下に着込んでいた男性用の肌襦袢。
無頓着な恵那と違って怜志は最低限の機能性は考えるのである。
彼の周囲には呪符が浮いており、その呪符が発する熱が濡れた身体と衣服を瞬く間に乾燥させていく。
「その割には怜志も途中からノリノリだったけどね……不動明王?」
「……の、一字咒だな。流石に火界咒では燃える」
「神殺しの呪力でそういうことが出来る辺り怜志って意外と器用だよねー」
神殺しは成ったその時より莫大な呪力を身に宿す。それ故、呪術の類にめっぽう強い耐性を得るわけだが、反面その膨大な呪力はコントロールが難しい。
呪術に不慣れな状態の神殺しが、何の考えなしにその溢れ出る呪力で呪術を使った場合、例えば小火を起こす術式でさえ、大火の元となるほどの火力になってしまう。
故に怜志のような小技は簡単なようで意外と難しいのだが、当の神殺しである怜志と言えばこの様である。
感心したように恵那は頷いた。
ちなみに相変わらず視線に困る濡れた巫女服を肌身に付けたままである。恵那も乾かす!と言って全裸になろうとしたのを怜志に全力で止められた結果であった。
今は大人しく怜志の起こした熱源に身を当てられている。
「元々呪術に関してはこういう使い方ばかりだからな。お陰で戦闘の手札としては不足だが、こういう場面では役に立つ」
「それもどうなのって感じだけどねー。剣術は真面目にやってる割にセンスあるはずの呪術はおざなりなの結構勿体ないような?」
「学んだところで俺では精々半端に止まるだろうさ。そりゃあ学べばある程度身に付くだろうが、元々呪術の探究にはさほど興味ないし現状でも天国の術式だけで十分やれる。だったら才能に恵まれた剣術を伸ばした方が俺にはあっている」
「あー、ちょっと分かるかも。恵那もあんまり頭を使うのは好みじゃないし」
そこで苦手と言わない辺り、こと戦闘に対しては両者ともに平均以上の戦術脳を持ってる自負はあるのだろう。
ただ怜志にしろ恵那にしろ、持ち前の身体能力と野生の獣並の直観力を軸に戦闘を組み立てるタイプなので下手に搦手を使うよりも、正道を極めた方が実力が上がると自覚しているのだ。そういう意味では二人は似た者同士であった。
「……でも前衛二人じゃ流石にバランス悪いかな? それに恵那の腕じゃ流石に神様や怜志みたいな神殺しにはついていけないし、これから怜志の戦場に付き合うなら恵那ももっとそういう方面の勉強した方がいいのかなー?」
「そのことなんだが、一ついいか?」
「ん?」
ぼやく様な一言に怜志が口を挟む。小首を傾げる恵那に、怜志は口元に指を当てて、何か考え込むような仕草のまま言葉を続けた。
「恵那、お前って正月はずっと山籠もりの予定か?」
「あ、うん。例年通りかな。一応、年も明けたし、一回は山を下りて実家に挨拶しに行く予定だけど。下手に街に出ようとすると委員会の人に捕まって大祓の儀に引っ張り出されそうだし」
うへえという嫌そうな反応。それに今度は怜志の方が首を傾げる。
「大祓? 皇室の祭儀か?」
「違う違う、やることはそっちとほとんど変わんないけど、恵那が声を掛けられている大祓の儀っていうのは正史編纂委員会が主催している方の奴だよ。ほら、恵那は何か武蔵野の媛巫女の筆頭にされてるでしょ? だから毎年『東』の方に出てくれって薫さんとかに言われるんだよ、まあ山に籠ってればしつこくは誘われないけど」
「清秋院の家名を考えればなんか、ではなく相応な気がするがな。しかしそうか、そうなるとやはり山を下りるのは無理そうか……?」
「んー、別に下山しても適当な理由をつければ逃げられると思うけど……怜志、恵那に何か用事? もしかしてお正月一緒に遊ぼうってお誘い? 凧あげでもする!?」
「しない。……いやしたいなら付き合うが、そうではなく」
期待に目を輝かせる相方をどうどうと落ち着けつつ、怜志は本題を口にした。
「……先日の話。恵那、お前はあくまで俺と共に征くことを選びたいんだよな? 戦場帰りを待つのではなく、共に戦う道を選ぶと」
「──うん。蚊帳の外は嫌だからね。例え道半ばで死ぬことになろうとも恵那は怜志と一緒に戦う。怜志がどうしても嫌だって言うなら……その……諦める、けど……」
そこで哀し気にトーンダウンする辺り、闊達なようでいて意外と根はお淑やかな令嬢だった。大事なところで一歩引いてしまうところはらしく無いようでいて、この上なくらしい。思わず怜志は苦笑する。
「今更引けとは言わんよ。一人の戦士として覚悟を軽んじるつもりはない。……ただ、だからこそ半端な状態で戦場に出すつもりもない。『神がかり』がある以上、既に一定の戦力として実力を疑うわけではないが、現状、それだけでは些か不足だろう。特に長期戦には不向きな力だからな、お前のそれは」
「それは……うん、否定できないかも」
天叢雲劍を通して、須佐之男命よりその神気を加護賜る『神がかり』は使えば確かに人の身でそこらの神獣を打倒しうる強力な力である。例え相手がまつろわぬ神や神殺しであれど一定の加勢は出来るだろう。
しかし、それだけに『神がかり』は身体に対する負担が大きい。使えるのはあくまで切り札としての短時間限り、しかも連続使用は危険を伴うということで推奨されない。
加えて現状が示す通り、十全に使うには平時から山籠もりなどの相当の準備が必要となるのだ。……戦場は自己都合を待ってはくれない。
状況によっては間を開けずの連戦や長期戦が予想されることを考えれば、恵那は神殺しの闘争に巻き込むには些か力不足であった。
「……付いてくるのを容認する以上は、必ず守ってやるとでも言えれば格好いいのだろうが、戦地の俺はその辺り期待できないからな、自分の身は自分で守ってもらう必要がある」
「分かってる。恵那も怜志の足手まといにはなりたくないし。……もしも恵那が足を引っ張っちゃうようなら見捨てても良いから……」
「流石にそこまではしないぞ俺も……ただ戦士として、仮にも
そう、素の戦力が不足しているというならば、それを事前に補うのが兵を率いる王の役目だ。何より、その心当たりがある以上、惜しみなくそれを提示してこそ、上に立つ者の度量と言えよう。
「だから、俺はお前に刀を授けようと思う」
「刀?
「ああ、天国の刀──我が一族が有する最強の一振りをお前に渡そうと思ってな」
──それは天国にとって始まりであり、秘事であり、宿命であり、やがて来る運命そのものである『刀』。かつて怜志がその使い手として名乗り、そして神殺しとなったことで握る資格を失った、最強の一振りである。
どうせ自分には使えぬのだから、と怜志は一子相伝の家宝を恵那に譲ろうと考えていた。
「それは……怜志からの贈り物なら貰うけど、でも、良いの? 聞く限りすっごく大事な物みたいだけど」
「どうせ俺には握れんからな、構わんだろ」
「怜志に握れない……? それって恵那に使えるの?」
恵那は怜志の剣士としての実力を十分に把握している。だからこそ世界で見ても紛れもなく上から五本以内には入るだろう凄腕の剣士である怜志に扱えない武器が果たして自分に使えるのかと不安がる。
ただ怜志の方はけろっとした様子でその不安を否定する。
「ああ、多分な。……俺と違ってそっちは純正の人間だし、何より太刀の媛巫女だ。俺たち用に改造している分、使用する分には問題はないだろう」
「ってことはそれって天叢雲剣と同じような霊刀か何かってこと」
「そうだ、
聞く者が聞けば怜志の言葉を大言壮語と笑うだろう。人と神殺し、まつろわぬ神。その余りにも深い断絶を武器一つで補おうなどと如何な神殺し自身の言葉とは言え失笑を禁じ得ないほどである。
しかし、怜志の方はと言えばその確信に揺らぎはない。何せ日の本一の刀鍛冶たる天国が千年来挑んで未だ越えられぬ究極の一振りだ。
神話の闘争に挑まんとする少女に渡す武器としてこれ以上のものはないだろう。
「とはいえ勝手に持ち出すのは流石に不味いだろうから話は通そうと思ってな。丁度、六親のお歴々も顔を出すはずだし、新年の挨拶がてらついでに取りに行く」
「じゃあ、最初の質問って言うのは……」
「ああ、少し遠回りになったが要件は簡単だ──正月、予定に空きがあるなら家に来ないか? 奈良県宇陀市、天国の本家に」
天国本家──つまるところ怜志の実家である。
その提案に恵那は少し緊張した様子でおずおずと口を開く。
「天国本家ってことは怜志の実家ってことだよね……?」
「そうだが……ああ、そういえば俺は幾らか清秋院に足を運んだが、お前は無かったんだっけか」
「うん、ばあちゃんとか怜志から聞いてるから多少知ってるけど。確か、怜志のお祖父ちゃんがいるんだよね?」
「天国宗冬、俺の祖父で当代最高峰の刀匠である。基本的に家から出ない人だからいるだろうな。少々気難しい人だが悪い人ではないし腕も確かだ。……そうだな、ついでにそちらの祖母君が修復を依頼していた天叢雲剣の回収もまだだったし、兼ねて取りに行くのもちょうどいいか」
我ながら悪くない予定立てだと暢気に含み笑う怜志の傍ら、恵那の方はといえば何やらうんうんと唸っていた。
「怜志の実家……挨拶かァ……そりゃあ婚約者だし、その内顔を出さなきゃいけないよね、うーん……こういう時って恵那も何か持ってった方がいいよね……とらやでいいのかな? お嫁さん側の作法は確か──」
「うん? どうした恵那? 何か予定が?」
「う、ううん! 恵那の方に予定はないよ! ……あそうだ!」
「そうか、なら一緒に──」
「そ、その前に一ついいかな!?」
「ん、何だ?」
予定を決定しようとする怜志を制止して勢いよく疑問を投げる恵那。怜志は謎に少しばかりの緊張と気恥ずかしさを浮かべる恵那の反応に困惑しつつ、目をパチパチとさせながら応じる。
「怜志についていく前に恵那も恵那の実家に寄ろうと思うんだけど、怜志もついてこない? ばあちゃんも久しぶりに怜志に会いたがってたし!」
「清秋院の家か。……確かに『西』の領域に引っ張り出す以上、話は通しておいた方が都合は良い、か。うん、なら俺もそちらに顔を出させてもらうとしようか。ああ、でも手土産がないな……一回戻って何か持ってきた方がいいか……?」
「大丈夫だよ。ばあちゃんも家の人もそういうの気にする人は少ないし、それに何だったら怜志だけでもばあちゃんは喜ぶだろうしね!」
「うん? そうか? まあそれならいいが……ま、清秋院の嫡女直々の招待だ。此処は素直に招待に預からせてもらおうか」
「是非来て! ……えへへ」
「?」
妙にご機嫌な恵那の反応に怜志は少しだけ首を傾げたが、本人が満足気ならまあいいかとあっさりと疑問を投げ捨てる。
……神殺しとして、怜志は自分自身が人の領域をはみ出ていることを自覚していたが、それ以外の立場に関しては些か自覚が足りていなかった。
元より面倒な政治を嫌って隠棲した一族の嫡男。身分に関しては恵那と同じぐらいに鈍感であった。
「そうと決まったら準備するからちょっと待ってね! 下山の用意をするから!」
「別に急がなくてもいいぞ、特別急ぐ理由も無いし」
「分かってる!」
そう言ってパタパタと準備を開始する恵那。やたらと乗り気の態度な恵那を訝しみながらも怜志の方も渇いてきた作務衣を着直し、持ち込んだ僅かな手荷物をまとめにかかる、と──。
「……と、ところで怜志?」
「どうした?」
「や、やっぱりこういうのって嫁入りになるのかな? それとも怜志の方がお婿さんに来る……?」
「は……?」
「あ、恵那は怜志の家に行くのでも怜志が恵那の家に来るのでもどっちでもいいからね! それじゃ、ちょっと待ってて!」
「……──あ、そういうこ──ってちょっと待て。俺はそういうつもりで話を進めてたわけじゃ!? 恵那……!?」
ようやく自分が口走ってる内容の意味するところを悟った愚か者は遅れて声を荒げながらせっせと用意を進める恵那を呼び止めにかかる。
──斯くして、そんな感じで二人は下山することとなったのである。