山中での会話の後、下山した怜志と恵那は恵那の実家である清秋院の本家に訪れた。
諸々含め、
急遽決まった遠征でかつ今は正月のシーズン。新幹線の予約を取るのは困難のはずだが、そこは清秋院家の威光か、はたまた神殺しに対する各方面の計らいのお陰か、あっさりと指定席二人分を獲得することが出来た。
お陰で自由席競争に参加させられることもなく、東京駅で買った駅弁を片手にのんびりと関西への旅程を過ごすことが出来ている。
窓辺に過ぎる静岡の緑豊かな風景を傍目に、椅子に深く座り込み、ふうと疲れ切った息を吐き出す。それを見て宮城県産牛タン弁当を摘まんでいた恵那が、箸を丁寧に置いて口に含んだものを飲み込んだ後、話しかける。
「あれ? 怜志、なんか山に居た時より疲れてない? 寝れなかった?」
「……寝れはした。が、眠りは浅かったな。寝苦しくて」
何せ夜は隣で牛タン弁当を暢気に食べてる相方に長襦袢一枚羽織っただけの状態で抱き着かれながら眠りにつく破目になったのだ。
腕に掛かる感触やら、首に掛かる吐息やらのせいで寝れるわけがなかった。再三のことだが戦さえ絡まな得れば怜志はもうすぐ受験を控えた健全なる中学生男児である。
既に発育豊かな大和撫子に抱き着かれて無反応でいられるほど鈍感ではない。ましてや本来理性にブレーキとなるはずの身分も柵も『婚約者』の三文字で片づけられ、本人含め家の者直々に据え膳が提供されている状態だ。
この場合、褒められるべきは鋼の理性で一夜を過ごした怜志の方であろう。
だというのに肝心要の相方と言えば何故か不満そうに口を尖らせている。
「怜志ってさァ、実はヘタレ? 結局恵那に手を出さなかったよねー。……魅力ないかな? そういう方面には疎いけどさ、容姿はそれなりだろうって思ってたんだけど」
「……容姿はともかく真っ当な法治国家の常識を弁えているなら手を出すわけがないだろう。百歩譲って高校生ならばいざ知らず中学だぞ……まかり間違って出来たらどうする……」
「そ、そりゃあその時はね……恵那は婚約者だし、王様の次期正妻としてのお務めを、ね。……ほ、ほら、前田の奥さんなんて恵那より年下で子供を産んでるし……あいて!?」
「阿呆、人権無用の戦国時代の価値観が今の時代に通じるか。平成だぞ平成」
恥ずかしがる恵那の額に容赦なくチョップを入れる怜志。
ちなみに話題の前田の奥さんとは、戦国時代の武家前田家の問題児こと前田利家の妻である芳春院──まつのことである。
数えで十二の頃に嫁入りした後すぐに長女幸姫を生むとその後は三十二歳を迎えるまでに利家との間に十一人もの実子を作った女傑である。
──尚、人権無用の戦国時代などと怜志は称したが、当時の価値観からしても長女の出来た歳は早すぎるため、あの戦国史に名高い織田信長ですら引いたという。
閑話休題。
「……我が家も大概、現代とはズレた価値観を持っていると思ってたが、お前の家はロック過ぎるな」
遡れば曰く、清和源氏に辿り着く武家筋。今なお日本呪術界に凄まじい影響力を有する名門、『四家』の一角である清秋院家だ。
その価値観は些か以上に世間離れしていたのである。
まさか同衾事件から一夜明けた後、恵那の祖母である清秋院蘭に『恵那はお気に召しませんでしたか』と起き抜け早々に問われた時は流石の怜志も絶句した。
ジェネレーションギャップなど生温い、根本的な価値観の相違を見た。
「いや、この娘あってのあの祖母か。やれやれ……」
以前までは古風な人物だが礼儀正しくしっかりとした女傑という印象だった恵那の祖母だが一夜で怜志の評価は、立派な人物であるのは間違いないが、少々価値観に問題を抱えた恵那の祖母君、という評価に切り替わっていた。
案外、怜志の祖父である宗冬がやたらと荒い言動をしていたのも、交友を持つ過程で色々とあったのかもしれないと今更ながらに怜志は思う。
「……念のため今の内に言っておくが、実家では客間を用意させておいたからそっちで寝ろよ。まかり間違っても次は一緒の部屋にはしないからな」
「えー、冬だし寒いしいいじゃん。引っ付いて寝た方が暖かいし」
「えー、じゃない。女をアピールするなら慎みをもて慎みを」
怜志の決定に「ケチー」と言いながら不承不承の恵那。
用心して火鉢と湯たんぽも用意させようと怜志は心に決めた。
「ハァ……まあいい、昨日のことは取りあえず忘れて今はこの後の予定だ。恵那、悪いんだが実家に行く前に先に京都に寄らせてくれ。一応、関西に戻ってきているから天国の名代として『茶の湯』に出ておきたい」
「へ? 『茶の湯』? 茶の湯ってあの茶の湯?」
怜志の言葉に虚を突かれた様な反応をする恵那。
思いがけない言葉に驚いたのだろう。
茶の湯といえば日本の伝統文化の一つ、茶道における茶を飲む会合のことであろうか。茶道の道にも覚えがある恵那はその光景を思い浮かべるが、怜志は軽く首を振って否定する。
「いや、俗称のようなものでな。まあ早い話、
「へぇ、そっちもそういうことやったりするんだ」
恵那が度々声を掛けられる正史編纂委員会が主催する大祓の儀──あちらも儀の後は関係者たちが集まって懇談会のようなものを行うのだが、怜志の側も似たような催しをするのかと頷く。
「
「ああ……そういえばこの手の話は今までしてこなかったな。恵那、お前って
「聞きかじった程度だよ。よくある『民』の怪しい集まりや闇市には参加しない、恵那たち『四家』みたいな職人系の古い家が中心になった組織、ってね。『官』に協力することもあるんだとか。確か、こっち側の陰陽師が使う呪符を工面してもらった、なんて薫さんが何時だか言ってた気がする」
「多分、幸徳井家の呪符だろうな。あそこは遡れば賀茂氏に組する家だし、時たま小遣い稼ぎに『官』に呪符を提供していたはずだし」
「幸徳井って公卿の? 明治頃に断絶したって聞いてたけど続いてたんだ」
「ああ。尤も表の地位は既に失ってるから今はただの『民』だけどな。天国もそうだが、六親はそれなりの家柄が多い。うちと今挙げた幸徳井家以外だと、江戸千家の川上、穴太衆の後藤、狩野派木挽町家筋の狩野、後は上冷泉家筋の冷泉か。今はこの六家が中心になって組織を回している」
「うわ、恵那が言うことじゃないかもしれないけど名門ぞろいだねェ……ていうか冷泉は普通、『官』側じゃないの?」
「さて、当人たち曰く上下分裂の際に今川の所で出来た傍流だから正当性がどうたらと言ってたかな」
「へえ……それにしても西側の家が中心なのかと思ったけどその辺り無頓着なんだね。江戸千家とか連なってるし」
「職人たちの互助会だからな。六親の面子もころころ変わるし、加盟している東北勢や九州の家が六親を務める時もある。そちらと違って中央の政争に嫌気を覚えて距離を置いた家が多いからな。運用上の中心はいるがあくまで独立独歩で地を行っている」
「ふぅん」
怜志の説明にふんふんと頷きつつも「なるほどー」以上の関心を寄せない恵那に怜志は苦笑する。分かっていたことだが、とんとこの手のことにあまり興味がないらしい。
「ま、ともかく世話になってる方々への挨拶回りだな。どうせそう時間は取らないし、興味ないなら京都観光しててもらっても構わないが……」
「ううん、怜志に付いてくよ。どうせ一人で京都回ってもつまらないし、一応怜志の婚約者として顔見世ぐらいはしておかないとね。それに、怜志にとって委員会の人たちに代わる組織なんでしょ? もしかしたら今後も付き合いがあったりするかもだしねー」
「……別にそういうのじゃないんだがな。あの人たち、俺が神殺しになった話を聞いても天国の倅がやらかしたと爆笑するぐらいには暢気な人たちだからな」
「あ、それなら気が合うかも!」
「激しく不安だ……」
実際問題、
強いて言うなら華が興味本位に状況を探り、泗水がそれとなく調査してくれているぐらいか。
「取りあえずそういうわけで実家帰りの前に京都の嵐山に寄りたい」
「りょーかい。あ、そうそう。薫さんから聞いてくれって言われてたし、折角だから聞いときたいんだけど……」
怜志の言葉に承諾の意を示す恵那。同意を取れたことに軽く息を吐く怜志に、ふと今度は恵那の方から思い出したように話を振る。
「怜志って結局、王様としてどうするの?」
「というと?」
「ほら、今の怜志ってさ、この国唯一の神殺しでしょ? だから他の国の王様たち見たく国を率いるつもりがあるのかなって、薫さんが気にしてたんだよ。いい機会だから聞いてみようと思って」
「薫──沙耶宮か。確か正史編纂委員会を取り仕切る『四家』だったな」
「うん、影響力は恵那の家も強いけど政治に関しては今は向こうが殆ど取り仕切ってるよ」
時折話題に出る清秋院と同じ家格の『四家』、沙耶宮。
その次期当主沙耶宮薫といえば今の正史編纂委員会を中心となって動かしている人物である。正史編纂委員会が日本における公的に認められた唯一の呪術機関であることを考えれば、そこの最高責任者たる沙耶宮薫はともすればこの国の呪術界宰相ともいえる。
そんな身分の人物ともなれば成程、怜志の動向を気に掛けるのは当然であろう。理由に納得して上で怜志から言えることは一つだけ。
「何も変わらん──俺に日ノ本の盟主になるつもりはないし、祭り上げられることも容認しない。今まで通り、義によって立ち、義によって神に挑む。特定の何かを贔屓することはない」
そちらはそちらで勝手にやれ──ただそれだけである。
肩を竦めながら言い切る怜志に恵那はクスリと笑った。
「怜志らしいねェ、イタリアの王様と同じスタンスってわけだ」
「向こうと違って俺は種火探しをする予定はないがな。頼まれれば神に抗する戦士として立つ。それだけだ。その特権を振りかざして君臨することはないし、変に崇められる言われもない。中央とはこれまで通り距離を置く。会う機会があったら伝えといてくれ」
「分かったよ。でも薫さん的にはちょっと残念かもね、王様が中心となって旗揚げするつもりならこれを機に色々と洗いたいみたいだったし」
「それでそのお伺いだてか。状況は察するし同情もするがね」
恵那の追加話に怜志は大方の事情を察した。聞けば、沙耶宮薫はまだ年若く、怜志たちともそう年齢は離れていないと聞く。であれば宰相としての振る舞いにも面倒は柵が付きまとっているのだろう。
そこに生まれた日本初の神殺し。上手く利用できればその後ろ盾を背景に権勢を強めることができる。そのような考えなのだろう。
まあ、名を勝手に利用する分には怜志としてもどうでもいい。神殺しとしての怜志の関心事はまつろわぬ神との闘争ただ一つ。戦場に横槍を入れるような真似が入らないのであれば、正史編纂委員会に付くのにも問題はないが……。
「俺の身分で一つの組織や一つの派閥に肩入れすると面倒事になるのが目に見えてるしな。変に取り入ろうと周りをうろちょろされても鬱陶しい。身軽な方が俺には性に合っている」
自らの領域に専心する辺り、怜志もまた隠棲を気取ってきた
あくまでビジネスライクに、依頼があれば請け負う程度の関係性が怜志にはちょうどいいのである。
「おっけー、じゃ今度会ったときにそう伝えておくよ」
「頼む、が……俺はともかくそっちは良いのか? 仮にも四家、清秋院だろう。そちらの心象としてはてっきり正史編纂委員会側に付いた方が都合が良いんじゃないか?」
「まあね。でも、恵那は怜志が好きだからついてってるだけだし、いざとなれば家の都合よりそっちを優先するつもりだから大丈夫! それにばあちゃんもそうしろって同調してくれたしね!」
「成程──」
沙耶宮薫が苦労している一端が見えた気がするが怜志は顔を逸らして見なかったことにする。口うるさい老人たちも大変だろうが、寧ろ制御不能の自由人たちを統率する方が苦労を掛けてるじゃなかろうか。
「……ま、それを言ったら神殺しである俺が一番か」
「ん、何か言った?」
「何でもない。さて──先はまだ長い、眠りが浅かった分少し仮眠を」
「えー、つまんなーい。花札持ってきたから着くまで付き合ってよ! あ、それともしりとりとかどう?」
「……普通こういう時トランプじゃないのか?」
札遊戯としては些か古風な用意に、ツッコミを入れつつ怜志は構って欲しそうな恵那の貌を一瞥したのち、ため息を吐きながら気だるげに応じる。
不意に車内に流れる名古屋駅到着の案内──目的地までの距離はまだ長い。
西の領域、怜志の故郷を目指す旅は続くのであった。