神々、君に背き奉る   作:アグナ

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断章:史は観測者のみぞ知る

 生と不死の狭間に揺蕩う領域──『アストラル界』。魔術師たちの出生地によって、その呼称は『幽世』や『妖精郷』とも呼ばれるが、そのいずれもが意味するところは即ち「この世ならざる領域」のことである。

 そして位を極めた魔術師たちに曰く、現世で紡がれるあらゆる歴史や記録が保管されている場所だ、とも。

 

 そんな実像定かではない不明の領域に──《プルタルコスの館》は存在した。

 

 館と呼ばれるその見目は、古代ギリシャ式の神殿のようだ。

 神殿内部に進入するとそこにはすぐに階段が出現し、入った者を底の見えない地下へと誘っている。長い階段を抜けた先には先の見えない地下回廊が広がり、いくつもの分かれ道が迷宮のように入り組んでいた。

 迷路のように続く果てしなく複雑かつ広大な空間には無数の石板が宙を無重力空間のように浮いており、石板には古ラテン語の言語でびっしりと文字が刻まれている。

 

 ……止まることのない時の大河。脈々と紡ぎあげられた歴史。

 人の営み。人類の積み上げて来た史の山。

 生誕、成長、成熟、衰退、死。

 愛する者、慈しむ者、高め合う者、奪う者、騙す者、殺す者。

 平和、戦争、発展、衰退、待望、挫折、協調、支配……。

 

 廻り続ける始まりと終わり。

 尾を噛む蛇のように続く、繰り返される生と死の転輪。

 灰が積もる様に、ひたすらに積もる『人』の記憶。

 

 いわゆる現世を生きる媛巫女や魔女の一部は、『霊視』という異能で隠された真実や未来の景色を幻視すると言われるが、その彼女たちが幻視する記憶の正体こそが、この無数の石板──《虚空(アカシャ)の記憶》と呼ばれるものであった。

 生ある者の世界、不死なる神々の世界、生と不死の領域──その三界にて起こる過去、現在、未来に至るまでの網羅した記憶群。

 それが、この石板の正体である。

 

 アストラル界に存在する『人』の知を網羅する禁足の館──それこそが《プルタルコスの館》であった。そしてそんな意義のある館である以上、当然そこには館の主ともいうべき存在がいる。記憶を収蔵し管理する《プルタルコスの館》、その最奥に潜む者こそ館の主にして正しき歴史の守り手。

 

 連綿と紡がれる歴史(ヒストリエ)を守護する《時の番人》と呼ばれる老人であった。

 

「ああ何たることか! ただでさえ……ただでさえ、歴史に『歪』を生じさせているその刀を! 仮にも歴史の偽造を千年と成してきた役目を! そのような理由で縁も所縁もない娘に与えるなどと暴挙も暴挙! 愚もつかない行為だ!」

 

 足の踏み場も見つからない石板(れきし)の散乱する最奥の部屋で、老人が地団太を踏む。古代ローマで見られる長衣(トーガ)を身に纏う白髪白髭の老人は、現世で紡がれた出来事にカッと目を見開き、青銅のペンを血管が浮き出る勢いで握りしめた。

 

「例えほんの一欠片でもあろうと蛮人(バルバロイ)の良識になぞ期待したわしが馬鹿であった! やはり刀の担い手たちの中から蛮王が出現するよりも先に歴史を糺すべきであったのだ!」

 

 ──天国一族の仕掛け(・・・)は実に見事であった。

 勇者が潰えたその時点より、刀を速やかに打ち直して自国の神話群に取り込み、その伝承を編纂して、勇者の役目を己たちの存在で上書きして偽装した。

 『刀』と『担い手』が既に地上に存在する以上、《運命》が勇者を再び目覚めさせる必要はなく、世は全て事もなし。

 

 魔王たちの跳梁跋扈も、まつろわぬ果てに暴走した神々の暴挙も。

 全ては神話(はがね)の偽造が功を成し、役目の必要に際しては神武天皇(大君)より聖剣を賜りし流離う勇者(ヤマトタケル)が最低限の被害で済ましてきた。

 人為的に運用する天意の構造(システム)

 その発想から実行まで、無駄のない実に完璧な策略は、歴史の守護者である《時の番人》をして目を見張るものであった。

 

 彼らであれば或いは己の仕事を緩和するようなそんな守り手になるのではないかと、そういう期待を向けたからこその今日である。

 だが、そんな千年来の思惑を、突如現れた予想外(イレギュラー)は完膚なきまでに吹き飛ばした。

 

 その千年の偽装も策略も宿命も役目も何もかも。

 玩具を子供に渡すような気安さで投げ出してみせたのだ。

 

 憤怒せざるを得ない、発狂し、喚き散らしたくて仕方がない。

 一時でも己の役割を他に任せようとした(放棄した)、自分の考えなしさ加減を忘れたい。

 ──というより昔の自分をぶん殴ってやり直したい!

 

「嗚呼、これでは歴史の修正どころの話ではない! このままでは棚上げていた全ての『歪』が一斉に牙を剥く! 《運命》が一時でも人の手に渡っていたなどと言う話、決して許容されるわけがないッ!!」

 

 すぐに世界は──構造(システム)は──《運命》は気づくだろう。

 勇者は討たれ、既に亡く。

 それどころか天意は人の手によって捻じ曲げられていた事実に。

 

 そして、その長年の『歪』を《運命》は決して認めない。

 必ずや天罰──揺り戻しという形で世界に起こるはずなのだ。

 そうなれば歴史の守護も何もあったものではない。

 

 旧き神話に記される通り、怒りは洪水のように何もかもを滅ぼし尽くす終末の日(ドゥームズデイ)となって、再び世界を覆うだろう。

 

「何と嘆かわしきことか! 聞いてくれ()よ! たった一人の愚かな選択が世界を滅ぼすきっかけとなることを! 叶うならばその魔銃で今すぐあの愚者を打ち抜いてくれ!」

 

「──おや、気づいていたのか」

 

 激情を込めて叫び散らかしながら老人は振り向いた。

 老人を抜いて無人であるはずの館。

 そこに、芝居がかった美しいテノールが響き渡る。

 

 果たして──舞台に上がる主演の如くにカツン、カツンと音を刻む石畳を弾く歩みと共に回廊の闇の向こうから颯爽と声の主は現れた。

 身に纏うケープを大仰にバサリとマントのように舞わせながら悠然と踏み入ったのは、一言に怪人であった。

 

 声から想像できるのは美男子の容貌だろう。事実、黒衣に身を包む身体は、長身ならずも贅肉を纏わぬ無駄のない体付きであり、声と合わさって優美な男優を思わせる。

 だが、人の第一印象を刻むその貌は、レーサーなどの頭部を保護するようなフルフェイスヘルメットに覆われて伺い知れない。加えて目に当たる部分など、昆虫の複眼を思わせるバイザーになっていた。

 

 陳腐な話、日本のテレビ番組に登場する、戦隊ヒーローモノにおける悪役のような人物。まさに『怪人』と評するに相応しい見目の相手であった。

 

 しかし侮るなかれ、嘲るなかれ。

 彼こそはロサンゼルスを守護する聖者にして王。

 生と不死の境界をも跨ぐ、神をも恐れぬ魔人。

 

 アメリカの神殺し(カンピオーネ)──ジョン・プルートー・スミス!

 

 老人にとって敵となった少年と同類の魔王である。

 本来は老人の頭痛の種となり、老人を悩ませる郎党の一人として嫌悪するべき相手ではあるが彼の有する権能と、とある事情により、協調し合う関係にあった。

 

「いつになく荒れていた故、登場する期を些か逸してはいたが、やれやれ……悟られていたというならばもう少し趣向を凝らすべきだったな。私としたことが盛り上がりに欠ける出演だ」

 

 肩を竦めながら気取った物言いで老人に歩み寄るスミス。

 芝居がかった口調といい、ケープの下の格式高い衣装といい、顔を隠すほどの秘密主義でありながら同時に貴族趣味なのか、登場した米国の神殺しは人目に派手な立ち振る舞いであった。

 

「それで、悩みの種の少年を撃ち抜け……という話だったかな? 申し訳ないが、君の頼みと言えどそれは出来ない相談だ──理由は二つ。まず今の彼を撃ち抜くという話ならばともかく、私の弾丸は過去をも射抜く領域にはないというのが一つ」

 

 弾丸──とはスミスの有する権能の一つ。

 女神アルテミスより簒奪した彼の持つ魔弾のことである。

 

 スミス本人は、この権能では時間の壁は撃ち抜くことが出来ないというが、実際の所、目の前の老人が援護するという条件ならば時の垣根を越えてそれは成すことが出来よう。

 それは老人も承知しているだろうし、他ならぬスミスもそうだ。だから、第一の理由にはさほどの重みはない。その上で。

 

「そしてもう一つ。……こちらが何より大切なのだが、彼には借り(・・)があるのだよ。例えその行為が問題をより大きくしたという結果を招いたのだとしても、我が守るべき領地を私に代わって守らんとしたその行為──この正義を置いて名乗りもなく彼を一方的に殺害しようなどと言う謀略は我が流儀にあらぬ故!」

 

 話題の少年──怜志は知らぬことであろうが、アメリカの州の一つであるハワイにて起こった騒乱についてスミスは当初、己が事として対応しようと動いていた。

 ……黒王子ことアレクサンドル・ガスコインとスミスは知らぬ仲ではない。彼の傍若無人ぶりに手を焼かされたことが一度ならずともあったし、直接矛を交えた時もある。

 

 であるが故に、彼の傍迷惑ぶりをスミスは勿論承知していた。だからこそアレクの動向を把握し、アメリカを巣食う往年の宿敵《蠅の王》との小競り合いの傍ら、事によっては自分も出撃するつもりで待機していたのである。

 だが、その機会はなかった。何故なら、異国よりスミスと同じように義を背負って立ち上がった王者がいたからである。

 

 そう他ならぬ七番目の王、天国怜志その人である。

 彼の目的とその行動は当然、スミスは知っていたし認めている。

 スミスの言う借りとはまさにそれだ。かの王はスミスの代わりにあの問題児を無辜の人々から追い払って見せた正義の人なのだ。

 

 それをどうして一方的に誅殺できようか!

 

「いずれ彼とは直接見えて礼を言おうと考えていたところだ。翁、そんな私が恩に仇で返すような悪行に加担するなど、似合わないにも程があるだろう?」

 

「むぅ……」

 

 格好をつけた穏やかな口調の中にはっきりとした『拒否』を突き付けるスミスに、興奮していた《時の番人》も返す言葉を失う。

 かの存在は認め難いが、正論を吐くスミスを動かす大義名分もない。

 さらに続けてスミスは言う。

 

「第一、悩みの種は既に芽吹き、後戻りは出来ない状況だ。問題が起こる前に対応するならばともかく起こった後で対応するにはもう遅いだろう。君と、そして私が成すべきことはどう問題を起こさないようにするかではなく、どう解決するか論じること、ではないのかな?」

 

 付け加えられた言葉に──項垂れるように老人は息を吐いた。

 

「こうなれば、これより起こるであろう揺り戻しがあるべき歴史の正史に収まるよう祈るしかないのか。……あの御子殿には申し訳ないが、もう一度歴史の壇上に……む?」

 

 頭を抱えてブツブツと呟きだした老人は不意に何かに気づくとバッと顔を上げて、石板の山の中から一枚の石板を取り出して凝視し出した。

 

「おや? 血相を変えてどうしたのかな、翁」

 

 ただならぬ様変わりにスミスは良からぬものを感じて問いただす。

 

 しかしそれを受けて尚、老人は言葉を返すことなく無言。

 代わりに石板を凝視したままプルプルと震えだした。その様子を見てスミスは何かを察したように、やれやれとバイザー越しに額に手を当て嘆くように首を振る。

 

 この反応には既視感(・・・)がある。

 良からぬことは連鎖するというが、よりにもよってこのタイミング。明日からの問題をどう解決したものかと頭を悩ませる最高(さいあく)のタイミングで、老人にとって少年以上の仇が何かしらの事を動かしたらしい。

 

「あ……あ、あ……あのご婦人ッ!! よりにもよって何故このタイミングでそんなところにおるのじゃあ!? それに何がどうしてそうなっておる!? 歴史のイフ? いいや、それどころではない! もはやそこは神域(サンクチュアリ)! この歴史に地続きせぬ空想で練り上げられた世界線じゃぞ!?」

 

 《時の番人》は七番目の神殺しに対する勢い以上の憤激で以て、叫び散らかす。それを見てスミスは己の予想が外れていなかったことを確信した。

 現存する魔王──ある意味で、その中でもトップクラスに最悪な御仁の気配にスミスは同情するように声を漏らす。

 

「ふむ、あの夫人(・・)は今度は如何なる厄介ごとを引き当てたのやら……」

 

 言外にできればこちらに持ち込まないで欲しいものだ、と──正義を謳う守護聖人にしては珍しく、願うならば関わりたくないと嘆息した。

 

 

 

 

 ──ふと。『彼』はパチリと目を覚ました。

 

 何処とも知れぬ風光明媚な森の中の出来事であった。

 存在を主張する無数の獣たちの騒めき、虫たちの生活音。

 まるで押し寄せる潮騒のように流れる爽やかな風の息吹。

 人知及ばぬ天然自然。循環する森の営み。

 その中にただ一人在る『彼』。

 

 木々の狭間を縫って差し込む太陽をスポットライトのように浴びながら、むくりと身体を起こした。

 

「此処は……何処だ?」

 

 漏らした言葉に応える者はいない。

 発声は一瞬にして自然社会に溶けて消える。

 それに不安も不満も特に抱く素振りも無いまま、『彼』はふむと腕を組み、取りあえず分かることを回想する。──が、作業を始めてすぐに気づく。

 『彼』には振り返るべき過去は疎か、今に続く記憶さえ何一つとして思い起こせない。

 

「──いやそもそもの話……私は誰だ?」

 

 立ち上がって、腕を組んだままの仁王立ち。

 眉間に皺を寄せ考え込むが、答えなどでない。

 周囲に何か思い当たることは無いかと首を振って辺りを伺うと、木陰に一つ、青い空を映す水面があった。どうやら前日に雨でも降ったのか、水たまりが出来ているようだ。

 

 大きさはさほど無いし、生活用水に使えるわけもない。

 だが、記憶を探す今の『彼』にはささやかな救いだ。

 空を映す水面に、『彼』は自分の顔を映して見せた。

 

「ふむ……」

 

 水面に映ったのは少年の容貌であった。

 

 黒曜石のような純黒の黒髪。幼さを残した線の細い顔立ち。

 ぱっちりとした目元と合わさり、人にとっては少女と見紛う顔立ちだ。

 M字のような形を成す髪型(インテーク)に、背中まで伸びる長髪を三つ編みに結んでいることからも性別の勘違いは加速することだろう。

 さらに中性的な声音も合わされば、聡いものですら迷うはずだ。

 

 身に纏うのは服というより胸と腰に布を巻いただけというだけの装いだ。そのため健康的な小麦色の肌は大胆に晒され、健康的な素肌が太陽に晒されている。

 また布には複雑な紋様が意匠され、普段使いするものというより何らかの儀礼服を思わせた。不意に何処となく違和感を覚え、無意識に後ろ腰に手を回す。

 ……何か、一目見て『足りない』と思った。

 

 あるべきものがそこに無いというべきか。常備していた筈のものがないというべきか。そんな違和感。

 

「……足りないと言えば、何というか、こう……」

 

 ぐぐっと伸びをしてみる。

 たたっとステップを踏むようにその場で足踏みをする。

 違和感が加速した。

 

 ──いつもより目線が低く感じる。

 ──自分の足を動かすことに漠然とした不思議を覚える。

 ……森を駆ける風にもどかしさを感じる。

 足りない、足りない、足りない、足りない。

 何もかもが足りなさすぎる。

 加えて胸には郷愁にも似た寂寥感。

 

 もしや今の自分は、大切な何かを失っているのではないか……。

 

「私は……何だ?」

 

 その問いに答える者はやはり無い。無いと思われた。

 何故なら自然界の真っただ中に『彼』を除いて、言語で意思表明(コミュニケーション)を取る生物などあるはずもなく、疑問は無為に消えるはずだった。

 

 だがしかし、答える者がいない筈のその問いに答えるようにして、不意に強風が吹いた。それはまるで世界そのものが答えるような天啓。

 己が問いに対する回答が、脳裏に閃きのように奔った

 

「──『勇者(Alp)』?」

 

 Alp──アルプ。

 それが己の名前なのかと思って、しかし否と首を振る。

 きっとこれは核心からは遠い単語。

 彼の役割と、その活躍を評して大衆(ひと)が呼んだ言葉だ。

 

 それで同時に思い出す──己には確か。成すべき使命があったはずだ。

 風が流れる。前髪が靡く。

 懊悩を掻き消すような涼やかな微風。

 天地万物を成す惑星の呼吸。

 

 その不意打ちに『彼』は目を細め、軽く頷いた。

 向ける先に迷う自らの指針は、風を受けてあっさりと定まった。

 

「……分からない、分からないがしかし、無風のままでは何かが変わるわけもなし。うん──そうだな。分からないことだらけの時は取りあえず、自ら行動して風を起こして見れば見えるものもあるか」

 

 ともすれば楽観的、しかし口にしながら不思議と清々しい気分になる方針に納得して、『彼』は目的地も無くゆるりと一歩を踏み出した。

 地を伝い、足に触れる感触にはしっくりとこない感触を覚えるが、偶にはこういう風に大地を行くのも悪くないだろう、と。

 微笑を浮かべて前進する。

 

 果たして、歩みの先に何があるのか。

 何もかもを知らぬまま『彼』は未知の探索へと踏み出した。




ようやっと本題の出演させることが出来たぜ……。
まあ暫くは名無しの権兵衛さんになって頂きますが。
察している人もいるでしょうけど本作のラスボス枠(オリジナル)です。
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