神々、君に背き奉る   作:アグナ

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山中異界

 ──腕輪のように利き手を飾る鉱石ホルダーの仕込みを長袖で隠し、準備完了。サバイバル用の肩掛けバックを背負いこみ、怜志は最後の確認をする。

 

「武装携帯、食料飲み水は一週間分確保、補助用の呪符も入れた……っと目的地が明確だった夜叉ヶ池の時と違って山界での捜索活動だからな。念を入れといて損はないだろう」

 

 敵と対峙するならば刀一本で何もかもは事足りるが、沙耶宮から依頼された『狐狩り』は妖狐退治に加え、その発生原因の解消も含まれる。

 今回は正史編纂委員会からの人員も出されるそうだが、もしも神獣クラスの妖狐が異変を起こしているのだとしたら山中丸ごと文字通りの異界化させてくる可能性も考え得る。

 戦闘となれば問題はないが、生存競争(サバイバル)となれば体力の削り合い、持久戦となる。だからこそ怜志は今回に限って言えばそれ用の装備をきっちりと整えていた。

 

 最終確認を終え、最後に怜志は深呼吸をする。

 ……体力、精神、共に異常なし。

 常在戦場──如何なる事態に陥っても即応可能だ。

 

「──よし、それじゃあ行ってきます」

 

 そう言って怜志は戦場を目指して家を後にした。

 

 

 

 大雄山駅前──伊豆箱根鉄道大雄山線の終着地点の駅であり、怜志宅から最寄りの駅でもある。現地までは送っていくという沙耶宮の好意に甘えて迎えを頼んだが、その迎えとの合流場所が此処であった。

 同路線の駅の中では活気はそれなりにある方だが、神奈川でもかなり山間の地域の路線とだけあって、人の気配はまばらだ。お陰で駅前に止まっている車の数も少なく、目的の相手が乗車する車は軽く辺りを見渡すだけで見つけられた。

 

「お待たせしました甘粕さん──と、恵那? もう合流してたのか、早いな」

 

「いえいえちょうど今来たところです。時間通りですよ」

 

「やっほ怜志! 馨さんから話を聞いて昨日のうちに甘粕さんと合流してたんだ」

 

「それは良かったです──って恵那昨日のうちにって……金曜日だろう? 学校は?」

 

 運転席の甘粕にお辞儀をしつつ、後部座席の恵那に目を向ける。

 沙耶宮との約束は先週の話。それから怜志はいつも通り普通に学校へ登校して今日にいたったが、怜志と同年代である恵那も条件は同じな筈だ。

 ならばこそ恵那もまた通常通り、学業の義務が発生していた筈だが。

 

「休んだ! というか山籠もりしてたから休学届出してるし!」

 

「……もう中三の始めだが、それで卒業できるのか?」

 

「ほら恵那は委員会の関係者が通ってる学校に内定してるから……って、そんなことは良いじゃん。早く行こ?」

 

「全く……」

 

 呆れつつ、ポンポンと隣の席に招き入れる恵那に応じて怜志もまた、後部座席に乗車してシートベルトを締める。

 目指すは富士山麓に広がる山梨県側の樹海、青木ヶ原。

 バックミラーで準備が出来たことを確認した甘粕は後部座席の二人に一言掛けた後、車を発進させた。

 

「んー、それにしても怜志とは良く山に入るよねー。神様関係の入山はまだ二回目だけど」

 

「去年の龍神退治か。確かにデジャブを覚える状況だな」

 

 目的地までの道のりは長い。

 運転を甘粕に任せ、二人は暫し雑談をする。

 

「恵那としてはもうなんか懐かしく感じるけどねー。っていうかさ、怜志が王様になったのが去年の春ごろって言うのがもう遠き日の出来事のように感じるよ。まだ一年前だっていうのにね」

 

「波乱に満ちた日々だからな。だが退屈はしなくていいんじゃないか?」

 

「そこで平和を望まない辺り、怜志が王様なのが納得できるかも」

 

「良識と嗜好は違うというだけの話だろう。平和であることを望んでいないわけじゃないさ」

 

 もちろん怜志としても平和なのは良いことだと思うし、そういった状況が続くのが世間一般的な善だろう。ただ、それが善いことだからと満足するかどうかは別の話だ。結局、乱世の相を持つ怜志にとって平和は単なるインターバルに過ぎず、戦場こそが最も己が己らしく在れる場所だというだけである。

 

「春ごろの──というと天国さんが神殺しを成功させてすぐの話ですね。報告ではまつろわぬ毘沙門天もといインド神話のクベーラを殺害との話ですが、ぶっちゃけそれ委員会も殆ど把握していないんですよね」

 

 と、気になる話題だったのか二人の雑談に甘粕も混ざる。

 ……まつろわぬ神クベーラ。

 七番目の神殺し、天国怜志の原点。

 この騒乱の日々が続くこととなったそもそものきっかけ。

 

「まつろわぬ神が出現するほどの異変が起きれば委員会の方でも異常に気付くはずなのですが、神殺しの誕生は勿論のこと、まつろわぬ神の出現も委員会は感知してませんでした。天国さん、貴方はどうして神殺しを、いえ──そもそもの話、どうしてまつろわぬ神と縁を結ぶことになったんですか?」

 

「それは──」

 

「前に怜志に修行を付けてたあの胡散臭い御坊さんがそうだったんでしょ?」

 

「恵那さん?」

 

 答えようと口を開いた怜志より先に、甘粕に言葉を返したのは何と恵那だった。

 想定外の方向からの回答に目を白黒させる甘粕だが、対する怜志の方はと言えば何処か呆れるように、そして当然のように話を続ける。

 

「……はぁ、胡散臭いは無いだろう。師は宗心と名乗っていただろう」

 

「名前は憶えてるよ。でも胡散臭かったのは変わりないじゃん。清貧がどうのとお坊さんらしいことを言いながらお酒好きでガバガバ飲んでたし、なんか怜志のこと妖しい目で見てた気がするし!」

 

「俺の師匠に何てこというんだ……いやまあ、あの人が名を借りてた人物を考えれば、そういう趣味なのかもしれないが、ああいや、そもそも上杉謙信は仮名で真名はクベーラだから……あれ? まさか、あの人も同じ趣味だったのか……?」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 何かの事実に気づきかけ、珍しく呆然となりかける怜志だったが、嫌な方向に巡りそうになった思考を修正したのは慌てたような甘粕の声だ。

 見れば視線こそ前方に向けたまま、バックミラー越しに視線をやって甘粕が口を挟む。

 

「恵那さん、その話って国内での話ですよね? もしかして、まつろわぬ神が日本に顕現していることに気づいていたんですか!?」

 

「え、うん」

 

「何でそんな大事なことを報告してないんですか!」

 

 まつろわぬ神の出現は国内の大事である。

 そんな大事を仮にも『四家』の嫡女であり、武蔵野の媛巫女筆頭たる人物が知りながら放置していたという事実はあまりにも無法だ。

 自由奔放と言えど限度があろう。

 

 思わず声を荒げる甘粕だが、当の本人に悪びれる様子はない。

 

「だって恵那があった時はまつろわぬ神じゃなかったから。何でも神様は引退中だとかなんとか。ね、怜志?」

 

「引退したからどうという話でもなかったんだが──まあ、そうですね」

 

 同意を求める恵那に困ったように目を瞑ると、怜志は軽く考えこむようにして口元に人差し指を添えると、それから言葉を選ぶようにして恵那の擁護をする。

 

「恵那の言うことは間違いというわけじゃありません。宗心殿──我が師は自らの本性を封じて仮名を名乗ることで神としての神格を抑えた状態で隠居していたんですよ」

 

「神格を抑えた状態で隠居、ですか? それはつまり御老公方──ああ、怜志さんは」

 

「ご老公方の件については存じてますし面識もあります──ええ。その御老公たちと似たようなものです」

 

 正史編纂委員会の後見人を務める『ご老公』。

 既に事情を知っている怜志は甘粕の提示した例に頷く。

 

「神話を飛び出して現実に出た段階で、その性質は歪む──この状態を自分たちはまつろわぬ神と呼んでいますが、一概に全ての神が歪むとは限らない。それはご存じですか?」

 

「ええ、まあ……というより『御老公』がそうですからね」

 

「あちらは普通に暴れまわって落ち着いた例なので正確には違うでしょうけれども──例えば神格が現実に降りて来たとしても自身を忘れている状態ではその歪んだ本性を出現させることは無いですし、神性の持つ特性によっては正気のまま神として振舞う善神もあり得ます。このように神イコール全てがまつろわぬ神となる、というわけではない」

 

 現実に出てくる神格の殆どは歪んだ状態であるのが大半だ。

 まつろわぬ神として現れる彼らに対話は通用しない。

 

 ……だが、何事にも例外というものがあり、現実に出現する神の中には神話に語られるそのままを保った事例も存在する。この稀少例を「真なる神」という。

 そして怜志の出会った師は、上杉謙信の法名を名乗る法師は正にこの「真なる神」と呼ばれる存在であった。

 

 神話より出現した彼は人々に害を成すことなく、俗世から離れた山の中で静かに今の世を俯瞰していたのだ。

 

「はぁー、成程それで大きな騒ぎが起きないままでいたと」

 

「本人曰く、別に害する理由もないとのことでしたしね。神性にありがちな人を個人で識別できない傲慢さもなかったですし、その辺りは恵那も知ってるだろ」

 

「うん。会ったのは一回だけど普通に面白いお爺ちゃんって感じだったよ? 特に問題も起こさなさそうだったし怜志とも仲良さそうだったから別に報告しなくてもいっかなって」

 

「いやそれはそれとして報告はしましょうよ……」

 

 のほほんという恵那だが、その報連相の不足には思わず甘粕も苦言を入れる。問題が起こらないからヨシではないのだ。僅かでも危険な可能性があるならば呪術界の管理者側としてせめて一報は入れて欲しいところではある。

 尤も苦言を呈したところで組織人としての自覚が薄い恵那に対しては柳に風なのだが。

 

「しかし、そのお話の通りなら尚の事どうして天国さんは神殺しになられたのですか? ご隠居中だったのでしょう? クベーラ神は」

 

「あ、それ恵那も聞きたーい。その辺の経緯については恵那もあんまり詳しく知らないんだよねー」

 

 二人の注目が怜志に集まる……が、それまで口調滑らかだった怜志は困ったような表情をして黙り込んだ後、ただ一言。

 

「──……若気の至りという奴だ」

 

 そう口にしたっきり、怜志は窓の外に目をやって無言を貫いた。

 どうやらこの件について、深く語るつもりはないらしい。

 そして本人が拒否する以上、無理に踏み込む理由も無い。

 

 少し不服そうな恵那と、怪訝そうな甘粕だが、ここは怜志の意志を尊重してこれ以上の追及を断念するのであった。

 

 

………

………………

…………………………。

 

 

 一時間半ほどの車移動。

 怜志たち三人は富士五湖で有名な本栖湖の畔にあるキャンプ場に辿り着いた。

 無論、目的は観光でもキャンプでもない。

 此処が『狐狩り』の拠点として正史編纂委員会が用意したベースキャンプ地なのである。

 

「やあ、来たね三人とも」

 

「お疲れ様です、沙耶宮さん」

 

「やっほー、馨さん。昨日ぶり」

 

 甘粕と同じ委員会のエージェントらしい黒服たちの中心で何やら陣頭指揮を執っていた沙耶宮が近づく怜志たちに気づいて、軽く手を挙げて挨拶をしてくる。

 依然見た通りの男装の麗人。どうやら平時でも戦時でも変わらない様子だ。

 

「それじゃあ自分は一旦ここで」

 

「うん、用意は済んでるから軽い打ち合わせだけよろしく」

 

「分かりました。それではお二方、私は別途準備がありますので……」

 

「了解です。此処までありがとうございました」

 

「後でねー、甘粕さん」

 

 二人を案内し終えると此処まで付いてきた甘粕は場を離れる。

 あちらはあちらで『狐狩り』の準備があるのだろう。

 離れていく背広を見送ると怜志と恵那は沙耶宮に向き直る。

 

「それじゃあ歩きながら軽く説明していこうか」

 

「構いません」

 

「分かった」

 

 促す沙耶宮に二人は揃って頷くと歩みを進める沙耶宮の後ろをついていくようにして、『狐狩り』の概要を確認する。

 

「……前に伝えたように、現在ここ本栖湖のキャンプ場を起点に委員会が有する獣狩りのエキスパートを揃えている。また、ここだけじゃなくて此処から少し下った富士芝桜展望台周辺、此処から登った精進湖、西湖、それから鳴沢氷穴周辺にも似たような部隊を配置している」

 

 脳内に地名が指し示す地図を思い浮かべながら怜志はイメージする。沙耶宮の言う通りなら青木ヶ原樹海を囲い込むような形で委員会の部隊は展開しているはずだ。

 

「──ということは四方八方から樹海の中心に向かって一纏めに潰していく考えですか」

 

「うん。妖狐の特性を考えたらこれが一番手っ取り早い。彼らは強いというより、こちらを翻弄してくるタイプの妖魔だ。一つ一つ当たるより、逃げ道を封鎖していった方が早いからね」

 

「道理ですね」

 

 シンプルな作戦だが、それゆえ変な隙がない。相手がこちらを化かす手合いなら隠れ蓑ごと明かしてしまえば問題はないということだ。

 想定外の事態が発生しても大規模な複数部隊が展開しているため、すぐに対応することも可能だろう。

 

「各部隊は密に連絡を取り合いながら道中で遭遇した狐たちを対峙しつつ前進。出現数と周辺状況を調査しながら今回の事件の発端となる原因を探る」

 

「恵那たちもそれに同行する感じ?」

 

「うん、天国さんと恵那は此処から出撃する部隊に同行してくれ」

 

「分かりました。ですが、原因が此処に無かった場合は? 狐たちは富士山を中心に広域に渡って出現しているんですよね?」

 

「一応、狐が確認された麓の付近にも幾らか部隊を配置してるよ。特に稲荷神社が近くにある出口池なんかはね。これだけ大規模な『狐狩り』を行うんだ。原因が此処に無くともどこかしらで変化は起きるだろうから、それを掴める体制にはしてある。まあその場合、天国さんたちには此処から現場まで急行してもらうことになりますが」

 

「その程度、問題ありませんよ」

 

 腰に差した打ち刀の鯉口を軽く怜志は鳴らす。

 斬るべき敵さえ分かるなら後はどうとでもなる。

 

「頼もしい限りだ。なら──『狐狩り』を始めよう。樹海にはそれぞれ三十分後、同時に踏み入ってもらう。僕は此処から指揮を執るので、現場のことは任せたよ」

 

「応」

 

「任された!」

 

 沙耶宮の号令に、怜志は頷き、恵那は笑顔で応える。

 ──三十分後。

 受け取った各部隊との通信機を耳に嵌め、二人は本栖湖の部隊に同行して深い森の中へと踏み入った。

 

 

 

 古来より山は山中異界とも呼ばれ人界とは別世界と言う考え方がされてきた。

 霊峰、富士の麓に広がる青木ヶ原樹海。

 一歩整備された道を外れてみると、そこには鬱蒼とした別世界が広がっていた。

 怜志は試しに持参した方位磁針を手にしてみる。

 すると指針は一定の方向を示しているものの、針は揺れ動き安定しない。

 

「なるほど、これが磁鉄鉱の効果か」

 

「富士山の噴火によって出来る磁性を持った溶岩だよね」

 

「ああ。これが原因でよく入り込んだものを迷わせると言うな。尤も今回に限って言えば、この手の装備はあまり必要ないのだが……」

 

 言いながら怜志は視線を上げて、同行する部隊の中から知己の人物へと声を掛ける。

 

「通信の状況はどうですか、甘粕さん」

 

「感度良好、今のところ問題は起こっていませんよ」

 

 そう言って本栖湖部隊の現場指揮官──甘粕は怜志の言葉に応じる。

 山道踏破用の装備とは別に甘粕は重そうな機材を抱えている。

 これは各部隊と密な連絡を取るためのアンテナのようなものらしく、GPSが効きずらい樹海の深淵でも各部隊との素早い連絡が可能となる。

 

「何か色々準備してるなーって思ったらそんなものまで用意していたんだね」

 

「ええ。馨さんの命令でね。ところで恵那さん? そういう貴方は随分と軽装ですが、それで大丈夫なんです?」

 

「うん。恵那が入山する時のいつも通りだよ?」

 

 ほら、と言って冬用のブレザーに、ひらひらと舞うスカートといういつもの学生服スタイルに加え、背負子に二本(・・)の筒を差した状態の恵那が言う。

 ……相変わらずトレッキングを舐め腐った装備にしか見えないが、恵那の場合はこれよりも軽装で山に踏み入ることもあるので本当に問題ないのだろう。

 

「ていうか、怜志も似たような感じでしょ。そっちは心配しないの?」

 

「……だそうですが、怜志さん」

 

「ああ」

 

 そう言われた怜志の姿は無地のシャツにアウトドア用のジャケット、長ズボンと言った装いでトレッキングの服装としては適してはいた。

 ただ荷物は腰に差した打刀と肩がけ出来る大きめのショルダーバッグのみとこちらも恵那のことを言えない程度に軽装のように見える。

 まあ怜志も怜志で山慣れしているというのもあるが──ただこれには一つ事情があった。

 

「このバッグ、うちの職人の作なんですよ。例えば──」

 

 と言いながら明らかにバッグに入り込むとは思えない折り畳み式の椅子を、バッグから取り出して見せる怜志。

 唖然とする甘粕と「おー」と感嘆符を漏らす恵那に怜志は軽く説明する。

 

「これ、内部が空間置換されていて……まあゲームでいうところのアイテムボックスみたいなものです。見た目に反して一人暮らしのワンルームに収納できる程度の荷物が入りますし、重量も「多めの荷物が入ったショルダーバッグ」くらいに固定されてるんで、負担にもなりません」

 

「へえ! いいねそれ! 便利そう!」

 

「……流石は職人組合(ギルド)。作り手に係わる人材は委員会よりも豊富そうですねェ」

 

 怜志の説明にそれぞれ納得する二人。

 確かに見た目は軽装だが、「一人暮らしのワンルーム」ほどの荷物を収納できるとあれば、それこそ遭難してもかなりの日数耐えられるはずだ。

 『狐狩り』用に装備を整えるとは先週の怜志の言葉だが、その言に偽りはないらしい。

 

 獲物が出るまでそんな感じで雑談しつつ、樹海を歩いていると不意に耳に付けた通信機にノイズが乗る。即座に耳元に集中するとノイズに紛れて報告が聞こえる。

 

「甘粕さん」

 

「……どうやら別部隊が早速妖狐と遭遇したようですね」

 

 怜志の声掛けに甘粕は機材をいじりながら詳しい状況を確認していく。

 

「数は二頭。対処は問題なく、既に退治したようです。っと、また──」

 

 どうやら未だ遭遇しないこちらと違って、各部隊それぞれ妖狐に接触しているようだ。こうなれば怜志たちが件の妖狐と接触するのも時間の問題だろう。

 

「いよいよ始まったって感じだね、怜志」

 

 同じことを考えたのだろう。隣の恵那が怜志の顔を見ながら言う。

 それに怜志もまたこくりと頷いて同意を示す。

 ……厳密には示そうとした。

 

「ああ、そう──」

 

 だな、と続けるはずの言葉が吸い込まれる。

 目の端に捉える影。

 樹海の向こう。

 そこに佇むピスクドールを思わせる白い女──。

 

 ……狐ではない。そもそも妖魔の類でもない。

 アレは知っている。彼女は知っている。

 以前、ハワイで出会った神祖を名乗る娘──。

 

「なっ、グィネ──」

 

 

 ────か、こん、ち、こん、ちん、こん、こん、おん。

 

 

 ──祭囃子の音がする。

 直後、何処からともなく暗がりの森に濃霧が降りてきた。

 

「────敵襲ッ!」

 

 全ての疑念を一瞬に捨て去り、怜志は意識を切り替えた。

 刀を抜き放ちながら虚空に刻む退魔の真言。

 掛かる妖魔を祓い、幻視を打ち払う光明真言の梵字。

 

「怜志、これって──!」

 

「音程も糞もないが白狐囃子──奈良の神社に伝わるダキニ(・・・)由来の祭囃子だ!」

 

「ダキニ……荼枳尼(ダキニ)……荼枳尼(ダキニ)天ですかッ!? ということは……!」

 

 怜志の言葉に事態を察したらしい甘粕が声を荒げる。

 それに眼も向けないまま、怜志は濃霧の向こうを睨みながら──。

 

「ああ──構えろ、来るぞ(・・・)!」

 

 言葉と同時、何処かできゃきゃと子供が笑う様な声が響き、濃霧の向こうから部隊目掛けて幾つもの火の玉が飛来してくる……!

 

「フッ────!」

 

 一閃。部隊を庇うようにして一足で前衛に飛び出した怜志は飛来する火の玉を断ち切りにかかる。

 天国の霊刀はそれ自体が退魔の劍。この手の妖魔の妖力に対しては抜群の効果を生む。だがしかし、振るった一閃に手ごたえはなく、そもそも火の玉に熱さを覚えない。

 

「幻……!」

 

 直後、虚空に消える火の玉の影に紛れ、怜志の腰丈ぐらいのサイズをした人型が怜志目掛けて飛び掛かってきた。

 咄嗟に刀を持ってない方の腕で庇うと、その腕に影が噛みついてくる。

 

「ぐっ……!」

 

「怜志!?」

 

「問題ない……!」

 

 肉を割かれ、牙が骨まで届く……が、そこまでだ。

 神殺しとしての頑強な骨格はこの程度の攻撃を通さない。

 背後で身を案じる恵那の声に応えつつ、怜志はその正体を見る。

 

「やはり()!」

 

 幼い子供のような(なり)をした狐であった。

 本来四足獣たる筈のそれは人間のように二足で立ち、金の獣毛の上から作務衣に似た祭儀服を纏っている。顔に当たる部分は、狐面のような戯画的なそれであり、断じて真っ当な生態系に存在する生物のそれではない。

 

 怜志に噛みつく影以外にもその後ろには奇怪な囃子を響かせ、狂ったように鉦鼓を鳴らし、太鼓と笛を鳴らして隊列を組む狐たちの小隊。

 

「これが、妖狐……!?」

 

 想像もしなかった敵対者の姿に驚愕を浮かべる恵那。

 その声に応えるように狐たちは子供の声に似た、頭に響く様な不快な鳴き声と共に怜志他部隊目掛けて殺到してくる。

 

「チッ──!」

 

 怜志は打刀を大地に突き立てると、噛みつく狐の後頭部に腕を回してがっちりと固定。暴れる妖狐を力づくで抑えるとそのまま妖狐の首元に膝を当てるようにして……。

 ゴキリ──と嫌な音が響く。

 妖狐の抵抗はそれで嘘のように沈黙した。

 

「妖狐だが首を折れば死ぬか……いやそもそもこいつら霊的な存在じゃない……? 実態を持っているのか? これの形で? ……細かい分析は後だな。まずは対応する!」

 

 見れば不意を打たれたというのもあってか、部隊は動揺している。

 恵那や甘粕は流石の実力とだけあって対応しているが、他の人員は圧されているものが多い。ならば先にこちらの状況を立て直すのが先決だろう。

 

 幸いなことに数は多いが、一匹一匹の強さは大したものではない。

 

「斬り捨てる!」

 

 刀を再び手元に抜き取り、駆けだした。

 まずは手短にいた狐を刈り取り、続けて背後を伺っていた狐を首を向けることなく、飛び掛かってきたところを自身の脇に差し込むようにして、刺し貫く。

 一瞬にして二匹を沈黙すると、近くにいた隊員に襲い掛かる三匹の狐の首を落として絶命させ、呪符を放って援軍たちを牽制する。

 

「前から来る狐どもは俺が対応する! 恵那、甘粕さんは立て直しを……!」

 

「分かったッ!」

 

「あまり荒事は得意じゃないんですがね……!」

 

 怜志の言葉に二人は即応して、恵那は天叢雲劍を抜き放って周辺の狐を斬り捨てていき、甘粕は隊員を囲む狐の頭蓋を苦無を飛ばして正確に射抜いていく。

 迅速に立て直していく様子を目の端に捉えて、一任して大丈夫だと即断すると怜志は濃霧の向こうに待機する小隊を一瞥して踏み込んだ。

 

 一閃で二匹、続く二閃、三閃とで僅か一足にして九匹の狐を仕留めると、警戒して身を窄める狐たちを睥睨して怜志は宣言した。

 

「此処は通さん」

 

 答えなど期待していない一方的な宣誓。

 だがしかし──。

 

いいえ(・・・)通します(・・・・)。“開け、ゴマ”』

 

「何──ッ!?」

 

 何処からともなく返ってくる返答。

 眼前に広がる濃霧、狐の小隊が展開するその背後の空間が突如として歪む。まるで風景が捻じれたかのような光景は、やがて『穴』の形となり、さながらブラックホールじみた強烈な吸引力を周囲へとまき散らし出した。

 

「お、おお……!」

 

 全力で踏み堪える怜志だったが、それでもズルズルと怜志の身体が『穴』の方へと引き寄せられていく。

 

(この力……ガスコイン並の……!!)

 

 想起するのはイギリスの神殺し、アレクサンドル・ガスコインが巨獣ベヘモットから奪ったという魔球。あの『穴』はそれに近しい力を有している。

 それ即ち──アレは、あの『穴』は権能(・・)

 

『ふふふ、流石は神殺しであらせられる身。一筋縄ではいきませんわね』

 

「その声、やはりグィネヴィアとか言う女か!」

 

『覚えていてくださり光栄ですわ、天国様』

 

「此度の異変は貴様の仕業なのか……!」

 

『そうであるとも違うとも言えますわね。申し訳ございませんが、此度は長話をするつもりはありません。天国様、貴方には暫しこの国を去って頂きます。グィネヴィアが──最後の王を見つけ出すその時まで!』

 

「なんだと……!?」

 

 思わぬ言葉に怜志は驚愕を浮かべる。

 グィネヴィアの言葉を信じるなら、あの『穴』は別の場所に通じる門のようなものだ。その先が何処に通じているかなど不明だが、グィネヴィアの目的が怜志を国外に叩きだすことだというならばそう簡単に戻ってこれない場所に通じているだろう。

 絶対に飲み込まれるわけにはいかない。

 

 ギリッ!と後手に回った事実を歯噛みしつつ、怜志は速やかに呪力を練り上げる。

 あの『穴』が権能にせよ、別の力にせよ、呪力を使って組み上げた現象であるならば対応は出来る、手段は残されている。

 怜志はその身に宿す二つ目の権能の封を開けようと意識を集中させ──。

 

「怜志……! 待ってて、恵那が!」

 

「恵那!? 待て、こちらは……!」

 

 だが、間の悪いことに二つの想定外によってその封は開けるに至らなかった。

 ……一つ目の想定外はこちらを案じた恵那が天叢雲劍の力で『穴』を退かそうと飛び込んできたこと。そしてもう一つの想定外は突如として吹き荒れた『風』によって大地から舞い上げられ、踏ん張ることが出来なくなったことである。

 

 此処までの一方的な不意打ちを受けては常在戦場の怜志と言えど対処しきれない。抵抗は虚しく、怜志は『穴』の方へと投げ出される。

 

「く……恵那……!」

 

 せめてと自分と同じく『穴』の方へと投げ出された相方を掴もうとするが、その腕は届くことなく。怜志と恵那はまとめて『穴』の方へと吸い込まれていく。

 

「天国さん!? 恵那さん!?」

 

 遠くで悲鳴じみた甘粕の声が聞こえる。

 その記憶を最後にして、怜志の意識は闇へと落ちていった──。

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