神々、君に背き奉る   作:アグナ

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情愛変貌

「ほんま、やってくれたなぁ……」

 

 その声を聴いて、怜志と羅濠は即座に身構える。

 土煙の向こう、羅濠の不意打ちを受けた玉藻前が立ち上がる。

 

 だが、戦神の類ではない妖獣の神たる玉藻前に武林の至極の一撃は重かったらしく、左胸を抑え実態を霞める姿は正しく満身創痍だ。

 苦悶の表情を浮かべたまま、忌々し気に玉藻前は羅濠を睨む。

 

「お前さんが少ぉし前まで嵩山の辺りをうろついとるんは知っとうたけど、今は廬山にいた筈やろ? どんだけ離れとる思てん」

 

「愚問ですね、妖狐仙。わたくしが修めしは武功のみに非ず。魔道の道すらも体得せしめた知勇双全なる覇者と知りなさい」

 

 玉藻前の言葉にぴしゃりと言い返す羅濠。

 迂遠な言い回しだが、要は魔術の類も達人クラスということだろう。

 ……ちなみに此処から彼女が数刻前までいたとされる廬山まではおよそ八百と半分㎞。仮に怜志ら現代の王たちが暮らす時代の自動車などを用いたところで九時間以上の道のりになる距離である。

 魔術に長けているからと言ってその距離を簡単に踏み潰して見せるのは規格外の神殺しだからこそなせる技だ。

 

 続けて羅濠は睨む玉藻前を睨み返しながら言う。

 

「──如何なる国も栄枯盛衰。時代の異なる国の衰亡、武林と聖教の頂点に立つ者としてそのような俗事にかかわるつもりはなく、ましてや頂点に立つ者が示すべき仁の何たるかを忘れ、今なお自らが堕落と放蕩で愚行を積み上げて滅びの道を行く者たちを救う義理もありません」

 

 彼女の内弟子に言わせるところ、彼女は偏屈な性格だ。

 常より廬山の深淵に身を置いて俗世との接触を断ち切って生きるその振舞いは、ともすれば超越者たる神々の価値観に近く、暴君でありながらも時代に迎合するヴォバン侯爵以上に浮世離れしている。

 そんな彼女だからこそ、この時代を見聞した上で唐の存亡に少しほども関心を持っていない。

 

「しかし──人ならずものが人の国を食い荒らし、その安寧を脅かすのであれば話は別。神たる身でありながら領分を侵すというのであれば、人の上に立つ頂点として領外者に対するは王としての義務にある。……それが、我が庭先をも荒らす害獣とあっては尚の事」

 

「……なかなかいけずやな思てたら、各地に置いた子狐共を叩いて回っとったんはそれが理由かいな」

 

 羅濠が現れてから向こう、唐の国中に配置した妖狐たちが徹底的に刈り取られているのには早期に気づいていたが、どうやらその理由は自分の庭が荒らされていたからだったらしい。

 出現早々から血の気の多い手合いだと思っていたため、いつ長安に攻め込んでくるかと身構えていたが、それが理由であれば妙な動きをしていたことにも納得がいく。

 

「ええ。それに確かめるべき事柄もあった。そしてそれも既に済みました」

 

 そう言って羅濠はジッと、実態の霞む玉藻前を見る。

 冷然と、まるで形だけ整えた虚栄心の像でも眺めるように。

 

「まつろわぬ神招来の儀、御身はそれの企てによって招かれましたね? この国に在った筈の賢人、道士、呪術師──それら全てを生贄と喰らって。王たる義務を放棄した一個人の度し難い情念のために御身はこの世に招かれた」

 

「……やはり、そういう絡繰りか」

 

 非難を通り越して侮蔑にも等しい響きで断定する羅濠の言葉に、怜志の方もまた呆れるように嘆息する。

 ──確信を経たのは玉藻前との交戦時。

 『自分で殺した妻の夢を見る』という玉藻前は言葉であった。

 

「……栄華を誇った唐の時代だが、その繁栄と絶頂は唐突に終わる。原因は簡潔に言うならば宮中での権力闘争に市井の不平不満が噛み合って爆発したため──言うなれば失政が原因だ。そしてそのために唐明皇と楊貴妃もまた国を追われ、都を追われることとなる」

 

 怜志が語るのは大唐帝国が滅亡に至るまでの歴史。

 今の世の後に起こるであろう天下大乱。

 安禄山の反乱に端を発する一連の崩壊の流れであった。

 

「辛くも戦場より逃れることは成功した唐明皇だったが、それでも逃れた先で彼は苦渋の決断に迫られた。理由は簡単、楊貴妃の存在だ。反乱を起こした安禄山であるが、彼がその反乱を起こした理由は宮中を支配するある一族に対する不信であったからだ。その一族こそ楊国忠を筆頭とした都の権力を牛耳る楊氏。天子が溺愛する楊貴妃の血縁として、権力を欲しいままにするかの一族への怒りがこの乱の根底にはあった」

 

 ──身内の誰かが出世すると、その一門、その一族がまとめてその恩典に浴して昇進するのが古代から続く中国社会の常である。

 日本においても財を成すと見たことも聞いたこともない親戚(・・)が勝手に現れるなどという俗説が存在しているが、それと同じように一族から天子の溺愛を受ける楊貴妃という存在を生み出した成果は楊氏に凄まじい恩恵を齎した。

 その最たるが楊国忠である、楊貴妃のはとこに当たる彼は楊貴妃の後宮入りに伴う恩恵を最大活用した人物で天子の覚えよく振舞った彼は後に権力争いで勝利し、宰相の地位を獲得している。

 そして地位を経た後は自身を脅かす政敵を次々に粛清し、確固たる基盤を築き、権力を欲しいままにした。

 

 ……その政敵との争いにあって、敵対することになった相手こそ他ならぬ安禄山。武人として天子の覚えがよく、早くから出世の機を聡く逃さず、楊貴妃に対しても自らを養子に迫るなど()を目指した将である。

 自ら以外が重用されることを厭う楊国忠と、宮中での出世と自らが粛清されるのを防がんとす安禄山。この二つの争いに重税などで不平不満が高まった民草の怒りが合わさった結果が、後の天下大乱に繋がったのである。

 

 そういった経緯であるため、当然民意は楊氏よりも安禄山に向いた。

 そんな状況で天子の下に楊氏躍動の切っ掛けである楊貴妃が侍るなど許される筈もなく、天子を守るはずの兵士たちの不満は、そのまま都を脱することとなった切っ掛けの楊貴妃に向けられる。

 

「──都を辛くも安禄山の剣から逃れることの出来た唐明皇に迫られたのは、楊貴妃を殺せとの民の声。自らの生命も懸かる場面で、社会的地位か個人の情愛かの選択を迫られ、ついに唐明皇は苦渋の果てに前者を取って楊貴妃処刑の命を下した」

 

 正に悲劇。唐明皇は自らが最愛の妻を、自らの命で殺すこととなったのだ。

 晩年、唐明皇はその後悔を多くの詩に残して嘆いたという。

 そのため歴史における楊貴妃は悲劇の美女として語られるが──。

 

「だが楊貴妃亡き後の唐明皇には一つの後談がある。唐明皇──玄宗は死に至る直前、方士の使う方術を頼って亡き楊貴妃の魂を呼び寄せようとしたという一節だ」

 

 これは後世に残る『長恨歌伝』『長恨歌』『楊太真外伝』のいずれの詩においても終盤にかけて詠われる、詩の最後を彩る最も迫力をある描写だが、いずれの詩のおいても「いつかの再開」と「永遠の契り」を描写して終わるのみで、あくまで生者と死者の垣根は越えられないまま話は終わる。

 

 しかし──感動を謳う詩と違い、人間は綺麗ごとでは納得できなかったのだろう。

 『もしも』を成すための手段がある。

 現実には魔術や神々が存在しており、術の限りを尽くせば最愛の人に出会うことが出来る──。

 

 ……そんな甘言に耐え得るものが果たしてどれだけいるだろうか。

 その結果こそ、史実に在り得ざる眼前の分岐。

 

「……唐明皇は懸けたのだろう。方術師の成す仙境の奇跡に。何処の者が口を滑らしたのかは知らぬが語ったのだろう。神々をも呼び寄せる秘術に。斯くして数多の犠牲を払う術式は実行され、楊貴妃ならざるお前がこの世に招かれた。そう──同じ美妃の逸話と傾国の名を持ち、神霊仙女の相を持つまつろわぬ神……白面金毛九尾の狐!」

 

 二人の神殺しが語る事のあらまし。

 それを聞き届けた玉藻前──白面金毛九尾は艶やかに笑う。

 その願いを慈しむように、或いは、嘲笑うかのように。

 

「ふふふ、その通りや。(うち)ら天子様に会いたいと呼ばれたまつろわぬ神。玉真公主なる坤道に呼ばれた仙弧や。現世に目覚めて早々、楊貴妃に会いたい会いたい言われたから会わせたるって叶えたんよ」

 

「化けた、の間違いだろう」

 

「目に見えるもんが真実言うやろ? だったら中身なんてどぉでもよろしやろ。ああ、でも安部はん時みたく余計な言葉聞いて迷うのも可哀想やったから代わりに一つ、条件を出したったわぁ」

 

「……その条件とは?」

 

 視線を一層鋭くさせる怜志に対して薄笑いで受け流すと、白面金毛九尾はもう一人の神殺し……羅濠に対して意味深な流し目を送る。

 

「その辺についてはそちらさんの方が詳しんでない? それを確かめるためにこの国を回っとんたんやろ? 姐さん」

 

「貴女に姐さん呼ばわりされる謂れはありません妖狐。……此処、嵩山に限らずこの国から魔道を通じている筈の使い手が全て消えていました。方士も道姑も風水師も存在していなかった。民に言うところに曰く、いずれの使い手も狐に攫われるか、羽林軍に都に連れ去られるかして姿を眩ませたとのことです。全て──貴女の目論みですね、妖狐」

 

「全て喰らった、というのはやはりそういうことでしたか」

 

 怜志が正眼に刀を構え、羅濠が両の拳を身構える。

 弱き者に代わり義がために立つ。

 強き者としての誇りがために立つ。

 双方の戦う理由は異なれど、此処に目的は一致する。

 

 白面金毛九尾(アレ)を討つ。

 

 神体すら慄く凄まじい戦意を受けて、妖狐はその口元を三日月に歪めた。

 それは全てを堕落させ、弄び、滅びと破滅を呼び込む、悪女のような笑みだった。

 

「威勢がよろしゅうなぁ……(うち)らは荒事は苦手やいうのに。けれど──ええよぉ……そないに求めるなら、まとめてみぃんな相手をしてあげるさかい」

 

 準備を整えたというならば、それは白面金毛九尾も同じこと。

 蓄えた巨万の財は遂に天井に至り、軍神より宝具も奪った。

 今や狐の尾は帝国全土に張り巡らされ、傾国の美を前に陥落したのだ。

 

 だが我が欲望に果てはなく、我が悦楽に果てはない。

 たかが国一つ、収めたところで満足には程遠く、得れば次を望むのは当然のこと。

 獣共を喰らい、三千世界をも我が身に飲み干す。

 まつろわぬ獣性は、その本能に抗えない。

 

 玉藻前という皮を庇った一尾が消える。元より本体から写した影のようなもの。

 羅濠の一撃を前にして実態をついに保てなくなったのだ。

 しかしそれでも響き渡る声に宿る威厳に一切の動揺はない。

 

 超然と、構える神殺したちを挑発するようにして狐は意志を言い残す。

 

「長安に来ぃや。そこで全員──喰ろうてやろう(・・・・・・・)

 

 最後の言葉にもはや偽りの色は欠片もなく。

 超越者としての恐るべき宣告があった。

 

 ──されど受ける側の闘志に霞みはない。

 当然である。其は王者、其は覇者。

 人の身のまま神々の命を喰らい、その力を我がものとする地上最強の戦士。

 神殺し(カンピオーネ)なればこそ。

 

 神の宣告──それに対して威風堂々と言い返す。

 

「上等だ鬼畜外道。義は我に在り。その悪事、我が一刀を以て斬り捨てる」

 

「いいでしょう、武林の至極を喰らうというその言葉。それが蛮勇であることを我が拳を以て示しましょう」

 

 挑戦を叫ぶ神殺しの言葉。その返答は無く、代わりに全てを嘲笑うような笑い声が風となり、神威の気配は消えていった。

 

 

………

………………

…………………………。

 

 

 白面金毛九尾が去った後を睨みつけること数瞬。

 気配が完全にこの地から消えたことを確信した後、怜志と羅濠は同時に武器を収めていた。

 

「気配が飛んで消えていきましたね。方角からして恐らく向かった先は狐の言葉通り」

 

「長安でしょうね。唐代の大帝国の中心。そこがアレの根城とみて間違いないでしょう」

 

「今すぐ追いますか。術の類は不得手ですが、早駆けを得意とする駿馬は在ります。貴女のような瞬間移動の境地とはいかずとも追う足には不足していませんが……」

 

「ほう、倭国の王は馬術をも修めますか。戦場に在って人馬一体となり、恐れずして駆け抜けることは正しく勇猛なりし将の証明。如何ほどのモノかこの目に測ることも吝かではありませんが、今は止しましょう」

 

「その心は?」

 

「去りし敵は我らがこの地に訪れるより前から準備を整えし妖狐仙。ならば去る影を追うのは拍手と見ました。攻め込む我らだからこそ主導権はあるのです。安易に誘いに応じ、我らに攻めさせる(・・・)ことを許してはなりません」

 

「攻守の問題ですね。自分たちから攻めるのと、相手に攻めさせられるのとでは全く違うものとなってくる。であればあちらの戦場に飛び込むのではなく、我らが戦場を作らなければならない。そういうことですね」

 

「ええ。その通りです。……ふふ、些か前がかりなのは若きゆえの未熟として。戦地にあって精神(こころ)思考(あたま)を切り離す心構えは見事。既に一角の戦士として不足はないということですか、天国王」

 

「恐縮です。ですが、武に傾き過ぎるがために妖術で手玉に取られるようではまだまだ未熟。宝具を盗られる失態を招いた挙句、助太刀に援けられるようでは道の至極は程遠い」

 

「それが分かっているだけでも十二分。希求の道は果てしないもの。未熟な己を許さずして道の果てを目指すことこそ窮極に至るための心得です。ゆめ、忘れないように」

 

「先達の至言、胸に刻みます」

 

 恐るべきほど淀みなく流暢に流れる会話。

 同じ武人、同じ神殺しとして怜志と羅濠の二人はあまりにも息があっていた。

 仮にこれが二人と似た属性(カテゴリ)のサルバトーレ・ドニではこうはいくまい。

 

 剣の道を追求するという怜志と似た動機で突き進むドニだが、怜志と比べてその言動は些か遊びが過ぎるもの。威厳もへったくれもないあちらではきっと羅濠は此処までの評価はするまい。

 怜志と羅濠が噛み合っているのは、ひとえに怜志が先達に対する礼や敬意を向ける一方で、対等であることを譲らぬままに振舞うからであろう。

 何もかもを先の者に追従するようでは阿諛追従の輩と変わらない、そして羅濠はそういった輩を非常に嫌っているのである。

 

 つまるところ羅濠教主とのコミュニケーションにおいて大切なのは「羅濠が不愉快に思わない程度に持ち上げつつ、きっちり自我を通す強さを見せること」だ。

 内弟子が毎度頭を抱える程度には面倒くさい御仁なのである。

 それを知らずして完璧な対応を見せる怜志の振る舞いは、言葉のたびに鉄拳制裁を受けている内弟子が見れば我が心の師と崇めるぐらいには素晴らしかった。

 

 ──などと、当人が知れば勘気を免れない余談はともかく。

 二人は今後を見据えた会話を続ける。

 

「──では態勢を整えた後、挑む方針で当たりましょうか。こちらはこのまま嵩山の麓にて戦に備えますが教主殿は? 妖狐の言動からして平時は廬山に陣を構えているようですが」

 

「一度廬山に戻りますが……当代の弟子に留守を任せた後、わたくしもこちらで用意を済ませましょう」

 

「よろしいので?」

 

「ええ、敵を同じくするならば此処は呉越同舟としましょう。そちらは民草の願いを背負って立つ義信の将として、わたくしは我が領域を騒動せしめる害獣に誅を下すため。それぞれに立つ動機は異なれど、首級を争う仲でないのならば一時に手を組むのも戦場の習いでしょう」

 

「ありがたい。……実のところ、事ここに至って敵の詳細は突き止めたものの、我が身の不明については分からないところも大きい。特にこの時代に流された部分は魔道に浅い自分では答えが出せませんでした。可能であれば先達たる貴女の智慧をお借りしたいところでしたので」

 

「成程。倭国の王が如何にしてこの時代に紛れているのかと疑問を持っていましたが、他意によって成された事柄でしたか。……良いでしょう。まずは共に胸襟を開き、互いの事情を検めることにしましょう」

 

「恐縮です」

 

 今後の方針が決まるや否や羅濠が怜志に背中を向ける。

 廬山に一度戻れるためだろう。

 去り際、羅濠は怜志の方へと振り向いくと、

 

「では暫し、戦列を離れます。倭国の王よ、我が身が戻るまでの一時、我らが共にするに相応しい戦陣の用意を任せました」

 

「分かりました。戦場とあっては豪勢な宮が如きは用意できずとも、戦王が同在するに相応しい場を用意しましょう」

 

 さらっと『王として相応しい住屋』という無茶振りを求められた怜志だが、その無茶振りにも躊躇い無く怜志は応じた。脳裏に描くは嵩山の麓で見かけた大きな楼閣。アレが使えると思い浮かべる。

 使われなくなったがためか少し老朽が進んでいたが、幸いなことに怜志は陣地構築にも通じる創作系(クリエイト)の魔術師だ。戦闘には使えずともこういった場面での魔術は相応以上の領域にあった。

 なので羅濠が満足するような改築改良(ビフォーアフター)匠の技(まじゅつ)を使えば容易だった。

 

 ……気のせいか、何処かで「心の師(せんせい)よ!」と叫ぶ少年の声がした。

 

「ん? 何か聞こえた気が……まあいい。俺も戻るか。町民に事情を伝える必要もある」

 

 怜志もまた、去った羅濠を同じく踵を返して陣営に戻る。

 神魔集う、天下大乱。

 眼前に迫る大戦の気配を感じながら、怜志は帰路へ着いた。

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