まだまだエタらないぞ、私は……!
「いやー、正直助かったよ。行商人たちとは逸れるし、野営をしようにも周りに水場は見当たらないし、妖狐には襲われるしでどうしようかと思ってたんだ」
「困っている者を助けるのは当然のことだ。気にしなくてよい」
怜志が同時代の神殺しとの邂逅を得ている頃、恵那の方はといえば現地で知り合った
何でも恵那が右も左も分からない迷い人だと話したところ、なんと彼と同じ客将として安禄山に口利きをしてくれるとのこと。
曰く──色々と『恰幅の良い相手』とのことで大型の妖狐相手にアレだけ戦えるのなら優れた将を集めている安碌山のお眼鏡に叶うだろうとのことらしい。
「……にしても安禄山さんが兵を集めてるってことは、やっぱり今の皇帝に思うところがある感じ?」
──余談ではあるが、怜志と同じく歴史ある名家の生まれである恵那もまた当然のように中華史については通じている。
そのため、少年から聞いた大雑把な時勢と名称だけである程度の状況は把握していた。
なので安禄山殿が各方から優れた人材を集めているという話を聞いて直ぐに、彼が事実上の唐帝国崩壊の切っ掛けとなった『安禄山の乱』、或いは『安史の乱』始まりの予兆を嗅ぎ取ったのである。
恵那の予想は果たして、その言葉を肯定するように
「ああ。夢中に囚われた天子を救うため、そして楊貴妃を語る妖狐を倒すためと、自身の立場を置いて敵味方区別せず、国のために戦える人々を集めているところだ」
……但し、その
「へ? 皇帝を救う? 楊貴妃を語る妖狐? ……どゆこと?」
「ん、そうか。君は外の国から訪れた巫女であったな。なら、この国を取り巻く異常について知らないのは当然か」
恵那の反応は、自身の知る歴史と全く違う歴史を知らされたからなのであるが、それを異国出身であるからの無知と解釈したらしい少年は簡単に直近の歴史を語り始める。
「もう半月も前の事になるそうなんだが、将軍殿──安禄山殿は気づけば
「蘇った……? ってことはもしかして」
「ああ。他ならぬ将軍殿本人が言っていたよ。天子に取り入って圧政を敷く楊氏ら一派を断罪するために、自分は一度兵を興し、天下を握り、その絶頂の果てに最後は息子らの不信と裏切りあって死んだとな」
「やっぱり……じゃあ乱はもう起こって、今は収束した後の時代なんだね」
つまりは『安禄山の乱』後の唐代。本来であれば安禄山の死をきっかけに盛り返した官軍が一度は奪取された長安を取り戻し、その権力を再興した時代と言うわけだ。
国破れて山河あり。
亡国の憂いを読んだ詩人の名句の通り、既に華の唐代は失墜したのである。
……だが、そうなると辻褄が合わない点が幾つも発生する。
安禄山が今も存命であるというのもそうだが、一度権威を失墜させた玄宗は半ば軟禁状態に置かれ、失意のうちにその命を終わらせるはずだ。
そしてその失意の理由には最愛の妻である楊貴妃の死も含まれている。
実権も情愛も何もかもを失った玄宗はもはや天子と崇められる地位にいなかったはずだ。
「安禄山は存命で時勢は乱の前夜みたいになってて……これじゃあ、まるで戻されたみたいに──」
言いかけて、ハッと恵那は気づいた。
そう──安禄山の存命のみならず、天子健在の状況。
時勢が乱以前のようであるならば一つの可能性が成立する。
あまりにも奇天烈かつ常識外も甚だしい事態。
即ちは。
「ふ、聡いな巫女殿。君の想像の通りだ。この時代、今の時勢は曰く、帝国衰退に至るまでの歴史──その全てがリセットされ、栄華を誇る唐帝国の全盛期に引き戻された時代──あり得ざる二度目の現実ということだ」
「なっ……!」
神殺しに侍る巫女として常識外の出来事に慣れている恵那ですら思わず絶句する。
……一つの歴史をやり直す。
イフの筋書きは歴史小説の浪漫だが、それを現実に起こすとなると話は変わる。
斯様な奇跡、斯様な異常を引き起こすなど、それこそ文字通りの神業だろう。
とてもではないが人に起こせる技ではない。
ならばこそ──考えられる原因は明白だ。
人の目論見では至らない奇跡なら、それは神の仕業に他ならず。
この唐代には、まつろわぬ神が君臨している──。
確信へと至って黙り込む恵那に、
「……驚くのは無理もないだろう。歴史をやり直すなど記憶の怪しい私からしても常識外れであることは分かる。だが、それを成すことが出来る者が帝都にはいるのだ。そう──それこそが各地で頻出する妖狐共の首魁にして楊貴妃を語れる狐の神、名を『白面金毛九尾の狐』というらしい」
「高井蘭山の方の呼び名……ってことは妖怪の方かな」
「む、なんだ? 聞き覚えがある神の名であったのか?」
「まあ、そんなところかな」
九尾の狐──というモノ自体は一般には中国神話として扱われる『山海経』などに登場する概念であるが、白面金毛九尾の狐という呼び名は『絵本三国妖婦伝』に代表される呼び名であり、即ちは日本の江戸時代に活躍した戯作家の高井蘭山の創作に代表されるものである。
初期の中国の王朝史の多くで瑞獣として九尾の狐が扱われるのに対し、後世の信仰変異が影響したのちに創られた高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』は九尾の狐は白面金毛九尾の狐と呼ばれ、明確に害獣とされている。
白面金毛九尾の狐は妲己、褒姒、華陽夫人、若藻、玉藻前と歴史上に登場する様々な美妃や美女に化けて人々を篭絡し、堕落させてきた存在であると。
「でも、どうして楊貴妃の振りを白面金毛九尾の狐がしているなんて状況になってるんだろう。普通、まつろわぬ神ならもっとこう、名を隠すことはあっても偽るなんてことしないような感じがするのに」
「それは妖狐を呼び出したのが天子殿ご本人であるからだろうな」
「え? 天子って……今の皇帝様が?」
「うむ。今言ったまつろわぬ神? だったか? なんでも方士や道士たちの間にはそれを意図的に呼び出す術理があるらしい。晩年の天子殿はそれを用いて死した妃殿に一目見えようと一計を案じたようだが、結果的には狐が化けて出たらしいな。しかも、あろうことか呼び出された狐は天子殿を弄し、この国で方術に通じる術師たちを悉く呼び集め、殺害せしめたそうだ」
「まつろわぬ神招来の儀──ヴォバン侯爵が行おうとした儀式を国単位で行ったんだ……」
「ほう、アイーシャ殿と似たようなことを言うのだな巫女よ」
かつて恵那の顔馴染みである祐理をも巻き込んで、バルカン半島を中心に活動する魔王の企てた計画。本来であれば自然災害のように因果なくして発生するまつろわぬ神を、人の意図によって地上に呼び出す禁呪の儀式、まつろわぬ神招来の儀。
元々、あの術は古来から優れた術師の間で口伝のように伝わってきた術である。だとすれば古代中国にも似たような術式があることは不思議ではない。
事実、恵那以外にも同じような結論に至って口にした人物がいるそうだし──。
「……──ん、あれ? 今すっごく聞き捨てならないような話を聞いたような。えっと、
「
「アイーシャ! アイーシャ夫人! それってやっぱり前に甘粕さんが言ってた神殺しの……!」
この時代はともかく、恵那の時代において神殺しは怜志を含めて七名。
最古参級の魔王が三名。
近現代に入ってから誕生したのが四名。
先に挙げたバルカン半島のヴォバン侯爵、中国の深淵に潜むという羅濠教主、英国のアレクサンドル・ガスコインに、アメリカのジョン・プルートー・スミス。
そして最新の魔王であるイタリアのサルバトーレ・ドニと日本の天国怜志。
この六名は神殺しの中でも有名な部類であるが、その中に一人だけ……ヴォバン侯爵や羅濠教主と同じく百年以上を過ごしただろう最古参の神殺しの部類でありながら謎めいた人物がいる。
それこそがアイーシャ夫人。『妖しき洞窟の女王』とも謳われる正体不明の魔王である。
隠棲気質の羅濠教主でさえ、
現代に存在する神殺しの中で最も
そんな相手の名をよもや時間旅行の先で聞くことになろうとは……!
「恵那や怜志みたいに、変な『穴』に迷い込んでこっちに来ちゃったのかな……」
「ん? それはアイーシャ殿のことか? アイーシャ殿が迷い人などと言う話は聞いたことがないが、いやそもそもあの方は元々宮廷に仕える使用人だったとの話だぞ」
「へ? 宮廷? 使用人? ……か、神殺しの王様が?」
「ああ。なんでも旅行の最中に路銭が底をついたため、偶々空いてた宮廷の下女の役に付いてたとのことだ。そんな折、『やり直し』で蘇ったという将軍殿と楊貴妃殿に化けた妖狐との討議の場に居合わせたらしく、あわや命を奪われそうになった将軍殿が一命を救われ、城にまで逃れられたのはアイーシャ殿のお陰だとかなんとか」
「えー……」
思わぬ存在が騒動に巻き込まれるどころか、騒動の渦中の中心に居合わせたという事実に恵那は驚きを通り越して呆れたような感嘆を漏らす。
神殺しとは悉くが騒動に愛された乱世の相の持ち主であるが、よもやその属性が時代を跨いでこれほど大掛かりに発生させるとは。感心するべきなのか、嘆くべきなのか迷うところである。
「ああでも怜志も似たようなところあるしなー。怜志の場合は受け身だけど、大義名分があれば嬉々として突撃するし……」
そう考えれば怜志との合流は案外簡単に叶うのかもしれない。
歴史規模で異変を起こしたまつろわぬ神に、時代を超えて騒動に巻き込まれている神殺し。
この二つが既にあって、外様のまま終わるなんてとても考えられない。
きっとどのような経緯かはともかく、この件には必ず怜志も首を突っ込んでくるだろう。
それこそ国を牛耳る傾国の悪女を討つだとかなんとかの大義名分を掲げて。
義は我に在りと言うに違いない。
「うん。そう考えると、案外客将って立場も都合が良いかも!
「そうだな。……将軍殿はかつて天子を駆り立てる過程で計らずも虐殺や略奪に手を染めたこともあるという。その罪滅ぼしというわけではないが、妖狐の搾取に苦しむ人々が在る以上、これを討伐すべしと考えているそうだ」
「そっか。じゃあ恵那も取りあえず今はそれに協力するよ。その方が恵那の目的も果たせそうだしね。そのためにはまずは将軍様に認められないとだね」
「君ならきっと大丈夫だろう──っと、見えて来たな」
隣を歩いていた少年の視線が先を向く。
その視線を追って恵那もまた道先に目を凝らすと眼前に街と城を見た。
石の城塁に囲まれた城を中心にして発展しているだろう街並み。
街と城が一体となった城塞都市の様相は日本と似て非なる異国情緒があった。
「さて、改めて紹介しよう。此処が范陽。平盧、河東と他二つを含めて支配する将軍殿が君臨する街である。そしてその中心にあるあの城こそが、その将軍殿が住まう雄武城だ」
かつて天下大乱に伴い、安禄山が備えたという雄武城。此処より帝国を崩壊させることとなる十五万の兵は出撃し、僅か七日にして長安にまで達したのだ。
そして今はは神を討つべくして再び天下を取るべくして備えられた反逆者の城である。
まつろわぬ神に抗する者たちの最前線基地。
恵那もまた騒動の最中へと一歩踏み出したのであった。