「──皆さん、早く外へ!」
獣の遠吠えと断続的に続く破壊音。
鳴動する山荘から脱出する少女たちを叱咤するように祐理の声は響く。
自身もこの状況に恐怖を抱いているだろうに、それを欠片も匂わせず気丈に振舞えるのは正に彼女の精神的な強さを証明していた。
遅れる者を鼓舞し、不安に崩れ落ちる者を立ち上がらせ、立ち尽くす者を支え、魔王の城から逃亡を促し先導する彼女の姿は地獄に降臨した聖女の如く。
少女たちにとって今や彼女の存在そのものが精神的な支えであった。
誰からともなく自然に
「……大したものだな」
「いえ、私も必死なだけですから」
リリアナの呟きに謙遜で返す祐理。
息をするような謙遜はリリアナが抱く日本人らしい美徳だった。
──咄嗟に旧知の間柄にして因縁の好敵手である幼馴染を思う。
周囲を先導するかの如き振る舞いはあちらも同じだが、性質は真逆だ。
幼馴染のそれは、一種の傲慢な自信と確かな実力に基づく、獅子のような強烈な求心力だが、祐理は逆に力はなくとも逆境において尚、揺れない精神力と相手を慮る優しさによる周囲が頼りたくなるような精神的な強さに基づくもの。
どちらが優れているというわけではないが、幼馴染にしろ祐理にしろ、先天的に人の心を集める資質に長けている。
その、自分にはない美点にリリアナは少しだけ羨望を抱き、同時に自身のやるべき仕事を改めて自覚する。
この場において、希望は彼女だ。彼女が折れればその衝撃は周りの少女たちにも伝播する。故に、騎士として、祐理の身を何としても守らねば──。
「リリアナさん?」
「む、ああ、すまない。少し考え事をしていた」
知らず祐理を見つめていたせいだろう。
困ったように首を傾げる祐理に、リリアナは首を軽く振って応じる。
「ともあれ、山荘からは何とか無事に出れそうだな」
「そうですね、あの方が侯爵を足止めしてくださっているようですから。……あのリリアナさん。あの人……天国さんは」
「ああ。侯爵と同じ神殺しだろう。それは間違いない」
言外の疑問にリリアナは頷く。
──
「我々とそこまで年が離れていないようだが、それ自体は別に珍しくはない。例えば、イギリスのアレク王子なども十代で神殺しになったというし、侯爵もまた若き時分に初めて神を殺したというからな」
神殺しの発生原理は未だに多くの部分が不明だが、長年に及び存在そのものが災厄じみた彼ら彼女らと接してきたことで人類にもそれなりの知見が積もっている。
年齢や経験、生来的な異能の有無──神殺しとなるものにそういった部分はさほどに必要ないのだ。
その資質において何より重要なのは勝つべき時に天運を必ず掴み取って見せる勝利への飽くなき我執。万が一、億が一に等しい神を殺すという偉業を、運命を、自ら掴み取って見せるその勝負勘ともいうべきものを持った者──そういったものが神殺しへと至るのだ。
「とはいえ、貴女と同じ日本に神殺しが生まれていたとは初めて聞いたが、察するに貴女も知らなかったのだろう、万里谷祐理」
「そうですね、委員会の方からもそのようなお話は聞いたことがありません。ただ恵那さんなら何か知っていたかもしれません。ご友人だそうなので……」
「ふむ、貴女と同じ同郷の巫女殿か」
「はい。私とは立場の異なる人ですが、縁あって家ぐるみで良くしてくださっています。以前の折、恵那さんの刀稽古の好敵手を務めているのと『太刀』の手入れを依頼していると恵那さん自身から聞いたことがあります」
「刀稽古、太刀──そういえば
「有名、かどうかは私も……刀匠の類は専門外ですから……ただ──
「というと?」
「人から聞いたお話になりますけど──」
リリアナの疑問に祐理は以前、『委員会』に所属する男性──甘粕冬馬からの伝聞を記憶に思い返す。
真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ
真金吹く吉備の中山霞みけん煙も雲も晴るるともなし
「古今和歌集」の書された頃より日本刀というものは武の
その中で多くの名匠、多くの名刀が生まれて来たものの、その歴史の中でも特異ともいえる名前が存在している。
その名は
歴史的な存在というよりは伝説に等しいため、個人か一族かはたまた襲名かすらも分からないモノの、歴史の節々にその名は確かに語り継がれ、大正時代の幾月かの議論を経て尚、虚名にならなかったことからも史上に抹殺できぬ名であったことは歴然だろう。
そして天国とは何もただ刀工の祖であるだけではない。
彼、ないし彼らが成した日本史において最も重要な事柄がもう一つ。
それこそが──。
「
日本における呪術的なあらゆる分野を管理する『委員会』すら、詳細を掴み切れないという『神代鍛冶』。それこそが天国の名が成す意味である。
「……神の力を人の身で? そんなことが、それはまるで……」
「はい。天国は神殺しであったのでは、と委員会でも議論されたことがあるそうです。ですが、結局それを肯定する確たる証拠も、証明も発見できず……そもそも未だ天国が存在するかどうかさえ不明であると甘粕さんは仰っていました」
「それが神殺しとして現れた、か」
祐理の話を聞いてリリアナは暫し考え込む。
思えば確かに、あの少年は刀を得物としていた。
それも尋常ならざる業物だった。相応の腕があるとはいえ、ヴォバン侯爵の従える神獣を一蹴して見せるほどの凄まじい業物。
成程、神殺しの持つ権能に等しい
だが──アレは権能というよりも──。
「──いや、力の源泉はともかく、あの方が神殺しであることには変わりないか」
アレが
一旦、分かる事実だけに割り切って、リリアナは納得した。
「気になる話だが、今に追求する話題ではなかったな。取りあえず、今は頭の片隅に入れておくに留めよう。教えてくれて感謝する万里谷祐理」
「い、いいえ、そんな……私も大したことを知らなくて……」
「そんなことはない。十分に参考になった……それと、すまなかったな」
「え──?」
唐突な謝罪に祐理が目を丸くする。
リリアナは少しだけ顔を伏せながら続けた。
「私は……騎士だ。《青銅黒十字》に属するものとして王に仕えるのは当然のことではあるが、それ以前に、力なき人々を守る騎士でもある。……本来であれば、あのお方の存在に問わず、貴女たちのようなものを守ることこそ、騎士の本懐だというのに、私は……」
「リリアナさん……」
ずっと胸に抱えていたのだろう懊悩を口にするリリアナに思わず、何を言えばいいのか分からず口を噤む祐理。
西洋の呪術界の流儀、《青銅黒十字》における身分、祐理とリリアナでは立場も役目も違うだろう。本心はどうあれ、彼女には彼女なりの暴君に従う理由と道理があったはずだ。その上で……それでも納得していなかった事実こそ、誇りの証明。
誇り高き騎士であるが故に、無力のまま祐理含む少女たちを生贄にしようと試みる企てに助力したことに眼前の少女は懊悩し、苦悩しているのだ。
少しだけ逡巡したのち、ふっと祐理は柔らかく微笑んだ。
「いいえ。リリアナさんは私たちを守ってくださっていますよ。今もずっと」
「それは……あの方が、侯爵の前に立ってくれたからで……」
「それでも。あの場で侯爵に従う立場は変わりませんでした。その上で、貴方はその立場を捨てて私たちを助けてくださいました。だから、ありがとうございます。リリアナさん。貴女のお陰で、私たちは今も無事なのです」
「万里谷祐理……」
その言葉にリリアナは思わず、目を見張り──次瞬、思いっきり自分の両頬を両手で叩いた。
「り、リリアナさん……?」
「すまない。情けない仕草を見せた。こんな様、エリカに見られたら何を言われるか」
慙愧はそれで捨てた。リリアナは今やるべきことを明瞭に自覚する。
遅れは取ったが、まだ巻き返せる。
今度こそ、騎士として成すべきことを成すのだ。
「王命もある、貴女たちの無事は必ず私が守って見せる。今は早く山荘を出るとしよう」
「はい。そうですね」
頷き合い、彼女たちは足早に出口へ向かう。
──ほどなくして、彼女たちは山荘から離脱した。
☆
吹きすさぶ嵐の夜だった。
曇天はいよいよ大ぶりの雨を降らし、黒雲には絶え間なく光が瞬き、轟音と衝撃を響き渡らせている。立っているのも危うい暴風雨の中、少女たちは息を切らせながらも一人の脱落者を出すこともなく山荘から脱出していた。
「ッ……何とも凄まじい、この嵐、間違いなく……!」
「侯爵の持つ、嵐の権能……ですね……!」
『
侯爵の感情の高ぶりに応じて災害規模の自然現象をまき散らす、恐るべき御業である。
これほどの規模で嵐の権能が駆動している理由はまず間違いなく──。
「戦闘経験ではヴォバン侯爵が圧倒しているはずだが……流石は神殺しというべきか」
この様子を見るに瞬殺、圧殺の類には至らなかったのだろう。
……どころか、恐らくは拮抗状態。
あの若き神殺しは老練な神殺しを真っ向相手に未だ構えているのだ。
「天国さんは大丈夫でしょうか?」
「分からない。だが、この様子を見るに──ッ! 万里谷祐理! 全員、伏せろ!」
「え────」
言葉の直後、何かを察したかのようにリリアナは周囲に檄を飛ばし、身近な祐理を組み倒して伏せる。突然の出来事に祐理は呆然と成されるがままにされ──刹那、凄まじい轟音と衝撃を伴って、白い極光が柱のように曇天の空を突く。
「きゃああああああああああ!?」
「くっ……これは────ッ!!」
先ほどまで自身らが在った山荘──それが微塵となって消し飛んでいく。白い光は山荘の悉くを巻き込み、瓦礫も残らぬほどの驚異的な破壊で以て、魔王の城を粉砕した。
……不意に、光の中に影が過る。
人間を優に上回る数十メートルほどの巨大な影は光を抜け出し、空中で半回転しながら四肢で以て地面に着地する。
ずぅん、と地すべりにも似た轟音を上げながら巨影──狼と化したヴォバンは嵐の夜を背景に、光を抜き出て大地に降り立つ。
一拍遅れて光の中より奔る一条の光跡。駆け抜ける流星を思わせるそれはヴォバンの真正面に飛来し、相対する。
空靴を鳴らすような四足の歩音。その背に鎧武者を乗せながら白馬と騎手──天国怜志が舞い降りる。
『く、くく……!』
「────」
脳に直接響く様な嗤い声。無言で、怜志は睨み続ける。
『クハハハハハハハハハ!! いや、驚いたぞ! よもや神殺しとなって幾ばくも無いだろう身に此処までこの私が追い詰められるとはな!! 前座と評したことを謝罪しよう! やるではないか貴様!!』
歓喜、高揚、悦楽。太古の魔王は無謀な挑戦者を讃えた。
若輩者と甘く見たが、結果はこの通り。
先の一撃は間違いなくヴォバンを屠りうる一撃だった。
死闘である。即ち闘争である。
ならば喜ばずには要られまい。
眼前の若輩者は間違いなく──ヴォバンの無聊を慰めうる強者ゆえに!
『レイジといったか。なるほど、大言壮語を吐くだけのことはある』
「お前──」
喜ぶヴォバンと対照的に若武者の顔は歪んでいた。
眉間に皺をよせ、歯ぎしりをし、憤っていた。
「躱したな──我が必殺の一撃を」
……獲物を仕留め損なう、など。
剣士として、刀匠として、これに勝る屈辱はない。
ひゅん、と刀を振る。
「次は殺す」
『面白い、やってみせろ!』
言うや否やどちらからともなく突撃、激突。
巨狼の爪を真正面から受けて返す若武者。
重量の乗った鋭い一撃を剛腕の一太刀で退ける。
“──何故取り逃した?”
──絶え間ない打ち合い、交錯の中で怜志は考える。
先の一太刀、必殺が逃した見落としを。
“災禍を治め、外道を帰服させる隋軍護法の太刀──如何な神殺しとてそう易々と俺の業から逃れられるはずもなし”
怜志がまつろわぬクベーラより簒奪せしめた権能。それはかの軍神が持つ九つの宝具。あらゆる敵に勝利するための武具と加護の数々である。
その中でも先に使った真剣は正しく止めの一撃に相応しい最強のもの。
軍神が持っていた勝利の加護──その具現である。
抜かば最後、どのような対象、どのような存在であれ、
それを躱したというのであれば、それは。
“足りなかった。勝因にたる条件が整っていなかったということか”
左右交互に絶え間なく襲い来る巨狼の爪を往なしつつ、怜志はチラリと空を睨む。
“嵐──曇天──暴風──俺の太刀が叩き切る寸前、山荘に入り込んだモノ”
死者の軍勢に、狼の軍団、それに加えてこの天候をもヴォバンの権能だったということだろう。ヴォバンは怜志の必殺の太刀が接触する寸前、恐らくこの暴風に乗じて、難を逃れたのだろう。
“多芸だな。伊達に最古参は名乗っていない。それにしても……”
『クハ、良く凌ぐ! だが、これはどうだ!!』
「む……馬!」
──ヒイイイイィィィィヒヒンンンンンン!
不意に行動パターンを変えるヴォバンに怜志は目を細め、手綱を引く。
騎手の意志に応じ、白馬は蹄を鳴らして大地を蹴り上げ、そのまま大気を蹴り飛ばしながら嵐の空へと駆け上る。
直後、大顎を開ける巨狼。その、何もかもを飲み込むような貪狼の口から光が迸る!
「
オオオオオオオオォォォォォォォォンンンンンンッッッ!!
白馬の直下を迸る雷撃。帯電しながら線上に中空を横切るそれは正しく雷のビームだ。
超電磁砲じみた勢いで伸びる雷撃は降りしきる雨を瞬く間に蒸発させ、勢いそのままに山荘背後に広がっていた山肌を容赦なく焦がしていく。
凄まじい威力だ。直撃すれば《鋼》の鎧であってもただでは済まないだろう。
「……大技だな。天候操作といい、死者の軍勢といい、狼といい、悉く大量破壊に長けている。気質を考えるに、成程、そちらの権能はそういう方向性か」
破壊の顛末を見送って、怜志はぼそりと口ずさむ。
未だ
権能の質だ。どうやら神々より奪い取ったこれは、神々の能力に加え、自身に適した形になって身に付くという。
まあある意味では当然だろう、奪っても使いこなせないのであれば話にならない。であれば、その神殺しに適した形で権能が身に付くのは当然のこと。そのため女神曰く、権能は神々の性質に加え、奪った神殺しの特性も併せ持つ代物になるという。
“……──女神? はて、俺の記憶に女の神と会話した記憶は甚だないが……?”
何処からともなく浮かび上がった知識に一瞬、困惑するがすぐに捨てる。
戦場で迷いはいらない。
歓喜、興奮、高揚──鋼を駆る愉しみと死を俯瞰する冷静さ。持ち込むべきはこれだけでいい。
“気質を見るに守りなどという猪口才な手段に走る輩でもなし。であれば、まともに当てれば次はない”
必要な考察だけ立てて怜志はすっと息を吐く。
「未だ勝利足り得ないのならば全ての隙間を埋めるまで──おん、べいしら、まんだや、そわか。
『ほう、達者な手数だ。次は
怜志が呪文と呪力を練り上げると同時、その瞳は曇りなき蒼天を思わせる蒼へと転ずる。その変化をヴォバンは即座に看破。軽く吼えると、間髪入れず、曇天から幾重もの雷撃が白馬を駆る怜志へと殺到する。
「馬!」
──ヒイイイイィィィィヒヒンンンンンン!
駆ける。怜志は手綱を引くと恐れることなく殺到する雷撃目掛け進軍。
直撃すれば丸焦げになるだろう壮絶な一撃を躱す、躱す、躱す、躱す、当たらない!
「フッ、ハァ──!」
光と見紛う、騎馬の性能も目を見張るが、それ以上に尋常ならざるは騎手の腕。
この最悪ともいえる悪天候の中にあって神業めいた進路取りは紙一重で死を躱し続ける。
大雨の余り霧の中にいるような計器気象状態に在って、である。
『千里眼──いや、未来視か!?』
「
『ハッ──成程! 道理だな!!』
怜志の返答に壮絶に笑うヴォバン。
そして嚙みあげるような所作で以て、その大顎を振り上げる。
謎のモーション。届かない距離、遥か地上での無意味な行動。
だが、怜志の瞳ははっきりととらえている。
巨狼の動きに応じて、鞭のように撓って迫る
「はいやッ!」
手綱を鳴らし、それも躱す。
石化、燃焼、呪い──外部に働きかける作用は持たずとも、熱を捉え、境界の境を見切り、未来さえも見通す軍神より奪った目利きは回避運動において絶対だ。
この目がある限り、雷が如く掛ける神速のトリックスター、《黒王子》さえも怜志は見切り落して見せよう。
「そして──」
視る──戦場を俯瞰する。
戦において情報は時に勝敗を左右するほどに凶悪な武器だ。
白刃に乗せる勝因が足りぬというならば、その因果を見切る。
かの狼王。最古の魔王を打ち崩すに足る、方程式を。
「────ハッ、道理で見かけないと思っていたら貴方は貴方で面白い道草をしていたか」
そうして怜志は見つけた。
崩れ去った山荘──その地下に広がる儀式場で、剣を構える魔剣士の姿を。
「見つけたぞ、勝利の鍵。ならば後はタイミングの問題か」
クッ──と思わず口元が弧を描く。
強者を攻略せんとする時ほど冴える頭の巡りはない。
勝つか負けるか、その瀬戸際で踊るときほど高揚する瞬間はない。
怜志は修羅のような笑みを浮かべながら、吼える。
「やはり戦は良い。さあ──今度こそその首を落としてやる、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン!!」
『抜かせ、小僧ォ!!』
手綱を鳴らし、刀を携え、巨狼目掛けて突進する若き神殺し。
恐れ知らずの挑戦者を迎え撃つ最古参の魔王。
斯くして両者はともに決着を付けるべく、最後の激突に移行した。