神々、君に背き奉る   作:アグナ

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下剋上

 それは伝説の一幕のような光景であった。

 

 大地を巻き上げ吹きすさぶ暴風、礫のように打ち付ける大雨。曇天には絶えず閃光が迸り、轟音とともに雷を落とし続ける。地を顧みれば、そこには悍ましい死者の群れと贄を欲し、涎を流して牙を剥く貪狼達。

 

 その、正しく悪夢に等しい跳梁跋扈に単騎で挑む一人の若武者。

 

「ハッ──」

 

 白刃が闇に煌めく。

 一閃、二閃、三閃と、刃が弧を描くたびに切り捨てられる死者と狼と暴風雷撃。

 人も獣も天災も、悉くをその刀は切り裂いた。

 止まらない。亡者の軍勢を一騎駆けの若武者は真正面から突破していく。

 

 敵中突破、猛然と駆け抜けていく姿は一筋の流星である。

 さながら古文書に語られる妖物魔物に立ち向かったという武者のように。

 天国怜志は眼前に魔王の身を見据え、その配下を鎧袖一触と突破する。

 

『暇つぶしのつもりであったが──ふふ、存外にやるではないか、小僧』

 

 手ずから天災を操り、今なお迫り続ける敵の姿を視界に収めながら不意に魔王が口を開く。声音には獰猛な喜悦が宿っている。

 

『この頃はこのヴォバンがやりがい(・・・・)を覚える相手なぞそれこそまつろわぬ神々ぐらいであった。人は私を畏れ従うのみ、同族の魔王も中国にいるあ奴を除けばヴォバンの宿敵足らぬものばかり──そう思っていたが』

 

 戦歴も然ることながら、同族の中でも突出した好戦気性を持ち合わせるヴォバンである。戦神ほどの戦力が相手でようやく勝負が成立する古参の魔王にとっては同族であれ、もはや同格足り得ず。

 かつて幾度となく競い戦った智慧の王亡き今、ヴォバンが挑み、挑まれる敵手など皆無であった。

 

 だが──。

 

『レイジといったか、神を殺して幾ばくも無いだろう身でこのヴォバンに抗するとはな!』

 

 同族である以上、格上相手であろうとも逃げ粘るのは当然であろうが、最古の魔王に真っ向挑んで抵抗して見せれるものなど現存する他の魔王内でもそうはいまい。

 

『──私の首を落とすと言ったな。いいだろう、面白い! 見事その言葉を実現して見せた暁には、貴様を敵として認識してやる、小僧!』

 

「それは重畳。お前のような輩がいると一々戦争理由にも困らないだろうさ」

 

 ヴォバンの言葉に応える怜志。

 ついに懐にまで迫った若武者は騎乗する白馬ごと、最古の魔王に躍りかかった。

 

「せああああああ!」

 

『ぬぅん!』

 

 巨狼の剛腕と武者の刀が衝突する。

 金切声のような音を鳴らし、火花を散らす巨爪と刀。

 重量、威力、衝撃──上回るのは常に前者だ。

 

 当然だろう。巨狼と化したヴォバンの身体性能は怜志のそれを大きく突き放している。体格差も筋量も、総合値においてヴォバンが圧倒的に上だ。剛力無双の権能を保有しない怜志にとって、その一撃一撃は細腕で隕石の衝撃を受け止めるに等しい無謀であるはずだ。

 

 だというのに衝撃は繰り返される、衝突は重ねられる。

 一振りに薙ぎ払われ、押しつぶされる筈の小兵は魔狼の一撃に抵抗を続けている。

 

『やるではないか!』

 

 理由は何てことない。単に上回る剛力を受け流して見せるほどに怜志の技量が高いというだけだ。刀という得物を自分の手足のように手繰るほど熟知する怜志は巨爪を刃の芯で受け止めながら、その衝撃と威力の負荷で刃が軋みを上げるより先に微細な手首の調節だけでかかる負荷を完全に受け流す。

 隕石の落下にも等しい剛力を殺しきる異形の術理。

 神域に踏み入った武の極致が、そこに在った。

 

「力任せで押しつぶされるほど軟ではない。温いぞ老王。獣の流儀はその程度か?」

 

『吠えたな……ならば試してみるか? 我が流儀に貴様がどれほどまで付き合い切れるかをッ!』

 

「む……これは──」

 

 ヴォバンが言うや否や只でさえ十数メートルを超える魔狼の肉体がさらに膨張する。

 地に落ちる巨大な黒。

 今や数百を超える死者と狼の群れ……それをも覆い隠す黒い巨影。

 

 大巨狼と化したヴォバンが怜志の前に聳え立つ。

 

「まだ大きく、そして強靭(つよ)くなるか!」

 

『さあ──その小手先の術理で何処まで耐えられる!?』

 

 見せつけるように振り上げた巨腕を怜志目掛けて振り下ろす。まるで子ネズミを狩る猫のような児戯に満ちた一撃。

 されど見た目に反し、俊敏性をそのままに繰り出された一撃は一目見て明らかなほどに剣術や技のどうこうで対応できるものではなかった。

 人の身ではどうしようもない圧倒的な暴力。理不尽を形どった大災害。

 百戦錬磨の達人ですら、絶望するであろう絶景を前に──しかし怜志は笑った。

 

「成程──これが魔王……!」

 

 剛力無双の英傑をそれ以上の力で以て叩き伏せ、賢者の策謀を圧倒的な地力で振り切り、勇者の黒い王威で跳ね飛ばす。問答無用で敵手に絶望と諦念を押し付ける覇者の在り様。

 理性と直感が訴えかける──逃げろ、引け、アレには敵わないと。

 

 そしてそれ故に本能が吼える──挑め、戦え。人外に組する覇者足り得るからこそ、その首には価値が宿る。勝利は美酒足り得る。

 

「ふぅぅぅ──心に物なき時は心広く体泰なり(カルヴァ・ナヴァニディ)

 

 軽く吐息を漏らし、荒ぶる心を止水し、瞑想するように練気する。

 引き延ばされる刹那。

 永遠を思わせる一秒。

 その中で怜志は自己の呪力を極限まで研ぎ澄ませていく。

 

 無謀? 無茶? 否、だからこそ燃えるのだ。

 必敗必死の局面を覆してこそ阿修羅の業。

 死地を駆け抜けることこそ士の本懐。

 畢竟──絶体絶命など日常茶飯事、超えることなど他愛なし!

 

「勝つのは──俺だッ!」

 

 逃げることも避けることも選ばず怜志は真っ向から大巨狼に挑む。

 巨爪と刀が接触する。

 同時に──怜志を中心に、大地に蜘蛛の巣状の亀裂が奔った。

 

“ぐっ……!?”

 

 ──重い。尋常ではないほどに重い。

 衝撃は怜志の総身を揺らし、刀先から怜志の両腕に掛かる負荷はもはや筆舌に尽くしがたい。

 一瞬さえも耐えかねるとんでもない暴力。

 力を振り絞ったところで叶う未来が想像できない。

 

「お……おお……!」

 

 だが、そんなことはハナから分かり切っている。

 獣の流儀よろしく暴力に暴力で対抗するつもりなど初めからない。

 己は刀匠、己は剣士、己は戦士。

 術理を究め、業を重ね、遂に神殺しに至った者。

 

 まこと神域に踏み込んだ者足ればこそ、例え(チカラ)山を抜くほどの暴力が相手であっても、恐るることなど何もない。

 

「おおおおおおおおおおおお!」

 

 叫びと共に刀を操る。

 角度、受け太刀、手首の調節と力点の誘導。

 暴力を返す人外の術理。大巨狼の一撃を、真正面から弾き飛ばす!

 

『──何ッ!?』

 

 流石のヴォバンもその常識外れの展開に目を剥いた。

 高めた呪力と持ち合わせた技量──たったそれだけでヴォバンの攻撃を受け返すなど、ヴォバンをして想像すらしえない偉業であった。

 

「駆け上がれ……!」

 

 ──ヒイイイイィィィィヒヒンンンンンン!

 

 攻撃を退け、大巨狼の懐へと踏み込むと同時、怜志が鞭を鳴らす。

 瞬間に流星と化して宙を蹴り、加速し駆け上がる白馬。

 ヴォバンの首元目掛け、一直線に流星と化した。

 

『風よ、雨よ、雷よ──!』

 

 迫る死に絶望することなく、むしろより深い喜悦を刻みながら吼える大巨狼。

 壁に等しい大気のうねり、矢の如く降りかかる驟雨、槍の如く落ちる雷。

 風伯、雨師、雷公──神々より奪いし天災の権能。

 最大規模の災いが、駆け上る白馬を撃ち落とさんと襲い掛かる。

 

「馬上の配慮は不要──ただ一直線に駆け抜けよ!」

 

 ──ヒイイイイィィィィヒヒンンンンンン!

 

 風を引き裂き、雨を弾き飛ばし、雷を切り飛ばして怜志が叫ぶ。

 ……呼吸は儘ならない、打ち付ける雨が鉛の様に身体を打ち付けた。刀を伝って伝導する殺しきれない電気の毒は怜志から刻一刻と自由を奪っていく。それでも戦意は微塵も衰えなかった。

 

 蒼天の瞳にヴォバンの首を捉える。

 勝機は此処に。死地を潜り抜けた先に勝因を視る。

 

「隋軍護法の加護ぞ我にあり──怨敵死滅……!」

 

 チロリと唇を舐めとり、呪言を口ずさむ。

 怜志の刀に再び白耀の煌めきが宿った。

 

『例の権能かッ! しかし──!!』

 

 二度目はないとヴォバンが嗤う。

 ズンと地ならしのような音を立て、大巨狼が低く身構える。

 躱すつもりだろう。あの巨体ながら、理不尽極まることにヴォバンの行動は迅速(はや)い。

 このまま首狩る一太刀が振るわれるよりも飛び退く方が先手を取るだろう。

 

 あの動物的な直観力──一瞬でも付け入る隙が生じたのならばあの老王はその一瞬に必ず捻じ込んでくる。圧倒的強者にも関わらず、その抜け目ない仕草。

 成程、だからこそ闘争の日々に興じて尚、今日まで命を繋いでこれたのだろう。

 

 なればこそ──その一瞬を、潰す。

 

「一つ、謝罪しよう……俺は別に正々堂々にこだわりはない。勝てば官軍というように戦においては勝利こそが大前提。然るに──格上相手に一対一(サシ)の勝負を挑むほど、俺は無謀ではない」

 

 囁くように嘯く怜志。その言葉の意図をヴォバンが理解するよりも先に、戦場に異変が迸る。

 山荘があったはずの場所から爆発する膨大な呪力と濃密な神気。

 神殺しとしての本能が反射的にそちらに向く、向いてしまう。

 

 闘気を湧き起こす本能が眼下の敵から彼方の宿敵へと注意を引いた。

 

『馬鹿な!? 儀式は──!』

 

「どうやら連れがやらかしたらしいな。……悪いな、これは二対一だ」

 

『貴様、小僧ォ!!』

 

 吼えるヴォバン、回避が間に合わないと踏んでか一瞬遅れの迎撃を選ぶ。

 だが、もはや無意味だ。

 一条の流星はヴォバンの首元に迫り、斯くして白刃が振るわれる。

 

 

「詰み筋だ。宣言通り、そっ首貰い受ける──!」

 

 

 一閃。それにて終。

 

「────」

 

 一閃する白刃の後、ヴォバンの背後まで駆け抜ける白馬。

 騎乗する若武者は残心する様に、刀を納める。

 それと同時にズルリと現実が時間に遅れて一致する。

 

 鮮やかな切り口に音を立てて落下する大巨狼の頭蓋。

 決着は此処に。未だ無名の神殺しは、最古の魔王を一刀両断に仕留めて見せた。

 

 

 

 

「まさか、そんな──ヴォバン侯爵が……」

 

 たった今、決した眼前の死闘の終着にリリアナが呆然と呟く。

 彼女の背後には似たような反応をする巫女や魔女たち。

 怨敵の死亡を喜ぶよりも怨敵が敗走したことに驚愕するその反応こそ、欧州圏においてヴォバン侯爵がどのように認識されているかの証明であろう。

 

 恐怖の代名詞であると同時に、古きより幾たびも神々や同族との闘争を繰り広げて来た最古参の魔王にして、稀代の神殺し。それがサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンである。

 そんな男がまさか、誕生して間もないだろう少年王に敗れるなど誰が想像しただろう。

 

 自らの偉業を自覚していないのか、地に下りた白馬から下馬する怜志は平静だった。

 下馬と同時に姿を消す白馬を見送ったのち、怜志は無造作に刀で空を切る。

 瞬間、破砕音を立て半ばから木っ端みじんに割れる打ち刀。

 絶え間ない無茶に耐えかね、遂に限界を迎えたのだろう。

 

 最古の魔王の首さえ落とした名もなき名刀は、寿命を迎えたように砕け散る。

 

「──……はぁ。流石に限界、か」

 

 嘆息する様に怜志が呟く。

 それは刀に向けた手向けの言葉か、それとも呪力を使い切った己への言葉か。

 無念そうに言い切ると、怜志は振り向き、大巨狼が直前まで立っていた方へ向き、声をかける。

 

「それに比べて、貴方はまだ余裕そうだ。流石は最古の魔王、地力が違うか」

 

「え──」

 

 耳を疑う言葉にリリアナは咄嗟に怜志の視線の先を追う。

 ……灰となって崩れ行く大巨狼。死を迎えた狼の権能。

 その、崩れ行く化身の中に、黒い砂が渦を巻く様を見た。

 

 砂──いや、渦巻く塵はやがて人型を形どるように巻き上がり、一瞬のうちに像を成す。

 知的な風貌を持つ老紳士、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンへと。

 

「肥沃の大地に君臨する豊穣の女王──砂と共に大地に在った生と死を転輪する蛇──不死の権能──」

 

 リリアナの背後に守られている祐理が呆然と呟く。

 恐らく眼前で甦ったヴォバンを霊視したのだろう。

 不死の権能──如何なる神から奪ったかは不明だが、それが首を落とされたはずのヴォバンが活きている理由なのだろう。生物としての死さえも超える凄まじい生命力。

 

 そこに神殺しの何たるかを見て、リリアナたちは慄いた。

 

 戦慄する巫女と魔女たちを背後に神殺したちは相対する。

 怜志は平然としたまま、ヴォバンは荒息を吐きながら睨みつけるように。

 

「まだ続けるか? 老王。やるというならば、もう一度その首落として見せるが」

 

「強がりを抜かせ小僧。もはや権能を振るえぬほどに呪力を消耗した身で」

 

「その言葉は肯定しよう。勝因の刃を二度も使った、もはやこの身に残された呪力では権能は使えない。しかし──」

 

 怜志は言いながら懐から拳ほどの鉱石を取り出す。

 それに拳を打ち付けると魔法陣が一瞬のうちに浮かび、気づけば打ち刀が怜志の手元に収まっていた。

 

「元より権能無くして神を殺した身。この刃さえあれば、俺には十分すぎる」

 

「フン──」

 

 その言葉に鼻を鳴らすヴォバン。

 追い詰められた者の強がり──などではないことは当然分かっている。

 言葉の通り、眼前の少年王にとって、それだけで十分なのだろう。

 他力に頼るまでもなく、自分自身の力を傲岸不遜に確信しているのだ。

 

 過信でも何でもなく、己は刀一つで神も神殺しも殺しきって見せる、と。

 

 重い沈黙が落ちる。

 空気が軋みを上げている。

 両者は無言のままに睨み合い、言外に意思を交わした。

 思わず周囲が息を飲むほどの緊張感。

 

 その沈黙を先に打破したのは意外にもヴォバンの方であった。

 

「──良いだろう。此処は引こう」

 

「何?」

 

 ヴォバンの言葉に眉を顰めたのは怜志の方だった。

 しかしその反応は当然だろう。

 傍若無人、闘争を好み、戦に飢えた貪狼。

 それこそが古参魔王の本質である。

 

 たかだか一度首を落とされた程度、その程度の消耗で撤退を選ぶなどヴォバンの気性を考えればあり得ないといえよう。想定外の言葉に困惑する若輩魔王を一瞥し、ヴォバンは不愉快そうに言葉を続ける。

 

「先ほどの神気──アレはまつろわぬ神が降臨した証だろう。大方、山荘の地下に安置してあった神像に手を加えたのだろう? 業腹だが、此度の儀式における要を既に横取りされたということだ」

 

「…………」

 

 ヴォバンの言葉に怜志は静聴を演じて黙然と聞く。

 その内心では神像という言葉に首を傾げていた。

 何やらドニが不遜な企みを試みていたのは既に見ていたが、その詳細までは把握していない。

 が、ヴォバンの方は心当たりがあるのだろう。

 悔しそうに歯噛みしながら朗々と語る。

 

「かつて女神であった神祖の石像。この国の先住民たちが崇めていたあの像は竜殺しの《鋼》を呼び込むのに、最も適した触媒であった。アレを奪われ、そして先んじて儀式を横取りされた以上はもはやまつろわぬ神降臨の儀を行うことは叶うまい」

 

「……それが引く理由か? 些か解せないな。貴方の気質を考えれば今すぐに向かって横取りした者ごと召喚された鋼の英雄に挑むと思っていたが?」

 

「ほう? 向かう私を貴様は見逃すというのか? 貴様が(・・・)?」

 

「む……」

 

 ヴォバンに指摘されて怜志は黙り込む。

 自分を放置して望む戦地へ向かう敵の背中を自分が黙って見送る?

 ……あり得ない。至上の獲物が自分以外の者と争う場面を見送るなどそんな屈辱は許せるものではない。恐らくそんな場面に遭遇したならば憤怒と共に立ち去る背中に斬りかかるだろう。

 

 無言のうちに指摘された言葉を肯定する怜志を見て、ヴォバンは踵を返す。

 山荘とは真逆。深い闇に覆われた山麓の森の方へと。

 

「追いすがる貴様を相手取りながら、訪れているらしいもう一人の神殺しとまつろわぬ神を相手に戦を興じるのは魅力的ではある。……だが、それはヴォバンの目的ではない」

 

 気づけば雨は収まっている。雷鳴はいつの間にか消えている。

 ただ不満そうに浮かぶ曇天と不気味な音色の風だけが、夜闇の中に響いていた。

 

「私は私に相応しい鋼の英雄を招くためにこの地へと訪れた。しかし巫女どもはその通り貴様が庇い、祭儀の場も見知らぬ神殺しに横取りされた。本来であれば、憤怒と共に諸共下すところであるが、生まれて間もないだろう貴様らに全力を尽くしてはヴォバンの器も知れるというもの──」

 

「ほう──魔王の代名詞が如き理不尽の化身が王の器を説きますか。意外ですね」

 

「──それに」

 

 何処となく煽るような怜志の言葉を黙殺しながらヴォバンは首元を軽く擦る。

 

「無謀な挑戦者などではなく、敵が相手ならば死力を尽くさなくてはなるまい。貴様が前座でない以上、これ以上の戦いは目的を置いた戦いになるだろう。そうなれば同じだ。己の言葉を守れぬようでは、それは敗北に値する」

 

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

 

 首を落として見せたら敵として認識してやる、それはヴォバン自身が口にした言葉だ。

 そしてそれを怜志は見事実現して見せた。

 なればこそ、これ以上の戦いは同格たる敵との戦。そうなれば鋼の神との死闘など考える暇などない。

 

 神殺しと神殺しによる死闘、殺し合い──あまりにも横道に逸れたヴォバンの当初の目的には存在しえない戦いとなるだろう。つまりヴォバンは目的を達することが出来なくなる。

 そうなれば儀式の妨害を目論んだ怜志の望む通り、怜志にとっての勝利といえるだろう。

 

 故に引く。進んでも引いても敗北を意味するならば、これ以上の蛇足にヴォバンが付き合う道理がないからだ。ようやく行動の意味を納得して怜志は刀を納める。

 気づけば、その口調もまた元の真面目な少年のそれに戻っていた。

 

「では此度の戦は俺の勝ちってことでいいですね」

 

「チッ、調子に乗るな小僧。今回は認めてやると言っているだけだ」

 

「同じでしょう。最古参の魔王を名乗る割には大人げないですね。少しは後進に花を贈るとか出来ないんですか?」

 

「花を贈るだと……? ハッ──笑えない冗談だな。それとも貴様にはその度量があると?」

 

「──まさか。手抜きなど、勝負の場ではありえない」

 

「フン──分かっているではないか」

 

 靴を鳴らしてヴォバンが歩き出す。

 瞬間、何処からともなく突風が吹き込み、気づけばヴォバンの姿は消えていた。

 代わりにびゅうびゅうと呼びこまれた風が声を届ける。

 

『小生意気な小僧──レイジといったな。せいぜいその未完の刃、研ぎ澄ませておくがいい。いずれ貴様という神殺しが完成したその時こそ……このヴォバンが狩るに相応しい宿敵として斃してやろう!』

 

「ではこちらも、暫し首は預けます。そちらこそ、次は無聊の慰めなどと言い訳は効きませんよ──今度こそは本気で来い。今度こそ、その首は俺が貰い受ける」

 

『──く、は……ハハハハハハハハハハ、何処までも生意気な小僧めが!』

 

 不敵な宣誓を前に反響する笑い声。

 風と共にそれが収まった時、辺り一面には嵐の後の静寂が落ちた。

 

「──さて、これにて一件落」

 

 と、言いかけたその時、遠間で轟音が響き渡った。

 

 

「邪竜の気配を辿って現世に出でてみれば、目覚めて早々貴様のような輩に出会うとはな! 不遜にして傲岸なる神殺しめ!」

 

「ハハハ! 君堅いなッ!! 身体に打ち込んで切れなかった相手は君が初めてだよ!!」

 

 

 どーん、どーんと爆発音に度重なる金属音。

 先ほどの怜志とヴォバンを見るような人外の戦の気配。

 

「……ふむ」

 

「あ、アレはサルバトーレ卿!? 何故ここに!? それに、相手は……」

 

「まつろわぬ神! 侯爵が召喚しようと目論んでいた存在……!」

 

 一難去ってまた一難。

 山荘の跡地で繰り広げられる死闘を前にようやく安堵の息を吐けると思っていた巫女と魔女たちは恐怖と共に戦慄する。だが一方の怜志は未だ刀を抜く気配もなく、平静のままに考え込む。

 

 思い出すのは直前の一幕、ヴォバンの言葉である。

 ……此度の騒乱に介入するにあたって、怜志が使った戦争理由(口実)は奪われた巫女の奪還と、それを行った魔王への報復である。既に前者は達成され、後者は取りあえずは成されている。

 

 つまるところ、これ以上に戦う理由を怜志は持ち合わせていない。

 あの神殺しと神が人々へ災厄を齎すというのであれば義によって立ち上がるに値するが、ヴォバンの山荘があったこの場に人の気配はなく、一番近い村からも大きく外れている。

 少なくともあの戦が周囲に波及することはあるまい。

 

 考えをまとめ上げ、怜志はうんと結論付ける。

 

「目的は達せられました。侯爵の気配に充てられ、憔悴した巫女や魔女の方々も多いですし、此処は早々に引き上げるとしましょう。クラニチャールさん、誘導のお手伝いをお願いします。それから万里谷さんには特に消耗が激しい方々を支えてくれると助かります」

 

 そう言って、怜志は遠間の戦いを放置することに決め込んだ。

 

「え──お、王よ。それは……!」

 

「此処は人界からも遠いですし、戦いの影響が周囲に及ぶ可能性は低いでしょう。既に神殺しがまつろわぬ神と相対している以上、此処で俺が参戦する理由もありませんし、あちらはあちらに任せます」

 

「で、ですが、天国さ──御身があの方の下に加われば、かの神との戦いも優位に働くでしょう。早急に場を納めるのであれば、それが最善なのでは……? あ……も、申し訳ありません! もしやヴォバン侯爵との戦いでの消耗が……!」

 

「いえ、相応に消耗はしてますけど戦おうと思えばどうとでもなるでしょう。呼吸もある程度整いましたしね。ですが繰り返すように理由が無い。侯爵をああいう風に引かせた手前、理由のない俺が目的外の戦に身を投じるのは筋が違うでしょう」

 

 リリアナと万里谷の言葉を受け流しつつ、怜志は適当に座り込んでいた巫女へと手を差し伸べ、ゆっくりと丁重に立ち上がらせる。割れ物を扱うような繊細な仕草、弱った女性にこれ以上の負荷を与えない、神殺しらしさを徹底的に殺しきった紳士の振舞い。

 それは既に怜志が戦士ではなく、人域を生きる一人の人間に戻った証明でもある。

 もはや闘志は欠片とて宿っていなかった。

 

「それに詳しいところは知りませんが、ドニはそれなりの使い手だ。相手が誰でも早々に後れを取ることは無いでしょう。いざともなれば後からでも俺が出れます。まつろわぬ神がこれ以上の騒ぎを起こすというならば遠からず俺の下に依頼が来るでしょうし、放置でいいでしょう」

 

 言い切って、怜志は完全に戦場から背を向ける。

 言葉は正論ではある。だが、眼前の光景を前に迷いが生じる。

 人一倍責任感の強い、リリアナと祐理である。

 すぐ向こうで繰り広げられる人外の騒動を見過ごせるほど無責任にはなりきれない。

 

 だが、肝心の騒ぎを鎮静化できそうな人物と言えば……。

 

「? 何をしているんです? 撤退しましょう。気丈に振舞っているようですが、消耗しているのは貴方方も同じだ。手当と、その他の面倒の手配は既に回してます。お早く」

 

 その完璧な配慮には人間らしい優しさが垣間見えるが、リリアナと祐理は何処かズレているという認識を確信した。ヴォバンよりはまともそうな気性だが、それでも確かに彼もまた魔王。

 正常な人心であれば抱くはずの情動から何処となくズレているのだ。

 

 どうするか、一瞬二人は目配せるが、やがて諦めたように同時に嘆息する。

 ──これが神殺し(カンピオーネ)。神々を殺し、人でありながら最強(頂点)を名乗る戦士。

 彼らに逆らう術を人は持たず、ただただ恐れ、崇めるのみ──。

 であれば結論は一つ。後ろ髪を引かれる思いで、二人は怜志の歩みに続いた。

 

 

………

………………

…………………………。

 

 

 騒動より一週間後──東京羽田空港国際ターミナルにて。

 

「────」

 

 東京湾を埋め立てて築かれた世界的にも屈指の交通量を誇る国際空港。

 数分ごとに飛行機が行きかう多忙な交通の要所に彼女はいた。

 普段から修行のため、文明圏から離れている彼女であるが、今日は例外だ。

 

 何せ、長らく国を開けていた王が帰還するのだ。

 無名とはいえ出迎え一つ無いのでは寂しいにも程があるし、何より此度の出張を依頼したのは己である。ただ友人の頼みであるという一点だけで対価も報酬もなく、彼は死地へと飛び立ったのだ。

 礼の一つも言えないようでは名が廃るし、何より幼馴染として、ライバルとして互いに競い、高め合ってきた身としてあまりにも無作法だ。

 元より生粋の令嬢として育て上げられた彼女はその辺の礼儀作法には厳しい方。

 誰に言われるまでもない一線は守る。野生児だなんだと言われる己だが、その辺は律儀なのだ。

 

 ベンチに座り込み、プラプラと足を揺らす。

 十分、二十分、三十分──発着時刻からそれぐらいが過ぎた頃合いだろうか。

 不意に揺れていた足がぴたりと止まる。

 

 到着ロビー、荷物受け取り口から見覚えのある少年が顔を出す。

 

「──お」

 

「──や」

 

 少し驚いたように声を上げる彼に、軽く手を挙げて笑いかける。

 

「まさか出迎えがあるとは思わなかった。君が山から下りてくるとは珍しいな、恵那」

 

「別に年中ずーっと篭ってるわけでもないんだけどねー。取りあえずお帰り、王様。祐理のこと。恵那のお願い聞いてくれてありがとうね」

 

 ──こうして後の『仁王』、天国怜志の名が知れ渡る始まりの騒動は幕を下ろしたのである。

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