Ghoti' 前世で読んでたガチ競技系世界に転生してバーチャル配信者達の師匠になった   作:ルシエド

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■2059年4月第3週 過去からだけは逃げられない ▼ファーストコミュ:伊井野いのり
西暦2059年4月14日(月) 07:00


 時間を間違えて100人の仁義なき戦いになってしまった初日、初顔合わせと基礎指導の2日目が終わり、新しい週が始まる日がやってきた。

 

 4月14日、月曜日。朝7時。

 あと半月で5月に入り、5月に本番の大会がある。

 

「ここがエヴリィカのスタジオか……」

 

 善幸は、エヴリィカのスタジオにやって来ていた。

 平日の日中は、配信をしても見られるリスナーがあまり多くないため、リアルタイムで行われる配信は夜に集中しがちである。

 それを逆利用して、平日の昼間に配信以外の業務をこなしてしまうVliverは多い。

 コラボ相手の普通の企業は平日昼間にこそ動いているため、そういった意味でもうってつけだ。

 

 平日の昼間にレッスン・収録・サイン書きなどで常態的に8時間仕事をし、夜に家に帰ってから4時間配信実行を毎日続ける、といったVliverも決して少なくはない。

 人気配信者であればあるほど、配信以外の仕事量は増えていく傾向にある。

 ある種の矛盾なのかもしれない。

 

「よう、よう、YO! YO! ヨッシー、ようこそ!」

 

「出会い頭にラップを刻むな」

 

 スタジオをぶらつこうとした善幸の前に現れたのは、低い身長に楕円眼鏡が印象に残る男。アチャ・東郷の中の人だ。

 彼も今日はここで仕事なのだろう。

 

 善幸は、まうが夜まで、東郷も夜まで、いのりが昼までここで仕事・レッスンがあると聞いていた。その間は特訓などできようはずもない。だから見に来たのである。

 

 ちなみに、昨日フィールドの設定初期化のゴタゴタで顔だけ合わせたうさみのうづきらは、最低でも朝の7時から夜の11時程度まではスタジオに詰めていないといけないため、今日は配信ができないらしい。

 どうやら、善幸の教え子達以上の売れっ子であるようだ。

 

「案内するぜお師匠殿。僕らは今日はずっとこれやってるね」

 

 東郷にスタジオのあちらこちらを案内されてから、善幸は見慣れない部屋に案内された。

 部屋の壁にずらっと並べられたセンサー。

 その真ん中でダンスをしている男が数人。

 息を切らせて踊る彼らをセンサーが追い、リアルタイムでPC上で踊る3Dモデルに変換し、3Dモデルがちゃんと全ての動作でバグ無く動くかのチェックがなされる。

 一区切りしたところでトレーナーらしき人物が部屋に入り、ダンスの動きが悪かった部分を1つ1つ丁寧に指摘し始めた。

 

「トラッキング式のダンスレッスンか」

 

「そーそー。体力作りも兼ねてな。結局長時間配信には体力が居るし、ちゃんと運動してないと座りっぱなしの配信で腰から順番に体が壊れるし、体力尽きかけ状態での粘りはこういうトレーニングしておかないと身に付かないし……で。体力精神力最後は根性ってやつよ」

 

 バーチャル配信者の配信特異点(シンギュラリティ)として数えられるものの1つに、モーション・トラッキングがある。

 

 配信者が手を動かせば、アバターがその通りに動く。

 配信者が笑えば、アバターも笑う。

 配信者がゲームプレイに集中して口が半開きになれば、アバターの口もずっと半開きになる。

 

 コストと技術の問題からまずは2Dアバター配信から始まり、3Dアバター配信も技術的に洗練され、次第にトップゲームが長い時間と金をかけて開発する3Dムービーに匹敵するものがリアルタイムで生成され続けるものとなった。

 最初は専用の機材が必要だったが、技術の革新でスマホ一台あればできるようになり、個人のPCとスマホだけで2D配信も3D配信も提供が可能となっていった。

 

 規定動作モーションによってどう演出するかを問われていた3Dの世界は、『生きた人間』の動きを随時追跡(トラッキング)することで生成される『生きた3D』の登場により、否応なく変化を迫られた。

 運動が苦手なVliverのライブ時のちょっと面白い足の動き、女性らしいVliverがよく髪をいじる癖があることを視覚化させる3Dの動き、現実でもよく表情が動く魅力的な女性であることを反映するフェイストラッキング由来の動き、などなど様々な『実体的な価値を持つ各々の動きの個性』を視覚化させたことによって、多くのトラッキング配信が『2Dと3Dのアバターの新しい使い途』として勃興した。

 それが2020年代のことである。

 

 よって、並行して言われるようにもなった。

 「バーチャル配信者は中の人も体力あって踊れないとダメだから引きこもりにはキツいよ」と。

 2020年代にはライブ中にバック宙をこなせるレベルの身体能力を持ったバーチャル配信者も登場しており、身体能力や体力はバーチャル配信者の話題性の一助となっていたのである。

 

 それから数十年が経ち、身体的な障害によってモーション・トラッキングによる身振り手振りやダンスなどができなかった人達も、意識をアバターにシンクロさせるだけでバーチャル配信者として活動することが可能となった。

 ここに──長時間配信をこなす体力などを除いた──身体的能力面におけるバーチャル配信者の話題性は終了したと言える。

 

 そうして、『体力の無い引きこもりの原作主人公がいきなりVliverとして第一線で活躍できる』という世界観が、出来上がった。

 風成善幸は、原作主人公・水桃未来の初期体力の無さを知っている。

 

 しかし、『全部ネット活動で済むんだから体を動かす必要はないよな』とならなかった事務所もいくつかあった。

 エヴリィカもまたその1つである。

 

「来るのが遅かったなヨッシー。ついさっきまで僕が最高のダンスを披露してたところだったんだが、今はあいにくお休みの時間でね……」

 

「お前足首冷やしてるみたいだけど足挫いたの?」

 

「はい」

 

「ダンスレッスンで?」

 

「はい」

 

「明日から夕方に時間作れ。俺の日課の走り込みがある。体力付けてちょっとやそっとのレッスンで壊れない体にしてやる」

 

「嘘でしょ……?」

 

 2人並んで歩き出す。

 善幸は何も知らない男であった。

 Vliverにも無知、配信にも無知。

 善幸がスタジオで無知を口にすれば、東郷がふざけて解説し、努めて"教える側が偉そうになる"ことがないようコミカルに教えていく。

 

「なんだこの壁。落書きだらけだな」

 

「うちのスタジオの伝統よぉー! 新しい施設が出来たら壁にVliverがサインとかイラストとか書いていくのさ。ここにある名前も、落書きも、全部全部が仲間の軌跡だ。ほれ、ペン。ヨッシーも書いていきな」

 

「いいのか?」

 

「いいともよ。仲間だからな。そしてなまかでもある」

 

「なまかが何かは知らんが。仲間としてやっていこうという気持ちはある。……ありがとう」

 

 ポシビリティ・デュエルでは善幸が教えて、スタジオでは東郷が教える、不思議な逆転があった。

 互いに対するちゃんとした敬意があればこそ、立場の上下が逆転してもギクシャクすることは一切なかった。

 

「興味なかったらすぐ言ってくり。僕もヨッシーが興味ない所に連れて行ってヨッシーの塩対応の中で虚無の解説とかするの耐えられんからなガハハ」

 

「いや、大丈夫だ。なるほどな……こういうのを知りたかったんだ、俺は」

 

 善幸は密かに、エヴリィカVliverのアバターでの身のこなしに着目していた。

 天才の身のこなし、というほどではなく。さりとて洗練されたステップや身体制御があり、完全な素人であるとは思えない身のこなしがあったからである。

 

 常に他人を観察している善幸の前で練習に打ち込むということは、そういったものも1つ残らず見抜かれるということを意味している。

 初顔合わせの日の3人の動きに、善幸はなんとなくの疑問を持っていた。

 そして疑問の答えに至るヒントは、ここにあった。

 

 まず、Vliverがアバターで指示された通り踊る。

 そして駄目な所、失敗した所、キレが悪かった所を監督者に指摘され、指示通りに修正していく。

 その過程でVliverは体の動かし方を学び、自分が体を動かす時の無意識の癖を自覚し、体を意識した通りに動かすコントロールの技術を学んでいく。

 そのついでに、自分の体の動きを俯瞰的に見る癖と、思った通りに動けていないことを自覚する感覚を身につける。

 

 現実でのダンスレッスンも然り。

 プロのトレーナーからの指導と指摘で、Vliver達は『自分の体を使いこなす技術と感覚』をどんどんと身に着けていく。

 更に、その際にぶつけられたプロの言葉によって、Vliverは『体の動かし方の言語化』を学んでいくのである。

 

 体の動かし方の言語化は、ポシビリティ・デュエル競技者にも、野球選手にも、否、体を動かす感覚が必要な界隈の全てにおいて有用である。

 

 『脇を擦るくらい締めて振れ』。

 『ボール一個分くらいの隙間を空けて』。

 『振り下ろす腕は膝のライン』。

 『力を向けたい先に膝を向けて』。

 『腰の回転は腰に円盤があるイメージ』。

 

 そうして、()()()()()()()()使()()()()()()エヴリィカのVliverが出来たのだ。

 善幸は内心で感謝する。

 数ヶ月かけて身体制御の基本技術を仕込んでくれていたエヴリィカの方策があってこそ、善幸は想定していなかった追い風を得られたのだから。

 

 なにせ、他人に見られることまで意識に置いて身体制御を磨いてきた者達だ。

 自分の体を意識した通りに動かせるのみならず、それが敵からどう見えているかまで意識できるならば、少し鍛えれば動きの癖を敵に読ませないプレイヤーにも出来るし、フェイントを敵に見せて誘導することが可能なプレイヤーにもなる。

 

 人に見せるダンスを磨いてきた彼らのこれまでを、人に勝つためのこれからに繋げられる。

 それは、善幸にとっては望外の大発見であった。

 

 とはいえ、善幸が説明しなければ"善幸はエヴリィカのダンスレッスンが一番見たかったものだった"などということは、伝わるわけもなく。

 ここには善幸の内心を解説してくれる『先生』もおらず。

 善幸の言葉に、東郷は首をかしげた。

 

「……? ダンスが見たかったのか? ヨッシー、蜂の踊りを見たことはあるか?」

 

「知らん。まうといのりはどうしてる?」

 

「アイアイサー、案内します」

 

 善幸が連れて行かれたのは、二重の防音ドアの向こうの部屋。

 多目的収録室である。

 厚いガラスの向こうを見れば、そこには周囲の指示を受けながら声を吹き込んでいる伊井野いのりの中の人の姿があった。

 

 周囲がいのりに付けている注文は難解なようで、いのりは四苦八苦悪戦苦闘しているようだった。

 善幸が見たこともないくらい真面目な顔で、のんびりとしていない張り詰めた雰囲気で、真剣に声を吹き込んでは失敗している。

 いのりが深呼吸してリラックスしようとし、そこでガラスの向こうの部屋に善幸が入ってきたのを見て、いのりの顔がぱぁぁっと明るくなった。

 

 明るい笑顔で、いのりは小さく手を振る。

 善幸の方に。

 東郷はノリ良く手をぶんぶん振って応えたが、善幸は真っ直ぐにいのりを見て頷くに留める。

 その瞳には、信頼があった。

 心配は微塵もない。

 信頼を築き上げるまでは他人を信じないという人種とは違う、仲間になったならまず仲間を信じて物事を始められる男の瞳。

 "俺は仲間の仕事を見に来ただけだ"と言わんばかりだ。

 

 肩の力が抜けたいのりが、笑顔で声を吹き込む。

 そうして、周囲が一発OKを出す。

 いのりが我慢できないとばかりに善幸に向かって笑顔で大きく手を振ると、"しょうがないな"と口にはせずに、善幸は小さく手を振り返した。

 

 そしてまた、次の収録が始まる。

 

「伊井野ちゃんはこっちで声の収録中。ゴールデンウィークにやる新生活応援ボイスの収録って言ったら分かるか? Vliverの新生活応援ボイス、意外に人気高いんだよなぁ……推しに応援されるのも知らん美少女に応援されるのも気分いいからかな」

 

「甲子園の応援団を金で買えるようなものか」

 

「もうちょっと違う言い方なかったんかオメー」

 

 『伊井野いのりの声』という"商品"が生まれていく過程を、未知なる世界の商品製造過程を、不思議なものを見る気持ちで善幸は見つめていた。

 

 声1つで金が動く。

 声1つを皆が買う。

 何度でも出せる唯一性の無い声という普遍的なものに、伊井野いのりにしか出せない声という唯一性の価値を足した商品。

 

「東郷、これどのくらい売れるんだ」

 

「え、どんくらいだろ。ボイス単品で500円、エヴメン1人につき5種だから2500円、エヴメン20人でフルセットだから5万円? ボイス1つ辺り平均8000個くらい売れるはずだから4億くらいかな、売上は。それがどうかしたか?」

 

「……多い方なのか、これは」

 

「えー? 一人あたり2000万相当だから別に多くはないんじゃないか。ズルワーンちゃんが一昨日登録者250万耐久とかやってたよな。それより一段下の、確か登録者150万~200万あたりのVliverの個数限定誕生日セットが1万円で1万個売れる、とかが平均相場じゃなかったか? そういう1回1億円くらいの金回りが周年限定とか季節限定とかで年に数回あるのがVliverってもんだしな。こういうボイスはそういうののサブの収入みたいに見られてるもんじゃね?」

 

「……」

 

「金が回るから人材が集まる、人材が集まるから人が集まる、人が集まるから金が集まる、人と金があるからできることが非常に多い……っていう感じじゃねえかな。まあこれたぶん盛り上がってる界隈全体に言えると思うけどなブヘヘ」

 

 善幸の中で、感情が2つに割れていた。

 

 片方は、バカじゃないかという気持ち。

 善幸は金を払ってまで他人の声を聞きたいという気持ちがまず理解できない。

 他人の声に金銭的価値があると考えるような人生を送ってこなかったからだ。

 

 その後に出て来た誕生日セットの話もまるでよくわからない。

 Vliverの声にどういう気持ちで金を出しているのか、リスナーの気持ちがまるで分からないのだ。

 

 と、同時に。

 なんとなく分かりそうな気もしてしまう。

 人気者のグッズは全て価値が上がり、人気者に関わる物を皆が集め始め、人気者の話をいつもしているコミュニティの中では"持っていて当然"のグッズが発生する。

 

 前世で、有名野球選手のサイン入りグローブを自慢する同級生を何度か見た。

 前世で、ベストセラーになった日本人メジャーリーガーの自伝本を野球部の全員が持っていたのを見た。

 前世で、毎日のようにSNSで話題になる日本人メジャーリーガーの試合をリアルタイムで見るため、躊躇なく課金する周りの大人達を見た。

 今の人生でも、世界大会に出た善幸を応援しようとする日本人応援団が観客席で同じ団扇(うちわ)を振っていたのを、善幸は見ている。

 

 だからこそ、分かるのだ。

 Vliverの界隈だけが特別変、というわけではなく……これはおそらく、人間に共通する動きの習性のようなものがある。

 

 人間は、"自分が好ましく思っている人気者のグッズを周りが皆買っている"といった状況に弱い。

 あるいは、『自分が本気で推している人への応援の気持ち』でグッズを買う。

 はたまた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……という気持ちもあるのか。

 おそらく、各々千差万別の理由があるのだろう。

 

 善幸は理性的に分析を行う。

 それでも、声が商品として成立している感覚がちょっと分からなくて、善幸は首を傾げてしまう。

 そこだけはやはり未だ、彼にとって異世界の理だ。

 

「……いや」

 

 そこでふと、善幸は気付く。

 まうの配信スケジュールを見て、配信者の配信ペースに圧倒されたのが昨日。

 では、推しのVliverが決まって、そういった配信を追い始めたリスナーというものはどうなるのだろう。

 

 リスナーが働いて、帰ってきて、推しの配信を眺めて、いつも同じ推しを応援している数千人・数万人の同担リスナーと共にだらだらとコメントしていく。

 推しの配信がなかったらまだ見ていない配信アーカイブを見るか、推しと仲の良いVliverの配信を見る。

 数時間配信を見て、SNSや匿名掲示板で同担リスナーと楽しく話して、終わったら寝る。

 起きたらまた仕事に行く。

 その繰り返し。

 

 推しとリスナーで日常サイクルが完成している。

 これはもはや、完結した1つの世界だ。

 

 Vliverが娯楽として肌に合うリスナーならば、仕事・推し・推しの話ができる場所だけあれば常に満たされた人生を送ることができる。

 

 そんな人間ならば、毎月1万程度は端金だろう。

 なにせ、Vliverを追うのに最も費やすのは時間だ。

 Vliverの配信は基本的に無料で見られるため、毎日数時間の時間を吸われることこそが、Vliverに吸われる最も大きなリソースであると言える。

 

 で、あれば、Vliverを追い始めた人間は余計なことや他の娯楽に金を使わなくなり始める。

 毎日数時間の無料コンテンツと、それに付随する無料のコミュニティの旨味が、金を払う娯楽をそこから押し退けていく。

 浮いた金をVliverに投げ銭(スパチャ)しても、グッズを買っても、それでもなお生活には余裕が出来たという者も出て来るはずだ。

 

 毎月浮いた金1万円を投げるリスナーが1万人居れば、それだけで月に1億円。100万人の熱心なチャンネル登録者達が1万円ずつ投げれば100億円だ。

 それでいて、ここには一切の無理がない。

 構造上、個々に無理を強いる必要がないのだ。

 無論、無理をする個人も居るにはいるだろうけども。

 

 基本的に無料で見られるコンテンツであり、無課金だろうと非課金だろうと同じものを楽しめて、同じものを楽しんでいる者達でコミュニティを構築できるからこその強さ。

 金銭に余裕がある者が常に金を出し、金が無い者は金を出さないが場を賑やかし、推しが活動している限り延々と楽しい毎日が連続していく。

 

 この循環は、無限に成長しながら完成している。

 

 だとすれば。このビジネスモデルは、善幸が知っているどれよりも優れているのかもしれない。

 供給され続ける膨大なコンテンツ量によって支えられた、膨大なファンとリスナーを抱えられる、非常に巨大な許容量を持つ強力で盤石なビジネスモデル。

 

 このビジネスモデルの上でVliverが果たす役目とはすなわち、『心地良く金と時間を溶かして人生を充実させられる場の創造』だ。

 Vliverという人気者の資質を持つ者達がコンテンツを常時供給することで、コンテンツが流れ落ちていく領域のその上に、とても心地の良い皆の居場所が作られていて、そこに人が集まっている、そういう構図。

 

 善幸は、2日前の100(Hundred) vs.(バーサス)をリアルタイムで見ていた人数が40万人を超えていたのを思い出し、背筋をひやりとさせる。

 期待。

 炎上。

 慣例。

 人気。

 話題。

 嫌厭。

 好感。

 売上。

 集客。

 教導。

 善幸が今背負っているものが重みを主張し、善幸の背にずしりとのしかかる。

 

 だが、それも。

 

 

───期待してるよ、■■君!

───君なら甲子園は確実だろうね

───三年を押し退けてお前がレギュラーかよ

───天才のお前はいいよな、努力より才能で

───絶対に負けるな、俺の分まで

───お前より彼の方が甲子園に行くべきだった

───君の勝利を信じてる。君は頑張ってるから

───お前、負けた奴を気遣えよ。心が無いのか

───応援に来てくれた人達の期待を裏切るな

 

 

 彼にとっては。

 

 

───期待してるよ、善幸君!

───君の後のロットの子達がほぼ出来が悪くてね

───日本の皆の期待を裏切るなよ

───日本人の代表の自覚を持ってね

───君が結果を出さないとセンターは止まる

───勝たないお前に価値はねえよ

───よく耐えられるね、期待の重圧に

───私が好きな貴方は強い貴方

───天才は苦労が無さそうで羨ましい

 

 

 いつものことだった。

 

 これまで気にして来なかったのだから、これからも気にしない。そう在れればいいと、心のどこかで願っている。

 

「どしたヨッシー、考え込んで。恋か?」

 

「恋ではないな」

 

「でもそれは裏を返せば恋だったんじゃないか?」

 

「裏返すな! そのままにしとけ」

 

「恋はいつだって誰かの暗躍で裏返るものさ」

 

「故意に裏返すなそんなもん」

 

 東郷が声をかけてきたことで我に返り、善幸は昔のことでもなく未来のことでもなく、今のことに対して焦点を合わせた。

 

「まうも声の収録なのか?」

 

「不寝屋ちゃん? 不寝屋ちゃんは……」

 

 東郷の顔から、すっと生気が消えた。

 生気が消えた顔の裏に、現実逃避の色を見て取る善幸。

 東郷に案内された先にあった真っ黒なドアを見やり、善幸は東郷が何故かドアを開けないことに疑問を持った。

 

「そこで5000くらい直筆サインを書かされてる」

 

「地獄か?」

 

「不寝屋まうの直筆サイン入り健康ドリンク30本入りボックス(サイン入り以外のボックスも通常販売)は、いつもめちゃくちゃ売れてるからよ……止まりたいとかほざくんじゃねえぞ……」

 

 グッズ作成。

 それは主にVliverの手首が死ぬ行事。

 サイン1つに10秒かけて5000セット、休憩無しで14時間になる計算。朝7時に始めて休憩無しの爆速進行でも終わるのは21時になるデスロードだ。

 

 ノーマル健康ドリンク30本が2100円なので、期間限定品プレミア価格6000円と概算しても、これだけで3000万くらいの仕事案件だろうか。

 サイン入り限定品は客寄せであり、人気Vliverの経済効果は、こういう仕事でもののついでに通常販売版を一ヶ月と経たず400万本売り切ることも珍しくはない。

 仮に2100円が400万セット売れれば、84億円。

 善幸にはピンと来ない世界の経済効果である。

 

 人気の高いVliverというものは社会と経済に組み込まれ、膨大な重圧とストレスの中、決してサボりの許されないこうした仕事を多く与えられている生き物であるとも言える。

 ドアの向こうで、不寝屋まうは責任を果たすべくこってりと絞られているのだ。

 

「おお、哀れなネズミのまうよ。画数の多い漢字が名前にあることのデメリットにデビューしてから数ヶ月して気付いた女よ。悲しきかな、僕らはお前を救う手を持たない。しかしとっととサイン書き終わらないと僕らは合同練習もできないのでさっさと───」

 

 得意げに語り始めた東郷の肩に、ポンと手が乗る。

 東郷がゆっくりと振り返り、背後の男に愛想笑いを向けた。

 

 善幸が知らない男であった。

 東郷が知っている男であった。

 ざっくりと言えば、仕事ほっぽり出して善幸の案内をしていた東郷を探していた、東郷のマネージャーその人であった。

 

「君もサイン終わってないよね。君のサイン入りのプレステが揃わないと出荷できないんだけど」

 

「あっ……」

 

「ちょうどよく足を怪我したらしいね、めでたい! ダンスレッスンは後日に回すそうだよ! じゃ、缶詰の中身になろうか」

 

「あ、あぁァー! ヨッシー! ここは俺に任せて先に行けェー! ああァッー!」

 

 まうが待つドアの向こうに、東郷もまた引きずり込まれていった。

 まるで、沼に沈んでいく船のように。

 

 善幸は1人になってしまった。

 とりあえずスタジオも軽く回り終わり、教え子3人の状況も確認できた。なら、善幸が今日ここでしようとしていたことはとりあえずもうない。

 

「……東郷達の配信アーカイブ見て、いのりの仕事が終わる昼過ぎまで研究を進めておくか……」

 

 スタジオを出て、目についた近場のコンビニへ。

 

「チキン……レジ横のチキン……あとおにぎり……ツナマヨ食いたい……あ、エビマヨ……焼肉弁当だ、肉食いたい、肉……あっサラダチキンの塊齧りたい……メロンパン食べたいな、中にクリーム入ってるやつ……このチョコの粒が入ってるパンのスティック好きなんだよな……あっ春の限定桜餅だ、こういうのに弱い……ここのコンビニお湯が入れられるのか、この激辛カップ麺食べて残った汁におにぎり入れて……エクレア食いたいな……玉子いっぱい挟まってる玉子サンドイッチとかもなかったっけ……なんかめちゃくちゃ簡単そうに見えるのに自分で作ってもコンビニの味にならないんだよな玉子サンドイッチ……」

 

 そして、今日もちょっと迷った。

 

 

 

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