やはり俺の日常ラブコメはまちがっている。 作:ARuTo/あると
「悪いわね‥‥態々こんな遠いところまで連れてきてしまって」
雪ノ下は申し訳なさそうに下を向いて、袖をきゅっと握った。
「今更だろ。まあ、運動不足だからな。ここらで一つ歩くのが丁度良いんじゃねぇの」
茜浜緑地。その名の通り茜色の夕焼けが見える事からその名が付いたらしい。海浜幕張のお隣、習志野市の沿岸にあるビュースポットで知る人ぞ知る名所である。先程のカフェから少々離れた場所にあったので俺達はバスを使い、何とか辿り着く事が出来た。
流麗な黒髪が潮風に揺れる。雪ノ下は広々とした海沿いを見渡すと、ほっそりとした手で西の方角を指差しした。
「とても気持ちのいい場所ね。向こうには何があるのかしら」
目先には海に向かって一直線に伸びた果てしなく長い緑道がある。
「え…長くない?遠くない?歩くの面倒くさくない?」
「先程の威勢は何処へいったのかしら…」
俺の不満三連単を受けて雪ノ下はこめかみに手をやり、呆れた表情を見せた。
茜浜緑地の全長はかなり長いと聞く。いや、だってこんな馬が走るような長距離を歩くとは思わんじゃん…?俺は追込み戦略が好きだから、初めからペースを上げる気はないワケよ…。ましてや雪ノ下の事である。体力が持つ筈がない。もうこれ絶対往復する事考えてないでしょ!絶対そうだ!
「…そういう雪ノ下はこの距離歩けんのか?多分もたないと思うぞ」
俺なりの気遣いを込めて言ったつもりだったのだが、お嬢様には挑発に聞こえたらしい。おっーと!今日のユキノンブラックは調子がいいぞ~!
「随分低く見積もられたものね。…確かに体力には自信がないけれど、ペース配分を考えれば問題なく踏破出来ると思う」
雪ノ下は胸に手をやり、真剣な表情でその長い道のりを見つめている。
「いやいや、無理せんでもいいでしょ。前みたいに我慢すれば終わるものじゃないぞ。それなりに忍耐も必要になる」
「お気遣い有難う。でも大丈夫よ。…今一つ確証はないのだけど大丈夫。それに――」
雪ノ下は一つ一つ確かめるように返答すると、浅くため息をつき、少し恥ずかしそうにして横顔をみせた。
「今は貴方がいる。だから大丈夫。そうでしょう」
思わず心臓が跳ねる。全く卑怯な不意打ちだこと。これ以上反論し続けるのはかえって俺の健康状態を悪化させそうだ。
「…そうか。不要な気遣いを押し付け過ぎたみたいで悪かったな。すまん」
俺の粛々とした釈明に対して、雪ノ下は首を横に振った。
「そんな…謝る必要なんてないわ。自分で言うのもなんだけれど、私、面倒な性格をしているから」
雪ノ下は小さく苦笑した。そんな姿にあやかり、俺も決まり文句が如く言った。
「そうだな。何なら俺も超面倒くさい」
互いの意思を確かめ、俺達は夕焼けの緑道を歩きだした。
歩く事数十分。長い緑道の先に待っていたのは『関東の富士見百景』と刻まれた石碑だった。水平線の先には熱を帯びた真っ赤な太陽が沈まんとしている。
「ほう…左には幕張新都心、右には富士山と東京湾とねぇ。こんな場所があったのか」
千葉ラーの俺でさえ知らない景色が存在したとは…。我ながら不覚。
「素晴らしい景色ね。苦労して歩いた甲斐があったわ」
俺がふむふむ感心している横で雪ノ下も感嘆の笑みを浮かべていた。
片道ではあるものの、雪ノ下は一切の休憩をせずにここまで辿り着いた。何が彼女をそこまで駆り立てているのかは知らんが、以前とは比べ物にならない胆力に驚く。
「…そういや、なんで茜浜緑地だったんだ?海と夕日を見たいなら、稲毛の砂浜で事足りる」
暮れゆく景色を見ながら俺は質問した。しかし、雪ノ下は答えない。
太陽が沈むまで残り僅かという所で雪ノ下が意を決したように俺の方を向いた。胸に手を当て深く深呼吸すると、淀みない透き通った瞳がこちらを見据えた。
「…一つ聞いていいかしら」
気付けば彼女の頬は朱を超えて、紅潮し始めていた。え…なに、なんか始まるの?爆発するとかじゃないよね?やだ怖い。ほんとに怖い。
「前に私が言ったこと…覚えてる…?」
雪ノ下はうつらうつら目線を逸らしながら、何やらぽしょぽしょ呟いている。
「前と言われても色々あるからなぁ…」
俺は多少知らんぷりしつつ、敢えて話の核心には触れまいとした。
すると雪ノ下は意図する事が理解できないのかと、少し怪訝な表情をしながらもう一歩近づいて言った。
「だから…」
長い睫毛に携えた瞳は僅かに潤んでいた。
分かっている。本当に察しが良すぎるくらいには分かっていた。
何故、態々こんな遠い場所を選んだのか。二人だけになる必要があったのか。
多分、本当の意味で俺は解っていなかったのだろう。
「ああ…あれね…」
唾を飲み込み、取り敢えずその場しのぎの返答をする。
比企谷八幡、今こそ一世一代の言葉を投げかける時なのかもしれない。
言わなければ多分一生後悔するのだろう。
それでも尚、うざったい程に重い口が簡単な言葉を紡げない。
どうすればいいのだろうか。
こういう時は自分が本当に好きな物を想像すればいいだろうか。
もしくはそれを繋ぎ合わせれば――
「ま…」
ひねり出した一文字目は世間のそれとは大きくかけ離れた言葉。
それでも――
俺は目線を逸らしながらも覚悟を決めた。
「…マッ缶と同じくらい好きだ」
言ってしまった。傍から見ればそれは酷く意味不明なのだけれど。言ってしまった。
口にしたからには戻れない。
雪ノ下もこの返答は想定していなかったのか、暫し唖然としていた。
「ふ……」
驚いた表情も束の間、雪ノ下は口元に手をやって微笑を讃えた。
「…なんだよ」
「いえ…素直に言ってくれないとは思っていたけれど、まさかそんな逃げ道が存在したなんてね」
「逃げ道て…いや、滅茶苦茶頑張ったんですけど…」
そろそろ宜しいですかね…と、俺は不満げに一つ呟いた。もうそろ歩き出さないと恥ずかしさのあまり爆発する自信がある。何なら夜道を明るく照らしてしまうレベル。
「…今はそれでいいわ。でもあの言葉はいつか絶対に口にさせる。覚悟しなさい」
勝気な表情をして雪ノ下はまた歩き出した。
何か悪い事をしてしまった気もするが、許しを得たので今回の所はこれでいいだろう。
全てが順調かと思われた所で事件は起きた。折り返しの中間地点で雪ノ下の体調が悪くなってしまったのだ。そんな訳だから手短なベンチで休憩をする事にした。
「まさか暑さにやられるとはね…。夕方だからといって正直舐めていたわ」
雪ノ下は僅かに滲んだ汗を拭いながら疲れた表情をした。少し涼しくなったとはいえ、他の季節に比べれば十分熱風だ。疲弊には男女比があると思うがそれは時間の問題で俺もいずれこうなるだろう。
「…無理をさせたみたいだな」
俺が申し訳なさそうな態度を取ると、雪ノ下はまた首を横に振ってそれを否定した。
「だから貴方が謝る必要なんてないの。これは私が勝手に決めたことで結果としてこうなっただけ」
「そんな事ねぇよ。ペースを合わせられなかった俺も悪い」
「だから…」
再び反論される直前で俺は手を制した。
「なんか飲み物でも買ってくるわ。雪ノ下はそこに座っておいてくれ」
雪ノ下はまだ何か言いたげな様子だったが暫くして俯いた。もう言い返す体力も残っていないらしい。
俺達がいるのは茜浜緑地の中間地点。不幸中の幸いとでも言うべきか、付近には駐車場があり、その関係で自販機が一基設置されていた。
「助かった…って、げ……」
一つ安堵したところで嫌な予感がした。
駐車場に真っ赤なスポーツカーが停まっていたのである。先程の夕日みたいなその車には酷く見覚えがある。
「…お?比企谷じゃないか。久しぶりだな」
地味なトレンチコートを着た高身長の女性。見間違える筈もない。元、総武高教師の平塚静だ。
「え、なんでこんな所にいんすか。…カフェで一服してたんじゃねぇのかよ」
「ん…なにか言ったかな」
俺が嫌味を込めて一つ吐き捨てると、平塚先生はあさっての方角を向いておどけてみせた。
まさかとは思うが一連の出来事を傍観していた、いや観察していたのではなかろうか。
「…見てました?」
恐る恐る質問をする。すると平塚先生は瞳を閉じて、やや得意げな調子で言った。
「いや…私は何も見てはおらんよ。男女二人が仲睦まじく夕映えに消えていく姿しか、な?」
平塚先生は知らんぷりをしたかと思うと、片目を開けて意味ありげに事実確認を迫ってきた。
もうこれ絶対見られたやつだ!
「いや~さながら映画の一部始終のようだったよ。思わず、なんじゃこりゃ!と叫んでしまった。心の中で…だけどな」
「…太陽にほえろですか。その言い回し、色々バレると思うので辞めた方が…」
「何か言ったかな?」
「いや、なにも」
一通りのお喋り文句を言った所で互いに苦笑する。
平塚先生は煙草を取り出し、ライターで火をつけようとしたが…辞めた。俺が不思議そうな顔をすると、平塚先生は首を小さく横に振った。
「…こういうのはもう辞めだな。それはそうと比企谷。部活動は上手くやれているか?聞く所によると復活したそうだが」
俺個人としてはあの格好つけをまた見たかったんだけどな。そんな私語を飲み込んで俺は返答をする。
「妹の小町が業務を引き継ぎましてね。俺達三人は半ば幽霊部員というか、外付けアドバイザー的な存在でひっそりやってます」
もう役目は終えたとばかりにため息まじりに言うと、平塚先生は苦笑した。
「それは頼もしいな。君の妹が引き受けてくれるなら問題なさそうだ」
「いやまあ…それはそれで新たな問題が目白押しなんですが」
俺が言うが否や、平塚先生はまたニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「全く羨ましい限りだよ。麗しい女性たちに囲まれて青春を過ごせるなんて…」
「…それ本気で言ってます?」
「本気も本気さ。…私は多分、君達の関係に嫉妬しているのかもしれないな」
平塚先生は本当に好ましそうに水平線を眺めて言った。
実際はそう外はサクッと中はとろ〜り甘々な三角チョコパイみたいな関係とはいかないんだけどな。寧ろ、外はザクっと中はドロり韓国ドラマみたいな展開が現実味を帯始めている。何それカレーパン?いや、揚げ物は好きだけどさ。
「でも何かと進歩はある気がします」
不意に出てきたのはそんな言葉。
「そうか」
平塚先生の一言で会話は途切れる。冷ややかな潮風が双方の隙間を通過していく。悲しいかな。もう先生との距離はすっかり遠くなってしまったらしい。それでもこうして会えたのは風の便り、何かの巡り合わせなのだろう。
去り際に先生はこう言った。
「今日はたまたまだからな!もう二度と会う事はない。…それでも安心したよ。…私は本当に諦めの悪い女だ」
自販機で飲み物を買って雪ノ下に手渡しした。
「随分遅かったわね…。なにかあったの?」
「いや別に。何が一番疲弊した体に効くのか考えてた」
「そう」
彼女の手に握られているのは細長く黄色い缶コーヒー。
「これ、何度飲んでも慣れる気がしないけれど…」
雪ノ下雪乃は小さく呟く。
「…貴方と居れば好きだって思える」
雪ノ下雪乃は、静かに茜色に想いを馳せる 完
イメージEDソング『エブリデイisパーフェクト』