僕は音海千尋。北宇治高校に通うただの二年生。全体的に普通の成績で飛びぬけているところは何一つもない。本当にただの一般生徒。そんな僕は吹奏楽部に入部している。だけど、楽器はピアノぐらいしかやったことないし、吹奏楽自体に興味があるわけでもない。
ならなんで…そんな僕が吹奏楽部に入部したのかという謎だけが残る。でも、その答えは実に簡単で聞いたら読者が「そんなことか~」と思ってしまうようなこと。僕が入部したのは誘われたから。元々、何事にも興味がない僕なのでどこの部活にも入部するつもりはなかった。でも、そのことを両親に伝えたら「どこでもいいから内申のために入部しておきなさい」と言われてしまった。
そしてそんな時にある子が吹奏楽部に誘わってくれた。その人の誘いを断る理由も見当たらなかったので受け入れた。
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ここは吹奏楽部の練習に使われている教室。そこで僕は机に頬杖を付きながら、目の前で練習に勤しんでいる同級生のことを見ている。この子の名前は吉川優子さん。茶色の髪色で黄色いリボンがトレードマーク。吹奏楽部ではトランペットを担当していていて、ちょっと気が強い子。
そしてこの吉川さんが僕を吹奏楽部に誘わってくれた人。
正直、吉川さんとは別にそこまで話したこともなければ、僕に関しては吉川さんの名前さえ知らなかった。
「ねぇ、私のきいて!」
「はい、いいですよ」
吉川さんの吹く、トランペットは素人の僕にも分かるほどに綺麗な音色。僕の音とは比べられないほどに。いつも吉川さんと一緒に練習していることもあって、差を実感させられるんですよね。もちろん、吉川さんは中学も強豪校ですし、僕とトランペットに掛けている時間が違うのも分かっているつもり。それでもやっぱりキツイですね。こんなにうまい人といつも一緒にいるのは。
吹奏楽部に入部して一年近くが経っているのに未だに上達しない。僕には音楽の才能はないらしくて、練習時間と上達が釣り合わない。自分でもお荷物になってしまっていると感じている。それに何度も退部をしようとしたけど、その度に吉川さんや先輩たちに止められてしまった。というかほぼ強制で『退部届』を受け取ってもらえなかった。
そんなことを考えていると吉川さんの綺麗な音色は終わり、吉川さんはこっちに何かを期待しているかのような目で見ている。
「とても綺麗な音色ですよ」
「そ、それは嬉しいけど、そうじゃなくてあんたも引いてよ!」
「ぼ、ぼくですか…?」
「うん!」
これは一種の嫌がらせなのかな。自分よりも下手な人の音を聞きたいというのは。僕と吉川さんの楽器の腕には天と地ほどの差があって、これからどんなことをしても絶対に追いつけないところにいる。
寄りにも寄って同じトランペットなんですよね。
「僕は下手ですよ」
それほどまでに僕の下手の音を聞きたいのかな。吉川さんとの付き合いも一年近く経っているのでこういう時の吉川さんは一歩も引いてくれないことを知っている。前もどうにか話題を逸らそうとしたことがあったけど、それも成功しなかったんですよね。ここは潔く、吹いちゃった方がいいかもしれない。もし、ここで吹かなかったら「吹いてくれるまで私は諦めないからね」と言い出して、ずっと付きまとってくるのが目に見えている。
「あんたはもうちょっと自分に自信を持ちなさい。私はあんたがどれだけ努力しているのかを知っているし、誰よりもこの吹奏楽部のことを大切に想ってくれているのも知ってる。それにこの部活に所属している誰もがあんたを認めてる。だから、もっと自信をもって演奏しなさい。あんたの演奏にはそれだけの価値があるんだから」
「分かりました。でも、あんまり期待しないでくださいね」
「期待はするわ。だってあんたは少しずつでも絶対に上手くなっているから」
いや、そんなに上手くないですよ。練習はそれなりにしているつもり。自分の練習の度合いが他に比べれば途轍もなく少ない方なのかもしれないけど。自分で言うのも今までの人生の中で一番頑張っていると言っても過言じゃないぐらいには頑張ってるとは…おもう。
「じゃあ、始めますね」
僕は深く息を吸って、吐くと演奏を始めた。演奏している間は演奏することに必死過ぎて何一つとして覚えていないんですよね。一応、区切りがいいところまで引き終わると口をトランペットからはなす。そしてまら一息ついてから吉川さんの方に視線を移す。演奏している時は窓の方を見て、演奏していたので吉川さんがどんな表情で聞いてくれたのかは分からない。
そこにはなぜか、蛻の殻状態の吉川さんの姿があった。
「よ、よしかわさん?」
「あ、ごめん。ちょっと聞き入っちゃって」
いや、聞き入るほどいい演奏ではなかったとは思うんですが。全体的にまだまだですし、お世辞にも上達しているとは言えない。
「やっぱりあんたは上達してる。何よりも私はあんたの『音』がいいのよ」
「音ですか?」
「うん。同じトランペットでも私が演奏するものとあんたが演奏するものとでは全然違う音になるし、香織先輩が弾いても違うし、他の誰が弾いても違う。絶対に同じ音になることはなくて、音にはそれぞれの内面に秘めているものや個性がにじみ出てしまうものなの。そして、あんたの音はとても優しい音色で綺麗なの」
吉川さんの感想を全て理解できないけど、少なくとも褒めてくれているのは分かる。そんなに褒められるほど、僕の音が良くないのに。やっぱりちょっと気を遣わせちゃったのかも。
「そこまでじゃないですよ?」
「はぁ~だから、あんたはもっと自信を持てって言ってんの!他の誰が何といってもね、私はあんたの音がいいと思うし、私はあんたのことが……す…す…い、いいとおもう!」
「吉川さんにそこまで言われると逆に怖いですけど…そうですね。少しは自信を持ってみます」
何事もダメだ、ダメだと思っているといつまでも上達しないと言いますし、練習にはそれなりに時間も使っている訳だし、その時間を無駄にしないためにも。
「あ、もう来てたの?」
「香織先輩!」
「中世古先輩、おはようございます」
中世古香織先輩。僕の一つ上の学年で4月からは最上学年となる世代。吹奏楽部でもマドンナ的な人気で吉川さんからは慕われている。とても優しい性格の持ち主で衝突を避ける感じなのはおこがましいが、僕と似ていたりもするんですよね。
「二人ともおはよう」
「おはようございます!」
本当に吉川さんの言葉遣いが綺麗になるんですよね。それぐらい、中世古先輩のことを慕っていているということなんですけどね。
それから、中世古先輩が教室の椅子に座ると気になっていることを聞いてみることにした。
「今年も新入生歓迎の演奏をするんですか?」
「するつもりかな。晴香が言うにはそろそろ演奏曲も決めるって話だと思うよ」
「分かりました。ありがとうございます」
それからお互いの近況などを話していると急に中世古先輩が変なことを言いだした。
「私としてはキミの演奏聞きたいなぁ~なんてどうかな」
「さっきも同じようなことを言いましたが、先輩に聞かせられるようなレベルにまで達していません」
「無理強いさせるつもりはないよ。音海くんがあまり人に聞かせたがらないことも知ってるしね。でも、私は音海くんの音が好きだよ。人を包み込むような優しさを感じるような音色」
お世辞だとしてもこんな風に言われちゃったら弾かないわけにはいかないですね。それに隣の吉川さんから「弾け」という圧もすごいですし。
僕はまた一息を付いてから構えて弾き始めた。
たぶん、僕には音楽の才能というものがない。才能というよりもセンスかな。僕と同じように楽器なんて高校まで触れてこなかったという子でもある程度は上達している。それに比べて、僕は全然だ。
今の吹奏楽部は年功序列という感じで一年で上手いからコンクールに立たせる感じじゃない。だからこんな下手な僕だったとしてもいつかは番が回ってきてしまう。絶対に僕よりも経験もあって、上手い後輩なんてたくさんと入って来るのに。それなのに僕なんかが選べれたら、まだ見ぬその子たちに申し訳ない気持ちで一杯になる。
そして弾き終わると…拍手がおこった。
それに僕自信が困惑し過ぎて、しらばく何も言えなかった。
「え、どういうことですか…?」
「音海くんの演奏が良かったから拍手したんだよ」
「香織先輩も上手くなっていると思いますよね!?」
「うん。上手くなってるよ」
二人はかなり褒めてくれているが、僕にはわかる。全然ダメだということが。
「…そんなに良くないというか…だめですよ」
「もっと自信をもって!私も晴香もあすかも他の皆も音海くんの音が好きなんだからさ。自分の演奏にもっと自信さえ持てればもっと良くなると思うよ」
中世子さんは本当に優しいですから、絶対に褒めてくれるんですよね。だって入部してすぐの時でさえも中世古さんは褒めてくれていましたし。
「褒めてくてださり、ありがとうございます」
「そろそろ敬語を取ってくれてもいいんじゃないのかな?」
「それは無理な相談ですね。敬語に関してはもう癖になってしまうので簡単に治るものではないんです」
「音海くんがその方がいいんだったら、無理強いはしないよ」
それからお互いに練習に励むのであった。
主人公は誰かと結ばれて欲しいですか?
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結ばれないで欲しい
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結ばれて欲しい