「……また、酷い目に遭いましたね」
「……」
「私が出来るのは治療だけですが、良ければ少し休んでいって下さい。幸いにも今日は午前中に他に依頼はありませんから」
「……ありがとう、ございます」
「いえ」
部屋の中にある患者用のベッドの上にその少女を座らせると、上着を脱いで貰い、怪我をした場所を確認していく。明らかに他の人間から受けたような痣や鬱血、恐らくその関連で受けたであろう擦り傷も含めて、本当に酷い。しかしこの少女は定期的にこういう怪我をして来るし、治療をしている患者の中には、この子と同じファミリアで似たような境遇の者も少なからず居る。
「『愛しき、優しき、貴方を見る。光の泡、虹の癒し、祝福を貴方に――アクア・リーフ』」
「あぁ……」
小さな光の泡は患部に当たると同時に優しく弾け、それが弾ける度に痛みは治り、傷は塞がっていく。そうして苦痛が和らいでいくだけでも十分なのに、どうしてこうやって好んで彼女の治療を受けに来てしまうのか。どうして回復薬を使わずに、わざわざここまで来ようとするのか。それはもちろん回復薬を買うより彼女の治療費のが安いということはあるけれど、それよりもなにより……
(……落ち着く)
身体だけではなく、心からも苦痛が消えて行く。心の中に詰まっていた悔しさ、寂しさ、憎悪、悲しみ、絶望、焦燥、殺意、そういったものが消えていく。そういった抱えているだけでも疲れてしまうものが、取り除かれていく。明日からまた頑張ろうという気力が湧いて来る。次はどうやってやれば上手くいくのか、考える余裕が生まれて来る。……だから、ここに来るのだ。
【甘園】
それが彼女が神々から受けた二つ名。
彼女の使用する治療魔法は、身体の治療だけではなく、精神の治療も行うことが出来る。否、どちらかと言えば精神の治療の方がメインと言ってもいい。それでも身体の治療だって他の一般的な治療師と比べても効果が高いのだから、やはりそれは才能なのだろう。少なくとも同様のことがこの水準で出来る眷属は、彼女以外このオラリオには存在しない。
まるで甘い物を口にした時に身体の疲れが取れるように、彼女の治療を受けることで自分の身体も心も最善の状態を取り戻すことが出来る。負の感情に支配されたこの心の苦しみから解放され、次のことを考えられる余裕が生まれる。絶望から一時的にでも抜け出すことが出来る。
「もう少し、こうしていましょう。大丈夫です。私は治療師で、貴方は患者。ただそれだけですから」
「……はい」
そして何より好ましいのが、彼女がこちらの事情には絶対に踏み込んでは来ないこと。治療師と患者という関係以上に、深入りしてくることはない。悪いことだってしてしまっている自分にとっては、それが救われている。
きっと彼女は、自分から話さない限りはこのままで居てくれる。それが何より安心出来るのだ。そして同じ安心感を抱いてる患者は、自分以外にもたくさん居るはずで。こんな裏道で生きている人間達にとっては、彼女のそういう配慮こそが、他の何より重要なことなのだ。
「……私は治療師です、力には逆らえない弱い治療師。残念な話ですが、貴女の悩みを解決することは出来ませんし、貴女のためだけに生きることも出来ません」
「……はい」
「ですが、苦痛を和らげる事と、貴女に一時の安らぎを与えることは出来ます。私のことを十分に利用して、なんとか明日を生きてください。朝でも、夜でも、拒むことはありません。……私はただの治療師ですので」
「ありがとう、ございます……」
もう怪我の治療も終わっているのに、魔法だけは使い続けて、手を重ねてくれる。もう片方の手から今も自分の胸へと放たれている金色の泡は、こうしてぼーっと見ているだけで心地良くて、心の中から未来への不安や絶望も取り除かれて、少しずつ元気が出て来るのが分かる。
こんな世界で、こんな状況に陥って、同じファミリアの人間も、気の良さそうな一般人も信じられないような有様なのに。彼女だけは信じられるから、彼女だけは癒してくれるから、本当に甘い楽園のようだ。
……ずっとこのまま、こうしていたい。そう思ってしまうことはあるけれど、それでも彼女はやはり治療師だから。機械のように治療師に徹しているから。自分を特別扱いはしてくれないし、自分だけを癒してはくれないし、より助けを必要としている人の元へ行ってしまう。
だからきっと、これで良い。
この甘い楽園は一時のものでしかなくて、単なる止まり木でしかなくて、休憩を終えたら取り戻した元気で自分の人生を切り開いていかなければならない。彼女は自分だけのものではなくて、より多くの助けを求める人達のものなのだから。
「あの……本当にありがとうございました」
「いえ、またいつでも。……ああ、そうだ。これを持って行ってください」
「これは……?」
「試作品の魔道具です。見た目は単なる鋼製の回復薬の容器のように見えますが、薬草と水を入れておくだけで勝手に回復薬になります」
「っ!そ、そんな貴重な物を……!」
「言ったでしょう?試作品だと。それを使って、どんな比率で、どんな薬草を使えば質の良い回復薬になるのか。調べて貰うことは出来ませんか?その代わり、その魔道具は差し上げます。……これは正当な取引です」
「……だから、見た目をこんな風に?」
「………」
「リリが持っていても、他の冒険者に取られてしまわないように……見た目は普通の容器にしてくれたんですか?」
「……暗黒期が終わり、需要も減り。物価の関係もあって、最近は回復薬も少しだけ高くなりました。古巣を敵に回してしまうので、こんな魔道具は公には出来ませんが。その性能を調べることくらいなら許されるでしょう」
「………っ!!」
「明日からも、また頑張ってください。私では貴女を救うことは出来ませんが、いつか貴女が幸福を掴むことが出来ることを、陰ながら祈っています」
「ありがとう、ございます……ありがとうございます……!!」
何度も何度も頭を下げてから、その場を去る。
……特別扱いして貰えないなんて、そんなことはなかった。確かに自分は彼女にとっては単なる患者でしかないけれど、患者の中でも特別扱いされていたのだと気付く。今は何故かそれがどうしようもなく嬉しくて、まるで解放されたかのような心地良さで嬉しい涙を拭って、リリルカ・アーデは走っていく。行き先とか用事とかは、特に今日は何もないけれど。
「……応急処置程度には、なりましたかね」
もちろん。そのリリルカの想いも、実感も、何もかもが彼女の思っている通りのことであるという保証は何処にもなくて。
……つまりはそう。確かに彼女は患者の中でも特別に扱っている方ではあるが、誰よりも特別であるという訳ではないし。言ってしまえば、結果のところ。彼女は患者の1人でしかない。それだけだ。
その日の朝、まだ店も開けていない時間帯。冒険者達がダンジョンに向かい始め、朝の早い店であれば既に威勢よく品物を売り始めているような時刻。そんな少し騒がしい通りを歩く冒険者達にも聞こえてしまうような、より大きな声で、1人のエルフが取り乱したように叫ぶ。
「それは本当ですかシル!?」
「う、うん……リューにはもう、自分のことは忘れて欲しいって」
「っ……!」
朝は仕込みや掃除、夜に比べれば暇とは言え、やる事はある。それでもこんな話をしていられる余裕はこの時間くらいしかないがために、シルは昨日のことを掻い摘んで話した。
……本当に、掻い摘んで。
何処から何処までをどうやって話すのかは、全部シルの独断と偏見。故に今こうしてリューに伝えたのは、かなり悲観的なものばかり。けれど今はそれが必要であると分かっていたから、敢えて昨日聞いたそれよりも話を盛った。
良くないことだし、誠実ではない行いだ。しかしそれが必要なら、迷いなくやるべきだろう。少なくともシルはそうした。あの治療師のために、そして同時に自身の友人のために。
「………サラ」
例えば。
末妹だった自分の後に、両親を抗争で失った1人の少女が拾われて来たとして。
例えば。
その子に十分な才能があって、初めて出来た自分の後輩を前にして、周りよりも少しくらい過剰に構って可愛がってしまっていたとして。
……そんな優しい話は既に過去のことであり、実際に自分が最後に彼女に何をしたのかと聞かれれば。リュー・リオンはそれを何の躊躇いもなく声に出して言葉にすることなど、決して出来ない。
そんな彼女の今と、自分の今を見比べて。聴き比べて。よりいっそうに責任感と後悔を感じてしまうのも、仕方のないことだと言える。
「そろそろ、迎えに行ってあげないの?」
「……私に、そんな資格はない」
「リュー……」
「私は……私は彼女に酷いことを言って、捨てた。そんな私が今更どんな顔をして彼女に接すれば良いというのですか……」
「でも……」
「なぜ、なぜディアンケヒト・ファミリアを抜けたんだ……なぜ、1人になろうとするんだ……」
そうならずに済むように。まだ幼かったあの子が、自分と同じように闇に走ってしまわないように。そのために彼女をディアンケヒト・ファミリアに送り込んだというのに。どうして自分が知らぬうちにそんなことになってしまっているのか。
……1人になって欲しくなかったのに、どうして自分から1人になりに行く。どうしてそうまで、悲しいことを言うようになってしまったのか。
「……はぁ」
そんな風に顔を悲痛に歪ませて俯く彼女を見て、シルはただ溜息を吐くしかない。合わせる顔がないだとか、資格がないだとか、そんなことばかり言って避けている癖に。結局大切に思っていて、心配で心配で仕方なくて。……不器用で、生真面目で、だからこそ間違っている。そんな友人を前にして、仕方がないと肩を落とすしかない。
「リュー?これは私からの……ええと、今日までの色々な借りと引き換えにしたお願い、かな。まあ指示でも命令でも何でも良いんだけど」
「……?」
「ミア母さんには言っておくので。これから数日、サラさんのことを密かに観察することを命じます」
「観、察……?」
「あのね?何も知らないのに、何も見ていないのに、何かが分かる訳ないでしょ?先ずは目を逸らすことをやめないと」
「っ」
「だから、これはそのためのまず一歩。とにかく相手のことを見ること。……仮に顔を合わすことは出来なくても、もしそんな資格がなかったとしても。それは様子を見に行くことを拒む理由にはならないよね?」
「それは……まあ……」
「いつまでも、逃げてたら駄目」
「シル……」
「それともリューは、自分のやったことの結果を見ることもせず、全部他人に解決させちゃうの?」
「そんなことは……!」
「じゃあ、どうすればいいのか分かるよね?」
「……わかりました」
「よろしい」
ここまで言って漸く決心出来たらしい。
もちろんシルだって彼女の気持ちは分かる、きっと怖かったのだろうと。誰だって自分が犯してしまったかもしれない罪を見ることは怖い。見なければ、確認しなければ、それは罪にはならないから。きっとそんなことにはなってはいなくて、相手は今も幸せに生きているのだと思っていられるのなら。それが一番楽に決まっているから。
……それでも、そうして後になって後悔はして欲しくない。まだ間に合うとシルが実際に見て、関わって、思ったのだから、こうして背中を無理矢理にでも押すのだ。
たとえその結果、勝手なことを言って自分が後でミアに怒られることになったとしても。
……まあ、うん、大丈夫だろう。
だってミアだってこの件については知っているだろうし、流石に許してくれるに違いない。確かに今日は客が多そうだから仕込みはしっかりとしておけと言われているけれど、うん。きっと大丈夫だ。
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「なあリヴェリア、ちっと欲しい子がおんねんけど」
「……またお前にしては珍しい話をするな、ロキ」
「まあなぁ」
定期的な遠征が近くなり、ファミリア総出で準備をしているそんな最中。珍しいロキからのそんな言葉を聞いて、リヴェリアは足を止める。
女神フレイヤでもあるまいし。リヴェリアとてロキとのこの長い付き合いの間、自分から勧誘しに行くことはあれど、『欲しい子が居る』などと話を切り出されたことは最近では早々無い。故になんとなく訝しげな顔をして、その言葉の先を待つ。それが一体誰なのか、ということまで含めて。
「【甘園】って知っとるやろ?」
「ああ、ディアンケヒト・ファミリアの……彼女を引き抜くのか?流石にそれは彼のファミリアとの関係を考えるとやめた方がいいと思うが」
「それがな、今あの子フリーらしいねん」
「なに?」
「なんや理由はよう分からへんのやけど、ファミリアを抜けたんやと。今はフリーの治療師として、貧民街とかを中心に活動しとるらしいで?しかも格安で」
「それはまた……」
【甘園】と言えば、かつてアストレア・ファミリアに所属していたこともある治療師である。ファミリアが壊滅してからはディアンケヒト・ファミリアで長く活動していたが、そこでも相応に活躍していたはずだ。
なにせ彼女は精神疾患を治せる。精神的な疲労を癒せる。焦りや恐怖といった負の感情を取り除き、その人物の精神状態を正常に戻すことが出来る。そこに加えて身体的な治療も相当なレベルでこなすことの出来る逸材だ。実際にそうして錯乱した眷属を何人も救って来た実績があり、ロキ・ファミリアとしても何度も世話になった過去がある。
「ふむ……」
……そう言われてみると確かに、リヴェリアとしても欲しい人材ではある。というか、何処のファミリアも欲しがる。個人的にも居て欲しいと思っている。それくらいには幹部としての役割というのは重圧が強いし、精神的にも疲労するもの。一度味わったことのある彼女のあの魔法があってくれればと、思うことはそれなりにある。
「勧誘しに行くのか?」
「いや、問題はそこやねん。……素直に勧誘しても、断られるような気がするんや」
「……まあ確かに、そもそも本来ならディアンケヒト・ファミリアを抜ける理由がない。治療師として活動しにくくなるのは当然だからな」
「せや。つまり、何より先にそこの理由を知らんといかん。なんでわざわざフリーになったんか、何を目的にしとるんか。そこを知って擦り合わせんと、そもそもの条件が出せん」
「なるほど……」
そもそも"強くなりたい"という欲や、"ダンジョンに潜りたい"という欲のない子だ。探索系ファミリアであるロキ・ファミリアに入る必要性など存在しない。それでも入って欲しいのならば、相手に相応の対価を用意する必要がある。ならばその対価に相応しいものを知るところから必要だろう。
そしてもちろん、なぜ彼女が今になってディアンケヒト・ファミリアを抜け、そもそもディアンケヒト・ファミリアがそれを許したのかというところまで。知らなければならない。
「ってことで悪いんやけどリヴェリア、ちょっと調べて来てくれへん?多分うちが出向くとあのクソジジイが出て来て話がややこしくなるわ」
「ああ、そういうことか。……分かった、可能な限りは調べて来よう。とは言え、調べると言っても団員達にそれとなく事情を聞く程度のことしか出来ないが」
「う〜ん、うちにあの子と仲の良い団員が居ったらええんやけど」
「……むしろ私は、彼女が誰かと仲良くしているという話を聞いたことがないくらいだ」
「うん?……確かにそうやな。人当たりはええ子なのに、なんや友達と話しとるってとこ見たことないかも」
「アミッドはアイズ達と話しているところを見掛けるが、彼女は常に仕事をしていた記憶しかない。常に何かしら動き回っているというか……」
「………」
「………」
なんとなく、直感する。そういう意味では彼女は、普通の少女ではないのかもしれないと。
……しかしそれも当然か。彼女は既に自分のファミリアを1度無くしているのだから。【疾風】があれほどの事を起こしたというのに、どうして【甘園】は何の影響もなく普通に暮らしていけると思うのか。むしろその方がおかしいくらいだ。
「ロキ、留守を任せる」
「なんや、今から行くんか?」
「ああ、遠征も近い。早めに動いておくに越したことはないだろう。……それに」
「?」
「……いくらなんでも、貧民街で少女を1人にさせておくというのも心配だ。少し様子も見て来たい」
「ま、それもそうやな。頼んだわ」
少しずつ、少しずつ、周囲の状況は動いていく。
彼女の才能を求めて。はたまた、彼女の過去に同情して。そしてそれは決してロキ・ファミリアだけの話ではなくて、話を聞き付けた他のファミリアであってもそうで。……もちろんそうなると当然に、リヴェリアやロキのように彼女の事情を慮って行動出来ない者も増えて来る訳で。
結局のところ、後盾が無いというのは。この街ではとても恐ろしいことなのだ。故にリヴェリアは早めに行動を起こすことにした。彼女がファミリア同士の厄介な争いに巻き込まれてしまう、その前に。