『何も御用が無いのであれば、私は行きますね。依頼があるかもしれませんので、失礼いたします』
「サ、ラ………」
どれくらい、時間が経っていたことだろうか。気付けば周囲は既に暗く、それくらいに自分はここに座り込んでしまっていたのだと理解する。けれどそれほどに、彼女のその反応は自分にとって衝撃の強いものであったから。
【はじめまして】
「っ」
彼女は自分に対して、"はじめまして"と言った。確かにそう言った。彼女が彼女の患者達に対して浮かべていた笑みと、全く同じ笑みのままに。
彼女は本当に自分を覚えていないのか?本当に自分のことを知らないのか?……否、そんなはずがない。そんなわけがない。だって自分は彼女を避けていたし、彼女が数年前に初めて自分を認識した時に、自分は彼女から逃げたのだから。互いに互いを知っている。
髪を染めたことも、あの酒場で働いていることも、自分が彼女を避けていたことだって、彼女は知っている。それこそ、彼女がシルに対してそう言っていたように。
「……私が、悪いんだ」
そもそも、何年も避けていたのに。今日突然現れて仲を戻そうというのも、普通に考えて勝手が過ぎる。彼女が怒ってしまっても、あんな態度を取られてしまっても、それは仕方のないことだと言える。
……仕方のないことでは、あるけれど。
「サラ……」
心が、痛い。
もしかして自分が彼女を避けた時も、彼女は今の自分と同じ感情を抱いていたのだろうか。だとしたら自分は彼女に対して、どれほど酷いことをしてしまったのだろうか。今更になってそんなことを思ってしまう。
今は酒場の友人達に囲まれて、日々を充実して過ごしている自分。新しい友と出会い、今は以前のような自然な笑みを浮かべることも出来るようになった。
……しかしその反面、彼女はそんな自分とは真逆の道を歩んでいる。孤独に自分の役割をこなし続け、以前のような笑みを浮かべることさえもなくなった。
「なんという、皮肉だ……」
死を覚悟し、何かもを捨てるつもりであった自分は。まだ幼い彼女をディアンケヒト・ファミリアに押し付け、彼女の幸福を願ったつもりなのに。彼女を巻き込まないつもりだったのに。
なぜ自分は今こうして幸せな生活を送っているのに、彼女はあんな笑みを浮かべるようになってしまったのか。何が彼女をここまで変えてしまったのか。
……もし自分があの時、彼女を避けなかったら。
避けずに受け入れていたなら。
こんなことには、なっていなかったのか?
あんな風に、彼女を孤独にさせずに済んでいたのだろうか?
彼女はもしかしたら、自分に、助けを求めていたのではないのだろうか?
「……立て、立つんだ、リュー・リオン。こんなところで座っていたって、何も出来やしない」
言葉で、自分を奮い立たせる。
本当に泣きたいのはどっちだ?自分か?違うだろう。そんな訳がない。少なくともそれは今日まで彼女から目を逸らし続けていた自分が持っていい感情ではない。無視し続けた自分には、悲しむ権利すらないのだ。
ならばもう、後は責任を取るしかない。
踏み込んでしまったのなら、見て知ってしまったのなら、言葉を掛けてしまったのなら、もう後戻りすることなんて出来やしない。彼女にもう一度あの笑顔を取り戻さなければ、彼女ともう一度家族に戻ることなんて出来る筈もない。
「その為にもまず、彼女に何が起きたのかを知らなければならない……!」
目を背けていたものを、見つめ直さなければならない。そうしてようやくスタート地点に立つことが出来るのだから。逃げ続けていたことに向き合わなければ、何も始まることはない。
ここから始め直すのだ。
あの時、彼女の意思すら聞くことなく勝手にその行き先を決め、彼女の顔すら見ることなく自分のことだけを考えて行動したその選択が、間違っていたのかどうか。始まりのその瞬間のことから、今までのことまで。全てを、知らなければ。
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「夜の依頼は……なし。今日はこのまま、休みましょう」
眠る前に、一応ポストの中を確認し、そのままベッドの上に倒れ込む。帰って来てから作っていた魔道具も、そろそろ完成が見えて来た。
今日の一段と強い精神的な疲労は、自分に対して強い睡気を与えて来る。本当は魔道具も完成までしてしまいたいが、頭の方が追い付いてくれない。いくら神秘のアビリティがあったとしても、作るのは自分だ。適当に手を動かしていたら出来ている物でもなく、そうするための脳が今日はもう機能してくれない。
「……ひどい、顔」
ボーッとする頭が、夕方に見たあの光景を勝手に思い返す。もしかしたらかつての自分も、彼女と同じ顔をしていたのかもしれない。けれど、それももう昔の話だ。
あれでいい、あれで良かったのだ。
個人的な感情なんて要らない、自分はただ治療師として癒していくだけでいい。人に寄り添い、出来ることをするだけでいい。その程度のことしか出来ない自分は、それを続けることだけを考えていれば良い。
彼女だって今回のことを機に、自分のことを忘れてしまえばいいのだ。また避けてくれればいい。自分のことなんか気にせず、彼女の居場所で幸せに暮らしてくれれば、それで良い。
「あとは、私が……」
もう彼女は、十分に頑張ったのだから。
闇派閥という巨悪の息の根を止め、この街に平穏を取り戻した。自分自身も指名手配されることを厭わず、暗黒期を終わらせた。そこまでした彼女は、もう彼女だけの人生を生きて良い。
何も出来なかった自分に出来ることは、せいぜい"アストレア・ファミリアの生き残り"という看板を1人で背負うことだけだ。そこに吐き捨てられる言葉や感情を、彼女に行かせないようにすることだけ。
だから、やっぱりあれで良かったのだ。
疾風はもう居ない、出て来てはならない。自分と関わってはならない。もう正義の眷属に戻る必要など無いのだ。もう彼女が居なくても、自分はやっていけるから。自分という個を捨てて、役割にだけ徹して生きていくことには、もう慣れたから。
正義の眷属はこれから先も、自分が背負っていく。なるべく多くの人を救って、それに乗る人々の感情だって、全部自分が引き受ける。それで良いのだ。
だから……決して、寂しくなんかない。
「っ」
そうして意識を落としかけた所で、ドアのベルが鳴る。起こす身体、上着を背負って立ち上がる。迷いはない、疲労も睡気も無視する。
こんな時間に来客だなんて、そんなのは緊急以外の何者でもない筈なのだから。人の命が掛かっている以上は、それより重要なことなど何もない。
「はい、どなたですか……?」
『出てくんじゃねぇ』
「っ」
扉の外から聞こえて来た男性の声、なんとなく感じる威圧感というか圧迫感。明らかにレベルの高い眷属がそこに居るのが分かるが、それは恐らく自分に治療を求めて来た人間ではない。
「あの、どういったご用件でしょう……?」
『……ファミリアが2つ、都市外のクソ共が5つ』
「?」
『ここ数日、テメェの寝込みを狙った奴等の数だ』
「……!!」
『……さっさと引越せ』
その男性の声を、自分は知らない。けれどそれがどちらにしても忠告であるということだけは分かる。……寝込みを狙う、つまりは何も知らなければ襲われていた可能性があるということ。
何が目当てで?そんなことは言わずとも分かる、自分のこの才能だ。そしてそれを教えてくれたということはつまり、自分を守ってくれたのはこの人であるということで。
「その……ありがとうございました」
『チッ……』
「ですが、私の活動を続けるためには、簡単に引越すことは出来ません……どちらにしても、私の居場所は明らかにしておかなければなりませんから……」
『ならファミリアの後盾くらい持ちやがれ』
「後盾……」
スコンッと、ポストに何かを入れられる音がする。それと同時に扉の外からしていた圧力が消え、人の気配も消えた。
恐る恐ると外に出てみると、投函されていたのは1通の手紙。いつも見ているようなものとは違い、しっかりと良い紙を使って包装されたそれには、送り主の名前も当然ながら記載されていて……
「……女神、フレイヤ」
名前だけなら知っている、けれど実際に会ったことはない。噂は色々と知っている、その全てが良い噂かと言われると決してそうではない。しかしそれでも暗黒期のオラリオにおいて、都市の最高戦力として活躍した実績があることだけは確かだ。
……であるならば、先程の彼もフレイヤ・ファミリアの団員であるのだろう。そうであれば、あの威圧感も多少は分かるというもの。しかし分からないのは、どうしてその女神フレイヤが直々に接触して来たのか。
自分に治して欲しいものでもあるのだろうか。なんだかあまり想像は出来ないけれど、そういう話であれば断る理由もなくて。むしろこうして助けて貰ったのだから、それくらいのお返しは当然しなければならないことで。
「明日の間に、本拠地に……」
いつ来るのかは任せる、つまりは自分の都合の良い時間で構わないということ。自分の都合に合わせてくれている、それが分かった。これはとてもありがたいことであり、同時にそれほど譲歩をして貰えているということでもある。
「……後盾」
自分が狙われているなんてこと、想像もしていなかった。それはこんな治安の悪い場所に住んでいるから、荒事に巻き込まれることは覚悟していたけれど。自分の才能はそこまで狙われるものであったかと、今更ながらに自覚する。
……けれど、後盾なんかしてくれる都合の良いファミリアが居るのだろうか。女神フレイヤは、なってくれるのだろうか。あまりそうは思えない。フレイヤ・ファミリアだけでなく、他のファミリアだってそうだ。こんな都合の良い自己満足に付き合ってくれる相手など、普通に考えてそうはない。
「やっぱり、こんなこと……長くは続けられないのかな」
疲れと軽い精神疲労で、一瞬頭をフラつかせながら部屋の中に戻る。考えることは山積みで、これから先のことには不安しかなくて、明確な解決法なんて出て来てもくれない。夜間に行っている魔道具作りも全然進まないし、著しい成果だって出せていない。
治療だけでは救えないものばかりが世の中には溢れていて、手は届かない癖にどうにもならない問題ばかりが増えていく。手遅れになるものばかりが増えていく。
「私には何も、救えないのかもしれない……」
彼女のように。悲しみに暮れる人達を解き放つようなことは、出来ないのかもしれない。
「っ」
またいつの間にか余計なことを考えていた自分を捨てる。何も考えなくても良い、ただ目の前の人を癒し続けていれば。夢も願いも目的も必要ない、自分はただ人を癒す存在であれば良い。周りの人達だって、それ以外は求めていないのだから。
意思も感情も必要ない、だから明日会う女神もまた自分の患者でいいし、後盾が無くなり襲われることになったとしても、別に構わない。どうせ何処に行ったって、やる事は変わらない。得てしまった才能で人を救うことが出来ないのなら、殴られたって、仕方がないのだから。
*************************
「なるほどなぁ、つまりもうぶっ壊れとるってことか」
「早い話、そうなる」
「まじかぁ、勿体無いなぁ。あの子の才能はマジで下界でも相当なレア物やのに」
「だが、治療は誰からでも受け付けているらしい。願えばいつでも来てくれるそうだ、ディアンケヒト・ファミリアにさえも」
「う〜ん、まあそれならそれでええんやけど……」
アミッドから概ねの話を聞いた後、リヴェリアは事情をロキに説明していた。
ある意味でアストレア・ファミリアが遺してしまったとも言える呪いを、一身に引き受けることになってしまった彼女のことを。それを誰にも相談することなく、ただ只管に溜め込み続けてしまった、未熟な少女の話を。
「……アストレアは、何もしとらんのか?」
「手紙は来ていたらしい、それに返信もしていたのだとか。……だからこそ、タチが悪いとも言えるが」
「なるほど、都合の良いことばっか書いとるせいで気付かんのか。というか、気付かせんように書いとるんやな」
「恐らくな。……本来なら、女神アストレアと共にこの都市を出ることが彼女にとっての最善だったのだろう。あの子にはまだ保護者たり得る人物が必要だった」
「ま、仕事の出来る良い子やったもんなぁ。あのクソジジイ擁護する訳ちゃうけど。放っといても役割こなしてくれるんなら、目を離してまうのもしゃあないわ」
別によくある話だ。
組織を率いていれば、問題児にほど目を向けてしまう。その代償として、普段からしっかりしている子に眼を向けてやれず、いつの間にかその子が破綻していた。そんな話は何処にだってある。今回もそれと似たようなことが起きたというだけ。それほど珍しい話ではない。
「……それで、どうする?」
「どうするって?どうしようもならへんのやろ?」
「それはそうだが……」
「まあ、言いたい事は分かるわ。せやけど、少なくともウチ等には救えん。殆ど他人みたいな人間に何を言われたって焼石に水や」
「………」
「そもそもこれ、大分根の深い話やで?」
「根?」
「多分やけど……あの子まだ、そもそも自分のファミリアが壊滅したショックから立ち直れとらんやろ」
「!」
正しくは。立ち直るための環境も、状況も、時間も、余裕も、与えられなかったとも言える。
彼女は良くも悪くもディアンケヒト・ファミリアの中でも腫れ物扱いであったから。受け入れては貰えても、踏み込んでは貰えなかった。表面では笑っているから、皆がもう大丈夫なのだと思い込んでしまっていた。
彼女は被害者ではあるけれど、かと言って周りの者達が加害者である訳でもないのだ。世の中上手くいかないなと、そう言う他にない。
「……とは言え、知ってまったんなら何もせん訳にはいかんわな」
「どうするんだ……?」
「アストレアにはヘルメス辺りを捕まえて伝えとこか。あとリヴェリアは一回顔見て来てくれへんか?今後、治療をお願いするにしても、顔合わせくらいはしとかんとアカンやろ。もしかしたら奇跡的にママが働いて打ち解けられるかもしれんし」
「……ママと言うな」
「せやけど、あんま変に深入りはせんといてな。ファミリアに来てくれへんのに問題だけ持ち込まれても困るし、あくまで顔繋ぎ程度にや」
「……分かった、そうしよう」
とは言え、リヴェリアは思う。
正直なところ、この問題は例の店で働いている『疾風』を引き合わせれば済む話なのではないかと。女神アストレアがこの街に居ない以上は、それが一番手っ取り早いのではないかと。
……もちろん、あのエルフも如何にも生真面目で諸々の感情を抱えていそうではあるが。そもそも現時点まで関わりが無さそうな時点で、色々と拗らせてしまっていそうではあるが。
「やれやれ、私が言えることでもないのだろうが……エルフというのは実に面倒な種族だな」
それでも、疾風も今は無所属に近い状態。この件の解決に力を貸せば、彼女を自分たちに任せてくれるかもしれない。それを考えれば、全くの徒労に終わる事はないだろう。そうでなくとも彼女の魔法は、ロキが欲しがるくらいには有能なのだから。何も迷う必要などない。
……それに最悪、得てしまった疲労は彼女に癒して貰えばいいのだし。