「起きたかい?ベル」
寂れた教会で、ラインハルトが瞼を小さく揺らすベルに問いかけた。
燃えるような赤髪と、雪のように白髪。
一見すると対照的だが、ベルはラインハルトを兄のように尊敬していたため――、
「へ?――うっわぁぁ!!」
ベッドから飛び起きてしまった。
まさか、あのラインハルトが自分のおんぼろ協会にいるとは――といった様子だ。
ベルはまじまじとラインハルトを見た後、視線を少し下にずらし、
「――神様」
と、呟く。
ベルが寝ていたベッドにもたれるようにすやすや眠っていたのは、主神――ヘスティアだった。
「神ヘスティア。ベルが起きました」
囁くように、ヘスティアが不快感を覚えないように、『目覚めの加護』を使って優しく起こした。
また適当な加護を取得してしまったラインハルトだが、神に起床を強制させる大罪と比べては、やはり無責任に加護を覚えた方が良いと判断した。
「……んむぅ。へっ!」
幸せそうに蕩けた顔をした後、ヘスティアもまた――ベルと同じように飛び起きた。
ヘスティアはベルの顔を、およそ神らしくない表情しながら見つめ――あるいは見惚れ――未だ薄い彼の胸に抱きついた。
「神……さま?」
「――うぅ。ベル君!ベルくーん!」
ここでも神らしくないほど――泣き叫んだ。
こうして一人の眷属のために涙できるところが彼女の魅力だと、ラインハルトは思う。
「どうしたん……ですか?」
状況を掴みきれていないようだが、寝ぼけが覚めるとともに――起きたことを思い出していった。
ベルは親愛する主神に心配をかけ、敬愛する英雄に助けられたことが――『元都市最速』の如き速さで頭に飛び込んでいった。当然、好敵手のこともだ。
「僕……あの後」
「あの後、というのがいつを指しているのはわからないが、ヘスティア様に代わってある程度のことを教えよう」
ヘスティアが感極まり、ベルの胸にうずめたままだったからだ。
「ラインハルト……さん」
「昔のように、ラインハルト兄さん――と呼んでもいいんだよ?」
「い、いえ!あの時はラインハルトさんのことを知らなかったものですから――!」
「そうだね――ベルはいつだって英雄譚にしか興味がなかった。あの――お祖父さんが仰っていた『ハーレム』どうこうは、今は辞めたのかい?」
「ああ!それは――」
ベルが恥ずかしそうに顔を赤らめ、必死に腕を振って説明しようとする姿が、ラインハルトには可笑しく、愛らしかった
「いいよ。今のは気にしなくてもね。――話を戻すけど、あのミノタウロスとの戦闘の後、君とサポーター君を僕の信頼する女性に治療してもらったんだ」
「あっ!あの、リリは!」
「リリ――リリルカ・アーデのことだね。僕もこれからはそう呼ばせてもらおう。彼女は【ソーマ・ファミリア】の眷属だからね、本来神ソーマの居られる所まで運ぶべきなんだけれど」
「――けれど?」
「あまり芳しくないと思ってね――今は信頼できる人に預けているよ。まあさっき言った治療師のところさ」
「何か、問題があるんですか?」
「ああ、あまり良い噂は聞かない派閥だから、念には念を――だよ」
ベルはラインハルトの真剣な双眸を見つめ、信用にたる言葉だと判断したのか、安堵の表情を浮かべて深く息を吐いた。
ミノタウロスとの死闘。
白髪の少年の身には余るほどの負担だっただろう。
「――丸一日、寝ていたんだよ」
小さな声で、女神がつぶやいた。
ベルは衝撃を受け、事実から確かめるためラインハルトをみた。
赤髪を揺らし、首肯を返す。
「それは……神様、ごめんなさい」
「――――」
「これ、僕は外そうか」
ラインハルトの言葉は虚空を舞い――散った。
侘しくなり、いたたまれない気持ちになった英雄は、静かに廃教会を後にした。
邪魔をしてはいけないと、確かにそう思った。
「それにしても――あのミノタウロス、強化種か」
蒼き眼がバベルを睨む。
未だ感じる視線を振り解くようにねめつけ、
「彼は彼で強くなる――あなたは干渉しすぎるな」
聞こえているかわからない相手へ、忠告した。
無駄なことだと諦めつつ、いずれ来たる先々をも睨み据えた。
***
神会が開催された。
格上のミノタウロスに勝利し、昇格を果たしたベルの二つ名を決める予定である。
ラインハルトが目をかけていることや急激な成長速度から、ベルのことは多くの神が注目していた。
神々の娯楽の一つである二つ名の名付けには被害者も続出しているため、主神であるヘスティアがベルを守ると息巻いていた。
「そして決まったわけだ。『未完の少年』か。無難なところに収まっているね。よかった」
ラインハルトは目を瞑り、街の声を聞いていた。
集中すれば周囲にいる大抵の会話を理解できるため、情報収集は容易である。多少、体力は消費されるが。
神々ですらラインハルトという存在には頭を悩ましており、そもそも恩恵を与えられた当初から異常な能力に、主神がアストレアである手前下手な二つ名もつけれず――、
「色々付けられたなぁ……」
苦笑しながら思い出す。
『剣聖』以外にもアストレア公国にいた時の二つ名を呼ばれ、もうかっこよければなんでもありという状態だ。
皆その場のノリでラインハルトに合う二つ名をつけてしまい、気がつけばラインハルト本人ですら確認しきれない量へと増えてしまった。
ただそれも五年も近く前のことだ。
昨日今日はそもそもラインハルトがオラリオに不在であることも多いので、そういった与太ごとは落ち着いている。
ベルの家へと足を運ぶことやオラリオ外での任務、アストレア公国からの様々な厄介ごとなどが忙しく、純粋に冒険者としての活動を行えていないからか、才気あるラインハルトですらオラリオにきてからまだ一度しか昇格をしていない。
父親の邪魔だてが大きく影響していて、格上を葬る機会がないのだ。
いつだって天才に絡まる無数の黒い手は、凡才によるものである。
「勝手をしている僕にも非があるけどね……」
苦笑を浮かべ、空を見る。
灰色の雲が陽が橙色に染め始めた。そろそろ陽が落ちる。
ただ、帰宅する前に――、
「さて、今日はどこで夕飯をとろうか」
思い浮かぶのは『豊穣の女主人』だが、目を瞑り音を聞いていると、聞き覚えのある声が届いた。
「あれは――ベル?」
他にも聞き覚えのある声がいくつか。
会話の内容から察するに昇格記念の飲み会といったところか。
「邪魔は良くないかな」
ラインハルトが行くことで緊張してしまう者が二人いるため、今日は断念することにした。
折角の楽しい時間を、ラインハルトの参入で壊してしまうのも忍びない。
「しかし――どうしようか」
ふと思い浮かんだのは行きつけのカフェでも、友人宅でもない。
――ジャガ丸くんである。
ジャガ丸くん――オラリオを代表する名物である。ラインハルトの好物でもある。彼がこの都市に来てよかったと思える理由の上位に食い込んでいる。
【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタインと同じ好物だが、残念ながら味の好みは別であり、小豆クリームはラインハルトには認められない。
やはり王道を通るのがラインハルトである。
普通の味を推しているため、度々アイズとは争っている――という名目で、アイズが剣を挑んでいる。
財布にお金があることを確認し、ついでに通り道の店で野菜の余りを買う。
「いつもありがとうね!」
店主の感謝を背中に受けつつ歩を進める。
窓から子供が目を輝かせてラインハルトを眺めている。ラインハルトが笑顔を返すと満足したように――恥ずかしそうに頬を紅くし、顔を下げてしまった。
すれ違う人が皆、期待のこもった眼でラインハルトを見る。
「またあれやるのかぁ……はは」
ラインハルトが人々に期待されるそれは――、
「――っと!」
上へと跳躍した。空高く。
過去に子供達を楽しませるために見せた空中歩行。
それがオラリオ中に広まり、気がつくと普段から期待の眼差しで見られるようになってしまったのだ。
空を駆ける。
加護により風はなく、先ほど買った野菜たちも無事である。
途轍もない速さ、瞬く間にジャガ丸くんの店へと着いた。
閉店間近で残り少なかったが、ジャガ丸くん二つお願いします――と無事買うことができた。
先ほどとは打って変わってゆっくりと歩き、だんだん冷え始めている空気を一気に吸い込んで、優しく吐き出した。
***
ラインハルトはベルの動向を知るため、ギルドへと向かっていた。
動向、といってもこれからの方針などを担当のエイナ・チュールから多少聞くだけだが。本来他人には教えるべきではないのだがラインハルトはすっかりベルの保護者として認識されてしまっている。
――あの『剣聖』が新人の手助けをしている!
と、一時期は話題になったものだ。
ギルドに入ると、すぐ正面にエイナが受付をしていた。彼女はラインハルトにすぐ気づいて、
「――アストレア氏!」
他人行儀な呼び方で、そう叫んだ。
エイナとは雑談を幾許か済ませて本題を切り込むと、些かの躊躇もなく快く教えてくれた。
「そうか。ありがとう」
「い、いえ!こちらこそお役に立てたようで幸いです!」
何だか過度に緊張している気もするが、ラインハルトには預かり知らぬ――知る必要もないことだ。
感謝を述べ、そういえば――と、腰にかけた小さな袋に細かな魔石が入っていることを思い出し、換金した。
ささやかな額だが色々と出費の多いラインハルトには、そんな端金も万金に値する――。
「それにしても、ベルは――」
白髪の新人は現在鍛治師と出会い、冒険へ赴いていると聞いたが、その鍛治師というのがクロッゾの一族であるらしい。
「クロッゾ――精霊を身に宿す一族」
何かと共通点の多いクロッゾとアストレア。
過去には繋がりもあったらしいが、アストレア公国のエルフとの関係に障るということで絶縁してしまっている。
当然、ラインハルトも彼らとは面識がない。エルフたちから悪評を聞く程度である。
「話してみたいけど……」
おそらく祖国が良い顔をしないだろう。が、関わったところで厄介な妨害があるわけでもないとラインハルトは踏んでいるため、特に気にしないことに決めた。
「魔剣を創れるというのは、魅力的だけれど――」
期待はされているが新人のベルと共にいるというのは、何か大きな訳があるのだろう。
例えば、魔剣を創れない。或いは――
「――考えても仕方ないか」
今日は何をしようか――迷宮にでもいくか。
特にすることもないため、惰性で迷宮に行こうと思い立った。
オラリオを象徴する摩天楼の下まで行くと――
「――っ!!」
総毛立つ全身。
『勇者』の勘を超えた、英雄の第六感。
「なにか――まずいな……」
頭痛まで起こるとは、【アストレア・ファミリア】の惨劇の前夜を思い出すようだ。
こめかみを抑えながら、汗ばむ額の内側で急速に思考を巡らす。
迷宮を目前とした時に悪化したため、きっと迷宮関連。現在ラインハルトの勘に抵触する可能性があるとすればベルか、それとも――、
「――【ロキ・ファミリア】の遠征か!」
完全なる憶測。確証も何もないただの勘。
しかし口に出してみると、妙にしっくりくる。
あの夜と同じ感覚。ラインハルトは逡巡することもなく、駆け出した。
人死だけは避けたい――そう心に願いながら、理想を目指して英雄は往く。
深層までは驚くほど順調で、簡便だった。否、当然といえば当然か。
後日他の冒険者から、「怪物進呈が二秒で消滅した」との通達がギルドへあったらしいのだが、街談巷説として消化されたらしい。
ただ本当に留意すべきことは【ロキ・ファミリア】の到達階層であり、仮にかの一団が深層よりも遥か奥深くに到達しているのだとしたら、一人で救いにいくというのは『頂天』でも厳しい苦行といえる。
迷宮探索とは群を成して行うべき難題なのだ。
「……はぁ、はっ」
全力疾走で息を切らしたことのないラインハルトですら、数多の怪物を屠りつつ最高速度を常時発揮することは容易ではないため、息が荒れ始めている。
碧眼が暗中に嶄然と目立ち、全身は濁った返り血で染まっている。
最早深層の怪物ですら恐れ慄いている。
上の階層と比べて若干知性が高い故、怪物達は襲う前に一瞬の躊躇を見せる。
当然隙となり、肉片へと変貌する。
剣も使わず、拳と蹴りで敵を薙ぎ払う様子は騎士とはとても言い難い。
周りに人がいないから――否、急いでいるため体裁など気にしている暇などない。
「――どこにいる」
気の悪い汗が滴り、焦りが表へと進出している。
刻一刻と脳内で響く危険信号は強まっているからだろう。
「……どこに――」
遠くから――敵意。
それは刹那の間に英雄に肉薄し、彼の眼前に足裏が迫っていた。
ラインハルトは何とか避けることができたが、連続で畳み掛けてくる追撃を完全に捌ききることは難しかった。
凄まじい速度の乱撃を受けつつ見えたのは――赤と女性。
「貴方は――何者?」
正面にいる赤髪の女性は応えない。
ただラインハルトを睨み据え、剣を構えた。
――右腕を折られたか。
ラインハルトは自らの瑕疵の状態を把握し、回復に全力を尽くす。全力といっても、ラインハルトが自分の力で回復するわけではないのだが。
みるみるうちに折れた腕は快方に向かっているが、敵がその優勢を簡単に捨てるわけもなく――
「――剣聖」
ようやく、口を開いた。
「なんだい?」
「私はレヴィス――お前はアリアの前座だ。殺してやる」
アリア――何処かで聞いたことがある。
しかし今考えても仕方ない、と頭を振って思考をやめ、敵に集中する。
「アリアというのが誰かは知らないけど――悠長に遊んでいる暇はないんだ。手早く終わらせよう」
分陰、空気が弛緩した。
間延びした世界――現実味のない違和感。
強者が対峙すると起こる、時の流れが止まる感覚。
空漠を破ったのは、底流に流れる殺意を濁流如く放出する赤髪の女だった。
謎の女――レヴィスが腰を下げ、踏み込んだ。
先ほどよりも数段早く、おそらく彼女の現段階での最速――、
「――ふっ」
レヴィスは刺突で向かってくる。
ラインハルトは素直に驚愕した。こんな強者が未だオラリオで知られていないのか、と。
だが切先は届かない。
治りきらない右腕を庇うように避け、左足を蹴り上げた。レヴィスには当たらなかったが、眼が少し揺れているところをみるとたまたま回避できたのだろう。
目で追えていないようだ。
「くっ!」
レヴィスに焦りの表情。
赤髪同士の戦闘は、ラインハルトの全力を持って幕を開けるまでもなく下される。
靡く赤髪をかきあげ、
「言っただろう――急いでいるんだ」
ラインハルトの鋭く青い眼光は、殺意をもってしてレヴィスに死を予感させた。