「今、ここで君を屠って見せよう」
疼く親指を舐めながら、フィンはつぶやいた。
一撃で決める――アイズにはそう伝えてあり、少ない時間、焦る頭で最良の策を考えているのだ。
結果的に思いついたのは――最良かはわからないが、最強の策。
「リヴェリア、詠唱を頼む。レフィーヤ『平行詠唱』を」
「――ああ」
「了解しました――!」
「僕は僕で、やらせてもらう」
鋭い眼光は――碧い。
――魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て。
駆けながらの超短文詠唱。
額に押し当てた槍の穂先――美しき碧眼が、血の如き赤へと変わっていく。
「【ヘル・フィネガス】」
フィンの眼が――紅に染まった。
「――うぉおおおおおおおおおおおお」
轟くフィンの声。
狂ったように髪を乱し、その赤い瞳は全身から流れる血液よりも濃かった。
判断能力――小人族の武器である指揮を捨て、能力上昇を促す。つまるところ、この場での最強へと――至った。
フィンが持つ二振りの槍。
襲いかかる芋虫型が、腐食液を吐き出す――はずであった。
槍を振り回し、全てを蹂躙する――当然、腐食液もである。『不壊属性』をもつ槍に、もはや仇なすものはない。
狂気の小人は迷宮を支配する怪物の群に風穴を開けた。後続が突入する。
ティオネ、ベートは開いた空白を起点に道を作っていく。
腐食液など恐れない――フィンとは違う、根本からの狂戦士。風を纏い敵を薙ぎ払う狼。
死を恐れず、勝利を信じきった彼らに、最早敵などありはしなかった。
迷宮内を覆っていたはずの芋虫達。
怪物の筈が、慌ただしく焦りながら敵に迫っている。
先とは違い、完全に戦局の牛耳を奪った【ロキ・ファミリア。――但し『穢れた精霊』を除けば、だが。
矢張り主力の王将は、味方の芋虫など眼中になさそうにアイズを見つめている。
ある程度回復したのか、またも攻撃態勢に入った。
『穢れた精霊』は笑顔と余裕を見せるが、頬が少し震えている。
『アハッ』
ついに怪物が動いた。
緑色の触手を金髪を激しく揺らすフィンに放った。
金銀を色にもつ双槍を用い、旋風で身を守るが――、
『【火ヨ、来タレ――】』
詠唱の再開。
「――何ッ!」
「魔法が来る!!」
ベートとティオネが同時に叫ぶ。
フィンを凝視するも敵は多く、手助けはできない。
「――フィン」
焦燥を帯びたアイズの眼。青く震える唇。
誰もが憂うその魔法は、英雄が突き破る。
速攻の詠唱――魔力光は膨れ上がり、魔法は完成していく。
右の手に持つ得物《フォルティア・スピア》。黄金の穂先、『勇気』の名を冠する――フィンの象徴。
それを――、
「うああああああああああああああああッッ!!」
黄金の輝き――勇者の一撃。
完成されつつある魔法を穿つ一閃。
勢いよく放たれた槍は、詠唱を行う女体型の口腔に突き刺さり――貫通する。
膨張する魔力は行くあてをなくし、そのまま大爆発した。
「今しかねぇッ!!」
ベートが、らしくない形相で叫ぶ。
彼の声を聞くまでもなく、全員が一斉に駆け出した。
【ロキ・ファミリア】が、それぞれに与えられた役目をこなす。
ティオネは力強い拳で芋虫の腹に穴をあけ、ベートを足技を駆使する。
アイズに迫る触手をティオナが捌き、後方からのリヴェリアとレフィーヤの支援が火を吹く。
彼女らを守護するガレス、椿、ラウル。
最大戦力たちが、意地をかけて勝ちにいく。
そして――道は開く。
一直線――死線。瀬戸際を、アイズは駆ける。
剣姫への賛歌かのように轟く叫声――芋虫たちが斬られている。
「アイズ――頼むよ」
ティオナが場に合わない満面の笑みをみせた。
鈍感で感情の起伏と表情の運動量が乏しいアイズは反応する間もなく、ティオナと阿吽の呼吸で《大双刃》を使い、上方へと跳躍した。
目指すは眼前――顔の前。
しかし、おいそれとアイズを近づける精霊ではない。
触手が襲い、芋虫達を投げつけてきた。新しい攻撃だ。
手間取る――剣姫。
喉元から弾き出す詠唱――『精霊』のものだ。
「【突キ進メ雷鳴ノ槍代行者タル――】」
片方の口を治癒へと利用しながら、魔力が黄金色に変わっていく。
「――ッ!」
完成した魔法『【サンダーレイ】』。空中では避けようもない、豪雷の一撃。
砲撃魔法が、アイズに迫る。
「――【盾となれ、破邪の聖杯】!」
後方から飛び込む――【エルフ・リング】を使い、同胞の力を我がものにしたレフィーヤの声。
秋空の如く色を変える魔法陣が、敵を凌駕する速度で完成していく。
「【ディオ・グレイル】!」
純白の障壁。円形、広範囲――高速故か、脆い。
それでいい。アイズに避ける隙を与えられれば。
敵方も弱っており、最大出力の魔法ではないはずだ。
いわば勘といえるが、冒険者として――強者達と接してきて培った感覚を、レフィーヤは信じた。
発動される両者の魔法。
威力では『精霊』が勝る――が、それだけが争いの勝利とはいえない。
戦術的には、レフィーヤは『精霊』の上をいく。
ほんの十数秒の障壁。
すぐに綻びが生まれ――剥がれていく。
その間に、リヴェリアが動く。
『精霊』との戦闘中では厳しかったが、丁度些かの余裕がある今、集中して魔法を組み立てている。
『【ヴィア・シルヘイム】』
使用した魔法はレフィーヤ達に迫り――敵味方見境なく襲う豪雷から、多少であるが護ることに成功した。
「――レフィーヤ!」
リヴェリアだ――肩で息をしているが、眼に宿る闘志は消えていない。
彼女はレフィーヤに「限界を超えろ」と、いっているのだ。
普段なら、へなへなと倒れ込むところだが、杖を握りしめ――詠唱を始める。
先ほどと同じである。豪雷が美しい声音をかき消すが、関係ない。戸惑いもない。ただ冒険者として、【ロキ・ファミリア】の一員として――全力を尽くす。
甘い自分に、喝を。
「【ディオ・グレイル】」
先ほどと同じ魔法。
上がる魔法の展開速度。
再び純白の魔法障壁が、彼女らを守護する。
「――レフィーヤ!耐えて!」
リヴェリアの魔法は剥がれ、この魔法が負ければ死は確定している。
満身創痍の彼ら。今までにないほど、死に近づいているはずだ。
「踏ん張れぇぇ!勝てぇぇぇ――――ッ!!」
ティオネとティオナの声援。
二人は障壁のそばにたち、不壊属性の武器で守る。
ガレス達も同様に耐える。血走る眼が、必死さを顕著に伝える。
「わたしは、わたしだって――」
脳裏に現れるは尊敬する先達――アイズの姿。
後ろにはベートやフィンもいる。
負けられない。負けられない。
自然と、手を強く握りしめた。
「――――あぁぁぁぁぁぁ!!」
硝子を割ったかのような音。
障壁は破れる。だが――雷も同じであった。
――相殺。
衝撃で全員が吹き飛ぶ。――急ぎ立て直す。
椿が武器を放り、ガレスが受け取る。
【ロキ・ファミリア】随一の馬鹿力。
鈍足であるはずのドワーフだが第一級冒険者の膂力を駆使し、アイズの援護へと走り出す。
「勝ち筋は見えとるぞぉぉ!!」
鼓膜に響く胴間声。
ガレスの言葉に奮い立つ、ラウル率いるサポーター達は魔剣を使い怪物達に応戦する。
ラウルは凡人と呼ばれるが、その実力は【ロキ・ファミリア】の誰もが認めているところ。フィンに代わり、指揮を任されている。
椿も怪物を足止めし、リヴェリアの魔法が芋虫の大群に強襲する。
どんな武器でも使える椿には、刀でない武器だって扱える。余った武器を取っては、腐食液を吐き出す芋虫を切って捨てる。
リヴェリアは疲労により震える膝を叩き、最終局面に入ったかのように深呼吸をし、詠唱を開始した。
長く、速い。すぐに、詠唱は完成された――はずだが。
『詠唱連結』。
王族である彼女のみに与えられた、不正に近しい異次元の一矢。
滔滔と続ける詠唱は再び、完成の兆しを見せる。
そして――、
『【レア・ラーヴァテイン】』
巨炎。燃え盛る焔は迷宮を蔓延るモンスターたちを、一掃した。
リヴェリアは倒れ、残る魔力の残滓――彼女の意志は、『精霊』にまで手を伸ばす。
『――――ッ!』
自在に身体を改造し、硬い装甲を作り上げるも、リヴェリアの限界を超えた火力になすすべもなく、装甲は爆散する。
アイズ、ベート、フィンが駆ける。
邪魔な芋虫を排除しながら、着々と王手へと近づいていく。
焦る『精霊』は、アイズ達の前に緑壁を建てる――が。
どこかから飛んでくる斧が壁に突き刺さり、亀裂が走った。
「――ふぬっ!!」
同じように跳んでくるガレスが罅向かって殴打する、壁を破壊する。
「ガレス――ありがとう」
「ふん。偉そうなこと言いおって、フィン――行け」
再度――一撃。
全力である。当然、防壁は瓦解した。
だが、『精霊』が生じた隙を逃すわけもなく、触手らガレスの肉体を貫く。
漸く一人、そう思ったはずだが――ガレスというドワーフは止まらない。
「甘すぎるわいっ――!!」
触手を掴み、引きちぎり――鋭利に尖ったそれを、力一杯投げとばした。そして、『精霊』を穿つ。
「行くぞ!二人とも!」
フィンがいい、槍と強固な脚が道を開く。
後はアイズ、君に任せた――フィンとベートに、そういわれているような気がした。
暴風を纏い、宙を舞う。
命を獲ったと確信した――そこで、安堵。隙が生まれる。
触手を悟られないように地中に忍ばせ、アイズの背後から――
「【穿て……必中の矢】」
口元に残る吐血の跡。
ここで終わりたくない
憧憬に気づかれなくてもいい。
諦めたら、全て壊れる気がする。
――数々の想いを収束させ、力へと変換する。
「アイズ……さん――」
弱々しく、呟く。
「……【アルクス・レイ】」
『精霊』が笑う。
余裕を感じさせる――アイズは、何が起きているのかわからなかった。背後に迫る脅威にも、だ。
後ろを振り向くが――もう。
「あぁぁ――」
触手が――アイズの眼に映る。
初めて認識した。死。冥府の扉が開きかけている。
アイズの首にかかる死神の鎌。死を彩る蜘蛛の糸。
阻止したのは――レフィーヤの放った矢であった。
『精霊』とレフィーヤ。再戦は、同じく相殺に終わり――
「――ありがとう」
アイズは笑顔の後輩を想起し、眦を決した。
風の刃を、振り下ろす――『精霊』が止める。
『ギャァッ――!!』
迸る赤い血。敵のものだ。
魔法を詠唱するが――アイズの準備は、既に済んでいた。
「……頼む」
誰の言葉だろう。
ただ、全員の心を代弁していることは確かだった。
「【吹き荒れろ】」
切先を『精霊』の眉間に――
「――リル・ラファーガ」
脳天を穿ち、魔石を狙う。
焦る精霊、迫る剣姫。
アイズの迅る心は、重大なことを見逃していた。
『精霊』のもう一つの口が――後頭部にある不気味な口が、醜く歪んだ。笑っているのだ。
おそらく詠唱済み。アイズには、『精霊』の口が小さく動いたように見えた。
刹那――アイズの身体が硬直する。
何が起きた、わからない。
あるはずの魔石――あと一歩、届かなかった。
触手が、アイズの肋骨を――粉砕する。
期待する【ロキ・ファミリア】の面々。
胴を打たれ、吹き飛ぶアイズ。
彼らの時間が止まる。
諦念が心を襲う前に、後方に消えていったアイズを見る。
あの一撃は耐えられない。死地をいくつも通ってきた彼らには、よくわかっていた。
死んでなければ御の字だ――と、いうほどのもの。
光が消え、再び晦冥が訪れた。
精霊を纏う少女の眼に色はないが、息はしているようだった。
他の者も同じだ。生きているようで、死んでいる。
大技は希望をみせたが、現実は残酷であった。
「くそ……ッ!」
地面にとぶつかる、鈍い音が響く。
――と、眼から色を失っていないものが一人。
「……いいや、まだだ」
【ロキ・ファミリア】団長――フィン・ディムナが、にやりと口角を鋭く上げた。唇は青く、震えている。
「それじゃあ、意趣返しといこうか――!」
背後から聞こえてきた美しい声音は、『穢れた精霊』の頭上に――雷と思しき光を呼び寄せた。
「ライン、ハルト……」
頬にべっとりと血糊を付着させ、朦朧と死に近づくアイズがいう。
「さっきはすまない。格好悪いところを見せたね」
暖かく微笑み、負傷などない綺麗な姿のラインハルトがそこにはいた。
風の精霊との親和性が高いアイズに、ラインハルトを治療した精霊達を預ける。治癒してもらうためだ。
ただ、
「あ、れ――」
「ああ――身体は修復できても、服までは難しいからね」
羽織り、肌の露出を許さない大きな布をひらひらと揺らした。【ロキ・ファミリア】のものだろう。
戯けてみせたようだが――すぐにアイズに向けた優しい瞳が勢いよく動く。
『精霊』は死してはいないが、先程の攻撃がかなり効いているのか、震えていた。
だが、攻撃を止めるつもりはないらしい。
「ラインハルト――まずい!」
フィンが叫ぶ。
当然、緑の異形のことをいっているのだろう。
「大丈夫です。――そろそろ、幕を引くとしよう」
『精霊』に向き合い、龍剣を構える。
そこにいる剣聖は、以前とは全てが変わっていた。
この日、彼がオラリオに足を踏み入れてからの躍動と、同等とも思える活躍をした。すでにLv.6という器には収まってはいない。
加護により、昇格を果たした彼は――未だ、本来の才覚には遠く及ばない能力値に燻っている。
しかし――今出せる全力を。限界を超えた遥か先を。
間違いなく――光を放つその剣は、青く歪んだ時空は、剣聖が本来有るべき実力に限りなく近づいている徴証となっていた。
鈍く――重い、空間を切り裂くような一撃。
迫る触手。交差する眼。振りきった、龍剣。
『穢れた精霊』は驚く間も与えられず、地を這う芋虫諸共、迷宮は――均される。
空空漠漠と、拓けた。
「なっ――!!」
全員が目を見張る。間抜けに開けっぱなしの口。
当然だろう。
今まで苦戦し、死すら覚悟した強敵が――たった一振りで一掃されたのだ。
徐に龍剣を鞘に納める英雄。
乱れた赤髪。いつもの赤色ではない。
自らの血で染め上げた、黒く濃い色である。
おそらく、自分たちが永遠をかけても届かないであろう。既知だったはずだが、再度実感してしまった。
ラインハルト・ヴァン・アストレアは、英雄であり、天の寵児であり――化け物なのだ。
神、精霊、怪物――人間。
どれにも近しい存在なのだと、【ロキ・ファミリア】は畏敬を思う。
できれば、彼に対する態度が変わらないように――と、彼らは心の中で祈り続けた。
***
ラインハルトは『穢れた精霊』との死闘を終え、帰路についている。
今度はゆっくり、休み休み帰っていた。
【ロキ・ファミリア】は大きな痛手を負ったため、安全階層で休んでいる。
そこでも何かが起きそうな予感がしたが、酷いものではなさそうなのでラインハルトは一旦無視した。
「――剣聖」
「……君は――ヘディン」
唐突に姿を表した【フレイヤ・ファミリア】幹部、オッタルに次ぐ戦力である――ヘディン・セルランド。
『白妖の魔杖』という、傑物だ。
白皙の肌、その美貌はラインハルトにも引けをとらない。
「【フレイヤ・ファミリア】が、なんのようかな?」
「そういった用件ではない。ただの確認だ」
あくまで独断――と、いいたいかのように冷たく応える。
「確か――君たちの中では、僕に触れていいのはオッタルだけなんじゃなかったかな」
「貴様と殺し合うことは禁じられている。だが、会話は別だ」
それに――
「上へと至ったようだな」
ヘディンの怜悧な双眸が、ラインハルトを射抜く。
睨み合う、二人。
「今まで勿体ぶって昇格しなかったが、ようやくやる気を出したか」
「悪いね。色々とお家騒動が片付いたものだから、迷宮探索に注力できるんだ」
その心根にあるオッタルに対する意識が見え隠れしている。ヘディンは当然見抜いている。
そして、本題に切り込む。
「――ベル・クラネルのことだ」
「ベルが、どうしたのかい?」
「気づいているはずだ。フレイヤ様が、あの兎を見つめている」
見つめている――言葉の裏にある意味を、英雄は即座に見抜いた。
否定はしない。ラインハルトは、無言でヘディンの真意を確かめている。
「勿論。視線は幾度となく感じているさ」
「貴様、ベル・クラネルに何かあればどうする」
「何か――の内容にもよるけれど、弁えていれば容認するよ。そこまで過保護にはやらない」
「ならばこれからのことに、貴様は動くな」
真顔のヘディン。笑顔のラインハルト。
対称的な二人だが、思考の根本は似通っている。
【フレイヤ・ファミリア】の団員達の中で唯一信ずるに値する男だと、ラインハルトは勝手に思っている。
女神フレイヤの考えも、ある程度まともなヘディンならどうにかしてくれる――といった確信が、何故かあった。
「それでも、ベルに何があれば……その時は――」
「わかっている。できる限りのことはする」
「なら良かった。それと、オッタルのことなんだけど――」
「――あの猪も剣聖との勝負のため、鍛錬に明け暮れている」
ラインハルトが到達した最高位。
『頂天』は『英雄』の昇格を察し、いち早く鍛えているのだ。決して追いつかれないよう、ラインハルトの才能を理解している――。
「そうか。彼との勝負、近いかもしれない」
「奴も同心だろう」
ふふ――とラインハルトは笑みを浮かべ、切れ長の眼を細める。
「僕も聞きたいことがあるんだけど」
「――?」
「君たち【フレイヤ・ファミリア】に、黒竜を討つつもりはあるのかい?」
「――『厄災の気まぐれ』か」
神妙な面持ちで返すヘディン。
ラインハルトは小さく首肯し、『厄災の気まぐれ』と名付けられた惨憺たるあの日を思い浮かべる。
「ああ。僕の祖母が忌まわしきあの竜に殺された時から、僕の目的には『黒竜討伐』ある。復讐心が大きいというわけではなく――ただ、世界に影響を及ぼす危険因子は、取り除くべきだと思うんだ」
「我々も、黒竜の危険性は理解している。『ゼウス』と『ヘラ』――オラリオにおける最強の双璧が崩された日から、心に留めている」
「今のオラリオの戦力じゃ、黒竜どころか【ゼウス・ファミリア】単体にすら及ばないかもしれない。君たちがロキと協力しなければ、さらに酷いことになる」
第一級冒険者の数、それ以下の多くの強者――何もかも、足りていない。
「だけど――種は芽吹き始めている。精霊の子、千の魔法――最後の英雄。灯火は小さくとも、これから大きくなっていくはずだ」
「その過程で、邪魔はほしくない――そう言いたいのか?」
「――火種を潰すことだけは、僕は許さない。君たちの協力が不可欠だ。できれば女神の意向より、世界を優先してもらいたい――」
ヘディンの敵意――ズキズキと刺さる。
何よりも女神優先の【フレイヤ・ファミリア】。ラインハルトはよくわかっているはずだった。
「そうか。黒竜の存在は、憂慮すべきところだろう。だが――主神の動きは読めん。止める気もない」
「わかっているさ――止めなくても、君なら良い対処をしてくれると信じている」
「勝手にしろ」
と言い放つと、ヘディンはラインハルトと数秒間目を合わせ、無言のまま闇に溶けていった。
相変わらずの堅物だが、話のわからないやつではない。ラインハルトは苦笑いをし、歩を進める。
無意識に握りしめていた拳が、痛い。
掌には血が滲み、不快感を覚えた。
迷宮特有の生ぬるい風が、ラインハルトの血色の良い頬を優しく撫でた。